2010/8/22 週報メッセージ

   S師の召天に際して
                                                                                                         朝位 真士
 昨年の5月より今年の8月まで、わたしの知る限りでは10人近くの方々が天に召された。その中の御一人がS師である。8月12日(木)午前4時57分、聖ヨハネ会桜町病院で召天された。8月14日(土)午後1時、教団K教会で告別式が行われた。わたしは同労者として式に出席した。略歴によるとS師は1929年11月16日F県で誕生され、5人兄弟の3番目で、父親が35歳で召天された。苦学をして夜学の高校に行き、その後東京の大学に進学され、卒業後一流企業に就職し、管理職で退職された。65歳でクリスチャンとなり、68歳で神学校に行き、72歳で伝道者になり、S教会の牧師となった。熱心に牧会に励んだが数年前病気になり、3ヶ月前、余命2ヶ月と言われ、前記のホスピス病棟に入院された。私共の教会には神学校1年生のとき派遣された。非常に明るい人柄であり、健康に関することには最善の手を尽くしていた。S体操という独特の体操をしていた。会うといつもニコニコ、笑顔の絶えない人であった。キリスト教と出会う前は、あらゆる宗教遍歴があったようだ。しかし入信して献身してからはキリスト教一筋であった。
 わたしは彼のことを考えると、マタイ20章1~16節の「ぶどう園の労働者」のたとえを思い出す。夕方5時に雇われた労働者が、ぶどう園の主人から最初に賃金を与えられた。「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」とあるごとく、先生は短いクリスチャン生活であったが、召される前、特に1~2ヶ月は、見舞いに来た人々に多くの慰めと祝福を与えたのではないかと思う。
 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(Ⅱコリント4・18)
 御遺族の上に神の祝福と慰めを祈ります。