「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2020/10/4 週報メッセージ

今日まで守られて感謝

朝位 真士 

  「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

  私は1961年12月24日クリスマスに受洗した。当時18歳の高校生であった。九州で友人のM君によって教会に導かれた。伝道者として献身する前は小さな会社に九年間勤務し、東京転勤と同時に淀橋教会の故小原十三司先生にご指導をいただき、1975年、神学校(東京聖書学校)を卒業と同時に母教会である北九州復興教会に赴任。清水会堂と曽根会堂(当初は農家の民家、後に新会堂)の二つの教会において、家族(フミ子牧師、憲義牧師(琴平教会)、真奈)4人で19年間御用させていただく。

 1994年、ホ群人事で西海静雄、満希子両師の後任として、当時マンション教会であった桜ヶ丘教会に赴任。フミ子師は東京聖書学校の音楽教師と牧師の二足のわらじ。その間、長男憲義は献身して東京神学大学に編入して四年間の神学の学びを終え、藤沢教会に伝道師として赴任。数年前より琴平教会に赴任して牧会にあたる。娘真奈は結婚して二人の子供のママとなり、子育てに専心。私は前立腺がんを発症し、治療しつつ牧会に励んでいる。2003年より、女子少年院の教誨師、篤志面接員を委嘱され、社会奉仕にあたらせていただいている。

 桜ヶ丘教会赴任26年目を過ぎて、創立100周年(1923年創立)記念を目指して、教会員一同と共に祈りと牧会、宣教に励んでいる。現在新型コロナウイルス流行の中、教会は工夫しながら礼拝を守っている。ユーチューブ配信も、役員の配慮によって継続されている。

 「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)

2020/9/27 週報メッセージ

高齢者の生き方

朝位 真士 

  高齢者にとっての教会、教会の高齢者への対応について考えます。

高齢者にとっての教会 

  • 幸いな教会生活

高齢者にとって、教会の存在は何重もの意味で幸いであると言うことができます。教会に集い、その交わりの中に身を置くことは、肉体的にも精神的にも霊的にも良い結果につながるからです。歌う、聴く、人と交わり「祈り合う」ということをすることによって、心身に刺激が与えられ、霊性に祝福がもたらされるからです。教会出席は、すばらしい老化対策であると言えます。たとえ健康の理由で出席が許されないとしても、教会の祈りに覚えられていることは、それはそれで、いかに大きな祝福でありましょうか。

  • 高齢者は教会の宝

人生の先輩、信仰の先輩としての高齢者たちが礼拝に喜んで出席している姿は模範であり、励ましであり、慰めであるからです

 教会の対応

  • 教会が高齢者への敬愛の精神を高める必要

教会において、高齢者が尊ばれ大切にされることは神のみこころであり、聖書の教えにかなったことです。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」(レビ19・32)ということばが表している精神は、普段から教会の中で教えられ、養われ、実践される必要があります。これらのことについて、どのようなことが考えられるでしょうか。①教会が高齢者への敬愛の精神を高める必要。②教会が高齢者の奉仕できる場を提供する必要。③教会が高齢者に配慮し、高齢者が不自由しない設備を整える必要。何よりもあたたかい言葉をかけ、失礼のないようにしたいものです。(『クリスチャン生活百科』より)

2020/9/20週報メッセージ

牧会雑感                                                                 

朝位 真士 

  聖書マタイ7章7節~11節、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。・・・・・・このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」

 少し長い箇所を引用しました。私は社会人になってからも、4年間の神学生時代にも、早起きしてまず聖書を読み、祈りに30分から1時間かけて、デボーションの時間をもたせていただいています。テキストとしてアパルームや『信徒の友』の日課の聖書を拝読し、黙想し、具体的な祈祷課題について時間をかけて祈っています。多忙な現代人には、このような至福の時間をもつことは不可能でしょうが、私は幸い神様に仕える主の僕として、このような尊い時間をもたせていただいています。

 先日、ある方から祈祷課題が示されました。具体的には申し上げられませんが、その方の会社員が39度の高熱を出していて、もしコロナに感染したら会社も家族も大変だという緊急課題でした。日頃から良き交わりをしている兄弟の祈りの要請でした。その課題について何十回祈ったことでしょうか。神様の御心を示してくださいと、本当に真剣にお祈りさせていただきました。その翌日、兄弟から喜びの電話をいただきました。風邪であったということです。私がこの件で考えたことは、祈りは神様の御旨が優先するのだということです。必ずしも私共の願い通りには答えられないかもしれませんが、「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8章28節)ハレルヤ!!                 

2020/09/13週報メッセージ

牧会雑感

朝位 真士 

  9月1日付のアパルームの日課はⅡコリ12・1~10節でした。特に、「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」とパウロは語っています。

 9月1日のデボーションが終わり、外の掃除をしていました時に、大切なヴィザカードとパスモ他大切な物を紛失していることに気付きました。私は全身蒼白になり、理性を失い、信仰も失いかけていました。何度も紛失した場所に行き、また主イエスに会堂で悔い改めの祈りをしました。日頃の信仰が試されました。他者には「信仰は大切です。神様は何事も最善にしてくださいます」と語りつつ、自分の場合には、全く信仰の薄い者と化してしまいました。私は何度も会堂に入り、聖書を読み、お祈りをしました。そしてまた心当たりの場所に行きましたが、見当たりません。しかし、思わぬ所にその大事な物が落ちていました。本当に感謝でした。皆様のお祈りのお陰だと感謝しています。

 先日、95歳の元牧師先生とお話をすることができました。先生は地方で教会を成長させ、教区の責任を持たれた方です。その時、私共若い牧師のことを心配し、また群や教団のこと、現代のホーリネス信仰の継承を憂えておられました。私も若輩として襟を正される思いがいたしました。ホーリネス信仰、新生、聖化、神癒、再臨の四重の福音を改めて確認させていただき、ホーリネス人として、キリストの証人として生活させていただきましょう。

2020/9/6 週報メッセージ 

聖霊の祝福を得る手段

朝位 真士 

  クリスチャンが日々の実生活の中で神の恵みを知るための手段として、神は三つのもの、すなわち祈りと聖書および教会を与えてくださいました。キリスト教指導者の一人、J・R・モットーは「敬虔な聖書研究と祈りとをもって1日を始めることは、自己と罪とサタンとのその日の戦いのために人を整えることである」と語っています。神は、勝利あるクリスチャン生活のために祈りと聖書と教会によってしか得られない神の恵みを用意しておられます。そして、この恵みこそクリスチャンとしての人生をより豊かなものとするものです。

 (1)祈りーちょうど人間の呼吸のようなものです。汚い空気を吐き出すことによって清い新鮮な空気を胸いっぱい吸うことができるように、みずからの罪を告白し、悔い改め、神の赦しを求めるのです。この意味では、祈りは神との対話であるといえるでしょう。次に、祈りには四つの要素が含まれています。①賛美ー神のみわざを賛える。②告白ー知れるかぎりの罪を告白し神の赦しを求める。③感謝ーどんなに苦しくとも神の恵みを数える。④祈願ー他の人々や国家のためのとりなしと自分の願いを率直に神に語る。祈りに対する神の答えは次の四点を挙げることができます。物質的な必要を満たしてくださる(フィリピ4・19)。主のみこころを知る(箴言3・5~6、詩編32・8)。実行する力を与えてくださる(フィリピ4・13)。支え守ってくださる(イザヤ41・10)。

 (2)聖書は文字通り心の糧であり、生活の唯一の規範です。永遠に変わらない神の約束の記されたみことばは、すなわち聖書こそ新しい人生観を構築し、優れた生活の知識を得るのです。

 (3)教会ー神が地上に与えてくださっている信仰者の群れのことをいいます。目的は、人が聖書を深く学び、信仰が深められ、訓練されて成長し、全世界にキリストの福音を伝える生きたキリストの証人となることにあります。(『新キリスト教ガイドブック』より)

2020/8/30 週報メッセージ

前任牧師西海静雄師語録よりⅣ

朝位 真士 

  西海静雄先生は2004年6月29日、享年62歳で召天されました。生前、3冊の御本、『教会に喝』『人生のスパイス』『み言葉アンサンブル』を発刊されましたが、今回は『み言葉アンサンブル』の「教会の聖性と俗性」より引用いたします。

 教会とはどんな存在でしょうか。一面ではキリストの体としての聖なるものであり、反面、人間の集団としての俗なるものでもあります。この両面を、まず聖性から見ましょう。

 教会は「天から」(使徒2・1)の聖霊降臨によって創設されました。それはこの世に存在するいかなる組織や集団ともまったく異なったことです。・・・・・・「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストいおいてお選びになりました」(エフェソ1・4)。ここで言う「わたしたち」とは教会のことです。つまり教会は天地が存在する以前に、すでにキリストのうちに存在していた、というのです。ですから教会の起源はキリストにあります。地上のいかなる要素も教会創設には参与していません。ですから教会は「聖なる者」(Ⅰコリント1・2)です。人間の集団としての教会が退廃しても、この根源的な面を見失ってはなりません。この教会はキリストの体であり(エフェソ1・23)、「御子はその体である教会の頭です」(コロサイ1・18)。

 ・・・・・・地上の教会は世的な動機で動く、俗性を持っていることを示しています。教会の方針決定や問題解決の手段として、聖霊の導きより、会議で決めるようになったのも俗性の現れです(使徒15章)。満場一致(同25)でパウロとシラスをアンティオキア、シリア州、キリキア州などに派遣することを決めたのですが、アンティオキアまで同行した二人も、「意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動を」(同22~41)とってしまいました。人間的な思いが働くほどに、俗習ぷんぷんたるものが教会に漂います。

 ・・・・・・このように、キリストの体としての「聖性」と、人間の集団としての「俗性」を併せ持っているのが教会です。地上の教会は聖なるものとされていることを、もっと深く信じるべきですし、一方で「俗性」をも深く認識し、努力や反省、悔い改めと服従をもっと徹底すべきです。

2020/8/23週報メッセージ

前任牧師西海静雄師語録よりⅢ

朝位 真士 

  西海先生は2004年6月29日、享年62歳で召天されました。満希子先生と共に桜ヶ丘教会を26年間牧会された、素晴らしい牧会者でした。生前、3冊の御本、『教会に喝』『人生のスパイス』『み言葉アンサンブル』を発刊されました。今回は『人生のスパイス』の「神中心」より紹介します。

 「すべては神への奉仕」の項目で、先生のお兄さんとの会話を記しています。一時は兄弟間でトラブルがありましたが、信仰を持って感謝して、神への奉仕として行動されたので、お兄さんとの関係もスムーズにいったとのことです。先生が献身された時、お兄さんが真っ先に賛成され、2003年夏、西海先生が重病になられた時、ドナーとして骨髄の造血幹細胞を快く提供されたそうです。「今でも兄とは仲良く、何のトラブルもありません。信仰の勝利、十字架の主の勝利です」と記載されています。

  「人の良い点を見て感謝する」では、友人の牧師の司式で結婚した若い夫婦の話が出てきます。牧師の所を訪ねてきて、「先生、もうだめです。分かれます」と言うのです。理由を聞くと、それぞれ相手の欠点を非難しました。牧師は、「あなた方も良くて結婚したのだから、今度はお互いに相手の良い点、嬉しかったこと、有り難かったことを言い合ってみなさい」と言って、別室に退きました。二人は「あなたのこういう所が好きだ」「あなたがこうしてくれたことが嬉しかった」「こう言われて慰められた」などと良い点を言い合いました。やがて牧師が呼ばれたので行ってみると、二人はにこやかに、「先生、もう一度やり直します」と言いました。「悔い改めと感謝と労りは世界を一新するのです。」

 「ハピネスホルモン」はある医師から聞いた話です。「人間には、『僕は幸せだなあ』と幸福を感じた時、ハピネスホルモンが分泌して、免疫力を高めたり、諸機能を活性する大変大きな力があります。怒りや不満は逆の働きをします。神と人とに感謝して、ハピネスホルモンに満たされ続けたい。」(つづく)

2020/8/16 週報メッセージ

前任牧師西海静雄語録よりⅡ                                             朝位 真士 

 前号でも西海先生の御本『教会に喝』より引用させていただきましたが、2004年6月29日、全力疾走の末、享年62歳で召天された先生のことを偲んで、今回も『教会に喝』より引用させていただきます。

 パニック時の心理学の権威、安倍北夫氏はある講演で次のように語られました。「どんな不安な状況にあっても、アンカーリング・ポイント(精神的な錨を下ろす場所)があれば、パニックを起こさずに済みます。信者にとってはイエス・キリストがそれであり、(突風を受けた船が沈みそうになり、パニック状態になった弟子たちがイエスによって平静を得たように)教会においては牧師がアンカーリング・ポイントなのです。」牧師が信徒にとってアンカーリング・ポイントでなければなりません。信徒が牧師のことを思ったり、牧師に会ったりすると、気持ちが落ち着き、ほっとするというようでありたいのです。何か困ったことが起こっても「教会の先生が祈っていてくれる」と思っただけで平常心を保てる、安らぐ、それが牧師の「値打ち」です。十字架と復活のスピリットが牧師の内に働いているなら、牧師が持つ人間的な弱さにもかかわらず、それは可能です。教会の存在が心の拠り所となるなら、傷が癒されます。そして、健全な霊肉を取り戻すほどに、活力が湧いてきます。ほっとすれば必ずホットになります。ほっとさせずに「熱心になれ」と言ってみても難しいのです。  私は右の文章を読んで、牧師として本当に未熟な者であることを、深く神の前に反省して祈りました。桜ヶ丘教会の皆様、牧師のためにお祈りしてください。私も微力ですが、毎日皆様方のためにお祈りさせていただいています。(ヨハネ15・9)     

2020/8/9 週報メッセージ

前任牧師西海静雄語録より

朝位 真士 

  先生は2004年6月29日、享年62歳で召天された。桜ヶ丘教会の前任牧師である。開拓同然の桜ヶ丘教会で、26年間満希子先生と共に牧会された。桜ヶ丘教会辞任後、東京聖書学校舎監、吉川教会開拓者、ホ群事務局責任者、東京聖書学校教授、ホ群委員を歴任された。とてもユニークな、牧師としては珍しい希有な存在であった。その先生が生前3冊の御本を発刊された。『教会に喝ーあなたに活ー』(1997年)、『み言葉アンサンブル』(2003年)、『人生のスパイス(教会生活)』(2004年)である。

 『教会に喝~』の「信徒」の項目で、「人間は短絡的で感情的ですが、永遠の支配者である聖霊にすべてを委ねるなら、真理の御霊はこれを受け止め、悔いのない、実り豊かな一生を送らせてくださいます。」「朝のデボーションを励行しましょう。全教会員が朝の祈りを始めたら教会は活性化します。教会は弱い者が寄り掛かり合う所ではなく、主によって強められた独りでも立ち得る者が集まって、賜物を生かし合い、主の体として結ばれ、成長していくところです。個人で生きるのではなく教会人として生きるところに、個人の存在意義もあるのです。」「教会が必要以上に信徒の時間を奪わないように、信徒は礼拝を死守し、諸集会に励み、そこから生涯的な光を受けて、持ち場立場で証しを立てるのです。奉仕のために疲れ切った表情で礼拝に出るより、土曜日はゆっくり休んで、恵みを慕ってホクホクした表情で礼拝に出たほうが伝道に役立ちます。私は会堂建設のためにバザーをしましたが、信徒の方々が余りにも夢中になるのを見て止めました。寿命を縮めては・・・・・・と思ったからです。今、高齢の方々が元気でおられるのを見て、感謝しています。」(次号に続く)

2020/8/2 週報メッセージ

東京聖書学校ユーチューブ夏期聖会

朝位 真士 

  7月21日(火)10時~11時半、聖会Ⅰ。説教「何を献げていますか」(創世記22章1~14節)、説教者は大友英樹師(赤羽教会)。先生は開口一番「何を献げていますか」というチャレンジ的語り口であった。神はアブラハムを試された。神はアブラハムの信仰を試された。創世記22章1~14節、アブラハムがイサクを神に献げたという記事を通して3つの点から神に献げる具体例を語った。①これから先の将来のことを献げる。②過去を献げる。③現在を献げる。アブラハムは長年祈って与えられた最も大事な息子イサクを献げた。ここに、きよめられたみ業の具体性を示された。アブラハムが75歳の時、祝福の基となるという神の召命を受けた。その第一の試練は、長く祈って与えられた約束の子イサクを献げよとの命令であった。彼は悩みながら実践した。

 聖会Ⅱ、13時半~15時。説教「神に近づこう」(ヘブライ10章19~25節)、説教者は島隆三師(元東京聖書学校校長、東調布教会牧師)。先生は3つのポイント、①イエスの血潮によって聖所に入る、②イエス・キリストの体によって開かれた新しい道、③大祭司イエス・キリストの中から、いろいろな具体例を挙げて語られた。牧師50年のベテランで、神学教師としてのメッセージは私の心に深くとどまった。また、キム・ウォンチ師の3つの言葉が印象的であった。①私たちは毎日、旧約・新約のクスリを飲む。②私たちは毎週、教会病院に通う。③時折、聖会病院に入院する。そうすると、かろうじて健康を保つことができる。榎本保郎先生は、「学生は勉強が忙しくて、聖書を読む時間がない。主婦は子育てが忙しくて、聖書を読む時間がない。壮年は仕事が忙しくて、聖書を読む時間がない。老人は目が悪くて、聖書を読むことができない」と言われた。聖書を読むことのない現代人を批判した言葉である。私たちはきよめられるために聖書を読み、実践していこうではないか。