榊原紀惠子 のすべての投稿

2011/8/21 週報メッセージ

   天のとびらを開く                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  私は最近ハ・ヨンジョ牧師の『祈り・天のとびらを開く』を読んで大変恵まれました。先生はその中の「あなたにも祈れます」の中で、「一、祈りは私たちのライフ・ラインです。二、祈りは神と私たちをつなぐ無線機です。三、祈りとは神と日常の出来事を話すことです。四、祈りは祝福の通り管です。五、偉大な働きの背景には祈りがあります。六、祈りは自分のためのものではありません。七、力ある祈りとは聖霊が導かれる祈りです。八、とりなしの祈りはこの世で最も尊いことです」と語っています。「なぜ祈らなければならないのでしょうか」の中では、「一、神に会うためには祈らなければなりません。二、祈らない信仰はにせ物です。三、祈らなければ人を傷つけます。四、祈りは愛の証拠です。五、イエスが祈られるので、私たちも祈るのです。六、祈るときにイエスの慰めを経験します。七、祈りの生活の成功が人生の成功につながります。八、教会は祈りの家です。九、宣教も教会開拓も、祈りによります。祈る人は危機のときにも揺るがされません」と語り、「祈りは力です」の中で、「一、祈るときに神の摂理を知ります。二、祈る人はこの世のことに縛られません。三、祈りは理性と不信仰を超えます。四、祈る人は歴史を動かします。五、つたない祈りでもかまいません。六、最悪の状況の中でこそ祈る時です。七、祈りの秘密を知る人が神の子どもです。八、祈りは自我に打ち勝つ秘密兵器です。九、祈るとき、私たち自身が変わります。十、信仰の祈りは神を動かします」等と書かれていました。
 ハ先生は、8月2日、65歳の生涯を全うして天国へ旅立たれました。先生はラブ・ソナタを全国で開催され、自費で日本の救霊のために命を捧げた愛の人、祈りの人、実践的な牧会者であり、霊的な著書も多数あります。本当に惜しい人を天国へ送りました。神に栄光あれ!!

2011/8/14 週報メッセージ

   礼拝者の心得
                                                                                                        朝位 真士
  8月1日~2日、最寄牧師会で各教会(M、KK、KM、S、SK、C教会)の近況を語り合い、学びの時をもった際に、KM教会の「礼拝者の心得」という手引きが私の心に大変強くとどまったので転記します。
 礼拝者の心得 ー 教会の礼拝は、聖書に示された神とイエス・キリストを、神の民の共同体として礼拝する時です。教会は、初代教会時代から今日まで、主日ごとに礼拝を守り、代々の教会員はその礼拝に加わることを、信仰生活の基本としてきました。その重要な礼拝を守る上で、以下の事柄を心にとめましょう。
 (1)礼拝のために祈りましょう ー 礼拝のことを祈りおぼえることはキリスト者にとって基本的なことです。
 (2)礼拝に遅れないようにしましょう。
 (3)前から順に座りましょう。
 (4)聖書朗読や祈りの間は、礼拝堂の入口でお待ちください。
 (5)感謝と献身のしるしとして献金を捧げましょう。ー献金は、神様とご自身を十字架によってお与えくださったキリストに対する感謝の献げものです。献身のしるしとして、祈りつつ心を込めて捧げましょう。
 (6)アーメンと唱和しましょう。ー「確かにその通りです」という意味です。
 (7)聖書と讃美歌(聖歌)はもとの場所に戻しましょう。
 (8)お子様は、遠慮なくお連れください。
 私はこの「礼拝者の心得」を改めて読み直して、礼拝に対する気持ちが変わってまいりました。1週間、本当に神様のお助けとお守りがなければ、礼拝に出席することができません。「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12・1)

2011/8/7 週報メッセージ

   牧会雑感
                                                                                                           朝位 真士
  「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。」(Ⅰペトロ4・7~8a)
 最近は自然災害が頻繁に起こっています。地震や、台風の影響による大雨洪水、土砂崩れ、川の氾濫など不安要素が多くあります。私は最近一つの小冊子に出会って大変感銘を覚えています。その名は「人生の基盤が揺るがされる時」で、著者は神田英輔先生(前日本国際飢餓対策機構総主事)です。先生は東日本大震災の大地震・大津波発生の様子を現地視察に行かれ、この小冊子を書かれたようでした。その中で「安全が崩れ去った」と語っており、「安全志向」の裏にあるものは不安・恐れであると言っています。「日本研究の大家リチャード・サムエルスは『不安・恐れの心』が日本社会を動かす基本的な力であると結論づけている」と語り、「この時、新たな生き方への飛躍は安全志向を超えるもの、愛である」と語っています。そして、「大胆な生き方への転換は『創造主である神』を信じて生きることであり、その幸いを味わうことはなんと素晴らしいことでしょう」と語っていました。信仰をもつことによって労苦がむだにならないと、聖書の引用がなされていました。
 「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(Ⅱコリ15・59)
 「主のわざ」とは何か。「あなたがたが神が遣わした者を信じること。それが、神のわざです。」(ヨハネ6・29b)
 是非皆様この冊子を手に取ってお読みくださり、他の人にもお渡しください。無料(献金)です。私はこの年、このトラクト三百五十部を配布するつもりです。お祈りください。

2011/7/31 週報メッセージ

   ホ群首都圏夏期聖会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  第22回(通算58回)ホーリネスの群夏期聖会が、7月25日~27日まで、ハートピア熱海で、首都圏ホ群22教会、神学校、73名出席で開催された。今年の主題「あなたがたは聖なる者となりなさい」(Ⅰペトロ1一・16「『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである。』と書いてあるからです。」)のもと、5回の聖会、聖化講演、早天祷告会、2回の分団が行われた。
 聖会Ⅰでは、Y牧師がⅠペトロ1章を通して「賛美と命令に生きるキリスト者の生き方」と題して語られた。まずペトロの手紙一の全体的な緒論で、特にキリスト者達が試練の中にあるにもかかわらず、主なる神の恵みを味わい知り、信仰に堅く立ち、善を行い、励ますために書かれたことを述べられた。教会のメンバーがただキリスト者であるという理由で意地悪され憎まれることに対して、苦難のキリストの模範を示して試練に耐えるように勧めています。
 聖会ⅡではO牧師がペトロ二章より「聖なる者となるために、慕い求めなさい。主のもとに来なさい」と語られ、聖会Ⅲではペトロ3章より「弱い者に対する配慮」、特に妻に対する配慮を強く訴えておられました。また震災にあわれた教会の被災状況を生々しく語られました。
 聖化講演では、Y牧師が「聖きに生きる」というテーマで、学識高い内容のレジメを用意してくださりました。聖会Ⅳでは、ペトロ4章を通して、終末期に生きるキリスト者の生き方を詳しく語られました。「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず心を込めて愛し合いなさい。」(7~8節)祈り、愛し、賜物を用いよというメッセージに強く反応がありました。
 私の担当した聖会Ⅴは、皆様がお聞きになっていますので、割愛させていただきます。

少し涼しいここ数日

イメージ 1知らずに蚊に刺されて、かゆい思いをするというような夏の季節です。
蚊取り線香をつけて、クラシックな蚊対策をして過ごしています。
今日は、夏の猛暑の谷間なのでしょうか、少し涼しい朝の中、教会の礼拝に出席することができました。
 
礼拝の最後に、1分間の祈りを各自がすることに、先週の礼拝からしております。
 
とても素敵なことと改めて感じております。
 
日ごろ、静かに時を過ごすことは、わたしたちの苦手とすることでもあるような気がします。
1分間でも、静か主に向かってお祈りをすることができる幸いをかみしめつつ、霊の灯をともしつつ、この夏も力強く歩みたいと考えています。
 
 

2011/7/24 週報メッセージ

   祈りの祝福
                                                                                                           朝位 真士
  先週の礼拝の報告の後、全員で1分間黙祷をするようになり、あまり祈りに慣れておられない方はとまどいを感じておられることと思います。祈りとは神と人間との対話であり、秘義に属するものであり、不可能と見える祈りを可能にする背景は聖霊のお働きであり、神の一方的愛にほかなりません。そして祈りは神に対する最大の行為です。
 祈りの形態は、①密室の祈り(個人での祈り。毎朝そして就寝前少なくとも10分は一人で神の前に静まり、神との語らいが必要です。)②協同の祈り(共通の祈りの広場に持ち出されて協同の祈りとなります。)③公同の祈り(祈りの代表性・とりなし性を意味するものです。教会の公同礼拝では、牧会祈祷がささげられます。公同の祈りでは、祈りのための準備が必要であって、行きあたりばったりであるべきではありません。)④特殊な場合の祈り(臨終に立ち会ったときとか、結婚・出産・葬式、その他精神的また経済的危機にある人のための祈りなどです。)
 祈りの態度。祈りはおろそかにされています。日本の教会では祈祷会をしていないところが多くなっています。
教会や信徒のあらゆる問題は、祈りをおろそかにしているところから起こると言ってもよいくらいです。ある人は祈りをおろそかにしていることを合理化しようとして巧みな理論を立てます。しかし結局のところ祈りが実行されず、祈祷会が振るわない最大の理由は、本当に祈りは聞かれるということに確信と経験がないからでしょう。聖書の中には
667の祈りがあり、そのうち454の祈りがはっきりと聞きとどけられていることが記されています。神との密接な関係に立とうと思われるなら、祈りによる以外に方法はありません。私共は祈りの祝福を経験しましょう。

2011/7/10 週報メッセージ

   ある牧師の著書より思う
                                                              朝位 真士
  福島で被災された教会のS牧師の著書『流浪の教会』、『順風よし、逆境もまたよし』、『「苦しみ」から生まれるもの』等を読み、また本人の被災前後の体験を聞き、非常に大きな感動を覚えた。先生は、福島の原発近くに5つの会堂を30年近くの間に建設された。特に2009年には100年先を見据えた会堂建設をされた。しかし、2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の巨大地震、津波、原発放射能汚染が発生して、教会付近一帯は立入禁止となり、約60名の信徒と流浪の旅が始まった。現在も続いている。先生は『流浪の教会』の中で次のように述べています。
 
  聖書がいう最終的な結論はこうです。私たちの一生を神様は本当に素晴らしいものにしてくれます。……今 後の人生で「あの時のことを考えたら、耐えられないことは無いな」と強くなる可能性が大きいと思います。  
 「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。……試練と ともに脱出の道も備えてくださいます」と確認致しました。
  私たちは今すべてが剥ぎ取られ、日常の一切が無くなりました。そして必要なものはそんなにたくさん無い 
 ことを知りました。本当に大切なものは、キリストと、お互いの結びつきです。……私たちの群れは、初代教
 会が散らされたように散らされました。
  先生は、著書の中でも講演でも、信仰にとって最も大切なものは持ち物(会堂、組織、会員)でなく、主イエス・キリストを信じる信仰に尽きると語られました。有能な牧師、成功した牧師、多くの信者を有する牧師の語ったことの中で、「目に見えるものは、すべてなくなっていくが、主イエス・キリストとの信仰の結びつきは、いつまでも失うことはない」と涙ながらにうったえておられたことが、私の心に強くとどまりました。

2011/7/17 週報メッセージ

   礼拝報告の後、全員で祈りを                                                                 
                                                                                                       朝位 真士
  先日の役員会で、教会はもっと祈りの時を持ちたいという提案がなされ、全員が祈れる時は何時かという話し合いがなされ、礼拝の報告の後に全員で1分間黙祷をしましょうということになりました。
 さて、祈りとは何でしょうか。聖書事典を引用すると以下の通りです。
 
  神と人間を人格的に結びつける対話(コミュニケーション)の手段。聖書において祈りは一方的なものでは
 なく、対話であることが重要である。神は、人間に祈ることをまず求められる。「わたしを呼ぶがよい。苦難
 の日、わたしはお前を救おう」(詩50・15)と叶えてくださる方でもある。
  旧約には多種多様な祈りが含まれる。内容は賛美、感謝、懇願、嘆き、罪の告白など様々であり、個人の祈
 りもあれば共同体の祈りもある。
  新約には、特に福音書の報告によれば、イエスは祈りの人であった。しばしば一人で祈られた。イエスの祈
 りの例として、マタイ11・25~27、ルカ10・21~22における祈り、ゲッセマネにおける祈り(マタ27・46、マ
 コ15・34、ルカ23・34、46)。「主の祈り」はイエスが弟子たちに教えられた祈りでもある(ルカ11・1~2)。
 
 早速、祈りの課題を提示します。①受洗者が与えられるように。②教会財政健全化のため。③ホ群首都圏夏期聖会(7月25日~27日)。④特別礼拝(湯本春実先生、7月31日)。⑤東日本大震災の復興のため。
 全員で祈ると同時に、個人の密室でも祈っていただきたいと思います。一人一人の霊性向上と教会全体の霊性向上を祈ります。                          

7月いよいよ夏本番ですね

イメージ 1毎日、暑さが日増しに強くなってきています。
地震から4カ月が経過するところです。
皆様におかれましては、暑さ対策など工夫しながら、健康が守られて、過ごせるよう祈りつつ生活をしておられることと存じます。
便利さに感謝しつつ、個人的にできることはなんだろうと思います。我慢に限界がありますが、生活の質を変えることってどんなことなのだろうと考えます。
 
朝ごとに主に出会い、祈り、生活を始めることにヒントがあると確信します。
忙しいと、ついつい、このような基本を守ることができず、過ごしやすいのですが、祈る時も、このような場所でなければならないという」ことはないと思います。
 
わたしは、電車の中でも、食器を洗う時でも、主に出会い、祈ることができると思っています。
 
被災地にも、暑い夏が訪れ、大変なことと思いますが、いつもわたしたちにできるところから、継続できることをしたいと考えています。
明日は、聖日礼拝があります。暑いですので、お気をつけてお越しください。
 
 
 

2011/7/3 週報メッセージ

   牧会雑感
                                                                                                          朝位 真士
  「人間の心は、自分の道を計画する。
  主が一歩一歩を備えてくださる。」(箴言16・9)
 私は1961年12月24日に北九州復興教会山中日出刃牧師により受洗した。18歳の多感な青年であった。以来今年で50年目を迎える。
 1969年にサラリーマンとして東京勤務になり、淀橋教会、小原十三司先生、峯野龍弘先生の指導を受けて東京聖書学校に1971年4月入学して、1975年3月卒業した。信徒伝道者として3年間過ごし、1978年准允を受けて伝道師となり、1981年按手礼を受けて牧師となった。北九州復興教会の副牧師として19年間、3人の主任牧師(山中先生、原田先生、三枝先生)に仕え、1994年、桜ヶ丘教会に西海静雄先生、満希子先生の後任としてフミ子牧師とともに赴任した。1997年、新会堂が与えられて、多額のローンも信徒の方々と求道者の方々、朝祷会、教団、地区、ホ群の方々のお祈りと支援により完済させていただいた。その間、教会関係の30名近くの方々の告別式の司式と、数件の結婚式の司式をさせていただいた。
 最近うれしいことが一つあった。息子の憲義兄が献身し、神学校を卒業して神奈川教区で准允を6月25日に受けた。現在神奈川教区の藤沢教会の伝道師として奉仕している。私が准允を受けて33年目に、当時幼児であった息子が献身して伝道者の道を歩み出した。親バカかもしれないが正直うれしいことであると同時に、彼が伝道者の生涯を全うできるよう、皆様の祈りを切に要望したいと思う。一人でも救われる人が与えられることを祈る。