朝位真士
序
今日は1コリント13章全体より聖書を学んで行きましょう。ここでは最上の賜物である愛。愛の分析と価値分解は最上の賜物である愛。1-3愛の賜物は無益であること(愛の必要)4-7愛の性質8-12愛の最も優れた者である理由(愛の永続性)13最も大いなる愛。と分解しています。
本
1コリント13章1~13節を見て下さい。この愛は人情の愛ではなく、神の愛である。ただ一片の感情の愛ではなく、行為において表れるべきものであります。太陽の光線をプリズムによって分析すると美しい七色が現れるとうに、ここでこの愛を分析して、その特質を示す(4―7)。あるいは積極的面から、また消極的面から示していますが、その1つ1つは、私達がそれに照らして自分の心と生涯を反省する鏡であります。この愛は、修業によって得られるものではなく、聖霊によって与えられる神の愛で(ローマ5・5)、この愛の色々な行為は御霊の結ぶ実であるということに注意すべきであります(ガラテヤ5・22~23)。これは祈り求めるべき神の賜物で、知識にも預言にも勝って価値あるものであります(8)信仰と望みと愛との三つは、キリスト者生活の三原則であります。ドラモンド博士は、「世界最大のものは愛である」と言われた。実に愛は神の性質であります。キリスト教の神髄は愛である。これはまた、キリスト教の目的、またいのちであるとも言えます。愛がなければキリスト教はありません。私達の行動はすべて愛の動機によらなければ、神の御前になんの益もない。パウロここに、愛とは何か、その性質を述べておりますが、要するに、愛とはいつさいの悪を行わないもの、しかしそれだけでは満足しないで、更に進んですべての善を行う者であります。1-3節を見て下さい。「律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」ということの一句に尽きる」(ガラ5・14)。これは12・31と言ったゆえんであります。ある教師がこの13章を3度読んで反省し熟思したいと言われた「1度読んでこの愛が自分のうちにあるかどうかどうかを考え、2度読んで主がこの愛をもって私達を愛されたことを思い、3度よんで信じる者に聖霊によってこの神の愛が注がれることを信じなさい」と、言われた。きよめられ、聖霊に満たされる時に、この愛が全うされるのであります。
結び
この13章は有名な愛の讃歌であります。よく結婚式の時に司式する者が引用する処であります。パウロは、信者の求めるべき最もすぐれた道として、愛を推奨する。「愛を追い求めなさい」と14・1にも勧告しています。コリント人は知識の賜物を特に重んじました。しかしそれはややもすると、人をして高慢にすることがあります。そして、そこから、分争が起こるしかし、愛は、そうではありません。すべてを結びつけます。愛は誰でも持ち得ます。そして愛は、全ての賜物によい方向づけをなし、一切の働きに動機づけをするという意味において、他のどの賜物よりも偉大であり、また永続的であります。他の賜物は、それが愛によって活用される時にのみ善となり、神に栄え、人には喜びとなる。だから「尊いのは愛によって働く信仰だけである」(ガラ5・6)と言うことが出来ます。私達が、神に他の賜物を求める場合も、愛の理由によるので無ければ、祝福はありません。まことに、信仰が土台であれば、愛はその上層建築である。信仰が根であれば、愛は花である。本当の信仰のあるところには、必ず愛の内容がなくてはならない。愛がなければ、どのような強固な信念も、またどのような人目をそばだたせる事業も、一切空しい。このゆえにすべての信者が、まずどの賜物よりも愛を慕い、愛を求めるべきであります。パウロはこうした愛を思い、愛について語ろうとした時、こころはおのずから高鳴って1つの歌となった。こうして、ここに、この愛の讃歌が生まれたのであります。1-3総論ともいうべく、4-7は愛の各論であり、8以下はその結論であります。最後にもう1度13章13節を見て下さい。信仰と希望と愛の3つを並べることは、パウロの特徴であります。第1テサロ二ケ1・3「信仰の働き、愛の労苦、キリストに対する望み」、私達は、主の再臨の時においても、なお主を信じ、なお主を望み、なお主を愛するでありましょう。来世もまた信仰と希望と愛の生活であります。こうして、この3つは、神と共に永遠であります。しかし「このうち最も大いなるものは愛である」何故でしょうか。信仰こそ根源であり、信仰から希望もうまれ、愛も出てくるのが、キリスト教の教えです。愛は、信仰や希望に比べて、直接神の一番深い属性に通じ、そして一番包括的でもあります。「信仰」は地から養分を吸い上げる根であって、イエス・キリストに結び
ついて命を得る。「希望」は成長し、その命によって伸びていく枝であり、神の永遠の栄光にあずかる望みである。「愛」は、その枝が結ぶ実であり、キリストを通して神から与えられる賜物であります。また聖霊の実はガラテヤ5・22-23p350「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」という9つの聖霊の果実であります。