「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2014/7/6 週報メッセージ

   教団教誨師研修会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  6月30日~7月1日迄、国立オリンピック記念青少年総合センターで開催され、日本キリスト教団の教誨師94名のうち30名余の人々が集まった。西東京教区からは4人の中の2人が参加した。今回の講師は、元ヤクザの親分で、府中刑務所で服役していた鈴木啓之先生(府中刑務所教誨師、シロアムキリスト教会牧師)であった。17歳より17年間ヤクザの世界に身を置いて、刑務所に入所していた時、教誨師のメッセージを聞き、クリスチャンになり、献身して牧師となられた方である。彼が「ネバー・ギブアップ」(あきらめないで)という題で本当に熱く生き生きと語る姿に、「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(Ⅱコリント5・17)という御言葉が浮かんだ。先生が講演の中で語った最も印象深い御言葉は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し……」(イザヤ43・4)であった。お話の中で先生が語られた、①チャンス、②チェンジ、③チャレンジという三つのCは、私に熱烈な印象を与えた。
 先生は救われて25年になり、府中刑務所の教誨師も10年以上なさっている。例話として登場した収容者の証しに神様の愛の力を感じた。彼は医者であったが、強姦殺人で刑務所で16年服役した。出所してキリスト教信者となり、全く新しい生き生きとした生き方を始めた。
 余談になるが、私は帰り道、私が教誨している少女少年院を出院した少女と参宮橋で再会した。彼女の方から声をかけてくださった。私は少女の将来のため、祈りの手を下げてはならないと思った。

2014/6/29 週報メッセージ

   上半期を終えて
                                                                                                           朝位 真士
  教会の年度は4月1日~3月31日までですが、2014年1月~6月までの半年間を経過して、7月~3月までのことを覚えて語ってみたいと思います。
 元旦礼拝で、使徒2章14~21節より「若者は幻を見、老人は夢を見る」という御言葉が与えられて、今日まで参りました。現代社会を見ますと、夢も希望も喜びも幻(ヴィジョン)もない時代のように思われます。現実ばかりに目を向けると、将来は真っ暗です。しかし信仰をもって現実を静観すると、老若男女に夢と幻(ヴィジョン)が与えられると信じたいし、祈って進みたく存じます。
 これからの教会の行事予定は、ホ群関係を含めて次のようになります。7月6日(日)、CSこども会。7月22日~24日、ホ群首都圏夏期聖会。10月26日(日)、吉岡篤志氏のヴァイオリン演奏&メッセージ。11月2日(日)、召天者記念礼拝。11月3日、有志によるハンセン病施設見学。12月21日(日)、クリスマス・チャペルコンサート&メッセージ(ベアンテ・ボーマン師、ルリ子師)。12月24日、クリスマスイヴ礼拝&ジャズコンサート(高田光比古トリオ)。1月1日、元旦礼拝。1月2日、ホ群首都圏新年聖会。2月22日(日)、第2回教会総会。以上のような行事が計画されています。また創立90周年記念誌の発行準備が、役員をはじめ教会員、関係者の方々の尽力によって進められています。
 まだ達成されていない目標、①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個人伝道による教勢倍加、また受洗者が与えられること、健全な財政確立のために、一人ひとりの熱祷を切に願うものであります。

2014/6/22 週報メッセージ

   2014年度弾圧記念聖会へ出席しよう
                                                                                                           朝位 真士
  今年は6月22日午後3時~5時迄、教団赤羽教会にて弾圧記念聖会が開かれます。大友英樹師が「終末における希望」というテーマで、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2章42節)という箇所より語ってくださいます。この弾圧記念聖会は1942年6月26日に起きたホーリネス系諸教会に対する政府の宗教弾圧を覚える聖会です。
 右傾化の動きがさらに濃厚となってきている今日の日本に生きるキリスト者として、私達はしっかりと御言葉に聞き、平和の君である主キリスト告白を「聖さ」をもって生きることが求められています。歴史をひもといてまいりますと、1942年(昭和17年)6月26日早朝、一斉に全国のホーリネス系教会に対して、治安維持法違反による検挙が実施されました。日本基督教団第6部(旧日本聖教会)同9部(旧きよめ教会)および東洋宣教会きよめ教会のことです。この第1次検挙においては、第6部では41名、第9部では44名、東洋宣教会きよめ教会では11名、合計96名が検挙されることになりました。さらに第2次検挙が1943年(昭和18年)2月以降に実施されたことによって、全体で128名が検挙されることになりました。第6部では、第1次検挙で41名、満州などの外地で10名、第2次検挙で9名の合計60名が検挙されました。この弾圧の中で、8名の先生方が獄死されたと聞いています。
 私共のホーリネスの群は、このような先輩の先生方、信徒の方々の信仰によって継承されているのです。信仰の純粋性を維持するために、迫害・殉教も恐れないで戦った方々の信仰を学び、またこのホーリネス信仰を保持し継承するために、是非この弾圧記念聖会を覚えて出席いたしましょう。

2014/6/15 週報メッセージ

   献金の恵みを体験しましょう                                                                 
                                                                                                       朝位 真士
  日本キリスト教団の「信徒必携」の76~79頁には、献金について記載されています。
 
  「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。」(Ⅰヨハネ3・16)この恩寵に対する
 信仰の応答は、わたしたちの全存在と全生活をささげることにおいてあらわさねばならない。その具体的なあ
 らわれの一つが献金である。旧約聖書にもしるされているが、今でも農漁村などでは収穫物の一部をささげる
 ところがある。しかし献金による場合は、間接に労力をささげることである。信徒の生活のすべては神から与
 えられたものだから、これを神にお返ししなければならない。だから収入の全部を自分ひとりのために使うの
 ではない。それゆえ、献金は残りをささげるという考え方や、いわゆる会費であってはならない。それは、第
 一に感謝の心でささげること。第二には奉仕の精神で教会に協力すること。第三には、自分の分に応じて教
 会員としての責任を果たすことなのである。わたしたちはレプトン二つをささげたあの貧しいやもめにならうも
 のとなりたい(ルカ21・1~4、マラキ3・8~10)。Ⅱコリント8章~9章を参照。献金には、礼拝献金、特別献
 金、感謝献金と記念献金、祝節献金、指定献金等がある。
 
 献金は献身(神に身をささげる)を意味します。額の多少にかかわらず、主にお預かりしたものを神にお返しするという意味があります。献金は恵まれる手段であると同時に、つまずきになる原因ともなります。もし献金のことで何か疑問点があれば、牧師または役員に気軽にお聞きください。私は信仰をもって53年目になりますが、基本的には収入の十分の一以上を祈ってささげてきました。献金をささげる以上に、多くの恵みをいただいたことを神に心より感謝しています。皆様も献金の恵みを体験して、信仰生活の向上に心を用いましょう。ハレルヤ。

2014/6/1 週報メッセージ

   創立91周年記念礼拝を迎えて
                                                                                                          朝位 真士
  今年も岸義紘先生をお迎えすることができて感謝です。今年で14回目となります。
 私共の教会は1923年(大正12年)6月1日、初代教師、板井康裕牧師が世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始して誕生しました。1930年渋谷区栄通りに移転、祈りの家渋谷ホーリネス教会と改称。1942年日本基督教団成立と共に教団に加盟し、桜ヶ丘教会となりました。この渋谷時代はホーリネス教会のリバイバルの時でもあり、50名前後の礼拝、20名台の祈祷会、30名台の伝道会が毎週もたれました。1957年、板井牧師の召天後、「解散やむなし」の声もありました。しかしホ群より学生派遣があり、神山良雄師、小原十三司師らが代務者として主任を務め、川村登一、小川泉、滝口明男、三上祐二、伊藤盛一、峯野龍弘らの各師が数ヶ月から2年の任期で牧会にあたり、信徒と共に祈り、励み、この危機を脱しました。1968年、西海静雄師、満希子師が赴任した後、甲州街道の拡幅工事のため、借用中の板井家から出ざるをえなくなり、「会堂」の面から教会は再び危機に至りました。1975年、下高井戸4丁目のパールハイツ一階を購入、会堂兼牧師館としました。1977年、5階を購入して牧師館とし、1987年、4階を購入して教育館としました。1991年、第一種教会となり、その後宗教法人格を取得して現在に至っています。新会堂は1998年に献堂式を行いました。
 右のような困難な歴史の中で、今年で91周年を迎え、この記念礼拝に日本中で一番用いられている岸先生をお迎えできたことは大変感謝です。岸先生は日本全国、海外でも、家庭集会、朝祷会、教会、聖会、ゴスペル・コンサート、伝道集会など、どんな小さな所でも喜んで御用される方で、音楽、説教、神学、スポーツとマルチな賜物を与えられています。今回も先生と神様のお働きに期待いたしましょう。

2014/6/8 週報メッセージ

   聖霊降臨日(ペンテコステ)
                                                                                                         朝位 真士
  聖霊のくだった五旬節の日は復活から50日目であり、主イエス様の昇天の10日後にあたります。この日を「ペンテコステ」と呼ぶのは、ギリシャ語で50番目を意味しているからです。
 五旬節(ペンテコステ)は、「七週の祭り」というもう一つの名でも呼ばれています。これは、主が十字架にかかった過越の祭りより七週を過ごして、第50日目より始まる1週間の祭りだからです。この祭りでは、その年の収穫の感謝と、モーセがシナイ山にて神から律法を授けられたことが記念されました。
 五旬節の日、キリストの約束の通り聖霊がくだり、これにより弟子たちは神のことばを大胆に語りだしました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」(使徒1章8節)とありますように、弟子たちは神からの力を受け、キリストの十字架と復活の証人として立ち上がりました。またこの日より、新しい神の民、キリストの教会が生まれました。
 私共の教会は1923年(大正12年)6月1日、初代牧師、板井康裕先生がアメリカより帰国し、世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始して誕生しました。しかしその歴史は平坦ではなく、苦難の連続でした。まず教会堂の確保に困難を要しました。人数的にも大変困難でした。牧師・伝道師が定着しませんでした。その要因として、経済的困難もありました。また近所の方々の理解を得るのに時間を要しました。第一種教会(信徒数概ね50名以上)になり宗教法人格を取得するのに、実に68年の年月を要しました。1998年に新会堂が献堂され、これからが重要です。ペンテコステのこの日、全員心を新たにして神の教会の業のために励んでいこうではありませんか。

2014/5/25 週報メッセージ

   90周年記念誌懇談会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  先日5月20日午後1時過ぎ、教会に前牧師、現牧師、信徒6名が集まり、「90周年記念誌」作成のための懇談会が開かれた。桜ヶ丘教会は1923年6月1日に板井牧師によって開拓され、90周年を経たので「記念誌」を編集することになった。関係者に原稿を依頼しているが、その一環として歴史を振り返って語り合う場が設けられた。
 桜ヶ丘教会は開拓当時より教会活動が困難であった。まず礼拝堂が定着せず、当時の牧師、伝道師、信徒の方々は大変苦労された。特に前牧師の西海先生たちは、集会場所と住居を数回移動して、信徒の定着も困難であった。懇談会の参加者は、借家、マンション、現在地と移転する中で、牧師、信者が心を一つにして信仰と宣教の業に励んだことを、昨日の如く明るく語っておられた。各集会、礼拝、祈祷会、夕拝に皆出席して、牧師と共に開拓伝道に励まれたり、経済的困難の中、主のために一生懸命奉仕された。前任牧師一家は26年間桜ヶ丘教会で労されたが、教勢が数十名となって第一種教会となり宗教法人格を取得したこと、召天された信者の方々の命がけの奉仕と働きが今日の桜ヶ丘教会を形成していることなど、苦しいエピソードや楽しいエピソードを喜々として語られた。その当時若かった方々が60~80歳代となり、これからの桜ヶ丘教会の教会形成に大きな課題が残っている。
 「90周年記念誌」をスタートとして100年に向かって、教会の目標、①個人信仰の確立、②全家族の救い、③個人伝道による教勢倍加の実現のために、私共一人ひとりが神の前に真剣に祈り、労していくということを再認識させていただき、全員参加のチームプレイという思いを新たにさせられた。

2014/4/27 週報メッセージ

   若い者の受洗に際して
                                                              朝位 真士
  「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」
                            (コヘレト12章1節a)
  先週のイースター礼拝に、桜ヶ丘教会で5歳8ヶ月の幼児の洗礼式が
あった。私はその幼な子を生まれる前から知っていて、大変感動的な洗
礼式であった。何よりも嬉しく感じられたのはA夫妻ではなかろうかと
察する。洗礼を受けたMさんは、洗礼を受ける前に私にはっきりと「洗
礼を受けさせてください」と語った。両親に話したかと尋ねると「まだ
です」と答えた。一家4人は全員で早朝から教会に出席されている。M
さんは教会学校にもまじめに出席して、神様の話を聞いている。幼いと
きから教会で祈られ、神様はその幼な子を愛して救おうとされたのであ
る。もちろん教会の責任として、このMさんの為にとりなしの祈りをし
続けなければならない。洗礼式後の証しの賛美も素晴らしく、自分のこ
とのように感動した。
 同時間にもう一人の幼な子(小学生)が喬木教会で受洗された。K家
の長女Sさんである。この家族も、桜ヶ丘教会時代には、皆様で遠方か
ら1時間半かけて教会に来ておられた。本当に嬉しいイースターの出来
事であった。両家の上に神の祝福と恵みを祈りたいと思う。

2014/5/11 週報メッセージ

   母の日に思う
                                                                                                           朝位 真士
  今日は「母の日」です。世間では日頃疎遠になっている母への感謝を表す日です。私の母は数十年前、50歳余で召天しました。67月25日午前0時45分頃だったと記憶しています。母は大変世話好きで、私共には優しく、従業員の方々にも親切であって、皆から慕われていました。「親孝行したいときには親は無し」と言われている如くです。信者ではなかったが、私の信仰には大変理解がありました。私がもう少し熱心であったら、母を信仰に導いたと思います。父は晩年、本田弘慈先生によって導かれ、キリスト教式で葬儀ができました。
 さて母の日の起源について記します。アメリカのヴァージニア州ウェブスターの町のメソジスト教会に、アンナ・M・ジャーヴィスという教会学校の教師として26年間奉仕した夫人がいました。その後ジャーヴィス夫人は亡くなり、教会での追悼会の時、娘のアンナは以前お母さんから聞いた「あなたの父と母とを敬え」の箇所を思い出し、たくさんのカーネーションの花をささげ、お母さんを偲びました。このことが列席者一同に大きな感動を与え、やがて有名な百貨店王といわれ後に大臣になっても教会学校の校長を続けたジョン・ワナメーカーの賛同を得、同氏の店頭で5月第2日曜日に盛大な記念会が催されました。これが母の日の始まりで、1908年(明治41年)のことでした。
1914年にアメリカの議会は5月第2日曜日を母の日と定め、国旗を掲げてお母さんに敬意を表すことになり、やがて母の日は全世界に広まったのです。
 私の母なる教会は北九州復興教会ですが、母教会で18歳の時に救われて53年目を迎えます。本当に若い時に主イエス・キリストを救い主として信じることができ、感謝でいっぱいです。まだの方は1日も早く決断してください。神はあなたを愛しておられます。

2014/5/4 週報メッセージ

   国家晩餐祈祷会に招待されて
                                                                                                           朝位 真士
  「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(Ⅰテモテ2章1節)
 私は4月25日、京王プラザホテル5階コンコードの間に約330名の方々が集まった国家晩餐祈祷会に、青山朝祷会の方のご厚意により招待された。席上献金はさせていただいたが、1万5千円の会費は無料で招待してくださった。
 プログラムは、賛美ベアンテ・ボーマン(チェロ)・ルリ子、開会祈祷池長潤(カトリック大阪大司教)、特別祈祷大川従道(大和カルバリーチャペル牧師)、賛美オクサーナ・ステパニュック(ソプラノ)・又吉秀樹(テノール)・比留間千里(ピアノ)、メッセージ「願い、祈り、とりなし、感謝」(財)沖縄協会理事、昭和女子大学名誉教授川平朝清、代表祈祷山北宣久・五十嵐義隆・石橋秀雄ほか数名、会衆賛美、祝祷尾山令二。
 以上簡単なプログラム説明であるが、内容は大変濃密であった。クリスチャンがこんなに多く、海外から、国内から集合して、美しい音楽とメッセージを聴き、祈祷がささげられたことに感激した。ディナーも大変美味しくいただいた。現代社会における様々な問題や課題の中にあって、まず主にある兄弟姉妹が一堂に会して祈り、賛美し、交わり、食事を共にするというキリスト教信仰の基本を教えていただいた。様々な方々と言語・風俗習慣を超えて主イエス・キリストを中心として交わる時間は、まさしく天国の晩餐会のようであった。午後六時から九時過ぎまでの会であったが、本当に一瞬の時であり、クリスチャンでよかったと感じた一時であった。
 皆様のご厚意を心より感謝しつつ、主なる神、主イエス・キリスト、聖霊なる神へ心から感謝したい。