「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2013/3/3 週報メッセージ

   2012年度第2回教会総会を終えて
                                                                                                           朝位 真士
  2月24日礼拝後、出席者18名、委任状17名で2012年度第2回教会総会が開催された。役員と牧師・信徒議員が出席し、教会規則第19条により議員総数の五分の一以上の出席で総会が成立した。
 議題1は2013年度宣教方針で、牧師がまず御言葉「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい」というヘブライ12章14節を引用して、短いメッセージを語り、桜ヶ丘教会の三つの祈祷目標、1、個人信仰の確立、2、全家族の救い、3、個人伝道による教勢倍加を掲げ、その実現に向けての具体的な内容を示した。2013年度の諸活動は次の通り。
 4月1日(月)~3日(水)ホ群年会、4月28日(日)第1回教会総会、5月26日(日)チャペル・コンサート、黄原亮司氏(チェロ演奏)、6月9日(日)創立記念礼拝、岸義紘師、10月20日(日)秋期チャペル・コンサート&特別集会、小西優子師、11月2日(日)召天者記念礼拝、11月中頃バザー、12月15日(日)クリスマス・コンサート、ボーマン師、12月22日(日)クリスマス礼拝、24日(火)イブ礼拝、1月1日(水)元旦礼拝、2月23日(日)第2回教会総会。
 議題2、2013年度会計予算。S会計役員より趣旨説明があった。議題3、役員選挙。7名の方々が選出された。新人2名が当選された。議題4、その他。会堂外装の件が審議され可決。
 この総会を終えて、会員の方々の祈りと支援の必要性を特に感じた。3月に引越をされる一家があり、新役員に2名の若い方が選出された。1923年6月1日より90年の歴史を迎えるこの時、桜ヶ丘教会が時代の荒波に大きく船出することを神に祈りたい。

2013/2/24 週報メッセージ

   四旬節(レント)を迎えて
                                                      朝位 真士
  2月13日(水)に灰の水曜日を迎えた。復活祭46日前の水曜日は四
旬節の第一日で、死に対する備えと罪の悔い改めの必要とを思い起こさ
せるため、額に聖灰で十字架の印を付ける習慣から、灰の水曜日と呼ば
れるようになった。
 四旬節(レント)は灰の水曜日に始まり、復活日前日までの主日を除
いた40日間である。この40の数字は、ノアの洪水の日数、イスラエ
ルの民がシナイの荒野をさすらった年数、エリヤが断食した日数、シナ
イ山においてモーセが断食した日数であり、主の受難(十字架)による
勝利と復活を待望させるのである。
 今年の受難週は、3月24日(日)棕梠の日曜日。25日(月)実のない
いちじく。26日(火)枯れたいちじく、宮での論争、週末の予言。27
日(水)祭司長の陰謀、ナルドの香油、ユダの裏切り。28日(木)最後の
晩餐、訣別説教と祈り、ゲッセマネの祈り。29日(金)捕縛、裁判、十
字架、埋葬。30日(土)墓に番兵をおく。31日(日)イースター礼拝と
いうふうになっている。今年度は2012年4月8日(日)にもイースタ
ー礼拝があり、1年に2回イースター礼拝を迎えることができて感謝で
ある。私は毎日がイースターであり、クリスマスであればよいと思って
いる。そうすることによって十字架と復活を想起することができると思
う。

2013/2/17 週報メッセージ

   いのちより大切なもの
                                                               朝位 真士
  先日お茶の水のキリスト教会館で行われている「星野富弘の詩画展IN
お茶の水」に行ってきた。詩画集の中で、「いのちが一番だと思ってい
たころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った
日、生きているのが嬉しかった」という詩に出会った。「いのちより大
切なもの」とは何でしょうか。星野さんは「それは、自分で苦しみなが
ら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」と語っていた。
 カトリックの修道女、渡辺和子先生は著書『目に見えないけれど大切
なもの』の「いのちより大切なもの」という項目で、星野富弘さんの詩
を引用して、「人間が『生きている』ということと、『生きていく』と
いうこととは、ただ一字違うだけだが、実は大きく違うのだということ
を私たちは知っている。星野さんも、ただ生きているだけの自分でな
く、生きていくことができる自分にお気づきになった喜びを詩に表され
たのではなかろうか。その生きていく力は、命より大切なものがあると
知った時に与えられたという。この自分が、傷のあるままで愛されてい
ることに気づき、それを気づかせてくれる人々の愛、神の愛に気づいて
与えられた力だったのではないだろうか。そういう力に支えられて、苦
しいことの多い一生を生きた一人の人間の生の軌跡は、この世の命に勝
る尊いものなのだ」と語っていた。

2013/2/10 週報メッセージ

   平和を求める祈り
                                                               朝位 真士
  パウロの思想の中心は「愛」です。愛がなければ何事も起きないので
す。愛というものが、生命と人間の幸福と人間関係をつなげていくもの
の根幹であり、人間の死の瞬間にも、たった一つ求めるものなのです。
 私は朝祷会に出席しています。1995年から会堂建設のために、ま
ず皆様に祈っていただかなければ完成しないと思い、東京都内の各朝祷
会で積極的に祈っていただき、そのお陰で1997年12月に会堂が与
えられました。教会員の方々、その関係者の祈りと奉仕はもちろんです
が、神が与えてくださったと感謝しています。
 その際祈られたのは、アッシジのフランチェスコの祈りです。「平和
を求める祈り」です。「私をあなたの平和の道具としてお使いくださ
い。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分
裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているとこ
ろに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるとこ
ろに喜びを、もたらすものとしてください。慰められるよりは慰めるこ
とを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛すること
を、私が求めますように。なぜなら私が受けるのは与えることにおいて
であり、許されるのは許すことにおいてであり、我々が永遠の命に生ま
れるのは死においてであるからです。

2013/2/3 週報メッセージ

   まず考え、次に感じ、その後に行動
                                                             朝位 真士
  カトリックのシスター渡辺和子先生の『置かれた場所で咲きなさい』
という本で右の言葉に出会いました。彼女は「文明の利器は、たしかに
『便利』『安楽』『スピード』をもたらしましたが、その反面、人間か
ら『待つこと』『耐えること』『静かに考えること』といった習性を奪
ってしまったかのように思えます」と書いていました。
 私はこの文章に出会い、キリスト教信仰の大切な秘訣を忘れていた感
じがします。一つは「待つこと」。イザヤは「主に望みをおく人は新た
な力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いて
も疲れない」(40章30節)と語っています。主を待ち望むこと。これ
は祈って待つことです。すぐ解決・解答を求めません。
 二つは「耐えること」。「あなたがたを耐えられないような試練に遭
わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道
をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリ10章13節)
 三つは「静かに考える」。アブラハムは75歳から100歳まで、約束の
子供が与えられませんでしたが、25年間祈って待ち、考えた時に、神
から約束の子イサクが与えられました(創12章~18章)。
 私共も「待つこと」、「耐えること」、「静かに考えること」を実践
していきましょう。

2013/1/27 週報メッセージ

   問安特別夕拝を開くにあたって
                                                                                                           朝位 真士
  今日はホーリネスの群委員長、日本キリスト教団舘坂橋教会牧師、岩手大学講師、キリスト伝道会エバンジェリストの村上義治先生をお迎えできることを感謝しています。先生は1975年神学校卒業後、小松川教会副牧師を経て小松川教会の開拓教会を設立し、東調布教会牧師、幼稚園園長を歴任されている大変素晴らしい方です。今夕4時半からの集会で、マタイ1章18~25節を通して「試練を超えて」というテーマで語ってくださいます。皆様祈ってご出席ください。私はこのために朝祷会を始め、各集会で祈ってまいりました。この伝道の好機を逃さないようにしたいと思っています。
 深井先生が『伝道』という本の中で、「伝道を語ることは美談や成功例を数えあげることではありません。また悲観的な分析を続けることでもありません。伝道の技術を説明し、支援することでもありません。私たち自身の救いを語ることでしょう。この私たちの人生にキリストがどのように出会ってくださったのかを語るのです。証言するのです」と述べていました。私は18歳で受洗し、今年で51年が過ぎました。本当にあの時救われて今日あることは神様の一方的なお恵みであると感じています。
 2013年も、社会においても個々人においても、いろいろなことが起こることかと思いますが、今年も数回の特別集会を計画しています。まだイエス・キリストを信じていない方、受洗されていない方は、ぜひとも神の子イエス・キリストの救いを受け容れて天国に行くパスポートを入手してください。神はすべての人が救われることを望んでおられます。(Ⅰテモテ2章4節)

2013/1/20 週報メッセージ

   牧会雑感                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(Ⅰコリ13・4~7)
 「ヤマアラシのジレンマ」というお話を御存知だと思います。哲学者ショーペンハウアーが記した寓話です。「2匹のヤマアラシが、ある寒い冬の日に、お互いの体温を温め合うために寄り添おうと近づいた。ヤマアラシの体にはとげがついているので近づくと相手を傷つけたり、刺したりしてしまう。しかし離れていては寒い。そこでヤマアラシは適度にお互いを温め合い、適度に傷つけ合う距離を発見した。」このとげというのは、人間がお互いに持っている自己愛、自己中心性です。また精神分析学者フロイトは、この「ヤマアラシのジレンマ」の寓話を引用して、人と人との関わりには常にこうした葛藤と傷つけ合いがあり、この傷つけ合いをどう乗り越えていくかが人間関係の基本だと語っています。
 私はこのとげ、自己愛、自己中心性が人間関係において出てくると、人間関係は成立していかないと思います。そこで私が牧師としていつも心掛けているのは、相手との間にいつもイエス・キリストの十字架の愛(キリスト教の最大の教え)を介入させて、人間関係を保持することです。しかし私も弱い人間なので、冷静に判断できずに相手との関係が崩壊する時もあります。その時は冷静になってこちらから謝ることにしています。信者と牧師、信者と信者、未信者と信者との争いがあれば、聖霊の働きを強く求めるように祈っていかなければならないと思います。皆様方も是非お祈りください。主の平和!!                                                     

2013/1/13 週報メッセージ

   僕会雑感
                                                                                                           朝位 真士
  「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブライ12・14)
 ウェスレーと中田重治のホーリネス・スピリット何かというと、三つあるとS校長が語られた。①神に従うこと。つまり聖書の言葉に従うこと。②ホーリネス(聖)。神の聖さを追求する。③失われた魂に対する情熱、伝道の情熱。つまり愛による情熱である。
 アメリカの心理学者であるアルバート・マレービアン博士は、人が他人から受ける情報(感情の態度)の割合について次のような実験結果を発表している。①顔の表情(55%)。②声の質(高低)、大きさ、テンポ(38%)。③話す言葉の内容(7%)。
 『韓国はなぜキリスト教国になったのか』(鈴木崇巨著)についての前教団議長・青山学院長の山北宣久先生の書評が非常に心にとどまったので転記したい。「日本の教会の不振は神学や方法論の問題ではなく、熱き祈りからくる霊的喜び、家族・親戚による伝道という身近にして具体的な実践の不足が原因であり、そのことは私たちに悔い改めを促す。」(『信徒の友』 2013年1月号)
 私は前期の文を通して、2013年はホーリネス信仰の原点と救霊に対する情熱を聖霊によって与えていただきたいと、切に神に求めるものである。桜ヶ丘教会の役員、信徒、求道者の方々が、ホーリネス教会のメンバーとして、どなたかの救いのために祈っていただきたいと、切に願うものである。

2013/1/6 週報メッセージ

   すべての人との平和と聖なる生活
                                                                                                            朝位 真士
  2013年度にはヘブライ12章14節の「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい」という聖句が与えられた。信仰生活において、霊的力が十分発揮されず疲れてしまう場合、人間関係がうまくいっていないことがある。だからすべての人と平和に過ごすことが大切で、それを追い求めるようにと勧められている。
 どうしても赦すことのできない人とどこかでばったり顔を合わせた時、本当の自由も喜びもない。いつも自由でいられるために、すべての人と和解をしておく必要がある。これには聖霊の力をいただく必要がある。基本的なことだが、まず1日1回聖書を読む(アパルームや信徒の友、マナ等の日課を毎日読む)。祈りをする(密室の祈り、集会出席)。キリスト者との交わりをする。教会の中で、自分にできることをする(礼拝出席、献金、会堂清掃、賜物を生かす)。これらはキリスト者として基本的な要素である。何事を行うにしても基本法則は大切なことである。信仰がマンネリ化しない秘訣である。
 私は1961年12月24日に受洗して五二年目を迎えた。もちろん今までいろいろな悩みや試練や戦いがあった。しかしいつもインマヌエルの神、全能の神、聖霊の神が主イエス・キリストを通して、すべての問題に解決を与えてくださった。
 「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」(Ⅰテサ4・3)
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることである。」(Ⅰテサ5・16~18)
 平和と聖なる生活を求めていこう。

2013/1/1 週報メッセージ

   2013年を迎えて
                                                                                                         朝位 真士
  2013年を迎えた。本年に与えられた御言葉は、「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブライ12・14)である。
 「すべての人」は、まず教会内部のすべての人のように思われる。ここで問題になっているのは「信仰の弱い者」で、それは教会内部の兄弟姉妹のことであろう。教会内部の不和によって信仰の弱いものをキリストから離れさせることが多いからである。今日もこの事実に変わりはない。
 聖書における平和は二つの意味をもっている。第一は人間が持つことのできる最大の幸福、最高の善である。箴言を見ると、「わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し、平和が与えられるであろう」(3・1~2)とある。ヘブライ人への手紙で言われているのはこの「平和」である。
 第二に、平和は人と人との正しい関係を意味している。平和とは、憎しみがなく、互いに他者の益のみを図り、愛と赦しと奉仕によって相互に結ばれている状態である。当時の人々は相次ぐ迫害と圧迫の中にあって、何よりもこの平和を必要としていたのであろう。聖書は平和を維持しなさいとは言わず、「追い求めなさい」と言っている。平和は偶然に生まれるものではなく、努力と訓練を通して生み出されるものであることを教えるために言ったのであろう。
 「また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」クリスチャンはこの世にあるが、この世の人とは一線を画すのである。クリスチャンの規準、行動、理想、報酬、目標はこの世の人とは異なっている。実は、私たちの日々の歩みはそれら一つひとつの徹底化の過程であると言える。この聖化を「神の御前に出る準備」として受け止めたいものである。