榊原紀惠子 のすべての投稿

2012/7/1 週報メッセージ

   富弘美術館ツアーに参加して
                                                                                                           朝位 真士
  「見よ、兄弟が座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133・1)
 6月23日(土)午前7時45分、新宿センタービル集合。桜ヶ丘教会主催の星野富弘ツアーが実現した。リーダーのS姉の尽力により貸切バス1台で30余名の快適な旅行であった。車中では星野さんを中心としたビデオを鑑賞し、初めての方々も和気藹々として、本当に主を中心とした楽しい雰囲気であった。
 途中、神戸駅のトロッコ車の食堂で美味しい昼食を終えて、星野さんの生家や付近の散策を堪能し、目的地の富弘美術館では十分に時間をかけて見学をさせていただいた。
 星野さんのことはよくご存知だと思うが、あらためて紹介する。彼は1970年、大学卒業後、中学校の体育教師となり、指導中に頸椎を損傷し手足の自由を失う。病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を描き始める。約9年間の入院生活を終えて退院。結婚をし、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載。1982年、高崎で「花の詩画展」を開き、以後全国各地で開かれた「花の詩画展」は大きな感動を呼ぶ。1991年、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館開館。それ以後、ニューヨーク、ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワルシャワで「花の詩画展」を開催。2005年、新富弘美術館オープン。
 私は二度目の参加であった。前回もすばらしく感じたが、今回は桜ヶ丘教会のメンバーが中心であり、参加された方は各々大変強い感動を覚えたようであった。「ありがとう、私のいのち」という特別展では、生かされている私たち一人一人がどんなに大きな恵みを与えられていることかと感じ、本当に感謝の一言に尽きる。シャローム。

ペンテコステ礼拝、89周年記念礼拝、星野富弘美術館巡り

イメージ 1写真:K/Kさん提供
5月27日:ペンテコステ礼拝にて 
お話:杉本師「わたしの天の父の御心」
「神の言葉と格闘しているか」というメッセージが心に響きました。聖書が目指すものは何か。聖書には「神様の言葉、信仰、人間」について、神様の考えが表されているということ。自分の肉の姿を鏡で見ることができるが、では心をどのようにして見るか。それは聖書を通して見ることが可能であるということ。聖書は心を映すものである。本当の意味で聖書の言葉を聴き、イエス様の本質を知り、聖霊が私たちと共にいてくださることを期待しなければならないことを教えていただきました。
 
6月3日:創立記念特別礼拝
お話:岸義弘師「十字架の表と裏」
『苦難は必ず勝利の道に入らなければならない。』という力強い言葉の一線上にお話はありました。『No rain no rainbow, No pain  no gain, No cross no Crown 』
十字架を通して現された神の勝利(イエス様の栄冠・栄光)を仰ぎ見るとき、事実と真理という表と裏を考えなければならないことを教えていただきました。律法主義によって、イエスキリストの死を無意味にすることはあってはならないこと。神の恵みによって、悲しみの先に必ず虹が輝いているという真実を私たちは確信できるということです。主にある家族のように、岸先生ご夫妻を囲んで昼食のひとときを過ごすことができました。岸先生からサクソホンの素晴らしい音楽のプレゼントと食事への差し入れもいただきました。来年も先生に是非お越しいただきたいと思います。
 
6月23日(土曜日):星野富弘美術館巡り
新宿発の観光バスに乗って、総勢29人(子供たち5人)が、美術館の絵や緑の山々などを楽しみました。星野富弘さんの生家にも行き、裏山の小高い竹林に囲まれた十字架のお墓も見てきました。
私は、今日、裏山の十字架と星野さんのつながりの奥深い意味を、心に痛いほどに感じました。
十字架は生後8か月で召天されたお子さんのお墓に立てられたもの。
悲しみの先に虹が輝いたのですね。星野さんと召天されたそのお子さんとは、主によって強く結びつけられていた関係なのだと思いました。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
上記は、その小さな十字架に刻まれた聖書の言葉。
星野さんが、子供の頃出会ったその十字架と刻まれた言葉の真実について知ったのは、体操の事故で体が不自由になった後のこと。
聖霊が、働いていてくださっているのですね。
 
星野富弘さんの詩歌に触れるとき、小さな野の花や風や雲と心が通うことができることを思い出し、
私たちは自然の中の一つなのだとつくづく思わされます。
必要なものは多くはない、一つであると思います。感謝です。
 
 
 
 
 
 

2012/6/24 週報メッセージ

   第23回ホ群首都圏夏期聖会への招き
                                                                                                           朝位 真士
  「あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。『わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。』この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。」(ヘブライ12・26~27)
 今年の7月23日(月)~25日(水)迄、ハートピア熱海にて、大人20,000円(2泊3日6食)の参加費でホ群首都圏夏期聖会が開かれます。「震われない御国を受けて」ーヘブライ人11章~12章ーというテーマで、島隆三先生(東京聖書学校校長、仙台青葉荘教会牧師)を主講師にお迎えして、二回の聖会メッセージを聞きます。開会聖会は潮義男師(志木教会)、早天聖会は柏明史師(清水ヶ丘教会)、聖化講演は中山忍師(元山梨八代教会)、閉会聖会は西海満希子師(越生教会)がメッセージ並びに講演をしてくださいます。島隆三先生は日本のウェスレー神学研究の一人者として、キリスト教会で高く評価されています。外部から依頼するとなかなか御用をしていただく時間がないほど多忙な先生です。中山忍先生は父上も牧師、御子息も牧師で、三代連続してホーリネス教会の牧師となった生粋のホーリネス人です。その先生から貴重な聖化講演をしていただくことができます。他の先生方も群を代表するリーダーでいらっしゃいます。若手から老年、婦人にいたる幅広い先生方です。
 私共もこの聖会の準備委員の一人として、皆様方の祈りと参加を強く希望しています。6月30日までに牧師までお申し込みください。

2012/6/17 週報メッセージ

   子供の日・花の日                                                                 
                                                                                                          朝位 真士
  「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」(エフェソ5章1節)
 6月第2日曜日は、キリスト教では「子供の日・花の日」といわれています。その起源は「クリスチャン生活事典」によると次の通りです。
 
  1856年、アメリカのマサチューセッツ州チェルセアのチャールス・H・レオナルド牧師は、子供たちが
 神を信じ、神に従う信仰生活は、小さいときから始めるほどよいと思い、また父母にも勧め、両親が子供を神
 にささげる日として6月の第2日曜日に特別な礼拝を守ったのが始まりとされています。この日は別名「シャ
 ロンのバラの日」「バラの日曜日」「献身の日」などとも呼ばれています。この時期は花の多い時期でもあり、
 神の恵みを感謝し、同時に忘れられている人、不幸な人や病人、公共施設の場にて働く人々に花をとどけて
 見舞い、神の恵みを共に分かち合い、子供の訓練にあてています。
 
 私はこの記事を読みながら、特に「子供が神を信じ、神に従う信仰生活は、小さいときから始めるほどよい」という文に強く同感を覚えます。最近の全国的に救われる人が少ないというデータを見るとき、CS(教会学校)の活動や、家庭における幼い子供に対する信仰教育の重大さを今更ながら思うからです。申命記6章4節~7節に「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」と語られています。子供たちの素直な心に福音の種を蒔きましょう。        

2012/6/10 週報メッセージ

   この町には私の民がいる
                                                                                                           朝位 真士
  5月27日(日)ペンテコステ礼拝にS牧師がメッセージを語ってくださり、6月3日(日)創立89周年記念礼拝にK先生のサクソフォン演奏とメッセージがありました。少し残念なのは、二つの集会とも例年の数を下回っていたことでした。しかし私は来年も主が許してくだされば、ペンテコステ礼拝と創立記念礼拝に外部講師をお呼びして行いたいと願っています。
 イギリスの神学者アリスター・エドガーマクグラスに、日本の教会の人たちが「日本の伝道をどうしたらよいか」と聞くと、彼は「どうしてそんなことをイギリスに住む私に聞くのか」と語りました。彼は日本の伝道が振るわないことを聞かされて、日本の問題だけではないことを前置きしてこう言いました。「伝道は種まきなので、決してあきらめずに種をまき続けなさい。」その通りです。何か新しい特別な方法があるのではないのです。私も同感です。その意味では愚直なまでに同じことを繰り返すのです。それは繰り返しキリストによって救われた自分を見つめ、私を救ってくださったキリストを紹介することです。時がよくても悪くても、そのことを続けるのです。
 最近二人の方が召天されました。一人はI姉のご主人です。6月3日(日)午前2時13分に召されました。私は4日・5日と前夜式・告別式を行わせていただきました。密葬という形式をとられ、ごく近しい方々が二十数名集まられました。その中に数人のクリスチャンがおられたということです。もう一人は妻の兄嫁の母上です。私共は6月9日(土)に告別式に出席しました。キリスト教的葬儀でしたが、悲しみの中にも天国での再会を希望しつつ、私共もやがて来る人生の終わりの日の準備をしなくてはならないと思いました。

2012/6/3 週報メッセージ

   創立89周年記念集会を迎えて
                                                                                                          朝位 真士
  今年も岸義紘先生をお迎えできて感謝です。今年で12回目になります。
 今日語ってくださるテーマは、「十字架の表と裏」~始めの一歩~です。聖書はガラテヤ2章18~21節です。
少し長いですが全文を引用します。
   もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになりま
  す。わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと
  共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に
  生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げ
  られた神の子に対する信仰によるものです。わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰
  で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
 この聖句は、我々ホーリネスのグループでは、きよめのメッセージとしてよく語られる箇所です。岸先生は、
サックスの演奏者であるとともに神学校の校長先生、また聖書学者のお一人として多くの講解書を出され、巡回伝道者として日本のみならず世界にも行って御用しておられます。先生におおいに期待したいと思います。
 桜ヶ丘教会は1923年6月1日、初代牧師板井康裕先生がアメリカから帰国されて、自宅で開拓伝道をしたのが始まりです。以来今日まで二十数名の伝道者によって宣教の業がなされた教会です。岸先生のメッセージが今までにない神の大きな栄光の業を表す時となることを、主イエス・キリストに期待しましょう。ハレルヤ!!

2012/5/27 週報メッセージ

   ペンテコステ礼拝を前にして      
                                                                                                           朝位 真士
  「主の慈しみは決して絶えない。/主の憐れみは決して尽きない。/それは朝ごとに新たになる。/あなたの真実はそれほど深い。」この聖句は哀歌3章22~23節にある。ペンテコステ礼拝を前にして、私は先週、地区の超教派の朝祷会数カ所に出席した。まず5月15日、午前10時半より午後1時までY朝祷会。一〇数名の出席。5月16日のA朝祷会、二〇数名の出席。5月18日のI朝祷会、カトリック教会に二〇数名出席。5月19日のM朝祷会、一〇数名出席。内容に多少の相違はあるが、プログラムは賛美、祈り、メッセージ、各自の祈祷、軽食。だいたいこのような内容である。
 なぜ私は朝祷会に出席するのか。理由はいくつかあるが、一つは、私が信徒になった当初より朝祷会に出席していて、その頃から祈りの重要性を身に感じているからである。祈らない信徒はいないと思うが、祈りは信仰の基本である。1日の始めまた終わりに主イエス・キリストと交わることは大切である。
 最近1週間に数回も朝祷会に行った理由は二つある。一つは今日のペンテコステ礼拝のためである。S牧師のため、また人々が導かれるよう、一人でも多くの方々が礼拝に導かれるように祈っていただく。もう一つは、創立89周年記念礼拝(チャペル・コンサート)のためである。K先生の御用が祝福されるように、またこの集会に多くの方々が導かれ、救われる方が与えられるように、朝祷会に参加された数十名の方々にお祈りをしていただいた。
 応えてくださるのは主イエス・キリストの父なる神様である。この神様に期待して、私たちは最後まで忍耐をもって祈り続けたいと思う。シャローム!!

ペンテコステ礼拝そして創立89周年記念礼拝

イメージ 1写真提供:KKさん
「こんにちは」と話しかけるポピー
 
5月も後半を迎える頃となりました。
本日は「イエスの力」というテーマで話をうかがいました。
奇跡の技が行われたことを通して、主に全権をゆだねて信じ切ることの決意についても考えさせられました。
悲しみの時、困難の時、主が必ずともなってくださるということ。イエス様の十字架の苦しみを考えるとき、復活の喜びがどのようなことなのかも考えさせられます。
死に対し勝利されたイエス様の恵みを私たちは確信できるペンテコステのお話。
来週5月27日はペンテコステ礼拝です。
「私の天の父の御心」というテーマで、お話があります。
また、6月3日(日)は、桜ヶ丘教会89周年記念礼拝です。
岸義紘先生をお招きしての礼拝です。「十字架の表と裏」というテーマです。
 
 
 
 

2012/5/20 週報メッセージ

   ペンテコステを前にして                                                                 
                                                                                                         朝位 真士
  「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒1・14)
 来週5月27日はペンテコステ礼拝です。初代教会の人々は、エルサレムの2階座敷で熱心に祈っていました。すると10日後、聖霊降臨があり、教会が誕生しました。ペンテコステの出来事は祈りによって行われました。ここで祈りとは何かをもう一度考えてみましょう。
 (1)祈りとは、神と人間との対話である。
 (2)祈りとは、秘技に属するもの。旧新約聖書には約束とか契約とかいう語が276回以上記されています。神と人間との対話といってもそれは互角の両者の会話とはいえません。超越者、絶対者なる神と、罪人である人間との対話は、普通の理論で語ることは不可能です。いわば、これは秘義に属することです。この不可能と見える祈りを可能にする背景は、聖霊のお働きであり、神の一方的愛に他なりません。
 (3)祈りとは、祈ることである。祈りとは何か。それは祈ることです。静止して、論理や定義として把握される祈りは、ついに祈りとはなりません。祈りは、神に対する最大の行為です。祈りながら祈りを知り、聴従することによって、それが何であるか知るほかはないのです。
 あのペンテコステ前夜の祈りは、教会誕生の契機となりました。ともに集まって協力の祈りをすると、祈りの真価が発揮されます。来週の5月27日はペンテコステ礼拝です。私共は今一度、初代教会の力の源泉である聖霊の力を頂くために密室で祈り、協同で祈り、桜ヶ丘教会の霊的刷新のために一人一人の信仰が力強く前進し、一人でも多くの人々が教会に導かれ救われることを祈り待ち望みたいと思います。                         

母の日礼拝

イメージ 15月の連休は天候が不安定な中で過ぎていきました。
竜巻も発生するなど、その被害も大きいものがありました。
1日も早く安定した1日が戻ることを祈るばかりです。
 
本日は、母の日礼拝です。
 
様々な家庭があり、様々に母親像がありますが、私たちは母なる愛を身近なところで誰もが感じて生活しています。
お母さんはもちろん母のように接してくださるすべての方々に感謝して、今日1日を過ごしましょう。
 
また、本日は、母の日を記念として礼拝を捧げます。
どうぞ、お気軽にお出かけください。