榊原紀惠子 のすべての投稿

2017/6/4 週報メッセージ

   創立九四周年記念礼拝を迎えて
                                                                                                                                       朝位 真士
 今年も岸義紘先生をお迎えすることができて感謝いたします。今年で17回目になります。
 私共の教会は1923(大正12)年6月1日、初代教師である板井康裕先生が世田谷桜新町の自宅で伝道を開始したことで始まりました。1930年、渋谷区栄通りに移転して「祈りの家渋谷ホーリネス教会」と改称。1942年、日本基督教団設立とともに教団に加盟し、「桜ヶ丘教会」となりました。
 創立記念礼拝に岸先生をお迎えできたことは、先生のご厚意はもちろんのこと、神様のお導きだと感謝しています。先生は日本全国、どんな小さな集会でも御用してくださる方です。今回はマタイ25章1~13節を通して「油断大敵!予備の油はありますか?」という題でメッセージを取り次いでいただきます。
 今日は大変記念すべきペンテコステの礼拝でもあります。2千年前、イスラエルの120人の人々がエルサレムの
2階座敷で熱心に10日間祈っていた時に約束の聖霊が降り、人々は聖霊体験をしました。弟子のペトロが説教したときに3千人の人々が救われたと使徒言行録2章に記されています。これは創世記11章1~9節のバベルの塔の崩壊からの回復です。そしてペンテコステの時に新約の教会が誕生したと言われています。
 岸先生が来られた、この記念すべき時に、もう一度ペンテコステの恵みによって私たち一人ひとりが神との交わりを回復し、人々との関係も聖霊の力によって回復させていただきましょう。渋谷ホーリネス教会時代の礼拝平均
50名、祈祷会20名、伝道会30名に戻って100周年記念礼拝を持てるように、教会員の皆様方のお祈りを切に願うことであります。今の時代に大切な魂の救いを神様は願っておられるのではないでしょううか。

6月4日創立94周年記念礼拝について

イメージ 16月4日(日曜日)10時30分~
岸義紘先生をお迎えし、創立94周年の記念礼拝を捧げます。
お話のテーマ
「油断大敵!! 予備の油はありますか」
いつも岸先生は、サクソフォンの演奏をしてくださいます。
チャペルコンサートと礼拝のひと時を、日曜日に桜ヶ丘教会で、ご一緒に過ごしてみませんか。
どなたもご自由に参加できます。
主のお恵みの雨に打たれて紫陽花のように咲きたいと思います。
祈りつつ、主のご栄光を拝し、日曜日を待っております。

2017/5/28 週報メッセージ

   山本潤先生を迎えるにあたって
                                                                                                朝位 真士
  この度、桜ヶ丘教会の伝道師・担任教師として山本先生をお迎えできることを心より感謝しています。先生は今年神学校を卒業して、教団の補教師試験に合格し、今度、西東京教区総会にて伝道の准允を受けられます。日本基督教団以外の教派での経験が三五年近く、また社会人としての経験も三〇年以上あり、神学校において様々な年齢層、生い立ちの献身者と切磋琢磨されました。知識や経験に頼るのではなく、一功を主にお委ねするところに道が開けていくことを体験して今日に至っていることです。教団調布教会で役員として、教会学校教師として良き働きをされていたと伺っています。教会の宣教・牧会のために、きっと神様に用いられる器となられると期待しています。桜ヶ丘教会に新しい聖霊の風が吹き込むことでしょう。
 先生は、「職場でのキリスト者としての役割を終える頃の自分について祈っていた五〇歳頃、神様からいただいた恵みを伝えるための基礎を学ぶ機会が与えられ、聖書六六巻が一つにつながった。……所属する調布教会での信仰の歩みをする一方、それまで生かされてきた恵みを神様にお返しする場での神様の弟子としてのフルタイムの奉仕者として、今後の社会を担う若者や企業の中で悩みながら生活している社会人に神様の愛を伝えさせていただくことを祈り、使徒五・三八~三九によって献身が示された。」と語っておられます。
 桜ヶ丘教会は創立九四年を迎えようとしています。ここでもう一度、この地域に開かれた教会としての意識を再確認して、山本伝道師と私共夫婦の教職と役員、信徒、求道者の方々と一致して、主の宣教の使命を果たしたいと思います。どうぞ皆様、お祈りとご支援をいただきたいと思います。

2017/5/21 週報メッセージ

   ペンテコステ礼拝を前にして                                                                 
                                                                                               朝位 真士
  神様は弟子たちに聖霊降臨の約束をなさった。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒一・八)今年のペンテコステ礼拝は六月四日(日)、ちょうど岸先生をお迎えしての特別集会の時である。そのために、私共はもっともっと祈りを献げなければならない。
 旧約聖書創世記一一章にバベルの塔の記事が出てくる。世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。しかし人類はバベルの塔を建設しようとした。塔が崩壊して、神は彼らを全地に散らされたので、彼らは町の建設をやめた。「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」(創世記一一・九)それ以来、人間関係の難しさが出てきた。特に、お互いの言葉が通じ合わないようになった。人が一番苦しんでいるのは、人間関係だと言われる。私たちは人間関係がうまくいかない時には「話し合いが十分できていなかった……」と後悔してしまう。しかし、話し合えばうまくいくのだろうか。「自分の思い、考えだけでことを運ぼうとし、相手を巻き込もうとしていなかったか」と自ら問いかけなければならない。キリスト者として、聖霊が働く空間を作っておいただろうか。私たちと隣人の間に聖霊の働く場を置くことが大切だと思う。親子の間、夫婦の間、嫁姑の間、友人の間、複雑な人間関係の中で、疲れてしまうことのないように、思い通りにいかない時、予期しない出来事に出会った時「間を取り」、聖霊なる神様の働きに身を委ねつつ前進していきたいものである。                       

2017/5/7 週報メッセージ

   教会が強くなるために                                                                                                                                                                                                                                             朝位 真士
 
 辻宣道師の『教会が強くなるために』という本に出会って、私は信仰の原点を感じた。イースター礼拝が終わり、ペンテコステに向かって教会の業が進んでいる。使徒時代に一二〇名の信徒達がエルサレムの二階座敷で祈っていると、聖霊が一人ひとりの上に降ったとある。
 私共の教会はホーリネス系の教会である。特色は四重の福音、新生、聖化、神癒、再臨であるが、最も強い特色は聖化(きよめ)である。その根本は祈祷と宣教である。最近、祈祷会も少しずつ祝福され、夕拝も祝福されている。私の母教会の北九州復興教会は、山中日出刃先生の時代に開拓伝道された教会である。先生は祈祷と宣教のビジョンに燃えていた人であった。私はその教会で救われた。辻先生の本に、「わたしは祈祷会は教会の柱だと考える。素朴な祈りを心の中でかみしめ、終わりに一緒にアーメンという時、ここで教会が支えられていると思う。弟子たちが祈っているところに聖霊はくだった(使徒一、二章)。聖霊の働きは教会をつくった。我々の教会もつくられている。たしかに。」とある。「我々の中には誰一人としてえらい人はいない。上から命令したり支配したりする者はなく、みんなキリストの体なる教会の一肢である自覚を持って、教会に仕えていくのである。」とも書かれていた。
 二〇一七年度、神の家族の一員として教会関係者一同、教会のために、個々人のために、他者のために祈り、神の業のためにお祈りしていこう。それによって教会が強化され、日本宣教・世界宣教の業が進展していくのではないだろうか。

2017年度第1回総会を終えて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
2017年度の桜ヶ丘教会は、新たな思いをもって、歩み、進み始めました。
本日は、2017年度第1回教会総会が開催され、2016年度の活動報告や、決算報告がなされ、教会員の皆様にご承認をいただきました。
今年度から、山本伝道師を迎え、桜ヶ丘教会も、様々な工夫や取り組みを検討しております。
本日は、山本先生の奥様が桜ヶ丘教会の会員になられ、私共のお仲間として山本姉妹をお迎えすることができ、心から嬉しく思っております。
この写真の桜の花のように、桜ヶ丘教会が、主によって祝福されることを、信じます。
ご高齢で94歳のS姉妹も息子さんとご一緒に、久しぶりに礼拝に来られました。
お元気そうで、爽やかな笑顔が輝いておられ、昼食もご一緒にいただき、感謝なひと時になりました。
「イエスは良き羊飼い」というテーマで朝位牧師から、お話をいただきました。
私たちは、主なる神様が導いて下さる良き羊飼いの声を聴き分けて、導かれ歩むことができるようにと祈らなければならないと思いました。
良い羊飼いとは
・羊に仕える
・羊を養い育てる
・羊のために命を捨てる
・一つの群れをつくる
 と教えていただきました。
イエス様の宣教の使命と性格を描き出しているということです。
教会の使命を考えさせられました。 私たちは、教会に集う羊の群れとして、生命の道を歩ませていただいていることを感謝したいと思います。
この1週間も、主の憐みの内に歩むことができますように。

2017/4/16 週報メッセージ

   イースター(復活節)を迎えて
                                   朝位 真士
 今日はイースター(復活節)礼拝である。原始教会において、イエス
の復活の出来事は終末論的出来事として、また信仰者の将来における復
活を保証する救済論的出来事として捉えられている。最古の復活のケリ
ュグマは、早期に信仰告白伝承(Ⅰコリ15・3b~5)と伝道説教型
(使2、3、4、5章)に組み込まれ、両者は原始教会において内と外
に方向づけられて併存した。Ⅰコリ15・3b~5と四福音書の復活顕現
伝承は、一部同一の復活顕現に淵源すると想定されるが、直接の接点を
もたない。両者の関係は従属的ではなく、相互補足的に捉えられねばな
らない。四福音書には「空の墓」の記事が記されている。この伝承の古
層は、もともと受難史のコンテキストにおいて復活のケリュグマとして
の機能を担ったのであり、おそらくはエルサレム教会にまで遡る。ヨハ
ネ20・3~10には「空の墓」の使徒的証明という弁明的動機が観察され
る。四福音書には「空の墓」の記事に続いて、復活者の「顕現伝承」が
記されている(マル16・9~18、マタ28・9~10、16~20、ルカ24・13
~35、36~48、ヨハ20・11~18、19~23、24~29、21・1~14、15~
25)。これらの諸伝承の伝承史的相互関係には、明らかでない点が多い
が、少なくともマル16・9以下は昇天記事(19、20節)も含め、他の福
音書の顕現を形成している。(『聖書辞典』より引用)

2017/3/26 週報メッセージ

神の家族
朝位 真士
 リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より学びましょう。
 私は何のために生きているのか。()神が私を造られたのは、私を愛するためである。()神が私を造られたのは、私が神との個人的な関係を楽しみ、すべての造られたものを治めるという役割を果たすためである。
 ()神を知り、神を愛し、神が私を造られたその目的に従って生きるとき、私の人生にすばらしい祝福がもたらされる。しかし、多くの人はそのような幸いな人生を送っていない。どこに問題があるのか。人間が、神が定められた人生の原則を無視して、勝手気ままに生きようとする生まれながらの欲望を持っている。聖書はこのような態度を「罪」と呼んでいる。ウォレン博士は、「解決はどこにあるのか」と語っている。キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14・6)と言っている。イエスはすでにあなたの罪の問題を引き受け、その代価を支払ってくださった。「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6・23
 天国は完全な世界である。しかし私たちは不完全である。私たちはどんなに努力しても神の基準に到達することはできない。しかし、キリストは、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださった。そして私たち一人ひとりを招いておられる。「もしあなたがわたしを受け入れるなら、あなたを天国へ迎え入れよう。しかし、それだけではない。この地上の生涯においても本物の人生を体験するようになるだろう。」と語っている。
 次回からは、神は私に何を願っておられるのかについて、学んでいきましょう。

2017/3/19 週報メッセージ

   神の家族                                                                 
                                                                                                                       朝位 真士
  リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より学びましょう。
 Ⅰ 私は何のために生きているのか
 (1)神が私を造られたのは、私を愛するためである。
 (2)神が私を造られたのは、私が神との個人的な関係を楽しみ、すべての造られたものを治めるという役割を果たすためである。神を知り、神に知られること、そして神を愛し、神に愛されること、これが私たちが創造された目的です。
 (3)神を知り、神を愛し、神が私を造られたその目的に従って生きるとき、私の人生にすばらしい祝福がもたらされる。それは、きよい良心(ローマ8・1)、いのちと平安(ローマ8・6)、人生の目的(ローマ8・28)、確信(ローマ8・31)、生きる力と強さ(ピリピ4・13)、必要の満たし(ピリピ4・19)などです。弱さを覚えている人には助けが与えられ(ローマ8・26)、災いが降りかかってきたときには守りが与えられ(ローマ8・39)、何かに捕らわれている人には自由が与えられます(ヨハネ8・32、36)。これらはみな、キリストとの個人的な関係によって与えられる祝福です。キリスト教は、イエス・キリストとの個人的な交わりです。神は私たちがいのちと平安に満たされ、目的と確信をもって生きることを願っておられます。しかし、多くの人は幸いな人生を送っていません。次に何が問題なのか。一言でいえば、勝手気ままに生きようとする生まれながらの欲望を持っています。しかし、聖書はこのような態度を「罪」と呼んでいます。罪は、神との親しい関係を破壊します。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言16・25)しかし、私たちの魂が本当に必要としているものは、神との交わりです。
 次回は、「解決はどこにあるのか」を学びましょう。                                                 

2017/3/12 週報メッセージ

   神の家族
                                                                                                          朝位 真士
  リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より学びましょう。
 私は何のために生きているのか
 1、神が私を造られたのは、私を愛するためである。神は言われました。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」(エレ31・3)また、エフェソ1・4~5、「天地創造の前に、神は私たちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」みなさん一人ひとりは、神に愛されるために造られたのです。
 2、神が私を造られたのは、私が神との個人的な関係を楽しみ、すべての造られたものを治めるという役割を果たすためである。「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」(創1・27~28)聖書はまた次のように教えています。「むしろ、私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(Ⅰテモ6・17)神は、私たち人間を全被造物の冠とされました。アダムとエバ以来、世界を治めるという仕事は、私たち人間の手にゆだねられているのです。神の代理人として誠実にその責任を全うしていくとき、私たちは真の充実感を味わうことができるのです。主イエスは言われました。「わたしが来たのは羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10・
10)イエスが来られた目的が、私たちにいのちを与えるためであったとすれば、私たちはイエスを知ることなしに本当のいのちを体験することができません。つづく。