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2010年12月19日クリスマス礼拝

イメージ 112月19日(日)10:30~
クリスマス礼拝があります。
講師:ベアンテ・ボーマン、ルリ子先生
チェロ演奏とメッセージ
「偶然には何も起こらない」
 
今年も先生ご夫妻が我が教会に来てくださいます。どなたもお気軽にお出かけください。
ベアンテ先生のチェロ演奏とルリ子先生のピアノ演奏は、12月の教会に心地よく流れます。
また、お話は、ベアンテ先生の英語とルリ子先生の力強い翻訳による素晴らしい内容です。
 
どうぞ、このひと時を祈りつつ待ち望みたいと考えています。

本日のメッセージ「毎日がクリスマス」から

イメージ 1 メシア・イエスの誕生は野宿していた羊飼いたちに告知された。「恐れるな、大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」素朴なベツレヘム郊外の羊飼に第一に知らされ、彼らが最初に救い主を礼拝することができた。
これは深い神の御心によることである。すべては人間の常識を破る。神はご自身の決定により、そのわざを推し進められるのです。神の子が生まれるとすれば、それは宮殿や豪華な邸宅であろうと考えるのが常識であろう。しかしわたしたちの神は、私たちの生活を知っておられます。なぜならイエス様もわたしたちと同じ生活をされ、しかもなんの優越性も主張されませんでした。このことは、キリスト教信仰の中で特に明記すべきことであります。
 イエスが生まれる時に、最初の住民登録が成され、羊飼いは、強大な権力と体制の前で物の数にもされず、住民登録の対象にもならず、羊とともに野に捨ておかれて、疎外されていたということです。この羊飼いたちの前に、主は最初にこの良き知らせを告げ知らされました。そして、イエスは、飼い葉億の中に寝ておられました。
 
 羊飼いがその幼子に最初に会いに行ったとき、マリアとヨセフは、神のご計画をどのように受け止めたのでしょうか。不思議ですね。このクリスマスの本当の意味を今日また深く味わっております。
クリスマスは教会においでいただき、共にこの惠を分かち合いたいと考えます。

2010年12月5日の礼拝から

イメージ 1写真:K/Kさん提供
今日の朝位牧師のお話「結び」抜粋。
 バークレーは「マグフィカート(マリア賛歌)は、世界で最も革命的文書である。」といって神による3つの革命を語っている。
1、神は心の思いのおごり高ぶる者を追い散らす。これは道徳革命である。
2、権力ある者を引きおろし、卑しい者を引き上げる。これは社会的革命である。
3、飢えている者を良いもので満たし、富んでいる者を空腹のまま帰らせる。これは経済的革命である。と言っている。」
朝位牧師の結びのお話は、マリアがどんな方であったのか、力強い女性であったことを感じさせられます。
 
 クリスマスのこの時期には、いつもイエスキリストの誕生を別の角度から考えたり、感じたりいたします。
 聖書からは、読むときの年齢などによって、毎日、毎年、異なることを教えていただくことができます。
 今年のクリスマスには、この不思議な出来事の奥深い意味を更に深く理解できると良いなあ思っています。
 
 また、昨今の情勢を見ますときに、世界が本当に平和であることを祈り願っていかなければならないと思います。
私達の願いを神に知っていただくために、小さな祈りにして、星のように輝かせましょう。
 

2010/12/5 週報メッセージ

   北九州復興教会の四重主義(Ⅰ)
                                                                                                        朝位 真士
  私は1961年に教団北九州復興教会で受洗をし、今年で49年目になる。その間信徒として、牧師として、心がけていたのは、母教会の山中日出刃牧師が教会の目標としていた「四重主義」である。
 (1)「全員礼拝」ー礼拝の恵み
 キリスト者の生活の中心は神を第一とした聖なる礼拝から始まる。イエス様の十字架と復活を覚え、喜びと感謝と希望を持って礼拝できることは、神様のお恵みである。
 (2)「全員献財」ー献財の恵み
 パウロはⅡコリント8章1~8節で、マケドニアの教会に与えられた献財について、「献財は神の恵みである」と3回も繰り返し訴え、「この恵みに富んで欲しい」と言っている。私の恩師山中日出刃牧師は1959年9月27日の週報に、「什一献金の祝福」と題して次のように記載されている。①什一献金により我等の心を世の物欲から潔める。②経済面に豊かな祝福を得る。残りの十分の九プラス神の祝福。③霊性に計り知れない恵みを与える。④教会に神の栄光が現れる。
 聖書の引用をする。マラキ3章8~10節。「人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながら、どのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と、献納物においてである。あなたたちは、甚だしく呪われる。……十分の一の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと、万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。」
 次回は四重主義の(3)(4)を引用して、私見を論じたい。

2010/11/28 週報メッセージ

   待降節(アドヴェント)
                                                                                                        朝位 真士
  クリスマスの4週間前の日曜日から、一本ずつローソクを点火して、キリストの降誕日を迎える心備えをいたします。アドヴェントとは来臨の意味で、主イエス受肉された降誕を迎える心の準備をするとともに、再臨の準備の時ともされています。フランス、スペイン地方の教会で、クリスマスに洗礼を受ける準備の期間を40日間として守ったのですが、後にローマ教会がこれを取り入れ、クリスマスを迎える準備の時とし、11月30日に最も近い主日から始まるものとされ、降誕節4週間前の日曜日から救い主を待ち望むよう守られております。
 
   ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。       エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
  ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。                その根からひとつの若枝が育ち
  権威が彼の肩にある。                                       その上に主の霊がとどまる。
  その名は、「驚くべき指導者、力ある神                      知恵と識別の霊
  永遠の父、平和の君」と唱えられる。                思慮と勇気の霊
                                (イザヤ九・五)                主を知り、畏れ敬う霊。
                                                                  彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
                                                                  目に見えるところによって裁きを行わず
                                                                    耳にするところによって弁護することはない。
                                                                                           (イザヤ一一・一~三)
 
 今年のクリスマス礼拝は12月19日(日)午前10時30分です。講師はベアンテ・ボーマン先生(チェロ奏者、牧師、神学博士)、ルリ子先生(ピアニスト、通訳)。是非一人でも多くの方々が教会に導かれ、集うようにお祈りください。  

クリスマスを待ちながら

イメージ 1写真:K/Kさん提供
12月を迎えました。
いつも、クリスマスにはイルミネーションが華やかに街を装ってくれますね。
このような華やかな装いが、嫌だと感じる人もいらっしゃいます。
華やかさが人工的だと、何かとってつけたようで、その人工的な騒がしさや楽しさから、取り残されそうな思いがふと心に浮かんで来たりするものですね。
年末年始は、人生のセレモニーを否応がなしに経験せざるを得ないと、少し面倒に感じることもあります。
しかし、本当のクリスマスを知っていただくと、暖かい思いで心が満たされます。
教会では、12月はイエス・キリストの誕生の日を、特別に、静かに待ち望み、その恵みをみんなでお祝いいたします。
どうぞ、この12月に、是非一度、桜ケ丘教会にお出かけになりませんか。
 
12月19日(日)10:30からは、ボーマン・ベアンテ先生とルリ子先生によるチャペルコンサートがあります。
 
12月24日(金)の夜は、イブのキャンドルサービスがあります。
 
 

2010/11/21 週報メッセージ

   収穫感謝日「メイフラワー号の旅」                                                                                                                               朝位 真士
 1620年9月16日、アメリカの新天地に向かって、イギリスのプリマス港から帆を上げ、総勢102名。わずか180トン、全長27メートルの小さな帆船メイフラワー号に乗って、清教徒たちは英国の植民地バージニア州に向けて出発した。神を自由に礼拝できる場を求めて、長い航海の末に11月21日、船はケープコッドにいかりを下ろした。一同はそこで植民地の法律に代わる新しい法律を自分たちで決めることとなり、それが今日まで知られる「メイフラワー号の契約」となった。「神の前に我々は約束する。政治的には市民本位の組織体とし、よりよい秩序とその保持、さらに進んでその発展を図る。この初志にのっとり、正義と平等の精神に基づいて法律、制令、条例、憲法を植民地の人たちの要求に合致するように制定し実施する。」この契約こそ、英国の君主政治を揺り動かし、また世界各地に変革をもたらした民主主義の種を宿していたのである。人は誰でも信仰と勇気をもって目的に向かって前進するとき、神は最善に導いてくださる。
 アメリカで清教徒が11月第4木曜日に収穫感謝祭を守ったことに合わせて、秋の収穫の時期、勤労感謝の日に近い11月第4主日に、収穫感謝祭を守るようになった。
 後日談になるが、アメリカに到着した最初の年、食料が不足していたときに、アメリカのインディアンの人々や他国人が清教徒たちを援助した。その後、その土地で労働して収穫を得た。教会では果実、その他収穫された物を持ち寄り、愛餐の時をもったのが、収穫感謝祭の起源となったようである。
 喜びと感謝と希望をもって神様に感謝を捧げてまいりたいものである。                                 

11月召天者記念礼拝の後に

イメージ 1 写真提供:K姉妹
 皆様、11月の召天者記念礼拝も、終了致しました。
Y長老が、今年1月に天に召されましたが、いつも、教会の前の席にお座りいただいていた時のことが思い出されます。
 私達も、信仰の先輩方を覚えつつ、前進できるように祈って生活していきたいものです。
 さて、11月の声を聞くと、直ぐに12月のクリスマスの訪れを嬉しく待ち遠しく、思います。
 皆様は、今年の11月、12月を、どんなふうに過されますでしょうか。ご家族の病や、御本人自身が抱える病と闘っておられる方もいらっしゃいます。
 どうぞ、負けないで、くじけずに過していけるように、神様におゆだねしつつ、助けていただきましょう。
 この与えられている時間、生命、それぞれが限りあるものであることを考えるとき、とてもいとおしく、大切にしなければならないと感じます。
 お金を大切に使うことは、限りあることを考えると実行せざるを得ないものです。
 時間も生命も同様ですね。

2010/11/14 週報メッセージ

   信仰生活の手引き
                                                                                                        朝位 真士
  ジョン・ウェスレーは「恵みの手段」として、ディボーション(神との交わり)を守りました。ヘンリ・ナウエンも「気がかりなこと、憂い、痛みが常に襲いかかる日常の生活の中で神を見いだすことがなければ、そうした日ごとの雑事から解き放たれたなら神を見いだせるだろうと考えるのは意味のないことです。仕事の最中にも霊的な営みが成長し深まることがなければ、働く時間の前後に持つディボーションが深まっていくことなどあるでしょうか」と述べています。
 ウェスレーにとって主要な恵みの手段は祈りでした。祈りを重ねる生涯をウェスレーは送っていたと言っても過言ではありません。祈りをこれほどまでに重要視した背景には、「クリスチャン信仰とはイエス・キリストを通して神と生き生きとした関係を過ごしていくことである」とウェスレーが理解していたことがあります。祈りとは、神と自分の関係を保つための方法だからです。祈りは神との関係をつくり、また豊かにしていくために神から与えられた賜物です。さらに、霊性の潤いを失い渇いてしまうケースの多くは、祈りが欠けていることから起こってくるとウェスレーは理解していました。
 ウェスレーは一人で祈りました。彼はいつも朝4時半から5時に起床して祈ることを習慣としていました。第二にウェスレーは声に出して祈ったり、また沈黙のうちに祈ったりもしました。第三にウェスレーはあらゆる種類の事柄を祈りました。賛美し、告白し、感謝し、とりなしをし、そして自分の願いを神に知ってもらうようにしていました。第四にウェスレーは他の人の祈りを読み、学び、そして自分の祈りに応用しました。
 私たちの信仰生活の手引きのまず最初は「祈り」から始めましょう。密室、祈祷会、礼拝、例会等で大いに祈りましょう。

2010/11/7 週報メッセージ

   召天者記念礼拝を迎えるにあたって   
                                                                                                         朝位 真士
  「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(Ⅰペトロ2・11)
 今日は、召天者記念礼拝として守っている。葬儀の後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられる。どのような時に記念会をもつかについて特別の基準はないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍にした9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようである。しかし日取りについて特別な基準がない現状においては、適当な期間をおいた後、教会の暦に関連させて選ぶことが意義深いと思われる。それは、死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからである。教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活節(3~5月)、あるいは地方によっては8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んで行われている。
 今年は3人の方々が召天された。一人はY長老である。1月21日に87歳6ヶ月の生涯を終えて天国へ旅立った。二人目はT姉である。6月15日に99歳4ヶ月の生涯を終えた。3人目はK姉である。7月22日に、87歳6ヶ月の生涯を終えた。私は3人の方々の司式をさせていただきながら、3人とも本当に信仰の生涯を全うされたということを確信している。もちろん、今日この所に写真が飾られる召天者の方々も同様である。
  「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」〝霊〟も言う。「然り。彼らは労苦を
  解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(ヨハネ黙示14・13)