写真:何と素敵に日常が輝いているのだろう(K・Kさんの自信作)
<2009年 桜ヶ丘教会に与えられた御言葉>
希望の源である神が
信仰で得られるあらゆる喜びと 平和とで
あなたかたを満たし
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように
「ローマ人への手紙 第15章13節」
写真:何と素敵に日常が輝いているのだろう(K・Kさんの自信作)
<2009年 桜ヶ丘教会に与えられた御言葉>
希望の源である神が
信仰で得られるあらゆる喜びと 平和とで
あなたかたを満たし
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように
「ローマ人への手紙 第15章13節」
09年ホ群首都圏新年聖会に出席して
牧師 朝位 真士
1月2日(金)午後1時30分~5時迄の2回、教団更生教会で開催されました。テキストはⅡコリント6章14節~7章1節、主題聖句は「愛する人たち、わたしたちは、このような約束をうけているのですから肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者と成りましょう」(7・1)でした。
1回目のメッセンジャーは大友英樹師で、Ⅰコリ14章全体を通して、異言と預言についてわかりやすく語ってくださいました。特に心に残った御言葉は「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。しかし、私は他の人たちをも教えるために、教会では異言で1万の言葉を語るより、理性によって5つの言葉を語る方をとります」(Ⅰコリ14・18~19)でした。教会の徳、人々の徳を高める言葉を語るようにというメッセージは心にとどまりました。
2回目のメッセンジャー東海林昭雄師は、Ⅱコリ6章14節~7章1節を通して「聖なる者となりましょう」という題で語られました。キリストに在りて聖徒と見倣していただけなければ、私共は「聖徒」と呼ばれるにはとても程遠いお互いです。生ける神殿である私たちは聖なる者となるべきだと語っているわけです。先生は忠実に聖書の言葉を説き明かしてくださいました。信仰生活の中に不釣り合いな軛、ルーズさがないか。信仰に生きているつもりでも、世の人とどこに違いがあるか。真に深厚に徹しているかどうか。ここで5つの問いがありました。①正義と不法とにどんな関わりがあるか。②光と闇とに何のつながりがあるか。③神の神殿と偶像にどんな一致があるか。④信仰と不信仰に何の関係があるか。⑤肉と霊とをあらゆる汚れから清めているか。私たちに5つのチャレンジを与えてくださいました。
<標語>
「実を結ぶ生活」
もし人がわたしにつながっており
また わたしがその人とつながっておれば
その人は 実を豊かに結ぶようになる (ヨハネによる福音書第15章5節)
牧師 朝位 真士
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(「ローマ人への手紙第15章13節」)の御言葉が与えられました。
教会の年度は4月から3月迄です。2008年度はあと3ヶ月ありますが、2009年度からは宣教150周年記念イベントが各地で開催されると思います。
わが桜ヶ丘教会も開拓86年になります。
4月以降の特別集会を3つ予定しています。
1つは、5月か6月頃にチャペルコンサートを開催します。岸義弘先生のテナーサックス演奏とメッセージがあります。
10月頃には、元ヤクザの親分であり、刑務所に服役していた鈴木啓之先生(現在は牧師と府中刑務所の教誨師)をお迎えしての特別集会を日曜日の午後3時頃に予定しています。
12月には、チャペルコンサートで、ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えして、チェロ演奏とクリスマス・メッセージを予定しています。今年で、11回目になります。
以上のように、特別集会を3つ予定しています。
そのために、今年は、牧師、役員、信徒のスタッフで伝道委員会を作り、地域伝道のために皆様の賜物を発揮していただき、キリストの体としての教会の活性化と発展、成長を祈って参りたいと思います。
地域の方が親しみやすい教会として、また、教会に来られる方々が、教会を自分の家族としてなんでも話し合い、祈り合い、助け合うコミュニティセンターとして、キリストの体が具体的に生きた活動をさせていただきたいと祈っています。
2009年度は、積極的な宣教活動と同時に、教会員の方々の賜物を活用して、例えばインターネットのブログを利用して情報を発信し、遠方の方が桜ヶ丘教会を忘れずに祈っていただけるようにしていきたいと思います。
牧師 朝位 真士
2009年、新年あけましておめでとうございます。
今年与えられた聖句は、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」
(「ローマ人への手紙第15章13節」)です。
ローマ15・13を中心に御言葉を見ていきましょう。口語訳では「どうか望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平和とをあなたがたに満たし、聖霊の力によってあなたがたを、望みにあふれさせて下さるように」とあります。
望みがある人には喜びがあるのです。望みの神、希望の神はどういう喜びと平和をお与えくださるかというと、それは「信仰」から来ると書いてあります。
信仰があらゆる喜びと平和を満たします。
私は、特に「希望」に絞って考えていきたいと思います。「希望」は、古代ギリシャにおいては、パンドラの箱に象徴されるように、はかないものと考えられていましたが、聖書においては、信仰・愛と並んで
きわめて重要な概念の一つと数えられています。
旧約聖書の宗教は、よく希望の宗教と言われるように、「主を待ち望む」という表現が詩編イザヤ書に多く見られます。
新約聖書において、「希望」について述べられている有名な箇所は、第1コリント人への手紙第13章13節「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る」というところです。
希望が、信仰や愛と同格のものとされています。ヘブライ人への手紙13・13「信仰とは望んでいる事柄を確認」することだとあります。
この世的な希望が消滅しても、キリストへの信仰による希望は、永遠に不滅であります。
2009年、新年あけましておめでとうございます。
今年与えられた聖句は、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」
(「ローマ人への手紙第15章13節」)です。
詳しくは週報メッセージをご覧ください。
牧師 朝位 真士
(上記写真は教会員K・Kさんの「2008 冬の中の風景」から提供いただきました)
12月28日(日)10:30~12:00は2008年最後の礼拝になります。
過ぎ行く2008年に感謝いたします。
桜ヶ丘教会では、朝位真士先生の力強いメッセージを毎週の礼拝でうかがうことができました。
また、特別礼拝を数回持つことができました。
6月に岸義紘先生、11月に金山良雄先生、12月にボーマン・ベアンテ、ルリ子先生をお招きし素晴らしいメッセージをいただきました。
お忙しい先生方が、桜ヶ丘教会に来てくださいました。岸先生、ボーマン先生ご夫妻には、毎年当教会で素晴らしいチャペルコンサートを開催していただいています。お話もわかりやすくて、感動します。
ムラサキスポーツ(株)代表の金山先生は今年初めてでしたが、「生きがいやりがい」という話から「恥は我が物、誉は主のもの」という先生の思いをお話いただき、何故かその言葉がついて出てくるこのごろです。
こんな素晴らしい贈りものを、わたしたち桜ヶ丘教会では、2008年にも神様からいただきました。
2009年1月1日(木)11:00~元旦礼拝があります。
毎年、牧師の朝位先生が、その年の桜ヶ丘教会が掲げる聖書の御言葉を発表されます。どうぞ、どなたもご参加できますので、元旦も教会へお出かけください。
2008年最後に、聖書の御言葉をお送りします。<マリアの賛歌 ルカによる福音書第1章47・48節>
「わたしの魂は主をあがめ わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。
今からのち、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」
クリスマスは、主イエスキリストがお生まれになられたことを祝うときです。
桜ヶ丘教会では、今日、12月24日クリスマスイブ、いつものようにキャンドルサービスをしました。
また、午後6時から、30分間、京王線桜上水駅前でクリスマスの歌を歌いました。(キャロリング)
クリスマスイブのひととき、主にあって平安の時をご一緒に過ごすことができました。当教会の家庭的な雰囲気の、小さな教会らしいイブの夜でした。朝位憲義神学生のクリスマスメッセージ、朝位フミ子牧師のピアノ演奏「音楽をあなたに」、キャンドルサービスにはマザーテレサの言葉の朗読がありました。
12月24日(水) 午後7時から
どなたでもお気軽にご参加ください。
当日は写真のキャンドルに灯がともります。
【クリスマスメッセージ】
朝位憲義神学生
題名「誕生してくださった方」
キャンドルサービス前に、午後6時からは、京王線桜上水駅前でキャロリングをいたします。どなたも参加できます。
キャンドルサービスの後には、朝位フミ子先生のピアノ独奏による音楽のひと時をご一緒に過ごし、イブの夜を楽しんでいただきます。
私の47回目のクリスマス 朝位真士
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2章11節)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)
今年もクリスマスを迎えることができ、心から感謝いたします。
私は1961年12月24日、クリスマス礼拝において北九州復興教会山中日出刃牧師より受洗いたしました。私を導いてくれた人は持田倫生君です。彼は高校の同級生で、同じマンドリン・クラブにいた非常に真面目で優しい人物でした。残念ながら2007年9月26日召天されました。しかし彼の長男、持田M君が横浜から教会に出席しています。さて話を戻しますが、私の受洗のきっかけとなったのは、1961年8月の高校生特別集会での牧師の説教でした。その年の12月、クリスマス礼拝でバプテスマを受けました。現代のように信仰講座も洗礼準備会もなく、ただ聖霊の導きとしか言いようのない導かれ方でした。本当に神様の一方的な恩寵であると心から感謝しています。
現代社会は大変不安な要素が多くあり、悩んでいる人が多くおられ、自殺者や犯罪が多発している先行き不透明な時代です。明日何が起こるかわからない時代です。私はこのクリスマスの時期に、一人でも多くの方が理屈を言わず、不信仰な気持ちにならず、マリヤの如く「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、また天使が「神にできないことは何一つない」(ルカ1・37-38)と語ったように、信仰の決断をされることを願っています。この時期にイエス・キリストを心の中にお迎えいたしましょう。