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2009/4/12 週報メッセージ

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   キリストの復活
                                   朝位 真士
2009年イースター礼拝、おめでとうございます。

イエス・キリストは、先週の金曜日に十字架にかかって死に、3日目
の朝復活されました(マタイ28・1~8、マルコ16・1~8、ルカ
24・1~8、ヨハネ20・1一~18)。

 詩16・10の預言が成就しました。
 イエスは復活してから昇天するまで、40日間にわたり使徒たちや人々
 また2年後には使徒パウロを回心に導き、伝道者として召すために彼に
直接現れています。

 イエスは復活と顕現によって、死を根底から滅ぼすことのできる全
能の主であることを示したのです。

 また信じる者に永遠の命を与える真の救い主であることを証明されたの
です。
 世の中には、多数の宗教家や教祖といわれる人もいます。
優れた人生哲学もあります。
 しかし死より復活し、自ら救い主であることを主張できる方は、天地万
物の創造主であり、私たちを愛してくださる父なる神の独り子イエス・
キリスト様だけであります。

 今日はその方が復活されたことを祝うイースター礼拝です。

青年会誌「創」の一文から

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 <ご一読いただきますように。>
 Aちゃんがママになって、いつもいつも応援してるSです。
 こんな葛藤をしながらAちゃんが、イエス様と一緒に歩いているのを読んで、力をもらいました。
 日常の中で、私も、自分はなんて駄目なんだろう、どうして優しい人間になれないんだろうと罪深さに葛藤してます。

 「Oh my dearest!」 

 洗礼を受けて今年で20年になる。人が生まれたら成人する歳月であるが、私は成長するどころか、ルカ11:24~26のような状態だ。神様助けてください。
 
 手首を切ろうとしたことがある。自殺を図るというより、ムシャクシャした気分を晴らすために及んだ行為だった。それは小学5年生の何月頃だったろうか。

 はっきり覚えていないのだが、私生児の弟が生まれる前であったから、春から秋の間であったと思う。学校でのできごとであったので、周囲が止めてくれた。泣きじゃくりながら保健室で手当てをしてもらったことはおぼろげに覚えている。
 
 私にとってショックだったのは、その手を切ろうとしたことの理由よりも、学校から連絡を受けた母と元夫の父とがそのことをはっきりと無視したことであった。
 私は「悔しい」と泣いた。自己肯定感が音を立てて崩れて行った。

 それから25年間経ってから父に「俺には関係ないことにしてくれとお父さんが言ったとお母さんから聞いたけれど本当か」と当時を問い質す手紙を書いた。
 折り返し電話で父は、そんあことがあったとは知らなかったと否定した。
 「昔のことは忘れてくれないか」と淋しそうに語った。私は何と答えただろう。
 やはり父も、私のこれまでの恨みつらみの苦しみを引き受けてくれる気はないのだな、と了承した。

 はたちを過ぎた頃だったろうか、私は気づいた。
 いくら私が父や母を恨みに思っても、両親にとってそんなものは何の痛痒も感じないし、畢意私に許されたいと思うはずがない。自縄自縛に陥るしかないのだ。
 私の心に寒々とした風が吹いた。そんな背景とアルバイト先の人間関係のもつれから精神が錯乱たのは24歳になる少し前だった。
 病院通いは今も続いている。

 最近の5年間で生活環境ががらりと変わった。結婚してすぐ妊娠し、長女が生まれ、次女がうまれた。
生まれて1年ほどは赤ちゃんを手離しにかわいがったものだったが、だんだん成長し、いたずらを始め、自己主張を始め、反抗するようになってくると、私は鬼母になってしまった。
 何かに怒鳴りつけ、感情に任せてこれでもかと叩いた。うるさいとかうとましいとさえ思うことがあった。怒鳴ったり叩いたりした後は、自己嫌悪と共に娘に謝るのだが、悔い改めるまでには至らず、同じ事を繰り返した。

 そういえば母は私に手を上げたことはなかったな、と思い返したら、余計に滅入った。
 私は確実に嫌われる母親になるのだろう。そんな折、長女が「おかあさん、だいすき」と言ってくれるようになった。
 私は素直に喜べなかった。こんなにひどい、最低な母親なのに・・・・。

 神様に祈ることもうしろめたくなっていた頃、石井希尚牧師の本に出会った。

 その中に、「自分の気持ちや感じ方を最優先してしまった瞬間・・・私たちは自分の心を神にしていることになります。その心のあり方を聖書は罪と呼んでいるわけです」(「愚かな女は騒がしい。賢い男は珍しい。」)とあった。
 私は自分の心を神にして、愛を注ぎかける対象として授かったはずの娘達を邪険にしていたのだ・・・。
こう知らされた時はさすがに土下座するくらいの気持ちで「神様ごめんなさい。」と祈った。

 「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)
 言い換えれば、私はイエス様に対して怒鳴りつけ、叩いていたということだ。考えられない罪である。

 私という人間がどれだけ罪深い者であるか、思い知らされるために子供たちが与えられたのだ。
罪万死に値する・・・。私のためにイエス様は十字架にかからなければならなかったか・・・・。
本当にイエス様に申し訳ないと思った。がしかし、この悔い改めも1週間すると元のもくあみとなった。
 
 娘達に怒鳴る叩く邪魔に思う・・・。なぜなのか・私くらい罪深いと思うと、もう祈っても変えられないのか。

 結構なピンチの状態である。乞う御加祷。

 

 

上水公園の桜が満開です

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 2009年度最初の礼拝は、東京各地における桜の花が満開となる中で行われました。

 本日は、4月から山形県新庄市に行かれる西海満希子先生がおいでくださり、ご一緒に礼拝を守ることができました。本当に感謝です。

 しばらくは、山形でいままでのお疲れを癒し、一般会員として充電されるそうです。
満希子先生が、さらに新しいご出発のために山形をお選びになられたことが、日本のキリスト教会に大きな意味があると考えるところです。
 西海先生もご存命の時は、日本宣教のためにと言われ、桜ヶ丘教会を後にされ、困難のある道をお選びになられたことを思い出しました。

 さて、当教会の近くにある上水公園の桜も満開で、礼拝の後、公園内を散策しましたら、家族ずれの方々が、木の下で談笑しておられ、心温まる風景に出会いました。

 なお、来週4月12日(日)は、イースター礼拝です。
 主イエスキリストが、死に打ち勝って、復活されたことを記念し感謝し、お捧げする礼拝です。

 どうぞどなたもお気軽にご出席ください。

 また、4月11日(土)13:30~は、「ふれあい会」があります。
日ごろ感じていることや悩んでいたりすること、身近なお話をしたりして、ざっくばらんにひと時を過ごしていただいています。
 どうぞ、ご参加をお待ちしております。

2009/4/5 週報メッセージ

   クリスチャン生活の実質
                                    朝位 真士
 キリストを信じ新生を得た人々は、その人間性が聖霊によって新しく
造り変えられていくのです。この人間再創造の働きを「聖化」といいま
す。
 聖化への道は人間の力で実現できるものではありません。聖霊なる神
の働きによって、信じる者に与えられる一方的な祝福だからです。この
聖霊の働きを格別に受けることを、聖書では「聖霊に満たされる」とい
います。聖霊に満たされることによって、はじめて神に捕らえられ、き
よめられ、神の良き器とされ、賛美に満ち、霊的実を結ぶ生き生きとし
たキリスト者の人生を送ることができるのです。では、聖霊に満たされ
た祝福とは基本的にどのようなものでしょうか。①神の子の確信、②罪
と死の法則からの解放、③実を結ぶ生涯、④賛美と感謝、⑤行動力の源
泉。人間にとって無力な弱いものと見えるものに神は大いなる力を与え
られます。
 「あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるよ
うになるためでした。」(Ⅰコリ2・5)ですからクリスチャンはもは
や人間の知恵や権力を求めて生きません。真実の力を聖霊が十字架の言
を通して与えられます。(つづく)

お花見の親睦会は延期です

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3月29日に予定しておりましたお花見の親睦会は、日曜日が寒かったので数人の方で行かれました。

上水公園の桜の開花は、4月を迎えてからのようですね。

改めて、満開のころに行くことになりました。

後、残すところ、2日間の3月ですが、春の風を感じながら、冬が去っていくのを考えながら過ごしています。

数日後、青年会誌「創」の中から、皆様方に素敵なメッセージをお送りします。
お待ちくださいませ。

2009年3月29日礼拝

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今年度最終の礼拝になります。
教会のすぐ側にある上水公園の桜も咲き始めました。
どうぞ、桜ヶ丘教会の礼拝にお気軽にお出かけください。

礼拝開始時刻
 10:30~
(終了は、11:45くらいです)

 讃美歌を歌ったり、牧師のお話を聞いていただいたりします。
 今日は、礼拝の後に、昼食のお弁当を教会で準備したものをもって、有志で上水公園の花見をする人もいるようです。

2009/3/29 週報メッセージ

   クリスチャン生活の出発点
                                                 朝位 真士

 クリスチャンとは、いったい何を信じ、どのようにしてその生活に入っているのでしょうか。クリスチャンへの道には、「出発点の信仰」というものがあります。それは、天地の創造主である唯一の真の神を信じ、その神の前に自分の罪を認めて悔い改め、イエス・キリストが十字架のあがないと復活により救いの働きを全うされた、自分の罪と死からの救い主であることを信じることです。それによって初めてクリスチャンとしての歩みの第一歩が踏み出されることになるのです。これはまた、一言で、キリストの福音を信じるとか受け入れるとかとも言います。
 福音とは喜びの知らせであり、救い主キリストの働きを言います。(1)真の神を信じること。(2)神の前に罪を認め悔い改める。(3)キリストを救い主として認める。(4)キリストを自分の救い主と信じる。(5)信仰を告白する。(6)信仰の結果。①新生、②義認、③神の子となること、④神との平和、⑤救いの確信。以上が「クリスチャン生活の出発点」です。
 私共の教会には多数の未信者の方々が出席されていることを神に深く感謝申し上げたいと思います。これらの方々が一日も早く「クリスチャンとしての出発点」をスタートして、クリスチャン生活の実質を歩んでもらいたいものであります。
 来週から二〇〇九年度に入ります。この一年、何人の方々が主イエス・キリストを信じて洗礼を受けられるかを祈っていきたいと思います。

青年会誌「創」の発行

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2008年度も残すところ、あと9日間となりました。
桜ヶ丘教会の1年度も守られて、主の祝福のもとに成長させていただきました。

当教会の青年会では、年に数回「創」を発行しています。
会員の方々が、その時々の思いなどをお書きして、それぞれのメッセージをお届けしています。

今回も、12人に方々のエッセイが掲載されています。

1部200円以上でお求めいただいていますが、売上金は、会堂の献金とさせていただいております。

どうぞ素敵な青年会誌「創」をご一読くださいますように。

2009/3/22 週報メッセージ

   四重の福音の多彩性
                                                朝位 真士
 私の尊敬する故本田弘慈先生は、大変伝道熱心な方でした。いつでも、どこでもトラクトを配布されたと聞いています。先生がある日私に「四重の福音の多彩性」というパンフレットをくださいました。私たちホーリネス人にとりましても大変わかりやすい説明がされているので、ここにご紹介させていただきたいと思います。
 ホーリネスの特色は、四重の福音といいまして、新生(新しく生まれる)、聖化(聖霊によるきよめ)、神癒(神のいやし)、再臨(主が再び来られる)という四つです。教団の中で約七〇~八〇の教会がホーリネスの群に属しています。その特色教理が四重の福音(福音は一つですが様々な特色がある)でして、福音の特色を強調しています。そのホ群は東京聖書学校(教団認可神学校)を所有しています。
 一、新生ー赦罪(エフェ一・七)、義認(ローマ三・二八)、新創造(Ⅱコリ五・一七)、子とされる事(ローマ八・一五)、霊的復活(エペ二・五)、和解(Ⅱコリ五・一八)、自由(ガラ五・一)、神の家族(エフェ二・一九)
 二、聖化ーきよめ(Ⅱコリ七・一)、全的聖化(Ⅰテサ五・二三)、キリスト者の完全(マタイ五・四八)、キリストの内在(ガラ二・一九~二〇)、全き愛(Ⅰヨハネ四・一八)、聖霊のバプテスマ(マタイ三・一〇)、聖霊の満たし(使徒一〇・四四)、第二の転機(使徒一・五)
 三、再臨(栄化)ー体のよみがえり(ローマ八・二三)、救いの完成(Ⅰコリ一五・五五)、栄化(フィリピ三・二一)、新天新地(黙示二一・一)
 四、神癒ー神の御旨(Ⅲヨハネ・二)創造の力(詩一三九・一四)、御名の力(使徒三・一六)、御霊の賜(Ⅰコリ一二・一九)、神の国の突入(ルカ一一・二〇)、栄化の先取(ローマ八・一一)、根拠(十字架)(マタイ八・一七)、悔改と信仰(ヤコブ五・一五)
 以上のことをホーリネス人として心に留めたいと思います。