「人間を誇ってはならない」2021・3・7説教要旨

朝位 真士

 今日は1コリント3・18~23節を通して聖書を学んで行きましょう。この3章は1~2節はコリント信者が肉に属する者であることを嘆く。3~4肉に属する証拠である妬みや争い。5~9伝道者の使命と神との関係。10~15伝道者の働きとその責任。16~17神の宮である信者。18~20この世の知恵は神の前では愚かであること。21~23信者の特権と身分。が語られています。

 1コリント3・18~23節を見て下さい。この3・18~23節は1言で申し上げるならば、人間を誇ってはならないという言葉につきます。21節から23節をもう1度見て下さい。

パウロはあなた方は神の神殿である16節に言っています。パウロは「あなたがたは神の神殿である」と言ってキリスト者の自覚を呼び起こしてから、自分の知識を誇らないようにと戒めています。さらに「だれも人間を誇ってはいけません」21節と言っています。これは党派についての戒めであります。ここで言っています「人間」には私達も含まれています。信仰者は、自分の信仰を誇りがちであります。私もそうです。私は18歳でキリスト者になって今年で60年になろうとしています。しかし信仰は神から賜るものであります。人には何1つ

誇るものはないはずです。もし誇りたいとすれば、わたしたちの救い主であるイエス・キリストを誇るべきであります。イエス・キリストは、私達の罪の身代わりとなって十字架にかかって死に3日目に復活された活ける主イエス・キリスト様です。私達の誇るべき方は主イエス・キリスト様だけです。牧師も信徒も役員も皆イエス・キリストの僕です。箴言16・18節を見て下さい。p1012「痛手に先立つは驕り。つまづきに先立つは、高慢な霊」

口語訳箴言16・18節p899「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ」

次に私達は、自分以外の人間も誇ってはならない。他の人を誇るところに派閥が生じる原因があります。そこでパウロは21節をみてください。「だれも人間を誇ってはなりません」と言っています。神様の言葉を語る伝道者は神の僕であるのみならず、私達の僕であります。パウロはさらに22節を見て下さい。キリスト者はキリストに救われて神の子、神の国の相続人とされた。ローマ8・16~17節をみてください。p286キリストが万物の主である以上、キリスト者は世の終わりが来たら、主と共に万物を支配する。それは現在すでに保証されています。その意味ではすべてがキリスト者のものであります。それは信仰者自身の功績ではなく、キリストからの賜物であります。23節を見て下さい。

結び

もう1度1コリント3・18~23節を見て下さい。これまで述べたコリント教会の「ロゴスの危機」に対する批判的論証のしめくくりであります。先ず、パウロは(だれも自分を欺いてはなりません)と命じています。(欺くーエグサパト)は1般的に「欺く」を意味するアパタオーよりも強い意味で「完全に騙す」ことを示しています(ローマ7・11,16・18、2コリ11・3、2テサ2・3)。ここでは他者は勿論自分に対しても欺くことを禁じています。自らの知識を誇り、無知を認めないことは自己欺瞞であり、自らの無知を認めることこそ真の知識への道であります。19節にこの世の知恵は神の前で愚かであることを再び述べています。(神の前で)は審判を意味します(ローマ2・13,14・10)指導者を崇拝し、彼を選んだ自分の知恵誇ることは神の前に(愚かな者として)審判されます。ヨブ5・12、13の一部と、20節では詩篇94・11節を自由に引用して、この段階の聖書証明としています。p932この2つの聖書の言葉によって、パウロは(知恵ある者)が、神の前にいかに愚かであり、空しい者であるかを明らかにしています。21~23節をもう1度みてください。これまで述べてことの結論。

(だれも人間を誇ってはなりません)この命令法の根拠は、(すべては、あなたがたのもの(だから)です。このすべての説明として(パウロもアポロも・・世界も・・将来起こることも)と、キリスト者はあらゆる人間、世界、運命、時間・・・・のすべてに対して主であり、自由であります。(しかしあなたがたはキリストのもの、キリスは神のもの)ここにキリストの自由があります。だから人間を誇ってはならないという結論ではだれを誇るのでしょうか。それは天地万物を創造され人間を創られた父なる神と私達の罪のため十字架にかかって身代わりとなって死に3日目に復活された主イエス・キリスト様と聖霊なる神様の三位一体の活ける真の神様を誇るべきです。

世の中には素晴らしい方は多くおられます。勿論そういう方々に対して尊敬することは大切だと思います。年長者やお世話になった両親や目上の方対しては失礼があってはならないと思います。皆キリストのアガペーの愛をもって愛し合い、仕え合わなければならないと思います。