2020/10/25週報メッセージ

コロナウイルス感染症のこの時期に

朝位 真士 

  コロナウイルス・パンデミックは中国から始まり、現在全世界に広がっています。人類の歴史は黒死病やペストなど感染症との闘いで、前の世紀においても1918年にアメリカから流行したスペイン風邪がありました。当時の総人口の4分の1ほどにあたる5億人が感染し、4千万人が死亡したとされます。

 私共の国も東日本大震災とそれに伴う原発事故に見舞われました。それから十年足らず、復興の証としてオリンピックを開催する直前にパンデミックに襲われるとは、誰が予想したでしょうか。私は最近、『コロナウイルスとキリスト』(ジョン・パイパー著)という本を読みました。この中に、神はコロナウイルスを通して何をしようとしておられるのかについて記されていました。著者は道徳的な恐怖を目に見える形で示します。

  神は、コロナウイルスの大流行によって、ほかのどのような大災厄の場合とも同じく、神を軽んじる罪が、どれほど道徳的に恐怖すべき、霊的に醜悪なものであるかを、目に見える物理的な形で世界に示しておられる。「神は、私たちが御怒りを受け(ない)・・・・・・ように定めてくださったからです。」(Ⅰテサ5・9)私たちも、ほかの人々と同じように、病や災害によって死ぬ。しかし、キリストにある者らの場合、死の「とげ」は取り除かれている(Ⅰコリ15・55)。「死ぬことは益です。」(ピリ1・

22)を去ることは「キリストとともにいる状態になること」です(ピリ1・23)。神が物理的世界を呪いの下に置かれたのは、この世の病や大災厄に見られる物理的に恐怖すべき現実を、罪のすさまじさが生々しく示された写し絵とするためではないか。物理的な悪は、神への反逆という道徳的な暴力を指し示すたとえ話であり、劇であり、道しるべなのである。その苦難は、訓練であって、滅びではない。「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子にむちを加えられる」(ヘブル12・6)のだから。