
福島の旅


我が恵み汝に足れり
朝位 真士
私は10月6日に70歳を迎えました。サラリーマンであるなら隠退の年齢ですが、主のあわれみによって現在も主の僕として御用をさせていただいています。
私は18歳で受洗し、サラリーマン生活を9年間経験し、東京勤務を機に退職しました。1965年に神学校を卒業し、九州で19年間、開拓伝道と副牧師を経験しました。1994年、西海静雄、満希子先生の後任として桜ヶ丘教会に家族4人(当時息子高2、娘中1)で赴任しました。当時マンションの1階が会堂、4階が教育館、5階が牧師館と分かれて教会活動をさせていただきました。マンション教会であったが、多くの方々が礼拝に来られ、各会は生き生きと活動し、教会学校も盛んでした。あれから20年、40名近い教会関係者が天国へ居を移されました。その間、会堂建設という大事業がありました。当時からおられる方々をはじめ、天国へ旅立った方々の功績は大きいと言わざるを得ません。1996年6月25日、工事契約を結んでこれから着工という時に地域の人々の反対に会い、工事が1年延期されました。私共は毎週の礼拝、祈祷会、各会、役員会で神様に必死にお祈りをさせていただきました。加えて、ホ群、教団、教区、朝祷会の関係者の方々の祈りと尊い献金もあり、1997年6月25日に着工され、1997年12月17日に引越し、1998年2月1日、原田謙牧師(当時ホ群委員長、更生教会牧師)の司式によって献堂式が行われ、新しい歴史の一歩を踏み出しました。桜ヶ丘教会は1923年6月1日に開拓され、今年で九〇周年を迎えました。
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)
東京チャペルコンサートに参加して
朝位 真士
9月29日(日)日本キリスト教団東調布教会で、キリスト伝道会主催の「東京チャペルコンサート」が開催された。説教は森稔先生(日本ナザレン教団牧師、日本キリスト伝道会会長)で、ヨハネ9章1~3節「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」から、「イエスの愛」というテーマでメッセージを語ってくださった。その中で一人の障害を持っていた男性が自殺をしようとしていた時、当時の路傍伝道でイエス・キリストの福音を聞かされて、クリスチャンになり、献身して伝道者として良き証しの生涯を送られたことを力強く語られた。
音楽の花束(1)ゴスペルグループ・シュブの素晴らしい音色に心が洗われた。音楽の花束(2)ヴァイオリン、蜷川いづみ女史が信仰に満たされた音楽を奏でてくださった。曲目は、「主よ、人の望みの喜びよ」「G線上のアリア」(J・S・バッハ)、「タイスの瞑想曲」(マスネ)、「ツィゴイネルワイゼン」(サラサーテ)、「尊き泉あり」「十字架のかげに」(聖歌428、396、柳瀬佐和子編曲)、「HOLY HOLY」(ダイクス)。女史は大変有名なヴァイオリニストでありながら謙遜であり、信仰的であり、笑顔の素敵な方である。3歳頃からバイオリンを弾かれ、フランスに留学している時に信仰に導かれたとの証しを聞き、私共の教会でもチャンスがあれば演奏と証しを聞きたいと思った。新会堂での演奏は、私の心の中にいつまでも余韻として残った。
当日は100名近くの出席で盛況であり、献金も予定をはるかに越えて与えられ、司会の大役も無事終わり、主イエス・キリストに感謝する。
写真:K/Kさん提供 わたしを強くしてくださる方のお陰で
朝位 真士
東京アライアンス教会の御用に行ってまいりました。メッセージは、フィリピ4章10~13節を通して語らせていただきました。この手紙の特徴は「喜び」という言葉が十数回記されていることです。また「福音」という言葉も「祈り」という言葉も各所に出ています。この4章10~13節を通して教えられることは、パウロが「あらゆる境遇に対処する秘訣」を語っていることです。秘訣の第一は「どんな境遇にあっても満ち足りることを学ぶこと」です。秘訣の第二は「貧しさの中にいる道も豊かさの中にいる道も知っていること」です。秘訣の第三は「飽くことにも飢えることにも、富むことにも貧しいことにも、あらゆる境遇に対処する方法を授かること」です。
パウロは「わたしを強くしてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(4・13)と語っています。ーキリストとの霊的結合・人格的交わりを得ることーその方法は祈りです。みことばです。信仰です。「あらゆる境遇に適応し、対処し、打ち勝つことができる」ということは、試練、誘惑、苦難、貧富、幸、不幸といった移り行く人生のさまざまな出来事にも対処できるという意味です。「すべてが可能です」という意味です。明日何が起こるかわからないのが私たちの現実です。しかし、私たちを強くしてくださる方と絶えず交わり、みことばをいただき、その方に全き信頼を置くなら、必ず勝利することができるのです。
東京アライアンス教会の前週の礼拝は、台風の影響で8名であったようですが、チラシを8千枚配布して、当日の特別集会には24名と、3倍の礼拝出席がありました。会堂建設15年目で1億円近い借財を昨年完済されました。少数の会員ですが、牧師をはじめ会員の方々が皆生き生きされていた姿を忘れることができません。主に栄光を帰しつつ!!
第51回関東アシュラムに出席して
朝位 真士
今回初めて関東アシュラムに出席することができました。9月16日~18日まで、山崎製パン箱根山荘で行われました。講師は島隆三先生。主題は「私にゆだねられたもの」(Ⅱテモテ1・12)。当日(16日)は、あいにく台風18号の接近で、嵐の中新宿のハルク前より箱根まで行きました。嵐の中、バスは出発しました。箱根までの二時間半余、私は生きた心地がしませんでした。必死に神に祈って無事到着しました。
さてアシュラムについて少しお話をします。インド伝道に60年の生涯を捧げたE・スタンレージョーンズ師によって始められた運動です。使徒行伝に記されている霊の交わり(コイノーニア)を教会に取り戻すことが現代における宣教の原動力であると、インド人のアシュラムという退修方式(労働から退いての研修)を取り入れ、ヒマラヤに近いサトタルで数人のキリスト者教師、宣教師と始めた祈りが、クリスチャン・アシュラムとして今日米国、北欧、アジアに普及し、教会の霊的活性化に繋がる運動として浸透しつつあります。
アシュラムでは2泊3日のプログラムを通して、静かな祈りが基調をなしており、開心の時(魂の深みからのニーズを分かち合う)、祈りの細胞(小グループで行う祈りの交わり)、静聴の時(み言葉を聞く時)、福音の時(助言者による聖書の霊的メッセージ)、連鎖祈祷(終夜一時間宛分担して祈祷室で静かに祈る)、そして最後に充満の時(受けた恵みを分かち合う全体集会)をもちます。参加者全体がキリストにある一大家族の霊的交わりを喜び感謝する集会です。
私はこの集会に出席して、多くの祈祷の時をもち、お互いにファミリーとして祈り合い、交わり、「イエスは主なり」の合言葉をもって、クリスチャンとして、兄弟姉妹として、親しい交わりをさせていただきました。本当に主に感謝します。
写真:K/Kさん提供