「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2026/3/22 週報メッセージ

主はわたしの羊飼い

川﨑 信二

主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。(詩編23:1/聖書協会・共同訳)

「マイ・ウェイ」という曲は教科書にも載っている、多くの人に知られている歌だ。かつてアメリカの歌手・俳優のフランク・シナトラが歌っていたもので、彼の代名詞と呼ばれるほど人々に親しまれた歌だった。「すべては心の決めたままに……迷わずに行くこと……信じたこの道を私は行くだけ」。私の道をゴーイングマイウェイ! と歌いつつ貫く、自分の力で道を切り拓くイメージ゙があった。

 フランク・シナトラは敬虔なカトリックの家庭で育ち、洗礼も受けている。有名になってからは教会から離れていた時期があった。晩年、彼はこの曲を歌うことが苦しくなったという。ファンから歌ってほしいとリクエストされるが、自分の道を思い通りに歩めていないことと、主が私の道を導いてくださったことを経験したからである。

ジェームス・ディーンやマリリン・モンローなど、若くして世を去ったスターに比べ、彼は長生きだった。しかし、長寿は自らの弱さと向き合うことを体験させられる。

詩編23編を書いたダビデは70歳で死んだ。当時としては長生きである。巨人ゴリアトを倒した羊飼いのダビデはその後国王となり世を治めた。しかし、多くの罪を犯し、晩年には幼子のようになり、「主よ、あなたこそ私の羊飼いです。私は飼われる羊に過ぎません」と告白したのだ。

羊のように、幼子のように、小さくなって、神を信頼して生きる。それが神と私たちの本来の関係である。

ある方の記念会が行われ、ありし日の彼女の生き方に思いを馳せた。たび重なる試練の中で、主に信頼して生きたその生き様と信仰に倣う者になりたいと思わされた。心を虚しくし、羊飼いである主を仰ぎたいものである。

2026/3/15 週報メッセージ

食前の祈りと賛美(テモテ一 4:1~5)

川﨑 信二 

       

受難節には十字架の主の苦しみを覚えて、自らも少し我慢し、節制する期間として過ごす信仰者がおられる。好きなお酒を断つ。甘い菓子を控える。できる範囲で抑制し、少しでも主の苦しみに寄り添う気持ちは尊いことだ。

ただ、これは任意であり各々の信仰によって目標を定めるのであって、やらない人を裁いてはいけない。十字架の主を見上げる機会として用いるのが趣旨である。

パウロがテモテに手紙を書いたこの時代には禁欲主義が蔓延っていた。「結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。」⑶ 

教会でも受難節には結婚式をしない教会がある。教会の信仰の姿勢として理解できるが、それを絶対化すると愛の精神(十字架の恵み)から外れていく危険性がある。

食事も、断食するよう強要するのではなく、感謝していただくことが最も大事なことである。

「神が造られたものはすべて良いものであり、感謝して受けるなら、何一つ捨てるべきものはありません。それは、神の言葉と祈りによって聖なるものとされるからです。」(4-5)

 「我らの日毎の糧を今日も与えたまえ。」主イエスが教えてくださった「主の祈り」は主に向って「与えてください」と祈ることを勧めている。求めると同時に「感謝の祈り」をささげることが大切。「今日こうしてご飯を頂ける幸せを感謝します!」と食事ごとに神に祈るのだ。

中田羽後作詞の賛美歌に「日々の糧を与え給う。恵みの御神はほむべきかな」という食前に歌う曲がある。

歌うこと。その流れでよく噛んで食べることは健康にも良い。霊肉共に健やかになるために、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝して過ごさせていただきたい。

命のパンとなられた、十字架の主イエスの肉と血を信仰をもって感謝して受け、心のなかに入れたいものである。

2026/3/8 週報メッセージ

主のもとへ還る

川﨑 信二

今週、私は「還暦」を迎える。そのイメージはよくない。子どもの頃、赤のちゃんちゃんこを着たお爺さんが杖をついている姿に幻滅したからだ。明治・大正生れの方が次々と還暦の装いに身を包む姿を見て「ボクはあんなふうになりたくない」と思ったものだ。

「還」は「元に戻る」という意味。「暦」は干支の12年周期を表す。60年で一巡し、生まれた年の干支に戻ることからそう呼ばれているらしい。60年で一巡。つまり丙午の年である。迷信から一級下の学年の生徒数が少なかった。

一巡し再出発。第二のスタート地点と考えれば前向きになれる。しかし、スタート地点がよぼよぼでは心もとない。身体も健康でその日を迎えたい。還暦に限らず、人生はその都度リセットが必要だ。主イエスという、立ち返る居場所がいつも備えられ、心が新しくなることは本当に感謝である。そもそも、今まで生かされてきたことが奇跡なのだから。

私のスタートは出生時から「死」を纏っていた。へその緒が首に絡まり瀕死の状態で世に出たのである。双子で未熟児。早産で死にかけて産まれた者が今日まで健やかに生かされていることに感謝したい。4月が出産予定日だったのに二人そろって学年が一つ上がってしまった。弟には申し訳ない。

同級生より勉強も体力も遅れていた。その上、忘れ物が多く、集中力がない。先生から叱責されていた。文房具を忘れる。ランドセルや靴を無くす。成人になってからも時々似たような失敗を続けている。人と比べて「ボクにはあれもない、これもない」と能力の乏しさばかりを嘆いていたが、それでも今日まで生かされてきた。

讃美歌を皆と共に歌い、神の言葉に励まされ、主イエスを賛美できる幸いを感謝せずにはいられない。聖日ごとに復活の主のもとに帰る。

干支の12年周期ではなく、丙午の60年周期でもなく、毎週スタート地点に還る。日曜日の朝、深い悔改めをもって十字架の主を仰がせて頂きたい。

2026/3/1 週報メッセージ

日本ケズィック・コンベンションに参加して

川﨑 理子

神学生時以来の参加です。当時の会場は箱根小涌園でした。今回は、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で行われ24日㈫のバイブル・リーディング1に出席し恵みに与りました。

ケズィックの主題は「聖なる者になるようにと召されている喜び」で、聖句は「神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」(テサロニケ一4章3節/聖書協会共同訳)でした。

まず賛美を捧げ、御言葉への準備をしました。講師のイアン・コフィ先生は英国ムーアランドカレッジ神学校元副校長です。マタイ5章から「幸いなる神の祝福」と題して語られました。先生が語り、通訳の先生も語る。懐かしい気持ちになりました。

淀橋教会は正面奥に窓があり、射し込む日差しを障子が受けとめ、暖かい光が礼拝堂を包み込んでいました。

ちょうど箱根小涌園での祈祷所を思い出させました。そこは24時間開放されていて、いつでも行けるのでよく利用しました。特に卒業前でしたので、私以外の同級生は進路が決まっていて、着任前に英気を養おうと、館内の温泉巡りを楽しんでいました。

 私はそんな気分になれませんでした。補教師試験の合格を頂き、私を推薦してくれた東北教区の先生方も喜んでくださったのに行き先が未定なのです。なによりも母が祈り待ち望んでいる。母は当時、1年前に大病し、私の卒業式に出席する為に抗がん剤治療を頑張っていたのでそれを思うと重い気持ちになり、自然に足が祈祷所へと向かっていました。

ふと、峯野龍弘牧師の言葉を思い出しました。「ケズィックは霊的なクリニックです。病というものはその病巣をいち早く発見し治療することが最善です。霊的な病も同様です。このケズィック・コンベンションは、そうしたお互いの病を早期発見し、完治するために神が備えられた幸いなクリニック・センターです。主の御前に集い、御言葉により、霊的な健康状態をチェックしてみましょう」と。

 さっそく、神様に祈りました。「私は多分、霊的な病にかかっています。どうぞ癒やしてください。御言葉をください」と。

 癒やされたかは分かりませんが、不思議なことに全く不安、恐れ、心配はなくなっていました。神様にお任せしたら心が軽くなり、気がついたら学校へ帰る当日の朝ギリギリまで温泉に浸かっていました。主の平安!

2026/2/22 週報メッセージ

感謝しかない?

川﨑信二

冬季五輪ミラノコルティナオリンピックが熱戦のうちに終わりました。メダルラッシュでしたね。

試合後のインタビューで心境を表す言葉でよく「感謝しかないです」という言葉を耳にしました。最近「~しかない」という表現が使われるようになりましたが、以前はどんな言葉を用いていたのでしょう。

髙木美帆選手が「感謝の気持ちでいっぱいです」と言われた時に「ああそうだ。これこれ」と思い出しました。

「しかない」よりも「いっぱい」の方が満たされた感が個人的にはあるような気がします。

 「感謝しかない」という表現は、野球界で大谷翔平選手が日本ハム・ファイターズ時代の2015年頃からインタビューなどで頻繁に使用し、その後メディアを通じて世間に定着したと言われています。「〜しかない」というネガティブな表現を最高級の肯定に変える特別な言葉としてSNSなどで広まったようです。

元々は「~しか〜ない」という否定的な表現だが、「感謝」を強調する(他の選択肢がないほどに感謝している)ことで、特定のものを殊更に賞賛する文化が日本人のベースにあるのかもしれません。

キリスト教文化においても似ている部分があります。十戒の第一戒に「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト20:2)とあります。私たちには本当に「神しかない」のです。

私の罪の身代わりに十字架刑で肉を裂き、血を流してくださったイエス・キリストのほかに救い主はいません。その意味でイエス様には感謝しかありません。

けれども、世代的なものなのか、私にはイエス様の愛に対して「感謝でいっぱいです」と応えるのがしっくりきます。各々が最高に満たされている表現で、イエス様の聖名を心から賛美したいものです。

 因みに「感謝でいっぱいいっぱい」と言うと逆の意味(不要です)になります。それでもくり返し、最高の、主への賛美の言葉を用い続けたいものです。

2025/2/15 週報メッセージ

奇跡を行うわけ(マルコ2:1〜12)

川﨑 理子

主イエスは故郷の近くガリラヤ湖を中心に弟子たちと共に宣教活動をされました。カファルナウムでは中風の人を癒す奇跡を行われました。

 体に麻痺があって自分では動けなかった人を4人の人たちが運び、屋根をはがして主イエスの目の前につりおろしたのです。主は「その人たちの信仰を見て」⑸ この人を癒されました。

 信仰とは、神に関する知識を持つことではなく、何とかしてもらいたいと必死に思うこと。主イエスなら治してくれる、という信頼をもつことです。並んでいる順番をぬかし、屋根を壊すことへの疑問がわいてきますが、主イエスに対する切実な求めと治してあげたいという彼らの気持ち。

 この4人の「信仰」に応え、主は「あなたの罪は赦される」と中風の人に語ります。癒しだけでなく「罪の赦し」を宣言されるのです。このことに律法学者は「神を冒涜している」⑺ と憤りますが、主イエスは「中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」 ⑼ と言われました。さらに中風の人に「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」⑾ と命じ、彼を癒されたのです。主イエスは「神の子」ですから、神ご自身ですから「罪の赦しの宣言」をも出来るのです。

 癒しも赦しも、どちらも難しいことですが、罪を赦すことは神しかできない。その権威が主イエスにはあるのです。

主イエスの十字架の出来事を見つめる時に、「あなたの罪は赦された」と宣言された代償として、ご自身が磔刑により死んでくださったことに思いを馳せます。罪は死です。赦しは癒しです。「起き上がり」とは、自力で立てないという身体の機能のことではなく、「死からの復活」を意味します。主イエスの死があってこそ命への回復があるのです。  最大の奇跡は、主イエスの十字架の死ですから

2026/2/8 週報メッセージ

人を支える御手

川﨑 信二

相田みつおさんの詩に「花を支える枝」という詩があります。

花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根はみえねんだなあ

最後の「あ」は、みつおさん直筆の味わい深い字で大きく書かれていました。

「手放しで、なんの努力もなしになるなんてものは、この世に一つもありません。目に見える花だけに心をうばわれないで、土の中の根を育てる努力、そのための土づくりの苦労など、つまり、目に見えないものの尊さのわかる心を育てたいものです。」ご自身による解説です。

 何か「縁の下の力持ち」的な感じがします。禅の影響を受けたみつおさん。なるほど、見えない所で努力している人がいてくれるおかげでこの世は回っている。災害の支援や復興のための努力には、政府の働きかけとは別に、人が見ていない所での日夜の努力によって進められていることを思い、その働きの尊さを感じます。

 一方で、この詩をキリスト教的に、聖書的に見るならば、人の努力も大切ですが、それを支えている見えない御手の働きこそ最も重要なことだと思わされます。神の御手で支えられている私たちなのです。人の功績ではなく、神の愛によって私たちは生かされている。この見えない御業こそ、私たちに本当の希望と力を与えるものなのです。

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

コリント二4:18

2026/2/1 週報メッセージ

葬儀に参列して

川﨑 信二 

 伯父(父の兄)が98歳で主のみもとに召され、駿府教会で行われた葬儀に参列させていただいた。

福岡県の教会で5年、静岡県の駿府教会で33年牧会。狭心症のため1995年に67歳で隠退し、その後は九州の教会の歴史を編纂する仕事を生き生きとされていた。

伯父が或る悩める方に手書きで贈った詩が式次第の裏面に載せられていた。伯父の生き方そのものだと思った。

老人

人生の夕暮れどき

人はみな 働きに疲れ

老い衰えて

幼な子のように弱くなる

   そして

    ついに神のふところに帰る

     我が家に帰る幼な子のように

   かくて

    とこしえに み国に住み

    神の栄光を

     たたえ歌う天使の群に

伯父が息をひきとった日に伯母(父の姉)が100歳になった。誕生日会ではなぜか讃美歌「神共にいまして」を親戚一同で歌った。「また会う日まで 神の守り 汝が身を離れざれ」と。奇しくも伯父をみもとへ送る歌になった。

今は苦しみから解き放たれ、主と共にあることを信じ、またやがて私たちにも同じ道が備えられていることを確信するひと時となった。葬儀後に従兄姉たちと食事をし、久しぶりにゆっくり語らう時が与えられた。互いの信仰を確認し、残された日々を「悔いのないよう歩みたいね」と話し合った。

主が来たりたもうその時まで祈りつつ励みたいものだ。

2026/1/25 週報メッセージ

イエス様の伝道(マルコ1:14〜20)

川﨑 理子

 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」⒁

 イエス様の伝道開始場所は、故郷のガリラヤでした。そこで最初の御言葉が語られました。「福音」は、神様からいただいた嬉しい「救い」の知らせをイエス様ご自身が語られた、ということです。

 「ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレを御覧になった」⒂

 「わたしについて来なさい。人間を救う漁師にしよう」⒄

 イエス様は弟子を召し出しています。「御覧になった」とは「一方的に注目された」ということです。スカウトです。スカウトマンというのは、じっと観察して条件を満たした人を選びスカウトするものです。

 「また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった」(19-20)

 声をかけられた4人の漁師はイエスの招きを「すぐに」受け入れ、なんの迷いもなくついていきました。ヤコブと弟ヨハネも網を捨て、父ゼベダイを置いて主に従いました。

 漁師にとって網は命のようなものです。網を置くことは命を捨てるくらい大変な出来事です。しかし彼らは、イエス様に声をかけられたことが躍り上がるぐらいに嬉しかったのです。「神の時は満ちた」のです。

 ここに、イエスに出会い、変えられていく人の姿が描かれています。私達もイエス・キリストに出会い、召し出されています。イエス様は今も私達に「ついて来なさい」と御声をかけ続けておられます。

 イエス様の十字架の愛を語る者へと変えていただきたい。漁師が網を投げるように「福音」の網を世に投げて生きる弟子とさせていただきたいものです。

2026/1/18 週報メッセージ

阪神淡路大震災から31年

川﨑 信二

1995年1月17日㈫ 5時46分に起きた阪神淡路大震災から31年が経ちました。当時私は東京聖書学校の最終学年で卒業と初任地への準備をしている頃でした。聖書学校は前年より埼玉県吉川市に移転し、地震の揺れは全く感じませんでした。80年代に通った大学も被災しました。尼崎市に住んでいたことがあり、営業の仕事で阪神高速道路を大阪から神戸まで毎日往復していたその道路も橋桁ごと横転し、無惨な光景でした。

 桜ケ丘教会から東京聖書学校舎監に転任されて一年目の西海静雄牧師と後輩たちと共に、3月になってから車で被災地に行きました。見慣れた景色が変わり果てていたことにショックを覚えました。「私たちにできることは何か」。夏の伝道キャラバンで用いた手作りの紙芝居を持ってきて、仮設住宅に居るこどもたちを励まそうと広場に誘い、賛美歌やゲーム、聖書の話をしましたが、全く響きませんでした。こどもたちの目は虚ろで、不安のためか心が閉ざされているように感じました。

 一方的にこちらの用意したパフォーマンスは、それが神様の宣教に関することであっても通用するはずがありません。帰りの車の中で後悔し、彼らが求めていることにもっと寄り添えればよかったのに、と思いました。

4月に尾鷲教会に遣わされました。この経験から、自らのビジョンや宣教の旗を振りかざすのではなく、まずは相手の心を理解すること、いま何を必要としているのかを……。共に生きることから祈りへ導かれるのだ、ということを教えられたことです。

31年経っても消えない痛みを抱えつつ歩んでいる友人、家族の中で一人生き残り懸命に生きている知人。

 主の慰めと平安を祈るものです。日本は地震大国です。また様々な災害で被災された方々がおられます。生活が支えられ希望をもって歩むことができますように。