「皆様へのメッセージ」カテゴリーアーカイブ

神様の試練

イメージ 1東北関東大震災被災地におかれまして
被害にあわれ命を亡くされた方々、
家を失い、ご家族にお会いできず、被災地で過ごしながら今もご家族等の安否をご心配され過ごされておられる方々、
懸命に復興に力を尽くし闘っておられる方々、
居住地を離れて復興の時を待ち望み今1日1日を見つめて過ごされておられる方々など
様々な状況の方を覚え、被災地の痛みに主の慰めと恵みが豊かに差し伸べられることを、教会では強く祈っております。
 
 また、福島原子力発電所の危機的な状況が1日も早く改善の方向に向かい、人々が安心して生活できるために、そこで昼夜を問わず懸命に命をかけて仕事に従事しておられる方々のもとに、全能なる神様の知恵と、力と勇気、そして愛が、ご臨在いただけるように、祈っております。
 
暴動もテロも戦争もない日本において、マグ二チュード9から生じた巨大地震と津波、原子力発電所爆破という、強力な破壊力によって、惨劇が目の前に突如出現しました。
このことを、クリスチャンとしてどのように考え、受け止めるべきなのか・・・・。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。・・・神は真実な方です。・・試練と共に逃れる道をも備えてくださいます。」
主は、愛する者に試練を与えるとともに、その試練により忍耐を生みだし、艱難に耐える鍛錬の技をも備えてくださり、やがて、大きな恵みで私たちを満たしてくださると聖書に書かれています。
全能の神の御力により頼み、日本がこの大きな試練に立ち向かい、世界に日本の力強い精神性を発信できるように、私たちひとりひとりできることから、実践していきましょう。
主の耳に聞き届けれられるように、祈りましょう。

東日本大震災被災地への思い

イメージ 13月11日(金)午後に発生した大地震。皆様はどこでどのようにこの地震に遭遇されましたでしょうか。
巨大地震と大津波、戦後最大の災害との報道を受けて、テレビや新聞等による連日の過剰なほどの情報。
どの情報が正確な情報なのか誰も判断してくれない、風評が風評を拡大し、被災地の方の心情は見えてこない。
そんな感じを抱きつつ、本ブログ書き込み者は、福島中通り地方に位置する実家に向かいました。
3月12日(土)午後、鉄道運休、高速道路封鎖のため、一般道路を車で走り、宇都宮経由で、家に夜間に到着。死者も出た町を通過し、到着。途中、福島原発爆発の情報が携帯メールに入り、行かないほうがよいという意見が入りました。
しかし、とにかく現場把握をしようと行くことを決意しました。
途中、コンビニ等のお店従業員は皆様気丈に見えました。13日に親戚等に会うと、「このような地震は経験したことがない・・」と皆様呆然とし、余震に耐えながら、「それでも。ここは被害が小さいので・・・」と言いました。
13日(日)には、早く東京に戻りましたが、その際、ガソリンの不足が気になりました。
そして、3月19日に再度、車で福島に向かいました。水戸市経由で行きました。地震から1週間が経過していましたが、放射能被曝の情報等もあり、緊張した思いを抱きつつ到着。
東京から同行した兄から「たばこの被害は、今発表されている放射物質よりはっきりしているのに、たばこを吸う自分は、放射性物質が危ないなどと、そんな不確なことは悪くて言えない」と、一喝されました。妙な説得力がありました。
生活している人の思いは、複雑です。放射性物質の影響など気にする暇もなく、家の片づけなどしなくてはならない方もいます。福島に住むもう一人の兄の家は、少し傾いて危険な状況と言えますが、それ以上に危険な方の家もあり、そいう言った方の応急対応に工務店等は奔走して、見に来てすぐ帰るといった状況でした。
マスク、帽子、手袋、手洗い励行等・・・。それは東京の情報と感じました。断水のところもあるわけで・・・何か違うと感じました。
放射性物質の情報で、農家の方々が落胆している様子がわかりました。いままで新鮮でおいしいと喜んでもらえる野菜を生産することを誇りとしていた人たちが、作っても食べていただけない状況を思うと、体に力が入らないほどつらいのだなあと・・・。原子力発電所は都会にエネルギーを供給するためにあって、自分たちが使うためだけのものではないのに・・・という思いも口にすることなく、正確な情報はどこから来るのか不信に思いつつ。
大きな被災地の報道はいくつも流れますが、比較的小さな被害地では、情報の谷間で、情報に呑まれ、風評によって流されていく現在をとても恐れていることを感じました。
先日、カナダから宣教師として日本に来ている方から、以下のメールをいただきました。神の聖霊が、日本じゅうに働いていて、日本人が神のもとに戻るときだと信じています。と。
全能なる主によって、最善の道が備えられていることを確信し、この試練の時、日本の復興を願いつつ過ごしたいと思います。

2010年度桜ケ丘教会第2回総会を終えて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
 
本日2月最後の聖日礼拝でした。
例年、2月第4週の日曜日は、礼拝後、教会総会を開催し、次年度の宣教方針や予算案について、会員の皆様から承認を得ております。
 
2011年度の宣教方針と予算案も承認され、厳しい状況の中でも、桜ケ丘教会、日本のキリスト教会、世界のキリスト教会の発展充実に向けて小さいながら、力強く歩んでいくことの認識を新たにいたしました。
 
桜ケ丘教会の原点に戻り、3つの目標を掲げて進んでいくことも朝位牧師からご提案頂きました。
○個人信仰の確立
○全家族の救い
○個人伝道による教勢倍加
 
小さいからし種が大きな木になり豊かな実をつけるように、私たちひとりひとりもその可能性を主から頂いています。
「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい。」
主から頂いた御言葉ですから、日々の中で、不可能と思える状況の中でも、このことを実践していきましょう。
必ず、主の恵みに出会うことを確信します。

Hさんとのお別れ

イメージ 1Hさんが天に召されて、礼拝のいつものお席にお座りになることや、各集会にご出席になられることがないことを思いますときに、とても寂しい気持ちになります。
Hさん、ご病気になられてから、とてもはやく別れのときがまいりました。
2月5日前夜式、6日(日)の告別式と出席させていただき、お別れができて感謝です。
何よりも、最後の礼拝を2月6日にご一緒に守ることができて嬉しかったです。
ご家族の方々に、主の慰めがありますようにお祈り申し上げます。
桜ケ丘教会の、今後の歩みを天からご覧くださいますように。私たち、桜ケ丘教会は、愛の光を灯し、家族のような教会を目指して進んでまいります。各自が主から頂いている賜物を活かし、罪をを主からお許しいただき、主の御名を賛美しつつ、日々を過ごしたいと思います。Hさんとの正直な語らいを思い出しながら、あのような時間を持ち続けることを大切にいたしますね。さようなら、Hさん。ありがとうございました。

Tさんの病床受洗と告別式

イメージ 1Tさんは、1月中旬に病院にて、奥様のJ子さんの見守る中で、受洗をされ、過日1月25日に天に召され、前夜式、告別式が桜ケ丘教会で執り行われました。
式に参加して、思うことは、主にあってご家族がお過ごしになった日々は、何物にも代えがたい貴重な時間であり、主から頂いた本当の幸福と感じたことです。
病の中で、様々な闘いを、主とともに、ご家族と一緒に、走るべき道程を闘い抜かれ、桜ケ丘教会から天へ凱旋されたことを、思います。
病床において、12月のクリスマスに、お会いできてお話もできたことは、私にとっても誠に感謝でした。
奥様のJさんとお嬢さんのYさん、今、どのようにTさん亡き時を過ごしていらっしゃいますでしょうか。
別れは、悲しいものですね。
どうぞ、疲れを主が癒してくださいますように。
また、いま病と闘っておられるHさん、そしてご家族の方々に、主がともにいてくださいますから、最善がなされますから、引き続きお祈り申し上げます。

2011年1月23日の礼拝のめぐみ

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シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えた。
ルカによる福音書第5章5節
 
「お言葉ですから」というテーマでお話を伺いました。
わたしたち人間の目では、不可能と思える、限界と思えるときに、主は思いもかけないご判断をされて、私たちにお言葉をくださいます。シモンペテロが従ったように、私たちも「お言葉ですから」と網を降ろす時に、何も起こらなかった状況に変化を生みだすことができます。
「いつも喜んでいないさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という主の御言葉をいただいたとき、状況に、人に怒る前に、私たちは、「お言葉ですから」という素直な気持ちで、毎日の生活で、この御言葉を実践し過ごしたいものです。
今日のお話も、力にあふれる朝位牧師のメッセージでした。
 

2011年新年おめでとうございます

イメージ 1新年おめでとうございます。
2011年の朝をどのようにむかえられましたでしょうか。
病と闘っておられる方々、御家族の看護や介護をされながら過されている方々、田舎のご両親様に会いに帰られた方々、東京で新年礼拝を捧げられた方々、新年のむかえ方は様々ですね。
どうぞ、新しき年も、わたしたちの主に栄光がありますように。
 
 
 

2010年クリスマスは輝いて

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12月19日(日)のクリスマス礼拝は、ボーマン・ベアンテ先生と奥様のルリ子先生がおいでくださり、チェロとピアノの演奏をお聞きするとともに、ボーマン先生のお話をお聞きしました。
いつも、桜ケ丘教会に、両先生によるメッセージと音楽を、神様から、贈り物にいただくことができることは、何と素晴らしいことでしょう。
 
また昨日12月24日(金)夜には、クリスマスイブのキャンドルサービスをいたしました。
桜上水駅の前で18:00から30分キャロリングをいたしました。どこかで、この賛美の歌をお聞きになって家路につかれた方もいらっしゃるでしょう。教会のキャンドルサービスで、クリスマスのお話を心に留めることができた方もいらっしゃいます。私たちは、心に平和を得ていますでしょうか。
クリスマスの本当の意味を再び考えて、新しき年を迎えたいと思います。

本日のメッセージ「毎日がクリスマス」から

イメージ 1 メシア・イエスの誕生は野宿していた羊飼いたちに告知された。「恐れるな、大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」素朴なベツレヘム郊外の羊飼に第一に知らされ、彼らが最初に救い主を礼拝することができた。
これは深い神の御心によることである。すべては人間の常識を破る。神はご自身の決定により、そのわざを推し進められるのです。神の子が生まれるとすれば、それは宮殿や豪華な邸宅であろうと考えるのが常識であろう。しかしわたしたちの神は、私たちの生活を知っておられます。なぜならイエス様もわたしたちと同じ生活をされ、しかもなんの優越性も主張されませんでした。このことは、キリスト教信仰の中で特に明記すべきことであります。
 イエスが生まれる時に、最初の住民登録が成され、羊飼いは、強大な権力と体制の前で物の数にもされず、住民登録の対象にもならず、羊とともに野に捨ておかれて、疎外されていたということです。この羊飼いたちの前に、主は最初にこの良き知らせを告げ知らされました。そして、イエスは、飼い葉億の中に寝ておられました。
 
 羊飼いがその幼子に最初に会いに行ったとき、マリアとヨセフは、神のご計画をどのように受け止めたのでしょうか。不思議ですね。このクリスマスの本当の意味を今日また深く味わっております。
クリスマスは教会においでいただき、共にこの惠を分かち合いたいと考えます。

2010年12月5日の礼拝から

イメージ 1写真:K/Kさん提供
今日の朝位牧師のお話「結び」抜粋。
 バークレーは「マグフィカート(マリア賛歌)は、世界で最も革命的文書である。」といって神による3つの革命を語っている。
1、神は心の思いのおごり高ぶる者を追い散らす。これは道徳革命である。
2、権力ある者を引きおろし、卑しい者を引き上げる。これは社会的革命である。
3、飢えている者を良いもので満たし、富んでいる者を空腹のまま帰らせる。これは経済的革命である。と言っている。」
朝位牧師の結びのお話は、マリアがどんな方であったのか、力強い女性であったことを感じさせられます。
 
 クリスマスのこの時期には、いつもイエスキリストの誕生を別の角度から考えたり、感じたりいたします。
 聖書からは、読むときの年齢などによって、毎日、毎年、異なることを教えていただくことができます。
 今年のクリスマスには、この不思議な出来事の奥深い意味を更に深く理解できると良いなあ思っています。
 
 また、昨今の情勢を見ますときに、世界が本当に平和であることを祈り願っていかなければならないと思います。
私達の願いを神に知っていただくために、小さな祈りにして、星のように輝かせましょう。