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9月の声を聞いて

イメージ 19月になっても、暑さは厳しい状況です。
そして、台風10号の爪痕の大きさ、被害は甚大なものでした。
現在も台風が来るとということで、わたしたちは心配するところです。
北海道、岩手県の川の氾濫の映像を見るにつけ、いま、避難所で生活をおくられている方々のお気持ちを考えるときに、言葉が見つかりません。
しかし、必ず主は助けてくださることを思い、一日もはやく日常生活が戻ることを願い、ひたすら祈ります。
さて、9月第1日曜日の礼拝は、「神の御子の権威」という題で、お話をいただきました。
主イエス・キリストは、神の御子として生まれ、父なる神様の働きを現実の地上で行われたということ。
神の技は、旧約の時代は預言者を通して行われたが、イエスの時代は、直接イエス・キリストによって、なされたということ。
奇跡は、天上の神の技が地上に現れたものである。
イエスは、歴史的事実として、示されたとのこと。
メシア(救い主)性について、そのことの自覚をイエス・キリストも十分にしておられた。イエスは、自分が神の子として考え、活動する使命を知っておられ、この世にあって、孤立せるものとして立っておられた。
そうして、『命を与える』という、永遠の命について授与することができるという権威を持っておられたということ。
救われる者、滅びるものとを分けられるために来られた。
(このことを聞くと、どっきとしてしまいますが。)
イエスに従い、その声を素直に聞くことがが救いへの道。
イエス・キリストの神性を信ずるときに、神の恵みに預かることができるということ。
滅びの道へ進むことも、わたしたちは選んでしまうことができます。しかし、日々の訓練において、立ち返り思いを悔い改めて、聞き従うものになる道も歩くことができます。
イエス・キリストは愛の御方でもあります。イエスの深い愛を覚えつつ、イエスに従うことの意味を考えて過ごしたいと思いました。
暑い日が続きます。霊肉が守られますようお祈り申し上げます。

10月30日(日)の音楽の集いについて

       10月エリム会による「音楽の集い」についてのお知らせ

桜ヶ丘教会「エリム会」は、男女年齢を問わずどなたも参加いただける会です。第5週目の日曜日午後に開催し、お茶を飲みながら様々なトピックのお話や、聖書の学びなどをしております。

10月のエリム会では、当教会のピアノ奏者でもある山口夏実さんに、ボサノバの音楽を演奏していただくことになりました。「音楽の集い」ということで、興味のある方どなたにもご参加いただけるよう企画しました。
ボサノバは1950年代にブラジルのリオで生まれた新音楽ということです。リオ五輪の年に、是非、ボサノバの音楽に触れてみませんか。

なお、演奏前に朝位フミ子牧師による「教会音楽の歴史」についてお話をいただきます。教会で私たちが声を出して賛美の歌を歌うことができるようになった歴史を踏まえ、音楽をお楽しみいただければと思います。<桜ヶ丘教会 エリム会>

  山口夏実さん・犬塚彩子さん(ボッサ・エテルナ)によるボサノバ
ブラジル・ポルトガル語の歌声に、ギターとピアノで奏でる甘く爽やかなボサノバの音色、ブラジル音楽の神髄を追及するボサノバデユオ による音楽のプレゼント
(ボッサエテルナのお二人を紹介します)

 犬塚彩子さんの紹介愛知県岡崎市出身。ファッションの学校を卒業してから独学で歌い始め、ソ ウル、ロック、ジャズを経てボサノバ・ギター弾き語りとたどり着く。

 山口夏実さんの紹介3歳よりピアノを習い始め国立音楽大学教授児玉氏に師事。クラッシク音楽を学びながらポップス音楽にも親しむ。キリスト教系学校の関係から教会で奏楽に従事。
 開催日時:2016年10月30日(日曜日)13時30分~
 参加費:500円(茶菓・資料代等)
 場 所:桜ヶ丘教会 





暑い8月の中で

イメージ 1写真:K・Kさん提供
今日は曇りの1日です。
暑さも厳しさが増しておりましたが、曇りの今日は少しほっとしています。
しかし、台風がまたやってくることを思うと、自然災害が拡大しないようにと祈る気持ちでいます。
各地の台風が去った後の爪痕をテレビで見ます時に、自然の力の前にどうすることもできない私たちの現実を考えさせられます。
また、イタリアの地震もとても気になります。多くの方が犠牲になられたというニュースに心が痛みます。
大災害の前に祈ることしかできません。「主がお慰めくださることを、力を与えてくださることを、最善の道を備えてくださることを」
引き続き祈り続けていきたいと思います。
さて、過ぐる8月日曜日における牧師先生のお話は、見ないで信ずる信仰によって、どのようにイエス・キリストの恵みに預かることができるかということでした。(ヨハネによる福音書を通して)
しるしを見て信ずるのではなく、イエス・キリストの言葉を聞いて信じた人々が、罪赦されて、癒されて、立ち直っていくことができたということです。
水をくみに来た罪に悩むサマリヤの女、息子が病気のカファルナウムの役人、38年間も病気で苦しんでいたベドサダの池の病人と、それぞれが、どのようにイエス・キリストに出会い、その恵みにあずかることができたのか。
わたしたちも、日々の生活の中で、しるしを見ないで信ずる心を忘れかけるときがあります。
「ヘブライ人への手紙11章1節」に信仰とは何かについて記されています。
  <信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。>
明日は、8月28日(日曜日)10時30分~礼拝があります。
「神は今も働く」という題でのお話です。

2016/8/21 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」Ⅲ                                                                 
                                                                                                         朝位 真士
 
  講演Ⅱ、大住雄一先生(東京神学大学教授)、「幻を語り合う」。
 序、私たちは伝道の幻を語り合おうとしています。しかし、私たちが今見ているものは何でしょうか。それは、主イエスもすでに直面しておられたことです。(1)伝道の困難な時代ー笛を吹いたのに踊ってくれなかった(マタイ11・17)。そもそも宗教が困難な時代ー宗教とか終末と言ったとたん毛嫌いされる。耳障りのよい話ばかりが好まれる(Ⅱテモテ4・3)。人間の本当の問題や苦悩に直面できない。なんでも「ありのまま」で(が)よい時代。(2)伝道献身者が立てられない時代。リバイバルが起こっても、それに対応できない教会。専従の牧者がいない教会はいよいよ衰退する。(3)伝道献身者が送られるように祈っているか。祈りの課題として認識されているか(マタイ9・38)。(4)教会の高齢化。
 1、教会には将来がない? 老齢(90歳以上)になって受洗された人は恵みではないか。高齢者による伝道は意味がないのか。力に欠けるのか。そんなことはない。
 2、それにもかかわらず、「収穫は多い」(マタイ9・37)。伝道の幻に見ているものー主イエスも、困難の彼方に望み見ておられたこと。(1)主イエスの業としての伝道。主がすでに先立っておられる。「ここまで来い。」「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」(マタイ28・7)(2)シラスとテモテが追いついてきてパウロがテント張りをやめ、み言葉を語ることに専念すると、パウロ迫害が本格化する(使徒18・5~6)。自分たちの中から伝道者が立てられ、自分たちがこれを支えるために祈る。(3)私たちの挫折は、神の挫折にはならない(Ⅱテモテ2・9)。私たちがたとい不誠実でも、神の誠実は変わらない(Ⅱテモテ2・13)。(4)先立ちたもう主を幻に見る。幻に見て喜ぶ。

2016/8/14 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」Ⅱ
                                                                                                                         朝位 真士
  前号に引き続き二人の講演の内容を簡単に記載します。
 講演Ⅰ、岩間剛先生(山口福音教会牧師)、「この群から出てくる」(ゼカリヤ10・4)。序論、先生の今までの歩み。本論1、2004年教会のビジョン決定、十の教会(千名)と150人礼拝。(1)教育と訓練。チャーチスクール(2004年)、神の人を建てあげるスクール。信仰塾(クリスチャンホームの子供対象)。地方伝道のための神学校。(2)礼拝の変革ー若者にも焦点を合わせた礼拝。若者が増えていく中で二部礼拝にした。会堂取得。(3)伝道。①キッズ伝道、②留学生伝道、③家庭集会、④ゴスペル教室、⑤聞き屋、⑥私たちの群の会堂と礼拝。(4)交わりと祈り。①シルバーサロンー六五歳以上のクリスチャンを対象、②家庭集会ー若者の交わりやセルや主婦のセル、③メンズ・ミーティングー牧師と中年男性との交わり会、④金曜リバイバル集会、⑤毎月の合同礼拝と食事会(教会全体の礼拝と交わり会)、⑥キッズ祈祷会(キッズの奉仕者の祈り会)、⑦チャーチスクールの日に三度の祈り、イエス様時代の日に三度の祈りの回復。
 2、「この群から出てくる」ー何が出てくるだろうか。①「かしら石」が出てくる。偉大な信仰のリーダー。②「いくさ弓」が出てくる。福音の矢を携えて出てゆく勇者たち。③「すべての指揮者」が出てくる。各種のリーダーが出てくる。
 3、主に雨を求めよ(10・1)。①主に求めなさい。神に期待しよう。②神の訪れ。問題のあるご自分の群。「羊のようにさまよい、弱っている」状態。求めてゆくなら「神の訪れ」を経験する。戦場の素晴らしい馬のように変えられた。イエスの訪れ。「小さな群よ。」

2016/8/7 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」に出席して
                                                                                                        朝位 真士
  7月26日(火)~27日(水)まで、市川サンシティホテルで「第四八回日本伝道の幻を語る会」に出席した。テーマは「今こそ福音の時」ーこの終末の時代にー、主題聖句はマルコ1章14~15節、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」
 講師は柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院理事長)で、「生きること、寄りそうこと」というテーマで語られた。ホスピスという臨床の場で約2500名の患者さんを看取り、お一人おひとりの人生の総決算の場面に参画されて、人が生きること、生きることに寄りそうことを通して、良き死を死すためには良き生を生きる必要があることを学んだ。そして良き生のキーワードが「感謝」であることも教えられた。周りの人々に感謝して生きてきた人は、臨終の床で周りの人々から「ありがとう」と感謝の言葉をかけられる。良き生のもう一つのキーワードは「散らす人生」である。時間を自分のために使うか、人のために使う(散らす)かによって、その人の人生の色合いが決定する。
 次に岩間剛先生(山口福音教会牧師)が、ゼカリヤ一〇章四節から「この群から出てくる」というテーマで、Ⅱコリント5章13~17節を通して「今こそ福音の時」と題して語られた。地方教会の困難の中から、積極的に宣教の業が進展されている。2004年に「この群から出てくる」という教会の大きなビジョンが与えられた。2040年に、1000名会堂と1万人礼拝というものである。2016年時点で、五つの会堂と150人礼拝を有している。最後に大住雄一先生(東京神学大学教授)で、「幻を語り合う」というテーマで語られた。1、伝道の困難な時代。2、それにもかかわらず「収穫は多い」。(マタイ9・37)(1)主のわざとしての伝道、(2)シラスとテモテが追いついて来て、(3)私たちの挫折は神の挫折にはならない、(4)先立ちたもう主を、幻を見る、幻に見て喜ぶ(イザヤ2・1~5)。主の言葉がそこで語られているからである。

7月31日の礼拝に思うこと

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写真:K・Kさん提供
7月第5誠実の礼拝は、朝位真士牧師によるお話で、「イエスとサマリヤの女」についてでした。
聖書箇所はヨハネによる福音書4章第1節~26節です。
サマリヤの一人の女性が、イエス・キリストに出会い、信仰を持つようになったお話でした。
この女性は罪も深い女として描かれています。
また、当時のユダヤ人はサマリヤ人を軽蔑していたということで、ユダヤ人のイエス・キリストが、この女性に話しかけられるということは、驚くべきことであったと考えられます。
まず、イエスは、自分を低くされて近づき真の神様についてお話をされたということです。
伝道のためにへりくだる熱心さと、主の知恵と愛が溢れていたということです。イエスは、水汲みに来たサマリヤの女に「水を飲ませてください」と言われたのです。
「ユダヤ人のあなたがサマリヤの女のわたしに、どうして水をほしいとと頼むのですか」と女は聞きます。
「もし、あなたが、神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことだろう」とイエスは答えられます。
わたしたちも、ここで、生きた水とはどんな水?と思います。
お話では、「生ける水は求めて得られる神の賜物である」ということです。
イエスは、井戸の水をさして「この水を飲む者は誰でも渇く。しかし、私があたえる水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧きでる。」と言われます。
この話をきき、女は生ける水をほしいと言いますが、イエスは、女についてその過去を言い当てます。女は、とても驚いたことと思います。生ける水を飲む前に、罪なる過去を捨て去り、罪の生涯から離れなければならないということです。
「渇くことがない水、さらに、飲めば泉となって湧き出る水」を、想像するとどのような水なのかと思いがめぐっていきますね。『神の賜る恵みは、こんこんと湧き出る泉の生ける水のように、私たちの心の中に湧き出て尽きることはない。喜びも力も愛も、この泉から湧き出て流れる恵みの流れである。自分の力で絞り出すものではなく、枯れることがない生ける水、すなわち永遠の命に至る水で、尽きることがない。』というお話を伺いました。
そして、イエスは、イエスを通し生ける水を与えてくださる神について、礼拝する場所は、山でもなくエルサレムでもないところであるとも言われます。
「霊と真理をもって礼拝する時が来る。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と言われます。
「キリストの体なる教会」では、礼拝を日曜日ごとに捧げます。教会は教会堂の建物ではなく、神によって召し出された者たちの集合体を意味すると言われています。それぞれが仕え、教会を建て上げています。
わたしもサマリヤの女のように、イエス・キリストに出会い、教会に行くことが許されています。
「教会ってなんですか」、答えは「キリストをかしらとしたキリストの体です」ということですので、私たちは、体の一部として、誠を尽くして働き、霊と真理をもって礼拝を捧げたいと思います。

2016/7/31 週報メッセージ

   『キリスト教について本当のことを知りたい』の本より
                                                                                                           朝位 真士
 
  最近、尾山令二先生が著した右記の本に大変大きな示唆を与えられました。「キリスト教とほかの宗教の根本的な違いは、どこにありますか。」という問に対して、大きく二つの点が挙げられています。一つは、神をどう見るかということで、もう一つは、人間をどう見るかということです。キリスト教では、信仰の対象を重視します。信じて、救ってくださる神なのかどうかを重視します。
 次に、人間をどう見るかということについて考えてみましょう。キリスト教の人間観は、いくら良いことを教えられても、それを行うことができないという人間観です。この罪というのは、いわゆる犯罪のことではありません。犯罪というのは法律に違反するということで、人間の作った法律を犯さなければ犯罪者とはなりません。しかし、聖書が人間を罪人という場合、それは神が制定された律法違反なのです。神が制定された律法とは、具体的にはモーセの十戒によって示されていますが、それをもっと別の言葉で言い替えると、全身全霊をあげて主である神を愛すること、自分を愛するように隣人を愛することに要約されます。私たちは、思いと言葉と行いにおいて神の律法に違反した罪人です。罪というものは、いつでも罪を犯した人に対して償いを要求する力を持っております。その力が効力を失うのは、二つの場合しかありません。償いがなされた場合と、罪を犯した人が死んだ場合です。ですから、キリストの十字架上での身代わりの死こそ、私たちの抱えている罪という問題を解決するという点において、ほかのいかなる宗教とも違うと言うができるでしょう。
 まこと簡単明瞭に語っています。

人生の目標を目指して

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写真:k・kさん提供
7月24日の礼拝のお話は「人生の競技」というテーマで、朝位フミ子牧師によるお話でした。
人生の目標について、考えさせられるお話でした。
スポーツの祭典2016年オリンピックももうすぐ始まります。
アスリート達は、オリンピックの出場に向けて日々訓練を重ねて、一握りの選ばれた方々が出場し、賞を得ることができます。
わたしたちは、人生においてどのような目標をもって歩き、走り、そして賞をえることができるのでしょうか。
聖書
フィリピ人への手紙
    第3章13から14節
「兄弟たち、私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
わたしたちは、与えられた人生を歩む中で、イエス・キリストに出会い、罪を赦されて、新たに生きることが許されています。この新たなスタートラインに立って、日々歩みますが、主の訓練の内容は、人によって様々ですね。
後ろのものを忘れて、前のものに全身を向けて歩むには、勇気も必要です。
ただ神がイエス・キリストによってお示しくださる賞を得るために歩むということは、どのようなことなのかと改めて考えさせられました。
命あるものは、この神様の競技の祭典に、誰でも参加できます。ビリでも、完走すれば良いということ。
神様の競技には、トレーナーとしてイエス・キリストが側にいてくださり、導いてくださるということを教えていただきました。そして、神様の賞を得るためにあきらめずに、走り続けることが大切なことと教えていただきました。
今週は、梅雨も明けて暑くなりそうです。霊肉を強めていただき、歩いていきましょう。

2016/7/24 週報メッセージ

   27回ホ群首都圏夏期聖会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  主題「起きよ、光を放て」(イザヤ60・1)
 ホ群結成70周年記念の一環として始まった。7月19日~21日まで、ハートピア熱海で開催され、出席者69名。席上献金198、560円、予約献金536、000円、合計734、560円。開会聖会、司会澤田直子師、メッセージ柏明史師、「活き活きとした交わりに生きる喜び」(イザヤ60章1~2節、エフェソ2章4~10節)。聖会Ⅱ、司会森浩師、メッセージ朝位真士、「主のみこころ」(エレミヤ29章4~23節)。早天聖会Ⅲ、メッセージ坪内時雄師、「わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16章33節)。聖化講演、司会小林則義師、講演大友英樹師、「ホーリネスの群は教団信仰告白の聖化信仰をどのように告白するか」。聖会Ⅳ、司会島隆三師、メッセージ深谷春男師、「贖い・愛・臨在」ー起きよ、光を放てー(イザヤ43章1~5節)。早天祷告会、A富山希望師、B野口佳男師、C佐々木千沙子師による指導。分団も2回開催。閉会聖会、司会森田聖子師、メッセージ横山基生師、「生き生きとした希望」(Ⅰペトロ1章1~12節)。以上のプログラム概要であった。
 私は聖会委員の一人として、大変祈りを要した聖会であった。特に人数の減少である。昨年より約2割5分減であった。〆切の6月の時点では48名の申込であったが、皆様に祈っていただき、私も祈り、最終的に69名与えられた。献金も大変危ぶまれていたが、結果的には昨年より3割増額であった。私は祈祷の力の偉大さをあらためて教えられた。ホーリネスの特徴「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝せよ」(Ⅰテサ5章16~18節)の通り、今も昔も主イエスの御言葉の力は生きている。桜ヶ丘教会のため、ホーリネスの群のため、日本宣教のため、皆様のお祈りを切願する。