榊原紀惠子 のすべての投稿

2013/3/31 週報メッセージ

   イースター礼拝を迎えるにあたって
                                                                                                           朝位 真士
  2012年度のイースター礼拝は、昨年の4月8日と今年の3月31日である。復活記事はマタイ28章1~8節、マルコ16章1~8節、ルカ24章1~12節、ヨハネ20章1~10節に記載されている。
 ハイデルベルク信仰問答の問45に「キリストの復活は、われわれに、どのような益を、もたらすのですか」とある。答「第一に、主は、その復活によって、死に勝ち、ご自分の死によって、われわれのために、得て下さった義に、あずからせて下さるのであります。」(Ⅰコリ15・17、54、55、ローマ4・24、Ⅰペテ1・3、21)第二に、われわれもまた、今は、そのみ力のゆえに、新しい生命に、よびさまされるのであります。(ローマ6・4、コロ3・1、5、エフェ2・5)第三に、われわれにとっては、キリストの復活は、われわれ自身の祝福された復活の、確かな保証となるのであります。(Ⅰコリ15・12、ローマ8・11)」と竹森先生の訳にあります。
 マタイ福音書28章には「恐れる」という言葉が4回出ている。私共も死に対しての恐怖があると思うが、「恐れることはない」と主は言われ、「見よ私は、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と語っている。マルコ16章には「石が転がしてあった」とある。私共の人生に起こってくるさまざまな障害となる問題、課題の「石」を主は取り除いてくださる。ルカ24章には「あの方は、……復活なさったのだ」とあり、主は十字架上で死に、3日目に復活された生けるお方である。ヨハネ20章には、弟子たちが「来て、見て、信じた」とあり、教会に出席して、主と霊的にお会いして、信仰をもつことが非常に大切であるということを、このイースターの日に感じている。

2013/3/24 週報メッセージ

   十字架上の七言に想う
                                                                                                        朝位 真士
  今週は受難週で、来週の3月31日はイースター礼拝、復活節の礼拝を迎えることになった。この時もう一度、イエスさまが十字架上で語られた言葉を深く考えてみよう。
 1.「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23・34)自分を殺す者のためのとりなしの祈りであり、かつて自ら言われたことを文字通り行われたので、肉体においてのイエスは苦しみにさいなまれておられたが、霊においては自由であり、全き信頼を崩さず「父よ」と呼びかけられた。
 2.「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23・43)「楽園」はエデンの園に由来するが、新約聖書では死後の領域、回復された原初の時の状態。「今日」救いが実現。
 3.「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。……見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19・26~27)イエスによって愛の人に変えられたヨハネに、マリヤの世話を託す。新しい人間関係が生まれた。
 4.「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27・46)父なる神との断絶の中で、肉体の痛みをはるかに超える苦悩の深みで、罪人の代表として「わが神」と祈られた。
 5.「渇く。」(ヨハネ19・28)この語にも二重の意味を持たせていると取るべきである。一つは「万事休す」の意味であり、二つは「成し遂げられた」「目的を果たした」という意味である。
 6.「成し遂げられた。」(ヨハネ19・30)これは、5と6の言葉を結びつける言葉で、父の意志に子の意志が同一化して究極点に到達したのである。
 7.「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23・46)イエスが生の極みまで神を信頼していることを表している。
 イースター礼拝を喜んで迎えよう。

2013/3/17 週報メッセージ

   牧会雑感                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  ハイデルベルグ信仰問答の問1に、「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか」とある。答は、「わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります」とある。「問2、それならば、あなたがこの慰めの中に、祝福されて、生きまた死ぬことができるためには、あなたは、いくつのことを、知らねばならないのですか。」「答、三つのことです。第一には、わたしの罪とわたしの悲惨とが、どんなに大きいかということ。第二には、わたしが、どのようにして、わたしのあらゆる罪とわたしの一切の悲惨から、救われるか、ということ。第三には、わたしが、どんなに、この救いに対して、神に、感謝すべきか、ということであります。」
 東日本大震災が2011年3月11日午後2時46分に起こって2年を迎えた。A紙の記事によると、死者1万5882人(警察庁)、関連死認定者2303人(復興庁)、行方不明者2668人(警察庁)、避難者31万5196六人(復興庁)。大津波と原発事故による複合災害である。私は、毎日の新聞、テレビ、インターネットのニュースを観て、本当に心の痛む思いである。早く物質的回復がなされることを祈るものである。しかし私は、先のハイデルベルグの信仰問答を見ていただきたい。「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、真実なる救い主イエス・キリストのものである」という言葉が、私の心に強く響き、残っている。私たちにも、いつ思いもかけない困難や苦難が来るかもしれないが、救い主イエス・キリストの慰めを絶えず感じ続けていくことが人生にとって大切なことではないかと思う。また東日本大震災に遭われた方々の一日も早い復興を心から願うものである。
                                             

2013/3/10 週報メッセージ

   祈りの秘訣
                                                                                                        朝位 真士
  「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」(エレミヤ33章3節)
 チャールズ・スボルジョンの『祈り』という小冊子の中に、「祈りの秘訣」が記載されていました。
 
  ハンマーを熱心に使うことによってのみ、石は砕かれるので、石工はいつもひざまずいて働きます。勤勉と
 いうハンマーをにぎり、ひざまずいて祈りなさい。祈りと信仰を働かせるとき、決して砕かれない石のような
 教義はひとつとして聖書の中にないと理解することは、あなたにとって有益です。「十分に祈ったとは、十分
 に学んだことだ」とルターは言いました。
  あなたが何をするにせよ、祈りの梃子の力で、道を開くことのできる鋼鉄の楔なら、祈りは、聖なる奥義の
 鉄櫃をこじ開ける梃子です。
  すべての信仰者はキリストを理解しますが、みなが釘の跡に指を差し入れるわけではありません。すべて
 の信仰者が、イエスの御胸に寄りかかったり、あるいは第三の天に引き上げられたりする特権をもつわけで
 はありません。ほとんどのクリスチャンは、経験という川にくるぶしまでしか入っていません。幾人かのクリス
 チャンは、ひざまで流れに入って歩きました。少数のクリスチャンは肩まで水に入ります。ところが、ごく少数
 のクリスチャンは、川底に足が届かないほどの深さがあって、そこで泳げることを知るのです。
 
 少し長い引用をいたしましたが、このレント(受難節)の時期に、主イエス・キリストのご受難と、私共の悔い改めと主への信仰の確信をもつため、私達は祈りの秘訣を学びつつ、本当に信仰の霊的成長の原動力である祈りに日々を過ごしましょう。3月31日(日)のイースターには、喜びと感謝の思いを抱いて、主の教会の礼拝に共に集いましょう。

2013/3/3 週報メッセージ

   2012年度第2回教会総会を終えて
                                                                                                           朝位 真士
  2月24日礼拝後、出席者18名、委任状17名で2012年度第2回教会総会が開催された。役員と牧師・信徒議員が出席し、教会規則第19条により議員総数の五分の一以上の出席で総会が成立した。
 議題1は2013年度宣教方針で、牧師がまず御言葉「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい」というヘブライ12章14節を引用して、短いメッセージを語り、桜ヶ丘教会の三つの祈祷目標、1、個人信仰の確立、2、全家族の救い、3、個人伝道による教勢倍加を掲げ、その実現に向けての具体的な内容を示した。2013年度の諸活動は次の通り。
 4月1日(月)~3日(水)ホ群年会、4月28日(日)第1回教会総会、5月26日(日)チャペル・コンサート、黄原亮司氏(チェロ演奏)、6月9日(日)創立記念礼拝、岸義紘師、10月20日(日)秋期チャペル・コンサート&特別集会、小西優子師、11月2日(日)召天者記念礼拝、11月中頃バザー、12月15日(日)クリスマス・コンサート、ボーマン師、12月22日(日)クリスマス礼拝、24日(火)イブ礼拝、1月1日(水)元旦礼拝、2月23日(日)第2回教会総会。
 議題2、2013年度会計予算。S会計役員より趣旨説明があった。議題3、役員選挙。7名の方々が選出された。新人2名が当選された。議題4、その他。会堂外装の件が審議され可決。
 この総会を終えて、会員の方々の祈りと支援の必要性を特に感じた。3月に引越をされる一家があり、新役員に2名の若い方が選出された。1923年6月1日より90年の歴史を迎えるこの時、桜ヶ丘教会が時代の荒波に大きく船出することを神に祈りたい。

2013/2/24 週報メッセージ

   四旬節(レント)を迎えて
                                                      朝位 真士
  2月13日(水)に灰の水曜日を迎えた。復活祭46日前の水曜日は四
旬節の第一日で、死に対する備えと罪の悔い改めの必要とを思い起こさ
せるため、額に聖灰で十字架の印を付ける習慣から、灰の水曜日と呼ば
れるようになった。
 四旬節(レント)は灰の水曜日に始まり、復活日前日までの主日を除
いた40日間である。この40の数字は、ノアの洪水の日数、イスラエ
ルの民がシナイの荒野をさすらった年数、エリヤが断食した日数、シナ
イ山においてモーセが断食した日数であり、主の受難(十字架)による
勝利と復活を待望させるのである。
 今年の受難週は、3月24日(日)棕梠の日曜日。25日(月)実のない
いちじく。26日(火)枯れたいちじく、宮での論争、週末の予言。27
日(水)祭司長の陰謀、ナルドの香油、ユダの裏切り。28日(木)最後の
晩餐、訣別説教と祈り、ゲッセマネの祈り。29日(金)捕縛、裁判、十
字架、埋葬。30日(土)墓に番兵をおく。31日(日)イースター礼拝と
いうふうになっている。今年度は2012年4月8日(日)にもイースタ
ー礼拝があり、1年に2回イースター礼拝を迎えることができて感謝で
ある。私は毎日がイースターであり、クリスマスであればよいと思って
いる。そうすることによって十字架と復活を想起することができると思
う。

2012年度第2回教会総会の開催に向けて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
2012年度も残すところ1ヶ月と11日となりました。
1年の計画というものは、何だろうかと、しみじみ考えてみるこの頃です。
1年という月日、年度という区切り、私たちが、そういう区切りを持つことは、自然の理に基づいて生きているということなのでしょう。
生きている中で、本当の喜びは何だろうか?と考えて見るとき、何かいろいろな事を考えさせられます。
『カウンセラーは小キリスト」著者田中信生氏の本を読んでいたら「プラスからプラスの人生観」という箇所がありました。
 
あなたは、「人間は〇〇である。』というブランクにどのような言葉をいれますか。「人間は罪人である」というところからスタートなさるでしょうか。「人間は神によって造られ、生かされている素晴らしい存在である」とお取りになるでしょうか。
聖書の人間観は「神の御手の中にすべてのことが共に働いて益とされる」というものです。
「あなたは素晴らしい、だからもっと素晴らしくなる」とこのフレーズを何度も言ってみてください。
 
 
以上のような文面に触れて、「桜ヶ丘教会は素晴らしい。だからもっと素晴らしくなる」と言って、新年度の計画をしたいと思います。
私たち会員すべてが、もっと素晴らしくなることができるという勇気をもたせていただきましょう。
 
 

2013/2/17 週報メッセージ

   いのちより大切なもの
                                                               朝位 真士
  先日お茶の水のキリスト教会館で行われている「星野富弘の詩画展IN
お茶の水」に行ってきた。詩画集の中で、「いのちが一番だと思ってい
たころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った
日、生きているのが嬉しかった」という詩に出会った。「いのちより大
切なもの」とは何でしょうか。星野さんは「それは、自分で苦しみなが
ら見つけた時に、あなたにとって意味があるのです」と語っていた。
 カトリックの修道女、渡辺和子先生は著書『目に見えないけれど大切
なもの』の「いのちより大切なもの」という項目で、星野富弘さんの詩
を引用して、「人間が『生きている』ということと、『生きていく』と
いうこととは、ただ一字違うだけだが、実は大きく違うのだということ
を私たちは知っている。星野さんも、ただ生きているだけの自分でな
く、生きていくことができる自分にお気づきになった喜びを詩に表され
たのではなかろうか。その生きていく力は、命より大切なものがあると
知った時に与えられたという。この自分が、傷のあるままで愛されてい
ることに気づき、それを気づかせてくれる人々の愛、神の愛に気づいて
与えられた力だったのではないだろうか。そういう力に支えられて、苦
しいことの多い一生を生きた一人の人間の生の軌跡は、この世の命に勝
る尊いものなのだ」と語っていた。

春がもうそこまで来ています

イメージ 1写真:K/Kさん提供
2月に入ってから、公園を歩いていると、つぼみが膨らんでもうすぐ花が咲きそうな植物を見かけます。
陽射しも、どこか春の匂いがします。
桜ヶ丘教会では、2012年度も主の恵みうちに、様々なところを通過して参りました。
そして、春を待ち望みながら、2月を過ごしております。
昨日の礼拝の説教では、心からの祈りを捧げているかという問いがありました。
言葉は、素直な心からのものでいい。
改めて、祈りの意味を考えさせられました。
どうぞ、私たちに与えられた最大の恵み「祈り」を大切にしましょう。
聖書の言葉も、毎日触れて、霊の糧をいただくことの重要性もうかがいました。
忙しい中で、テレビの1時間はあっという間に過ぎていきます。
忙しい中でも、聖書に触れる時を持ちましょう。
 
 
 
 

2013/2/10 週報メッセージ

   平和を求める祈り
                                                               朝位 真士
  パウロの思想の中心は「愛」です。愛がなければ何事も起きないので
す。愛というものが、生命と人間の幸福と人間関係をつなげていくもの
の根幹であり、人間の死の瞬間にも、たった一つ求めるものなのです。
 私は朝祷会に出席しています。1995年から会堂建設のために、ま
ず皆様に祈っていただかなければ完成しないと思い、東京都内の各朝祷
会で積極的に祈っていただき、そのお陰で1997年12月に会堂が与
えられました。教会員の方々、その関係者の祈りと奉仕はもちろんです
が、神が与えてくださったと感謝しています。
 その際祈られたのは、アッシジのフランチェスコの祈りです。「平和
を求める祈り」です。「私をあなたの平和の道具としてお使いくださ
い。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分
裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているとこ
ろに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるとこ
ろに喜びを、もたらすものとしてください。慰められるよりは慰めるこ
とを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛すること
を、私が求めますように。なぜなら私が受けるのは与えることにおいて
であり、許されるのは許すことにおいてであり、我々が永遠の命に生ま
れるのは死においてであるからです。