2021/9/5 週報メッセージ

共に歩んで

朝位 真士 

  その間、北九州復興教会の山中牧師が1979年6月に召天し、清水会堂には名古屋から原田謙牧師が赴任され、私達は二人目の主任牧師に仕えるようになり、同時に曽根に340坪の土地と建坪50坪の鉄骨2階建ての会堂が与えられた。その時期に私の父と同居したが、フミ子師はよく体が保たれたと思う。愚痴一つも言わず、子育て、父の世話、教会の御用、音楽教師としての仕事等を行った。神様に感謝すると同時にフミ子師に感謝している。音楽教室には一時20名近い児童・生徒が来られ、保護者より絶大な信頼を得た。その中より教会学校に子どもが来られ、ミッションスクール(西南女学院、折尾女子学園、梅光女子学院)の生徒達も教会学校や教会の礼拝に出席するようになった。子ども達は学校の友人を連れて来て、近所の子ども達も多く、一時教会学校だけでも数十名の出席を見るようになった。フミ子師も私を助けながら、曽根伝道のため、家庭集会を各地区5カ所で持ち、多くの受洗者が与えられた。その間の記憶に残るエピソードを二つ。

 私は子どもが小学生時代の1981年に按手礼を受けたが、それ以降は主任牧師の原田謙牧師のご厚意で、曽根で導かれた方には私が洗礼式を行った。息子・娘をはじめ全部で39名の方々が受洗された。もう一つのエピソードは、1989年に7名の方々が一度に受洗されたこと。その中に音楽教室の保護者も数名いたことは感謝なことで、これもフミ子師の影響力が大きいことを物語っている。

 フミ子師はクリスチャンホーム出身で、信仰深い両親に育てられ、6人の兄姉達がいる中の5人は献身された。信仰深い家族に囲まれ、素直で明るい性格が与えられ、何事も前向きに信仰的にとらえて、いつも他者に対しての愛の配慮を欠かさない人である。2004年に按手礼を受けて、それを機会に月1回礼拝の説教をしていただいている。