家庭的なホッとするところでありたいと思いながら

イメージ 1写真:K/Kさん提供
春がそこまで来ているのを感じます。梅の花が白く咲いて、新たな命の芽吹きの季節を、静かに教えてくれますね。
教会の礼拝堂に座っていると、イエス・キリストの十字架を見上げながら座っていると、自分の気ぜわしい思いが何故かスーっと落ち着くのを感じます。
「安かれ」とお声をかけてくださっているように思います。
昨日の礼拝の説教では、詩編139編からのお話でした。
主よ あなたは私を究め
私を知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
主はすべてをご存じであり、いつもそこにいてくださり、全能の力をもって、導いて下さるというお話でした。
どのような状況であっても、主はともにいてくださり、私たちの道をまっすぐにしてくださるということを、信じ、しっかりを歩みたいと思います。
桜ヶ丘教会は、家庭的なホッとする居心地で故郷に帰ってきたみたいと初めて来られる方々が言われます。
そのようなことを言っていただけると、嬉しくなります。
私たち信徒は、主にあって活かされることによって、教会のご奉仕もすることができます。主のために何かするということは、主とともに時間を共有できる恵みがあります。
年を取ってくると、私の人生の時間は、私だけのものではなく、神様からの贈り物と感じます。
この時間を、どのように使っていこうと考えます。お金は使ってしまえば無くなってしまいますが、みえない時間はどうでしょうか。時間も過ぎてしまえば消えてしまいますが、生きている限りは、今日も明日もいただけるのです。
小さな私達のひとりひとりを主はご存じでいてくださいます。感謝なことですね。
教会には、集まった人数分の個性が生きています。そして、それを見守り導いてくださるトップは神様です。
みんな正直に気負うこともなく集い、今日、明日と生きていく力を主からいただけるところです。
桜ヶ丘教会は今年の6月で、誕生から93年目になります。
2月28日には、2016年度にむけての計画等について話をする総会があります。
信徒みんなで、愛のあふれる教会となるように祈って歩みたいと考えています。
そして、主の栄光が現れますよう一丸となって進んでいきたいと思います。