召天者記念礼拝を迎えるにあたって
朝位 真士
「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(ヘブライ11・16)
「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3・20)
葬儀後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられます。特別の基準はありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようです。死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからです。
教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活祭(3~5月)、地方によって8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んでいます。
今年は4人の方々が召天されました。一人目はA兄です。1月14日に召天されました。元NHKアナウンサーであり、大学教師として教鞭を取られ、アナウンサー教室の講師をされていたことをご遺族が語っておられました。二人目はK姉です。4月2日に召天されました。18歳で受洗して25歳でご結婚され、二子が与えられました。三人目はI兄で、6月3日に召天されました。奥様のお話では大変温厚なご主人であり、父親であられました。大学で金属の研究をされた方で、継続しておられたら大きな賞を得られたと思います。四人目はK姉です。7月1日に召天されました。お元気な時は、ご主人と礼拝・祈祷会に出席しておられたということが、K姉のお手紙に書いてありました。
四人の方々のご遺族ならびに今日記念礼拝を迎えておられる一人一人の上に神の祝福をお祈りいたします。
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10月も過ぎていきますね
写真:K/Kさん提供2012/10/28 週報メッセージ
宗教改革記念日に想う
朝位 真士
「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧師、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは、奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4・11~13)
10月31日は宗教改革記念日である。1517年10月31日、マルチン・ルターは、自らの純粋な宗教的心情からローマ教会の反省を求め、「罪の赦しはどこまでも、イエス・キリストの十字架を信じる信仰にあり、免罪符によっても、金銭によっても赦されることはありえず、教皇や教会にはその権威はなく、その力もない」と、ヴィテンブルグ城教会で95ヶ条提題を当時のカトリック教会に提出した。宗教改革記念日の起源である。
プロテスタントの三大原理は、①聖書のみ、②万人祭司、③信仰のみ、である。「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1・16~17)「正しい者は信仰によって生きる。」「生きる」とは「救われて生きる」といういみであり、「信仰によって」は、「信じるすべの人」に相対している。「義人」とは神の義を与えられた人のことである。救いを受ける上でキリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約と本質的に同一のものである。私たちは、行為によって、善行難行して救われるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって救われるのである。
2012/10/21 週報メッセージ
朝位 真士
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられる。」(Ⅱテモテ2・4)
伝道の秋、収穫の秋となりました。私たちクリスチャンは、今こそ救われる人が与えられることを祈る時期だと思います。
キリスト教の基本的な教理を、パウロがⅠコリント15・3で語っています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。」キリスト教福音の要素はキリストの十字架の死と復活です。それと同時に、聖書の中に記されているように、復活して四十日間地上の生活をされて、天に昇り、十日目に聖霊という姿で降って来られて、信ずる者と共にいつも一緒に臨在しておられるイエス・キリスト様です。
私は18歳で受洗して、51年目になりますが、今静かに人生を振り返ってみて、本当にあの若いときに神様を信じて受洗させていただき、大変幸福です。現在非行少年の施設で毎月1回、教養講話という時間が与えられて、十代の少年達に人生に於いて最も大切なことについて語っています。彼女達に語っていると、51年前に、あの若いときに救われた感動と感謝が湧き上がってまいります。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(コヘレト12・1) ハレルヤ!!
2012/10/14 週報メッセージ
朝位 真士
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(Ⅰコリ9章23節)
今年もバザーを11月18日(日)午後1時30分から開催することになりました。今回は特に2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災の支援献金という目的をはっきり打ち出していこうと思っています。そのため教会の方々全員の協力をお願いしたいと思います。すでに地域の方々からもバザーへ品物を持参していただいています。このバザーへの統括責任者として役員会ではS姉をバザー委員長に決定しました。各会から委員を出していただいて、第二日曜日の礼拝後に話し合いをもちたいと思います。
ここでもう一度、バザーの目的をあげます。①地域に開かれた教会として、人々に教会を知っていただく。②新しい方々や教会から遠のいている方々に、もう一度教会に来ていただく。③教会関係者の協力、交わりを計っていく。④収益金全額を東日本大震災の支援献金にさせていただく。日本キリスト教団は5年間の支援目標を10億円と掲げています。現在約6億円集まっています。目標達成の一助にしたいと思っています。教会関係者や地方の方々が同じ目標のために協力できることは大変素晴らしいことです。
「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Ⅰコリ10章31節)
2012/10/7 週報メッセージ
朝位 真士
日本の国民唱歌「ふるさと」という歌の中に「志を果たして、いつの日に帰らん。山はあおきふるさと、水はき
私たちにとって故郷とはいつか「帰る」ところです。しかし聖書は「もし出て来た土地のことを思っていた
のなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天
の故郷を熱望していたのです」(ヘブライ11・15~16)と語ります。
この信仰の父祖たちの姿をヘブライ人への手紙の著者は「仮住まい者」と呼び、この世と妥協するのではな
く、この世と戦い、またこの世の出生地という意味での故郷ではなく、われわれ寄留の民が行くべき、天の故
郷を指し示そうとしています。「寄留者」は、このまだ見ていない、しかしキリストによって啓示された神の
支配される天の故郷を「熱望して」歩むのです。
この神の国への旅人としての教会がなす、もっとも大切なことは礼拝です。ですからこの礼拝は「神の国の
祝福の先取り」「前味」という性格を持っています。そしてこの礼拝こそが私たちの伝道の第一の場だと思い
ます。
さあ、皆様、生かされている間、努めて「礼拝」に出席して「伝道」の使命を果たさせていただきましょう。
実りの秋
話をすることできました。

2012/9/30 週報メッセージ
第22回東京チャペル・コンサートに出席して
朝位 真士
9月23日(日)午後2時半~4時半迄、教団赤羽教会で東京チャペル・コンサートが開催された。音楽は、テナーのビョン・ホギル氏、ピアノ伴奏小西優子師。メッセージは嶺岸浩師(気仙沼第一聖書バプテスト教会)。先生は2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災によって、3年前に新築・献堂したばかりの会堂を流失したことを赤裸々に力強く語ってくださった。この3人の方々によって内容豊かな祝福に満ちた集会を開いてくださったことを心より感謝したい。
私の記憶に残っていることを断片的に記してみたいと思う。まず雅歌8章7節「大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。」次にヨブ記1章21節「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」そして一テモテ6章7節「……わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。」
嶺岸先生は25歳頃救われた。大変な読書家でいらして、蔵書が5千冊くらいあった。しかし大津波によって会堂ともども全て流失されたことを証しされた。今までは物に依存し、この世の知識や経験に頼り、自分の読書欲や教養を自慢しておられたが、一瞬にしてすべてのものを流失してしまった後、もう一度全知全能であるイエス・キリストの父なる神にすべてをお任せして生活することを示された。ただただ生ける主イエス・キリストを信じて従うことをされている姿に、私も自分の信仰の在り方を教えられた。一日も早い東日本大震災の復興がなされることを祈りつつ。
2012/9/23 週報メッセージ
朝位 真士
日本のプロテスタント教会の最大の教会員がいます。O牧師の『足の裏で四七〇歩』という本の10~11頁の文を引用させていただきながら、私の思いを語ってみたいと思います。
クリスチャンになって最も重要なことは、罪を悔い改めて、永遠の赦し、永遠のいのちをいただいたことで
す。もう死ぬことは恐怖ではありません。天国へ直行ですから、死は喜びの対象であります。……神さまから
いただいた身体ですから、健康に留意して、悪い習慣はやめて、心と体にプラスになることを大いにいたしま
しょう。すなわち、愛する者のために長生きし、お役に立つ生き方をするのです。
受洗後は、今までの自分中心、自分が一番の人生を意識的に変え、「イエスさまが一番」の生き方に徹する
のです。洗礼を受ける前の祈りの中で、罪の告白と共に「イエスさまを主として、心の中心にお迎えします」
と祈りましたでしょう。あれです。あのことです。
「イエスが主」「イエスさまが一番」の人生観を自分のものにしないと、一生、中途半端なクリスチャンに
なってしまいます。さあ、ご一緒に告白しましょう。私にとって「イエスは主です。」すばらしい世界の始ま
りです。
2012/9/16 週報メッセージ
エマオの道で
朝位 真士
米国合同メソジスト教会屈指の説教者、元アズベリー大学学長、デニス・F・キンロー先生の『霊想書』の2月20日の日課に「出し惜しみしない愛」(マルコ14・1~9)という記述がありました。「『イエスがベタニアで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。』(マルコ14・3)ルカ7章にはイエスがシモンの家で食事をなさった時の話が記録されています。その会食の最中に一人の女性が入ってきて、石膏のつぼを壊し、入っていた香油をイエスに注ぎかけました。そして涙でイエスの足を洗い、髪の毛で拭きました。ベタニアのマリヤが自分と家族にイエスがしてくださったことのゆえに香油を注いだという、出し惜しみのない愛でした。彼女は自分の涙で足を洗い、高価な香油を注ぎました。」
私はこの記事に出会った時に、三十年前の出来事を思い出しました。前任のK教会の副牧師をしていた時に、新会堂建築と、開拓伝道地での土地購入・建物建築というダブルの恵みに与ったことです。当時百数十名の礼拝出席があり、会堂が満員であったので、会堂建築という課題が持ち上がり、毎朝早天祈祷会が6時半から行われていました。十数名の熱心な方々が祈っていました。その中に一人の老年の医師がおられました。彼は毎朝約1時間かけて祈祷会に出席しておられました。質素な生活をされていて、古着を着用しておられました。本当に質素な生活をされていましたが、会堂建築と土地取得のために数千万円の財産をささげて、忠実に信仰生活を全うし、天に凱旋されました。この話は、彼が召天された後に教会の会計役員から聞かされて、本当に驚きと感謝を表しました。「我等の国籍は天にあり。」ハレルヤ!!