


第22回東京チャペル・コンサートに出席して
朝位 真士
9月23日(日)午後2時半~4時半迄、教団赤羽教会で東京チャペル・コンサートが開催された。音楽は、テナーのビョン・ホギル氏、ピアノ伴奏小西優子師。メッセージは嶺岸浩師(気仙沼第一聖書バプテスト教会)。先生は2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災によって、3年前に新築・献堂したばかりの会堂を流失したことを赤裸々に力強く語ってくださった。この3人の方々によって内容豊かな祝福に満ちた集会を開いてくださったことを心より感謝したい。
私の記憶に残っていることを断片的に記してみたいと思う。まず雅歌8章7節「大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。」次にヨブ記1章21節「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」そして一テモテ6章7節「……わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。」
嶺岸先生は25歳頃救われた。大変な読書家でいらして、蔵書が5千冊くらいあった。しかし大津波によって会堂ともども全て流失されたことを証しされた。今までは物に依存し、この世の知識や経験に頼り、自分の読書欲や教養を自慢しておられたが、一瞬にしてすべてのものを流失してしまった後、もう一度全知全能であるイエス・キリストの父なる神にすべてをお任せして生活することを示された。ただただ生ける主イエス・キリストを信じて従うことをされている姿に、私も自分の信仰の在り方を教えられた。一日も早い東日本大震災の復興がなされることを祈りつつ。
エマオの道で
朝位 真士
米国合同メソジスト教会屈指の説教者、元アズベリー大学学長、デニス・F・キンロー先生の『霊想書』の2月20日の日課に「出し惜しみしない愛」(マルコ14・1~9)という記述がありました。「『イエスがベタニアで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。』(マルコ14・3)ルカ7章にはイエスがシモンの家で食事をなさった時の話が記録されています。その会食の最中に一人の女性が入ってきて、石膏のつぼを壊し、入っていた香油をイエスに注ぎかけました。そして涙でイエスの足を洗い、髪の毛で拭きました。ベタニアのマリヤが自分と家族にイエスがしてくださったことのゆえに香油を注いだという、出し惜しみのない愛でした。彼女は自分の涙で足を洗い、高価な香油を注ぎました。」
私はこの記事に出会った時に、三十年前の出来事を思い出しました。前任のK教会の副牧師をしていた時に、新会堂建築と、開拓伝道地での土地購入・建物建築というダブルの恵みに与ったことです。当時百数十名の礼拝出席があり、会堂が満員であったので、会堂建築という課題が持ち上がり、毎朝早天祈祷会が6時半から行われていました。十数名の熱心な方々が祈っていました。その中に一人の老年の医師がおられました。彼は毎朝約1時間かけて祈祷会に出席しておられました。質素な生活をされていて、古着を着用しておられました。本当に質素な生活をされていましたが、会堂建築と土地取得のために数千万円の財産をささげて、忠実に信仰生活を全うし、天に凱旋されました。この話は、彼が召天された後に教会の会計役員から聞かされて、本当に驚きと感謝を表しました。「我等の国籍は天にあり。」ハレルヤ!!
何事にも時があり
朝位 真士
先日、親類が集まり感謝会を行った。百一歳の義母の誕生会と義父召天52周年の記念会に出席した。義母の6人の子供のうち4人が献身して牧師になっている。その連合いも献身している。
私は聖句が浮かんできた。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16章31節)義母は五十歳で未亡人となり六人の子供を養育した。あまり話をしないが、その苦労は筆舌しがたいものであったと思う。しかし私は義母とお会いして、信仰的にも人格的にも立派な姿を一目で感じとった。十代で信仰を持って八十年を超える信仰年限の深さと輝きを見ることができた。私共が祈っていると「アーメン」と大きな声でハッキリと言う。私共の祈りに主イエス・キリストの確信を与える声である。「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」(ヨハネの手紙3章2節)
義母の家族(子供達)は皆恵まれた生活をさせていただいている。これは義母の信仰と忠実な祈りの力のお陰ではないかと、私共は主イエス・キリストの父なる神に感謝している。「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。……あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。……その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6章31~34節)
義母は今確かに天国を目指して一日一日を大切に過ごしている。私も義母のような信仰生活を送りたいものである。
説教断片
朝位 真士
先日8月12日の説教で気づいたこと、語りたかったことを記してみたい。
聖書ルカ7章36~50節である。関連記事はマタイ26章6~16節。マルコ14章3~9節。ヨハネ12章1~8節で、「ベタニヤで香油を注がれる」という小見出しが記されていた。ルカでは「罪深い女を赦す」という小見出しがついていた。この女は、ファリサイ派の人の家に入って、イエス様が食事の席に着いておられた時、高価な香油の入った石膏の壺を持ってきて後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエス様は彼女の行為に対して、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」と、大いにこの女を賞賛された。彼女はすでに自分には罪の赦しが与えられていることを知って、イエスに対する感謝と喜びを表すためにイエスの所に来たのである。その喜びと感謝がどのくらい大きいものであったかがルカ7章38節に書かれている。この女は、自分の罪の赦しの大きさがどれほどであるかの真の意味を知っていたので、イエスに対する感謝と喜びを愛をもって表現したのである。
私たち信仰者も礼拝において福音を聞くたびに、自分の罪を赦していただいたその赦しの大きさを思いたいものである。そしてその喜びはキリストに対する愛の大きさとなって現れていかなければならない。この女は具体的に、当時の1年間の給与の三百デナリオンの高価なナルドの香油をイエス様の足に塗ったとある。これはイエスに対する謙遜と愛情と感謝を表していると言われている。私共も毎回の礼拝でこのような思いをもってイエス様を礼拝しよう。シャローム。