「初代教会のキリスト者生活」2020.6.7  説教要旨

朝位真士

 今日は本来であれば、桜ヶ丘教会創立97周年記念チャペルコンサートで、毎年岸義紘先生をおよびして、特別集会を開催するところですが、ご存知のようにコロナウイルス感染症流行のため4月12日イースター礼拝より自主礼拝を勧めている関係上、三密を防ぐ為岸先生には申し訳ありませんでしたが、今回に記念特別礼拝を中止させて頂きました。皆さんも残念だと思いますが、現状は仕方のないことです。そこで、今日は初代教会のキリスト者の生活を聖書使徒2・40~47節を通して、2000年前の信者の生活に思いを馳せてみたいと思います。

 聖書使徒2・40~47節を見て下さい。ペテロは多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲がった時代から救われよ」と言って勧めた。とあります。この世は、神の創造の正しい目的から外れて、罪のために不信仰、不従順となった時代であるとは、パウロ、ヨハネの思想にも見られる(フィリピ2・15)2・41その日1日で、3000人が受洗し、彼等は専心、42節使徒達の教えを守り福音の奥義と信仰の訓練を与えられた。ここに2・41~42節の中で4つのことが語られています。1・使徒たちの教えを守り。2・信徒の交わりをなし(コイノ二ヤ)。3・共のパンをさきユダヤ教の風習によって、家の教会では、食物を持ちよって共同の会食をした。はじめに感謝の祈りをささげて後、パンをさいてわけ、イエスと共にした食事のことを追想した。後、これが記念として行われ、会食と別に聖餐の礼典となった。4・祈りはかれらの共同生活を支配する、大切な要素であった。以上4つは、初代教会の礼拝と、組織の内容を明らかにしている。こうして教会は、新しい共同体として発展した。次に2・43~47節を見て下さい。最初の信徒の教会生活が語られています。43節に恐れが生じたとありますが、これは神に対して畏敬の念を持つことは、信仰を一層強固にする。そして使徒達によって多くの不思議な業としるしが行われていたのであります。特に癒やしの奇跡を行った(5・12~16)ことは、著しい特色のある業であった。そして彼らの所有物はみな、神の恩恵の賜物と考えていたから、44節「すべてのものを共有し特に貧しい信者の窮乏を支えるためには45節「財産や持ち物を売り、そのお金を使徒達を通して、公平に分配した。こうした相互扶助の共産生活は、彼らが愛の精神をもつて自発的に行ったのであり、聖霊の賜物を受けた彼らの信仰の発意であった。使徒達は、かつてガリラヤにおいても、イエスと共に、このような生活を送ったことがある(ルカ8・3)。しかし、この共産生活は、エルサレム教会以外には行われていなかったようであります。このような生活の中に、彼等は、聖霊による「喜び」と真心をもって46節日々心を1つにして信者の家々である教会に分かれ集まって、使徒たちの教えをうけ、共に祈り神を讃美し、パンをさき記念の聖餐と、食事を共にし、共同の愛餐を行った。また、彼らは敬虔なユダヤ人と同じく律法を守り、エルサレムの宮の日々の礼拝に、出席することも忘れなかった。彼らの信仰と、愛の実践生活は、一般に人々からは好意をもたれ、救われる者が、日々彼等の仲間に加えられていった。

結び もう1度2・40~47節を見て下さい。ここでウイリアムバークレーによるとここに初代教会の特徴を見ることが出来ます。

1・学ぶ教会

2・交わる教会

3・祈る教会

4・敬虔な教会

5・何かが起こった教会

6共有の教会(44-45)

7・礼拝する教会(46)

8・喜びの教会(46)

9・好意を持たれる教会

初代の教会では、神の民に魅力が備わっていたのである。

私達は教会成長のためにどうするかあれこれ考えるよりも、まず教会としてどうあるべきかを検討することが大切である。桜ヶ丘教会創立100周年に向かってお互いに神様から知恵を頂くためにお祈りをしていくましょう。