2021/9/12 週報メッセージ

共に歩んで

朝位 真士 

  また私が外部の御用で行く時はフミ子師に説教をしていただきます。フミ子師は小さい頃より音楽を通して主の御用をしたいと祈っていました。その通りに、賜物を通して福音を証ししていることは、主の御名を賛美したいと思います。いつも明るく、謙遜で、前向きで、いつもコツコツ努力している姿は見習わなければならないと思っていますが、実行できないのが申し訳ないと思います。

 話は前後しますが、最初結婚のため九州に赴任した1976年4月、結婚式の前後だったと記憶していますが、原登牧師がこういう話をされたことを思い出します。「油井(旧姓)さん、あなたが辛くなったら、いつでも小松川教会へ戻っていらっしゃい。いつでもあなたの場所を空けていますからね。」小松川時代(神学生と伝道師の時代)に、フミ子師がいかによく働き、特に音楽の方で活躍したのかが理解されます。今でも、小松川時代の信徒にお会いすると、「油井先生には、音楽を始めいろいろなことでお世話になりました」という話を聞きます。フミ子師が小松川教会で、献身者として神様と人々の前で御用したことを伺い知ることができます。

 19年間(フミ子師は18年間)の北九州復興教会・曽根集会所の御用を終え、ホ群人事で1994年4月、東京都杉並区下高井戸のパールハイツ桜上水のマンション教会である教団桜ヶ丘教会へ、息子憲義(高3)、娘真奈(中2)と4人で赴任いたしました。それまでの地方のノンビリした九州の教会から、東京のマンション教会に引越しました。子ども達は慣れない都会の生活で大変だったと思いますが、フミ子師はもっと大変だったと思います。そこにおいての第一の使命は、新会堂建設という大事業です。私は50歳の再出発です。少し冷静に考えると、大変大きなチャレンジでした。私共にとっては、大変な決断です。