朝位真士
序
新年明けましておめでとう御座います。2021年の年間標語説教を祈っていましたら、使
徒18章1~11節が与えられました。特に18・9~11節が強く与えられました。皆さん御一諸に読みましょう。「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは1年6ヶ月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。このところを中心に御言葉を取り次いでまいります。2020年はコロナウイルス感染症流行の為礼拝の様式が変わり、毎週礼拝に来られておられた方々がこのウイルス感染症の為礼拝や諸集会に出席されることが出来なくなりました。教会も諸集会も中止せざるを得ない状態になり、礼拝に来られる方も、三密をさけ、マスクを着け、換気をして、大変不自由な思いをされておられると思います。まだ、このコロナウイルス感染症流行の終息を見ることが出来ません。しかし、教会も Youtube(ユーチーウブ)オンライン配信を礼拝説教では配信しています。皆さん方も慣れない礼拝形式で毎回お疲れ様です。早くコロナウイルス感染症が終息されることを祈っています。皆様にもお願い致します。
本
さて今日の聖書使徒18・1~11節を見てください。パウロは第二回伝道旅行にコリントに行った。コリントはギリシャの商業貿易の盛んな海港であった。小アジアの諸要港と、イタリヤとを結ぶ地形にあるため、旅行者の往来が激しく、従って、市中は世界的色彩が濃く,遊蕩気分がみなぎつていた。町と、この地の教会の状況については、パウロが、コリント教会に送った2つの手紙から、詳しく知ることが出来ます。パウロは、コリントに着くと2人の友人と親しくなり、彼らの家に滞在した。アキラというポント生まれのユダヤ人と、その妻プリスキラである。2人ともロ―マに住み、ロ―マ名を用いていた。プリスキラは、教養の高いロ―マ婦人であったといわれています。職業は天幕造りで、パウロと同業者であったことが、親交の機会となった。2人は、パウロのためには、「自分の首をさえ差し出してくれる」(ロ―マ16・4)ほどの信仰の友であって、パウロに伴ってエペソに行き、エペソ教会建設の功労者となった(18・26)。パウロの伝道が、最初から自給の精神に立っていたことは、コリント人への2つの手紙の内容によくあらわされています。コリントにはユダヤ人の多く、会堂があって、パウロは必ず安息日には、そこに集まるユダヤ人やギリシャ人の説得に勤めていた。その頃、マヶド二ヤ県のベレヤに残っていたシラスとテモテがパウロの許へ帰って来た。彼らはマヶド二ヤの教会の報告と、彼らからの贈り物を携えて来たことが、2コリ11・9に記されています。パウロの天幕造りの手仕事も、2人がくるまでであった。時間1杯を伝道のためにささげて、イエスがキリストであることを、ユダヤ人に力強くあかしした。その結果は、ユダヤ人の反感と、罵声を浴びただけであった。エゼキエル33・4の言葉を引用して、パウロはユダヤ人の会堂を去って、異邦人ティティオユストの家に場所を移した。ユストは、ローマ人でユダヤ教への熱心な改宗者であった。会堂長クリスポは、パウロ自ら洗礼を施した2~3人のうちの1人であつた。(1・コリ1・14~16)
地位のあるクリスポ1家の受洗は、周囲の人々が福音を聞いて悔い改め、入信する大きな力となった。伝道の成功に反面には、また「敵対する者も多い」とパウロは語っています。(1コリ16・9)。パウロの戦いには苦難と弱さがつきまとうた。そのような時、パウロはいつも聖霊の導きを幻のうちに受けて、励まされ、強められたのである。(使徒16・10,23・11,27・24)。それは迫害から守られるだけでなく、10「この町には、わたしの民が大勢いる」との、教会の発展を約束された御言葉を、受けたのであります。パウロのコリント滞在期間は1年6ヶ月となった。この期間に、彼はケンクリヤ、アカヤ全国にわたって伝道し、コリント教会を築き、また2つのテサロ二ケ人への手紙を書いた。この間の伝道の費用の一部が、マケド二ヤ教会からの援助によって補われた(フィリピ4・15)ことも忘れてはならない。
結び
もう1度使徒18・1~11節を見てください。特に18・9~11節を見てください。
ここでは迫られた熱心。神の激励、模範的信者。1~4始めアキラとプリスキラ夫婦と共に働きながら伝道する。5~11節伝道に専念する。コリントにおける伝道の中で、主イエスはパウロに幻の中で彼に現れ、(恐れるな。語り続けよ、黙っているな)と命じ、また主が共におられるから安全であると告げて、(この町には、わたしの民が大ぜいいる)と、救われる魂が多くあることを示して、彼を励まされた(9~10)。これは、その時ユダヤ人たちの反抗(6)によって、いくぶん心が下向きになっていたであろうパウロに対する力強い激励であった。伝道は人の生来の元気や肉の熱心ではできない。天からの火も、絶えず油を注がれ、心掻き立てる必要があります。エリヤがカルメル山上での大いなる栄光を拝した後、敵の脅威に恐れをなした時も、神は彼に「バアルにひざをかがめなかった7千人を、わたしのために残しておいた」と告げて、励まされた(ロ―マ11・3~4)私たちもまた、どこに行っても、反対ばかりされても、なお神が自分に与えて下さる魂のあることを信じ、また全能全愛の神が常に共におられることを信じ、励まされて証をしたいと思います。
今年私たちの身内や友人知己に方々が救われるように祈ってまいりましょう。ハレルヤ!