「キリストに倣う者でありなさい」2021・7・18説教要旨

朝位 真士

今日は1コリント11・1~16節を学んで行きましょう。この11章部分は男女の地位。聖晩餐礼典の意義。1私にならいなさいとのパウロの勧め。2~16男女の地位と婦人のかぶり物の問題。ある注解書ではこの部分は3つに分けることができます。(1)11・2~3守るべき伝承と秩序。(2)11・4~6礼拝でのかぶり物。(3)11・7~16かぶり物についての根拠

1コリ11・1~16節を見て下さい。(1)始めにパウロはコリント人らを(立派だと思う)(称讃する)と言う。それはパウロのことをよく記憶し、伝承を固く守っているからだと言う(2節)。つまり11・23以下の聖餐に関する伝承と15・3節以下の告知された福音の内容を彼らが固守していることをパウロは称讃している。だがそれに加えて(知っておいてほしい)ことを3節で述べる。(すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神)。これは「創造の秩序」を示した創2・18~23のラビ的注解と解される。これは神の支配はキリストによって全ての男女に及び、同様にキリストの支配は全ての男女に及ぶことを示しています。しかも男はキリストに従うことによって神に従い、女はそのような男に従うことによって神とキリストの支配下に立つことを示している。ゆえにこれは創造論的・キリスト論的秩序と解される。(2)4~6この秩序に基づき、礼拝における男と女のかぶり物について述べる。パウロはここで女も男同様公然と(祈ったり、預言したりする)ことを認める。

その場合、男は頭にかぶり物をかぶってはならないことを命じる。男はキリストにあって、かぶり物なしに主の栄光を反映し得ると考えられたからである。(7,2コリ3・18)。これに対して女がかぶり物をしないことは、頭を侮辱することになるから、髪の毛を切ってしまいなさい。と命じる(6)。女が人前でかぶり物をすることは当時の習慣として一般化されていた。(3)7~16始めに(男は神の姿(像)と栄光を映す)ことと(女は男の栄光を映す)ことが示される。8節以下はこれに対する論証。(女が男から出て・・・男のために造られた)というのは創2・18以下のラビ的注解で、男と女の創造の秩序である。11節パウロはこれに加えて(主においては、男なしに女はなく、女なしには男は)ないと言う。これは(主において)の「救いの秩序」である。パウロによれば「創造の秩序」を廃棄しないし、止揚しない。ただ(主において)こそ(女が男から出た)ということと12節(男も女から生まれ、またすべてのものが神から出ている)ということが実現する。ここで女がかぶる物をするのは「み使いたちにために頭に権威を持たせるため」(頭に力の印をかぶるべき)という(10節)のはどういう意味であろうか。これをみ使いたちの性的誘惑(創6・1以下)から女を守るためと解釈する者もいる。しかしパウロはみ使いたちの性的誘惑についてはどこにも語っていないので、この解釈は当たらない。「権威」「力」を(自由)と解して女性がかぶり物をするのは、礼拝における自由の印と見る解釈もある(フランシスコ会聖研)。しかし、これはみ使いたちの超自然的な力に対する女性の弱さを守る防御の印と解してよい。この部分の結びとして、かぶり物をかぶることの賛否を読者自身の判断と自然理解に委ねると共に教会の習慣に従うよう勧める(13~16)。

結び

もう1度11・1~16節を見て下さい。当時ギリシャでは、男子は頭に物をかぶらず、婦人はかぶるのが通例であった。パウロはこのギリシャ人の風習を尊重し、それに霊的意味を加えて、4~5に語っています。しかし婦人がかぶらないのは服従しないことを表すので、恥ずべき事であるという。当時奴隷の女や姦淫の女は髪をそっていた。物をかぶらないのは(髪)をそったのと全く同じだからそれを恥じて物をかぶりなさいというのである(6)。ここでもう1度11・1節を見て下さい。「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい。」自分の覚悟を述べてきたパウロは、大胆にこう呼びかける。非常な確信を持って、信者に迫り得たパウロは本当に素晴らしいと思います。しかしその確信は、決して、独りよがりの者ではありません。「私がキリストにならう者であるように」と言うところに、彼の深い謙遜が示されています。キリストは「御自身を喜ばせることなく」(ローマ15・3)、「おのれをむなしくして僕に形を取り」フィリピ2・7、「ご自身をいけにえとしてささげ」られたエペソ5・2。パウロはこの主イエス・キリストにならった。パウロは、愛の為に、喜んで自分を束縛させた。叉同胞の救いのためには、自分は滅びてもよいと思い(ローマ9・3)、同信の共のためには自分の生命をも与えたいと願った(一テサ2・8)

まことにパウロは、わたしたちが模範として、仰ぐに足る人物であるこれはすなわちイエス・キリストに従ったパウロであるその模範はイエス・キリスト様であります。主イエスは私達の罪のために身代わりとして十字架で死に3日目に復活された活ける神主イエス・キリスト様です。このかたに倣って行きましょう。