「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2010/2/7 週報メッセージ

   西東京教区研修会に参加して
                              朝位 真士
 2月1日~2日迄、高尾の森わくわくビレッジで、「1%を超える
道ー日本における伝道を考える」というテーマで行われました。主講
師F教授が熱く語ってくださいました。参加者は教師32名でした。
詳細は教区通信でまとめが出されると思います。
 参加者の一人として感じたことは、教団、教区、地区、教会が抱え
ている、高齢化、人数の減少、財政的減少、信者数の減少等のマイナ
ス要素ばかりでした。私共の教会も一つ一つの項目は共通することば
かりです。しかし、楽観的な考え方かもしれませんが、このマイナス
要素をプラスにチェンジする方法があると思います。私を含め、一人
一人がこの現状を素直に神の前に悔い改めると同時に教団、教区、地
区、教会の主は誰かということを考えることです。それは牧師、信徒
ではなく、全能の神である主イエス・キリストの父なる神です。その
主人公にもう一度主導権をお返しして、牧師も信者も、教会関係者全
員が主の僕として神の前に再献身して、ミッショディとして神の宣教
に徹することです。そして主がイニシアティヴをとっていただく時、
この2010年に新しい神の業がなされることを期待したいと思いま
す。

2010/1/31 週報メッセージ

   Y長老の召天に際して
                                                            朝位 真士
 過ぐる1月21日午後、Y長老の急逝の報に接し、未だ信じられない気持ちです。Y長老は1922(大正11)年7月17日、東京都渋谷区恵比寿で誕生。1939年、渋谷の道玄坂での路傍伝道でI牧師に導かれ、1940年、18歳の時I牧師より受洗されました。1943年、学徒動員として陸軍入隊。台湾にて飛行兵として参加されました。大学卒業後、都立高校の国語教師として長く勤務されました。名物先生と言われる程、特色のある先生のようでした。キリスト者として旗色鮮明であられたのではないかと思います。1950年、結婚され、一男二女、孫7人、ひ孫1人に恵まれました。定年退職後は東京都の講師などを務められました。多趣味多芸で、ボランティア活動にも積極的でした。
 教会では、責任役員、長老としていつも前向きで、物事を積極的に考えて行動されていました。「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」(イザヤ41・10、口語訳)「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(ローマ15・13)という聖書の御言葉をよく口に出して語っていました。
 Y長老の最後の礼拝出席は1月17日(日)でした。礼拝後昼食をとられ、ホープ会(壮年会)に出席され、熱くご自分の半生を語られました。最後に「喜びと感謝と希望」の書をいたく気に入られて、その言葉を口に出されて教会を後にされたのが最後となりました。
 御遺族、近親の方々の上に神の祝福と慰めを心よりお祈り申し上げます。

2010/1/24 週報メッセージ

   イエスを見つめながら
                                                           朝位 真士

 今年の1月3日、求道者のYさんが突然召天されました。ここ1年余、熱心に教会出席をされ、真剣に道を求めておられる様子でした。生前Yさんは「主人と私はクリスチャンになります」と確信をもって語っておられ、昨年の12月に御主人も来られました。本当に明るい方で常に周囲を明るくされ、ボランティアや困難な方がおられると率先して手助けをされたと聞いています。表面的には明るく振る舞っておられたYさんですが、精神的には大変な課題を抱えておられた様子でした。そのため、お寺や神社にも熱心に通われたと家の方から聞きました。しかし、最後には教会に道を求めて来られました。Kさんという、やはり道を求めて来られた方に誘われて来られた様子でした。Kさんも素晴らしい方です。Yさんの晩年に教会に導かれたということで、神様の力は偉大であると思いました。
 過日Yさんのお家へ弔問に行き、御主人と娘さんにお会いしていろいろとYさんのことを伺い、家の中でも本当に完璧な主婦であり母親であったということが、話の端々から感じとられました。Yさんの日常の行動は、全部日誌に記されていました。とくに教会での生活が詳細に記されていたとのことでした。「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが人間の見方からすれば、肉において死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためです」(Ⅰペトロ4・6)とあるように、きっとYさんは死んだ後、主イエスと出会い、救いにあずかったのではないかと思います。Yさん家族が救われることを切に祈るものです。天父の慰めを祈るものであります。

2010/1/17 週報メッセージ

   ホ群首都圏新年聖会(Ⅱ)
                                                            朝位 真士

 〈ポイント1〉人に対する罪から、神に対する罪への目覚め。求め続けよ。罪の赦し。罪に目覚めよ。
 〈ポイント2〉きよめの体験。聖なる方に向き合おう。造り替えてください。
 〈結論〉「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。」(詩51・12)佐々木良子師のメッセージは終わった。
 聖会Ⅱでは、詩32編を通して、深谷春男委員長を説教者として、「本当の幸い」、新生、聖化、献身というメッセージをとりつがれた。詩編32編の区分。1~5節、新生の恵み。6~7節、聖化の恵み。8~11節、献身の恵み。①1~5節を通して、新生の恵み。「罪の告白と赦しを経験せよ」。②6~7節を通して、聖化の恵み。「主の慈しみに生きる人であれ」。③9節より、献身の恵み。「駿馬として主に仕える人であれ」。「恵みの主よ、この2010年のホ群首都圏新年聖会の恵みの饗宴を開いてくださり、感謝いたします。どうぞ、新しく迎えたこの1年、この聖会に示された恵みの中に歩むことができますように。……わたしどもの生涯を「新生の生涯」へ、聖霊の導きの中に「聖化の生涯」へ、そしてそれに従う「献身の生涯」へと導きたまえ。……我らの教会に、家庭に、そして首都圏に、日本にリバイバルのうねりを起こしたまえ!!」と力強く祈られた。その後、会衆全員に招きのアピールをされて、多数の方々が前へ出て、ひざまづいて熱心に祈った。
 こうしてホ群の新年聖会は、祈りのうちに主の豊かな祝福が与えられて終わった。

2010/1/10 週報メッセージ

   ホ群首都圏新年聖会
                                                          朝位 真士

 1月3日午後3時から6時30分頃まで、ホ群新年聖会が教団赤羽教会で開催。主題聖句「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。」(詩51・12)で、東京・千葉・茨城・埼玉・栃木の各教会から約130名の信徒・教職の方々が参集した。私共も、両牧師と吉武神学生が出席した。
 聖会Ⅰでは、司会、山口英希牧師、立証、亀井拓也兄、音楽、ユースのメンバー、説教、小松川教会佐々木良子牧師で、詩編51編1~19節を通し、「砕かれた心」と題して語られた。聖化の恵みは滅びるばかりの愚かな醜い人間をきよい神の御前に引き出す。そして真の悔い改めに、神が塵のような者を神の国の民として賛美する者へと造り替えてくださる。区分として、1~4節、罪の自覚と赦しの求め。5~9節、腐敗した性質と行いの告白=人間の罪。10~14節、再生への祈り=神の恩恵。15~21節、感謝と誓い。
 〈ポイント1〉人に対する罪から、神に対する罪への目覚め。求め続けよ、罪の赦し。「ぬぐう」「洗う」「清める」(3~4節)という動詞は9~10節に繰り返し使われる。ダビデは罪が喉に刺さった骨のように苦しめられて、神の前に責任回避できないものと悟り、神の前に身を投げ出し、何度も憐れみを請う姿が記されている。ダビデの姿はこの世の見方をすれば、悪魔を宿し愚かで罪深く醜いものかもしれない。しかし罪意識に苛まれ何度も神に憐れみを請う姿は、神が求める人間本来の姿であり、真の悔い改めとは恥をさらして神を求めることだと教えられる。ペトロも主イエスを3度も否定するほどにその信仰は破れていた。しかし彼は主イエスの愛を経験し、その魂にはイエスの恵みが刻まれた。(続く)

2010/1/3 週報メッセージ

   土の器の宝キリスト
                                                            朝位 真士
 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(Ⅱコリ4・7)
 「土の器」というのは、粘土で造られた粗末な土器で、大変もろいものであった。「このような宝」というのは、6節の「キリストの顔に輝く神の栄光の知識」をさしている。つまり福音を伝える力である。昔この地方では、よく土製の壺に金や銀を入れてしまっておく風習があった。人間が地上で持っているこの体は、丁度、土の器と同じで、いろんな弱さにまつられている。そして、粗末でこわれやすい。ただ身体だけではない。人間の存在そのものが、もろいものであり、不完全なものである。しかしその人間が、キリストの栄光のために用いられるのである。壊れやすい器の燭台であるが、世を照らす、キリストの栄光を輝かせる働きをする。
 Ⅱコリ4・1~6、伝道の態度。7~11、土の器に盛られた宝。12~15、使徒の働き。7節の宝が土器の中に入れられている。尊い宝(福音)と、みすぼらしい土器(見ばえなき人間にすぎぬ使徒)。イエスの復活に与る希望をもっているからである。パウロの働き、その苦闘は教会のためであり、神の栄光のためである。
 「人間の主な最高の目的は神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである。」(ウェストミンスター大教理問答)最終的には、この神の栄光を現すことのできる人生が送れるようになったら、どんなに素晴らしいことであろう。「土の器」の中に、わたしたちは輝かしい「宝」を与えられている。この「宝」とは、「イエス・キリストの福音」、「新しい契約」である。「土の器」は高価で貴く、神の目には価高いものである。

2010/1/1 週報メッセージ

   新年に与えられた御言葉
                                                            朝位 真士
 2010年に与えられた聖句は、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」(Ⅱコリント4章7節)です。
 昨年は日本伝道プロテスタント150年記念集会がパシフィコ横浜で開催され、のべ16,000人が集いました。また日本基督教団として3つの集会を開催しました。1つは創立記念礼拝を6月24日、教団富士見町教会で開催。教団教師として50年以上奉仕された現職教師61名が表彰されました。2つは、全国信徒大会を11月22日、教団山手教会で開催。全国から800名以上の方々が集いました。3つは、日本基督教団プロテスタント日本伝道150年記念大会が11月23日、東京青山学院大学講堂で開催。1,000名以上の方々が集いました。その記念大会の大会宣言がなされました。具体的には5つの宣言です。
  1.イエスをキリストと信ず
  2.聖書を神の言葉と信ず
  3.キリストの体なる教会を信ず
  4.福音の恵みに与った者として、礼拝を守り、聖書を読み、祈る霊的な信仰生活に励む
  5.神の救いに与った者として、日本伝道に励む
「日本基督教団は、様々な信仰の鍛錬を経験した教会として十字架の信仰に硬く立ち、神の栄光を現すために、今ここに宣言致します」として大会は終了しました。
 私は伝道者になって35年目になりますが、150年から200年に向かって私たちは日本の宣教のために牧師も信徒も協力して、福音のために立ち上がらなければならないと、神の前に改めて献身の思いを強くされました。

2009/12/27 週報メッセージ

   三人の受洗に際して
                                                               朝位 真士

 「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」(ローマ10・9~10)
 今年も今日の礼拝が最後です。元旦礼拝は1月1日(金)午前11時にあり、聖日礼拝は1月3日(日)にあります。しかし、今年3人の方々が受洗の恵みにあずかったことは、私の牧会の中でも本当に記念すべき出来事であります。教会の方々の祈りと、教会を全体で支えていこうという気運、未信者の方々の熱心な求道生活によって3人の方々が受洗に導かれたと思います。
 今年はプロテスタント宣教150周年記念のイベントがパシフィコ横浜であり、教団の日本伝道プロテスタント150年記念集会が3つありました。1つは創立記念礼拝が6月24日、教団富士見町教会で開催され、教団教師として50年以上奉仕された現職教師61名が表彰されました。2つ目は全国信徒大会が11月22日、教団山手教会で開催され、全国から800名以上集まりました。3つ目は11月23日、青山学院大学講堂で日本基督教団プロテスタント日本伝道150年記念大会が開催され、千人以上の方々が集合されました。
 そのような中で、I姉が10月4日、K兄とA姉が12月20日に救われたのは、神様の一方的なお恵みと、本人達の長年の祈りと求道生活、また教会の皆様方の早天祈祷、密室、礼拝、教会生活、社会生活での良き交わり、祈りの結果だと思います。これからも桜ヶ丘教会という主イエス・キリストの共同体のメンバーとして、3人の方々のためにお祈りをよろしくお願いいたします。

2009/12/20 週報メッセージ

   四九回目のクリスマス
                                                             朝位 真士
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
                                      (ルカ2章11節)
 2009年度のクリスマスおめでとうございます。私は信仰49歳の誕生日を迎えます。1961年12月24日に北九州復興教会牧師、山中日出刃先生によって受洗いたしました。それ以来私の人生が主イエス様によって本当に変えられました。高校卒業後商社に9年間勤務して、1969年東京転勤を機に献身し、牧師になるために東京聖書学校(当時は淀橋教会内)に1971年入学しました。1975年卒業と同時に北九州復興教会の副牧師となり、19年間奉仕しました。その間曽根集会所の開拓をして、1994年桜ヶ丘教会に赴任しました。1997年12月17日、新会堂が与えられて、今日まで伝道・牧会に励んでいます。現在、女子少年院の教誨師・篤志面接委員をさせていただき、また小さい働きですがキリスト伝道会のエヴァンジェリストとして奉仕させていただいています。
 18歳の少年がイエス・キリストを信じて、人生が変えられました。本当に感謝です。もしキリスト様と出会わなかったら、また信仰に入っていなければ、今日の私はないと思います。すべて主イエス・キリストの恵みです。かつての趣味は音楽(マンドリン)でしたが、現在は一人でも多くの人々にイエス・キリストを伝道することです。牧師として牧会者として当然ですが、どんな方でも「神の前で高価で貴い」(イザヤ43章4節)と思っています。どんな方でもキリスト様の救いに与れば、人生は最善なものとして変革していただけると確信しています。
 私にとって49回目のクリスマスに一人の魂が救われることを祈りつつ2010年に向かってGO!!

2009/12/13 週報メッセージ

   待降節(アドヴェント)
                                                             朝位 真士
 アドヴェントとは来臨の意味で、主イエスの受肉された降誕に心の準備をするとともに、再臨の準備の時ともされています。主イエスの降誕祭(クリスマス)を祝う準備の期間です。毎年11月30日に最も近い主日から始まるように、クリスマスの日の4週間前の日曜日から待望の期間として守られています。教会ではこの4週間前の主日から1本ずつローソクを灯し、クリスマスが輝き、クリスマスの礼拝の喜びを一段と印象づけるものとします。
フランス、スペイン地方の教会で、クリスマスに洗礼を受ける準備の期間を40日間として守ったのですが、後にローマ教会がこれを取り入れ、クリスマスを迎える準備の時とし、降誕説四週間前の日曜日から救い主を待ち望むよう守られています。アドヴェント・クランツにローソクが4本立てられますが、このローソクにクリスマスの4週間前の日曜日から1本ずつ点火され、最後に4本とも点火されることになります。
 私が洗礼を受けて(1961年12月24日受洗)49回目のクリスマスになりますが、待降節を迎える度に主の御降誕を心から待ち望むと同時に、最近2つのことを考えるようになりました。1つは、この世の終末が近づいているのではないかということです。世界の気候変動、経済不況、少子高齢化、失業、インフルエンザ、愛が冷えたことによる犯罪の多発化等を見ると、まさに世の終わりと主の再臨が近いのではないかと思います。2つは、私自身の牧会者としての行く末についてです。現在は皆様のお祈りと神様のお恵みで支えられていますが、
いつ終わりが来るかわかりません。「イスラエルよ、お前は自分の神と出会う備えをせよ。」(アモス4・12) 悔いのない御用を全うしたいものです。