「主にある新しい生活」2020.9・13説教要旨(敬老感謝礼拝)

朝位 真士

今日は75歳以上の高齢者の方々に対して祝福の祈りを捧げさせて頂きます。

今日からローマ12章に入ります、まず今日は12・1~8節を通して聖書を学んでいきましょう。ローマ1章から11章は教理的部分で、12~16までは実践的部分が記載されています。米田豊先生は12章全体を献身と奉仕。愛の実質と愛の行為。

分解(教会人としてのキリスト者の義務)1~2献身と聖別された生活。3~8信者各人の賜物と奉仕。9~16教会内の信者に対する愛の奉仕と奉仕。17~21教会外の敵人に対する愛の態度と奉仕。と分解しています。パウロはどの手紙においても、まず初めに教理を説き、次に実行上の勧めを述べる。8章の高い経験を握った者は、12章以下のきよい生涯をおくるべきであります。「恵みの原理が救いの基礎として確立された(1~8)ので、聖霊はこの部分において、恵みの王国に生まれた者の品性と行為とを記しています。ここに、キリスト者の行為がその関係において7つに表されています。1・神に対してー献身(1~2)、2・教会に対してー奉仕、3・信者同志に対してー愛と一致(3~8)、4・敵に対してー祝福(9以下)、5・国家に対してー服従(13・1―7)、6・社会に対してー愛と謹慎(13・8~14)、7・弱い信者に対してー同情と寛容(14・1~15・7)。と分解されています。

ローマ12・1~8節をみてください。この処ではパウロが霊的礼拝を語っています。これは私達すべての礼拝者に対するメツセージです。特に1~2節は聖なる供え物に対して語っています。「あなたたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として献げなさい(口語訳)」パウロが「供え物」のうえに、「神に喜ばれる」、「生きた」、「聖なる」という3つの言葉をつけているのは、これらのことが、キリストにおいてのみ考えられることを、いま一度、思い出させようとしたためであります。キリストに抱かれているときだけ、神を喜ばせることができるし、そのときだけ、生きているのであります。またそのときだけ「聖」すなわち、神のものとして、この世から区別されるのであります。パウロは「あなたがたのからだ」をそのようなものにしなさいといっているのであります。この世に住み、この世に接蝕するのは、わたしたちが五体を持つてであります。涙と汗と、だまし騙され、愛し、憎む、悪魔的この世に身を置いているのであります。この世の行為は、からだがもとでになる。このからだが、自然のままに行動したらどうなるでしょうか。その結果は、どれほど恐ろしいものであることをパウロは学んだのであります。キリスト者は、この体をキリストの中に包みこまれ、キリストの中で溶かされるのであります。「生きた、供え物」という表現は、逆説であります。「殺されながらも生かされる供え物」と解釈されるのであります。キリストにおいて殺され、また生かされることは、いうまでもないことであります。このような供え物となること自体が、霊的な礼拝だというのであります。次のすすめは、この世と妥協してはならないということと心を新たにすることによって、造りかえられるというのでありま

す。12・3~8節を見て下さい。ここでは霊の賜物についての事が述べられています。この箇所ではパウロは使徒的な権威に基づいて、教会員すべてに語っています。信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。4~5節は馴染み深い比喩が用いられています。キリストの教会における一致と多様性を見事に語っています。霊の賜物がどれほど個々のキリスト者において多様にあらわれようと、それが働く場所は1つのキリストのからだ以外にないことが言われています。1人1人は全体の益のために存在しています。だから賜物は教会の徳を建てるように用いられなければならない。かしらであるキリストに属している者は、キリストにつながっていることと同時に、体に属している者との互いのつながりをも自覚して慎まなければなりません。6節後半から8節にかけて7つの賜物が記されています。

結び

もう1度1~8節を見て下さい。1・聖なる供え物(1~2)。2・1つのからだ(3~5)。3・キリスト教共同体の活動(6~8)。キリストのからだなる教会は、活動する団体である。信仰は、怠惰なものではなく、生き生きとしたもので、神のみここに叶うあらゆる活動をその中にふくんでいます。キリストのからだなる教会は、援助を必要とするものたちに奉仕をする。奉仕は無秩序になされるのではなく、組織され訓練されたやり方で有効な奉仕が実行されるのであります。その基本になるのがアガペーの愛である。1コリント13章に具体的愛の内容が語られています。p317