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Tさんの病床受洗と告別式

イメージ 1Tさんは、1月中旬に病院にて、奥様のJ子さんの見守る中で、受洗をされ、過日1月25日に天に召され、前夜式、告別式が桜ケ丘教会で執り行われました。
式に参加して、思うことは、主にあってご家族がお過ごしになった日々は、何物にも代えがたい貴重な時間であり、主から頂いた本当の幸福と感じたことです。
病の中で、様々な闘いを、主とともに、ご家族と一緒に、走るべき道程を闘い抜かれ、桜ケ丘教会から天へ凱旋されたことを、思います。
病床において、12月のクリスマスに、お会いできてお話もできたことは、私にとっても誠に感謝でした。
奥様のJさんとお嬢さんのYさん、今、どのようにTさん亡き時を過ごしていらっしゃいますでしょうか。
別れは、悲しいものですね。
どうぞ、疲れを主が癒してくださいますように。
また、いま病と闘っておられるHさん、そしてご家族の方々に、主がともにいてくださいますから、最善がなされますから、引き続きお祈り申し上げます。

2011/1/30 週報メッセージ

   病める方々のために祈ろう
                                                                     朝位 真士
  「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての
面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」(ヨハネ手紙三・2)
 「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」
                                (エフェソ6・10)
  最近、牧会をしていて、病気に悩まされている方やさまざまな問題を
抱えて教会に来ることが困難になった方々を多く見うけます。先日も何
人かの方々を見舞ったり、電話で安否を尋ねたりしました。その方々が
語ることは、元気になって教会に出席したいということです。私共は健
康が支えられ、教会に来て問題に対して主イエス様にお祈りしたり、聖
書を読んだり、メッセージを聞いたりすることに何の障害もないという
ことは、どんなに大きな恵みであり、祝福であり、感謝でしょうか。
 先日山陰に行ってまいりました。数十年ぶりの大雪のために交通機関
に障害が出て、礼拝に一人も来られなかったという報告を聞きました。
私共にも、来週も来られるという保証はありません。一回一回の礼拝、
集会を最後だと思って真剣に祈り、守りたいものです。
 「あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこ
のことをしよう』というべきです。」(ヤコブ4・15)

2011/1/23 週報メッセージ

   T兄の受洗に立会って                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16・31)「シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」(マタイ16・16)「それは人間にできることではないが、神は何でもできる。」(マタイ19・26)
 私が最近大変恵まれたことを読者に伝えたいと思います。2011年1月12日、T兄が受洗されたことです。夫人と娘さんの長年の祈りの課題でした。ご結婚されて30年以上になります。娘さんは13年前に受洗されて、留学し、大学卒業後就職してキャリア・ウーマンとしてご活躍の方です。母親共々父のために長い祈りを要したことでしょう。神はついにその親子の祈りを聞かれたのでした。
 私は山陰聖会のために1月8日~10日まで米子に行ってきました。御用を終えた翌々日の12日、夫人より電話があり、ご主人が「洗礼を受けたい」とおっしゃったことを聞き、早速フミ子牧師と共に彼等のいる病院にかけつけました。彼にその意志を確かめると、しばらく沈黙が続きましたが、ハッキリと意志表示をされました。私は感動をもって洗礼式を挙行させていただきました。
 何回か彼の病院にお見舞いさせていただき、彼と話をする機会にキリスト教の話をしようと思いましたが、彼が無宗教であるということを伺っていたので、あえてそうしませんでした。娘さんの小さい頃はよく教会に来られていて、大変好意的であったと聞いていました。私は彼が主イエス・キリストを信じて受洗してほしいと祈っていました。神は真実なお方で、我等の小さな祈りをお聞きくださったことだと思います。主イエス・キリストに感謝し、ご家族を始め教会員の方々に心より感謝したいと思います。ハレルヤ!!                         

2011年1月23日の礼拝のめぐみ

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シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えた。
ルカによる福音書第5章5節
 
「お言葉ですから」というテーマでお話を伺いました。
わたしたち人間の目では、不可能と思える、限界と思えるときに、主は思いもかけないご判断をされて、私たちにお言葉をくださいます。シモンペテロが従ったように、私たちも「お言葉ですから」と網を降ろす時に、何も起こらなかった状況に変化を生みだすことができます。
「いつも喜んでいないさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という主の御言葉をいただいたとき、状況に、人に怒る前に、私たちは、「お言葉ですから」という素直な気持ちで、毎日の生活で、この御言葉を実践し過ごしたいものです。
今日のお話も、力にあふれる朝位牧師のメッセージでした。
 

2011/1/16 週報メッセージ

   山陰聖会に招かれて                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。/たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。(イザヤ1章18節)
 私は1月8日から10日までの3日間、ホ群の山陰地区(東中国地区八教会、西中国地区四教会)に招かれて、御用してまいりました。山陰地区は、年末から豪雪で、特に米子市は89センチの積雪で多くの雪害が出ており、旅行が危ぶまれていました。しかし、皆様方の熱いお祈りと信仰によって、無事8日午後米子空港に到着し、米子教会の牧師、信徒たちの出迎えを受けました。9日の米子教会の礼拝と聖餐式、役員懇談会、10日の山陰新年聖会2回の御用を終えることができたことを深く深く神様と皆様方に感謝する次第です。
 今回はⅠテサロニケ4章~5章を通して、「きよめられた者の特色」~喜び、祈り、感謝せよ~(Ⅰテサロニケ5章16~18節)という主題のもと、2回の御用をさせていただきました。参加者は約六十数名、9教会からの参加でした。雪道を片道3時間近くかけて10名近くの信徒たちを連れて牧師先生が来られたり、無牧の教会からも数名来られました。
 何よりも感謝したのは、招きをさせていただいたとき、①きよめを求める方、②神様のためにこれから奉仕したい方、③直接献身(神様のために身を捧げる)したい方等の呼びかけに、参加者の8割の方々が次々と応え、お祈りの一時をもつことができたことです。聖霊様の著しいみ業を感じました。今後山陰地区にリバイバルの業を見ることができるように、主イエス様に祈りと期待をこめて、山陰を後にしました。10日夜遅く、東京に到着しました。ハレルヤ!!                                                               

2011/1/9 週報メッセージ

   2011年の聖句が与えられて
                                                                                                       朝位 真士
  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサ5・16~18)
 キリスト教とは一口に言うとこれです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」これがクリスチャンライフのすべてと言っていいのです。簡単な言葉ですが、努力だけではできません。「いつも喜んでいなさい。」「はい!喜びます。」「喜べ!」なんて喜べません。喜びというのは、内側から湧いてくるものです。与えられるものですから、自分で作り出すことはできません。
 「絶えず祈りなさい。」大切なことです。イエス様が共におられることをどうして自覚できるかと言ったら、具体的にはお祈りです。
 「すべてのことについて感謝しなさい。」これも難しいことです。私たちはうまくいったことについては感謝できます。けれども「すべてのことについて感謝しなさい。」辛いこともです。神は思うようにいきっぱなしにはなさらないから、必ずトンネルを通されますし、通ります。しかし必ず神は共にいてくださり、神を信頼するものに対する約束を果たしてくださいます。私たちは忍耐をもってこのお方に従っていくことが大切です。感謝できないような時にも感謝するというのは、本当に神は最善以下のことをなさらないお方で、万事を益としてくださる(ローマ8・28)という信仰です。
 この1年、いや私たちの生涯において、「常に喜べ。絶えず祈れ。すべてのことについて感謝せよ。」これは神の恵みの三原則であります。

2011年新年おめでとうございます

イメージ 1新年おめでとうございます。
2011年の朝をどのようにむかえられましたでしょうか。
病と闘っておられる方々、御家族の看護や介護をされながら過されている方々、田舎のご両親様に会いに帰られた方々、東京で新年礼拝を捧げられた方々、新年のむかえ方は様々ですね。
どうぞ、新しき年も、わたしたちの主に栄光がありますように。
 
 
 

2010/12/26 週報メッセージ

   年末感謝礼拝を迎えて   
                                                                                                        朝位 真士
  「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(Ⅱコリ4・7)
 右の聖句が与えられ、「土の器の宝キリスト」という題で2010年元旦礼拝を迎えて、1年が経過した。今年は、受洗者は未だ与えられていない。召天された方々は3名。一人は1月21日午後、Y長老である。87歳であった。彼は桜ヶ丘教会の開拓当時から導かれた。1939年、路傍伝道でI牧師に導かれ、1940年、18歳の時受洗され、約70年間教会員として忠実に信仰生活を全うされた。教会のリーダー的存在であった。
  二人目はT姉である。6月15日召天。99歳4ヶ月であった。T姉はT長老の奥様で、八王子の団地より約2時間くらいかけて御主人と共に礼拝に出席されていた。晩年はホーム(老人施設)で生活をされていた。安らかな天国への旅立ちであった。
 三人目はK姉である。7月22日、87歳6ヶ月で召天された。お元気な時は、礼拝は勿論、婦人会や祈祷会にも積極的に出席しておられた。大変試練に会われた方であったが、教会のことを常に覚え、特に新会堂建設には特別の祈りをしていただいた。つつましい生活の中で、ご自分の生活を切りつめて、教会のために思いきって献げられた。天国に多くの宝を献げられた方であった。
 他に2名の求道者の親子が1月と5月に召天された。教会は少し淋しくなったが、新年度は素晴らしい会堂に、伝道と祈祷と献金をもって主の栄光を表し、救われる方々が与えられ、教会全体が活性化するように教会員の方々、ならびに関係者の方々、お祈りのご支援をよろしくお願いいたします。(ローマ8章28節)

2011/1/2 週報メッセージ

   新年礼拝を迎えるにあたって
                                                                                                        朝位 真士
 新年2011年あけましておめでとうございます。今年与えられた御言葉は、Ⅰテサロニケ5章16~18節、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」です。
 2010年は、世界において、日本において、教会において、個人において、いろんなことがありました。特に教会関係者が数名召天されたことは、教会にとって大変大きな試練でありました。反面、15年来、多額の負債を抱えて会計を悩ましていた会堂ローンが、12月27日に完済となりました。未だ教会債や会堂補修の件は課題が残っています。しかし神様は「小さな群よ、恐れるな。御国を与えて下さる」(ルカ12・32)とありますように、少ない人数ですが、御国、神の国を与えてくださると約束してくださいます。
 先の御言葉、Ⅰテサロニケ5章16~一18は「キリスト者の特色」であると言っても過言ではありません。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」の3つは、きよめられた生活を示します。この3つができれば、三拍子そろった立派なキリスト者です。順境にも、逆境にも、いかなる場合、いかなる境遇にも、「いつも喜ぶ」ことができるのは、心の中から「苦い根」(ヘブル12・15)が除去され、全くきよめられてこそできることです。
 「絶えず祈る」とは、いついかなる場合にも主との交わりを保つことで、聖霊を受けなければできません。また、どんなことに出会っても「すべてのことについて感謝する」とは、「神を愛する者たちには万事を益となるようにして下さる」(ローマ8・28)ことを知ってこそできることです。この3つとも、きよめられて聖霊に満たされた「キリスト者の特色」です。
 この1年もこの御言葉を信じて実践させていただきましょう。栄光神にあれ!!

2010年クリスマスは輝いて

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12月19日(日)のクリスマス礼拝は、ボーマン・ベアンテ先生と奥様のルリ子先生がおいでくださり、チェロとピアノの演奏をお聞きするとともに、ボーマン先生のお話をお聞きしました。
いつも、桜ケ丘教会に、両先生によるメッセージと音楽を、神様から、贈り物にいただくことができることは、何と素晴らしいことでしょう。
 
また昨日12月24日(金)夜には、クリスマスイブのキャンドルサービスをいたしました。
桜上水駅の前で18:00から30分キャロリングをいたしました。どこかで、この賛美の歌をお聞きになって家路につかれた方もいらっしゃるでしょう。教会のキャンドルサービスで、クリスマスのお話を心に留めることができた方もいらっしゃいます。私たちは、心に平和を得ていますでしょうか。
クリスマスの本当の意味を再び考えて、新しき年を迎えたいと思います。