「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2015/2/15 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                      朝位 真士
  前回に引き続き「宣教の主体であられる神」を記載します。
 (一)神の永遠のご意志 ①神は教会を永遠の昔より愛し、「御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソ1・4)さらに神は、この教会を通し、罪人をご自身と和解させるために、救いのご計画を立て、世の終わりまで、救済史に導かれます。(2コリ5・19、ローマ11・33~36)
 ②宣教がそもそも可能であるのは、神が人間を一方的な「恵みの選び」によって救いへと選ばれたからです。神の選びは、人間の業や功績によってではなく、神ご自身の永遠に変わることのないご意志によるものです。神の選びが確かであるゆえに、わたしたちは自分の救いに関して恵みの選びが成就することを確信し、それと同じように隣人の救いを熱望し忍耐強く祈り、かつ伝道することができます。(エフェ1・4~6、同2・4~6、同1・10、ヨハ15・16)
 ③また、わたしたちは伝道する時、実際に御言葉を語っておられるのは、わたしたちではなく、神の霊であると知ることによって、力づけられます。(マタ10・20)
 ④人間は「神のかたち」に造られていますので(創1・27)、神と出会うまで、平安を得ることができません。神に愛され、網を愛するとき、わたしたちはさらに、神がお与えくださった自分の隣人や家族、職業などを愛するようになり、真に幸いな人生を歩むようになります。人生とは、そのことを発見するための旅路であるとも言えます。(ヘブ11・13~16)
 ⑤同様に、世界史の究極の意義は、恵みの選びが成就することです。それゆえ、世界史の終わりは、救済史の完成です。そのとき、新しい天と新しい地が現れ、わたしたちは朽ちないものへと変えられ、永遠に神を賛美するでしょう。(エフェ1・11~12、1コリ15・50~55、黙21・1~4)                               

2015/2/8 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                      朝位 真士
 前回に引き続き「三位一体の神の招き」を記載します。
 (3)私たちの使命と喜び
 ①教会の主イエス・キリストは、天においても地においても一切の権能を授けられ、人間のすべての問いに対する究極の答えとなられました。また、キリストが父からこの世に遣わされたように、キリストはわたしたち教会をこの世に遣わされます。まだその外にいる神の民が一人でも多く、1日も早く神の国の喜びに共にあずかるよう、福音宣教の務めにたずさわらせるためです。(マタ28・18~20、ヨハ20・21、使18・9~10)
 ②宣教は神が始めてくださった「善い業」(フィリ1・6)に由来します。神の国の喜びが罪人にまで伝えられるとき、その道具として用いられる教会もまた「天の大きな喜び」(ルカ15・7)にあずかります。反対に、もし福音宣教をなおざりにするなら、教会は福音の喜びそのものを失い、みずからの存在意義を失うだけでなく、「役に立たない僕」(マタ25・30)として見捨てられます。(Ⅰコリ9・16、ヨハ3・29、同4・36)
 ③宣教という神の業が、人間の思いによってではなく、神の御心にかなって実を結ぶよう、聖書の言葉に基づいて、その務めを吟味することは大切です。(マコ13・35~37、Ⅰコリ1・21)
 Ⅱ宣教の主体であられる神
 宣教が現になされていることは、前章で述べられました。ここでは、それが神の永遠のご意志、すなわち、神の「恵みの選び」の中に根拠と必然性を持っていること、さらに、宣教においては神がそのご計画を立て、実際にも宣教の主体として働いておられることの中に確かな可能性があることが示されます。そのことによって、宣教にたずさわるわたしたちの喜びは確実なものであることが確認されます。                               

2015/2/1 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                             朝位 真士
  前回に引き続き「三位一体の神の招き」についてです。
 (2)歴史の中で実現する神の招き
 ①父なる神は、この神の国の実現のために、時満ちて御子を人として
お遣わしになりました。また、御父と御子は聖霊を絶えずお遣わしになり
ます。(ヨハ20・21、同14・26、マコ1・14~15、フィリ2・6~11)
 ②聖書によれば、神の国は受肉したイエス・キリストの十字架と復活
によって、すでにこの地上に先取りの形で確立されています。それがす
なわち、神の民によって構成されるキリストの体なる教会です。神の国
はこの教会において存在し、広まりつつあり、歴史の終わりにおいて完
成されます。(マコ1・14~15、マタ28・18~20、イザ52・7、ロマ10・
14~15、黙21・3~4)
 ③「福音」は、神の国が来たことをあまねく告げ知らせます。福音は
神からの良い知らせ、すなわち神の言葉であり、この神の言葉は、「言
が肉となった」(ヨハ1・14)イエス・キリストの出来事そのものです。
この「言」を聖霊の権威によって証ししている聖書および説教の言葉も、
同じく神の言葉です。わたしたちキリスト者は神の言葉を聞くことによっ
て造り変えられ、わたしたちのすべての言葉と行いが、この神の言葉を
指し示す「証し」となります。(ヨハ5・39、Ⅱテモ3・1、ルカ4・21、
Ⅰテサ2・13)
  ④ここからただちに、「宣教」とは、第一義的には、福音を宣べ伝え
ること、すなわち「伝道」のことであると結論されます。ただし、真実
な伝道は必ず「証し」を生みだします。(ロマ10・17)

2015/1/25 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                                          朝位 真士
  教団常議委員会による「改訂宣教基礎理論」を紹介したいと思う。まず「三位一体の神の招き」。(1)神の招き。
 
  主は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)と言
 われました。三位一体の神は、ご自身の喜びに満ちた交わり、すなわち、「永遠の生命(または、神の国)」
 へと、罪人をお招きくださいます。この神の憐れみに満ちたご意志を人々に伝達することが、宣教です。
 (Ⅰヨハ1・3以下)
  神は礼拝と賛美を受けるにふさわしいお方です。神の国の究極の姿は、被造物がこぞって神を賛美し、す
 べての栄光を神に帰する喜ばしい礼拝です。人間はそのために「神のかたち」に造られ、神の国へと招かれ
 ています。その最高の幸福と喜びは、礼拝の中で神を賛美することの中にあります。(創1・27、出5・1、黙 
 4・11、エフェ1・3~5、詩22・23、同84・5、同102・19、コロ3・16)
 
 日本基督教団は、長い間、社会派、福音派という区分けで、お互いの立場を固守してきた。教団総会は、日本基督教団17教区、1700の教会・伝道所の中から選出された約400名の方々が出席して、2年に1度開催されている。教団内の諸問題について議論・議決され、実施されてきている。いろいろな社会的問題もあるが、ここ数年の会議内容の特色は、「伝道する教団」というキャッチフレーズに表されている。教団全体が本気になって「伝道(宣教)」に力を注ぎ出しているのは、大変喜ばしいことである。
 次回は、「歴史の中で実現する神の招き」について、「改訂宣教基礎理論」より学んでいきたい。そして、とにかく、伝道第一を貫こう!!

2015/1/18 週報メッセージ

   「断食祈祷聖会」に出席して                                                                 
                                                                                                          朝位 真士
                                                                 
  私は1月12日~14日の断食聖会に部分参加をいたしました。講師は著名な先生ばかりで、最初は長く北陸で伝道されたY牧師でした。「日本に適した伝道方策」として、パウロの「ユダヤ人にはユダヤ人のように」(Ⅰコリ9・20)という言葉から、「日本人には日本人のように」と日本人の考え方や感じ方に合った伝道方策はと考えて浮かんだのは、「蓮如」のことだったと語られました。500年以上前に五七歳で北陸の吉崎に来て、わずか4年で北陸は変えられ、真宗王国と呼ばれるようになりました。蓮如から受けた教えとインスピレーションは、大きな指針となりました。先生は浄土真宗の牙城に、ゆだねる伝道として三つのポイントを語られました。①みことばにゆだねる。(使徒20・
32)②他の人に教える力のある忠実な人にゆだねる。そして初代教会は「弟子の数がふえて行った」。(使徒6・7)③「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」(ヨシュア13・1)と、しめくくられました。ちなみに先生は私と同じ羊年です。
 次にO牧師で、ミッションスクールの院長をされた後、現在は東京のある教会の牧師です。彼は「私たちは『祈れ』と神から待たれている」と題して、「祈りは神の御許によじ登る登山に似ています。私たちには、日常性、世俗性という重力が働いています。その重力に抗して登攀すること、それが祈りです。祈りは神から待たれ、促され、引き出されてくるものだからです。私たちは、神から『祈れ』と待たれているのです。待たれていることを知って、応答する誠意が引き出されます。呼応の相互性こそ、人間の深い喜びです。」と語られました。 

2015/1/11 週報メッセージ

   2015年ホ群新年聖会に出席して
                                                                                                          朝位 真士
 
  2015年1月2日(金)、教団小松川教会でホ群首都圏新年聖会が開催された。今回の主題は「終末における希望」(Ⅰペトロ4・7)で、聖会Ⅰの司会佐々木羊子師(TBS吉川教会)、立証・音楽ユース、説教山口紀子師(更生教会)、聖会Ⅱの司会柏明史師(茅ヶ崎恵泉教会)、立証阿部晋也神学生(東京聖書学校)、音楽東京聖書学校、説教島隆三師(東調布教会)であった。
 テキストであるⅠペトロ4章7~11節を引用する。「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。」この箇所から、若い山口師が大変ソフトに具体的な事例を引用されながら語られ、よく理解できた。特に、実年齢を三で割ると二四時間の人生時計の時刻になるという内容に、襟を正された。終末・再臨が近いからこそ、全力を尽くして主の業に励まねばならないと教えられた。
  島先生のメッセージは、流石に長い牧会者であり東京聖書学校の校長らしい重厚なものであった。特に、思慮深く、身を慎んで、よく祈り、何よりもキリストの愛をもって、心を込めて愛し合わなければならないということが印象深く残った。ハレルヤ!!

2015/1/4 週報メッセージ

   成長させて下さる神
                                                                                                          朝位 真士
 
  2015年度は聖書Ⅰコリント3章1~9節より「成長させて下さる神」というテーマが与えられました。特に3章7節「成長させてくださるのは神である」という聖句に、本年期待させていただきたいと思います。
 桜ヶ丘教会は92年目の歴史を経ており、少しずつ成長させていただいていますが、私はもっと主イエス・キリストに期待したいと思います。そのために、桜ヶ丘教会におけるヴィジョンと信仰が必要です。コリント教会から人々について学ぶことが最善だと思いました。コリント教会には大別して三種類の人間がいたと思われます。①自然の人(生まれながらの人間、2・14)、②肉に属する人間(3・1)、③霊の人(御霊に属する人間、3・1)。第一の人間は生まれ変わっていない人です。第二の人間はキリスト者になって新生はしたが、まだキリスト者として完全な域に達していない人で、党派心、ねたみ、争いなど肉に属する人間(ガラテヤ5・19~21)です。まだきよめられていない人間です。第三の人間は霊的に成長している人です。
 パウロは「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださったのは神です」(Ⅰコリント3・4~7)と語っています。第一に人は人を導く道具にすぎません。キリスト者は信仰を与える者ではありません。第二に信仰を成長させてくださるのは神です。もちろん「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして聞くことができよう。良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」(ローマ10・14~15)と書いてある通りです。主の働きは尊い仕事です。キリスト教信仰は神の業であって、人の業ではありません。用いなさるのは神です。

2014/12/28 週報メッセージ

   2014年をふり返って   
                                                                                                     朝位 真士
 
  2014年の礼拝は今日で最後である。14年度は来年3月までであるが、この14年を静かにふり返ってみるとさまざまな出来事が目に浮かぶ。まずA兄が3月14日召天。彼は会堂建設委員長として長年良き働きをされた。静かに天国に帰って行った。イースター礼拝では、A兄の長女Mさんが受洗し感謝した。4月27日、第1回教会総会開催。教務報告、2013年度会計決算が議決された。6月1日(日)創立91周年記念礼拝、岸義紘先生(サックス奏者、JTJ神学校元校長)、説教「多く赦された人は多く愛する」(マタイ18章21~35節)、音楽とメッセージの素晴らしい集会で59名が出席した。91周年記念カレンダー作成、100冊販売。 個人的になるが、私は夏期休暇をいただき、息子憲義牧師の牧会する日本キリスト教団琴平教会(香川県)を問安した。現住陪餐会員43名、礼拝26名、CS10名で、祈りの課題は、①牧師のため、②新しい教会形成、③地域宣教のため。なお祈ってほしい。9月1~3日、法務省地下大会議室で行われた教誨師中央研修会に参加。全国から
200名の教誨師や関係者が集合。今回の目的は、「少年施設に所属し、中央研修会に出席経験のない教誨師を対象に、矯正行政の施策や方向性並びに矯正施設の収容動向等を理解し……教誨活動の向上に資する」という事で、私は11年目に参加。
 10月26日、チャペル・コンサート。ヴァイオリン吉岡篤志氏、ピアノ長瀬賢弘氏。プロ作成の新聞折込3千枚で69名の出席。11月2日、召天者記念礼拝。『桜ヶ丘教会創立90周年記念誌』が300冊発刊され、出席者、関係者に配付。11月3日、ハンセン病施設見学。大切なことを学んだ。
 転会者は二人で、5月18日にY姉、10月19日にM兄である。本当に今年もいろいろな事柄があった。
 

2014/12/21 週報メッセージ

   クリスマス・チャペルコンサート
                                                                                                         朝位 真士
  ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生を今年もお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は1999年12月19日(日)の第1回クリスマス・チャペルコンサートから続けて今年で16回目になります。
 ベアンテ先生は1951年、スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められ、1967年~71年、ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事、最優秀章を受賞して卒業。1971年~72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年、シベリウス・アカデミー大学院を首席で卒業。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペル・コンサートを始めとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。またインターアクト協力宣教師でもあられます。ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。
  今日の先生のメッセージはイザヤ9章6~7節、「ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。主は御言葉をヤコブに対して送り、それはイスラエルにふりかかった。」という聖句より「イエスの与える平和」と題して取り継がれます。どうぞ祈り心をもって、クリスマスのメッセージをお受け取りください。あなたに平安(平和)があるように!!

2014/12/14 週報メッセージ

   クリスマスを迎えて
                                                                                                          朝位 真士
  今年もクリスマスを迎えることができて感謝しています。私は1661年12月24日(日)クリスマス礼拝の時、母教会の故山中日出刃牧師より受洗させていただきました。あれから53年経過しています。しかし私の心は青年時代のあの喜びと感謝に今も満ちています。
 私の心の中に一番強く残っている御言葉はヨハネ3章16節、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(口語訳)です。特に「神は……世を愛された」という語で、「神の愛」です。神が愛に満ちたお方であるということは聖書の一貫したメッセージです。人間はそうした神の期待を裏切りました。しかし、神はそのように背いた人間をただちに滅ぼしませんでした。「世を愛された」とありますが、これは「人間を愛された」と言い換えても良いかと思います。もう少し具体的に言うならば、「この朝位真士を愛してくださった。」「世」はイエス・キリストを憎み、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」などをもって人を神から引き離そうと誘惑します。そうした世の背後には「世の支配者」である悪魔(サタン)の存在があります。したがって、悪魔に惑わされて神に背を向けている私たち人間を、神が愛してくださったということです。
 そのクリスマス、来週21日(日)はベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えして、クリスマス・チャペルコンサートを開きます。一人でも多くの方が来場されて、先生の素晴らしいチェロ演奏とメッセージを聞いていただきたいと思います。24日(木)のイヴ集会では、齋藤神学生のメッセージと高田トリオのジャズ演奏に注目しましょう。祈って待ち望んで、2014年度クリスマスを迎えようではありませんか。一人ひとりが良きクリスマスを!!