恵みの後期高齢者
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(コヘレト一二・一一)
私は十月六日で後期高齢者になりました。一九六一年一二月二四日、北九州復興教会で、山中日出刃牧師によって受洗しました。若い一八歳でした。高卒後、商社に入社して九年間勤務し、一九六八年、東京支社勤務後に淀橋教会小原十三司師の指導を受け、一九七〇年、箱根のケズィック集会にてジョージ・ダンカン博士のメッセージを聞き、献身を決意しました。一年間、淀橋教会の小原・峰野両師より献身者見習として訓練を受け、一九七一年、東京聖書学校に入学しました。一九七五年三月卒業と同時に北九州復興教会の伝道師として、山中日出刃師の指導を受け、同時に一二キロ離れた曽根の開拓伝道をしました。その間、二回民家を借用し、母教会の祈りと助力により、曽根に三百四十坪の土地を取得し、建坪五〇坪の鉄骨三階建の会堂兼牧師館を建設しました。
一九九四年、ホーリネスの群人事により、妻フミ子師、憲義牧師(当時高校二年生)、娘真奈(当時中学二年生)の四人で、旧会堂、パールハイツ桜上水のマンション教会に赴任しました。一階が会堂で、四階に教育館、五階が牧師館でした。一九九七年一二月一七日、現会堂(敷地五九坪、建坪一七七平米の鉄骨三階建)に移転しました。その間、四十数名の方々を天国に送りました。結婚式も、受洗式もあり、現在は二十数名の礼拝を守っています。
私は牧会四三年目を迎え、将来の桜ヶ丘教会のことを祈っています。救われる人が与えられるように、礼拝人数が増加するように、教会学校を始め、各会が祝福されるように。また特に、良きホーリネス信仰を実践される後継者が与えられるように、私は神に毎日祈っています。皆様もお祈りしてください。主に栄光を帰しつつ。ハレルヤ!!