青年会誌「創」の一文から

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 <ご一読いただきますように。>
 Aちゃんがママになって、いつもいつも応援してるSです。
 こんな葛藤をしながらAちゃんが、イエス様と一緒に歩いているのを読んで、力をもらいました。
 日常の中で、私も、自分はなんて駄目なんだろう、どうして優しい人間になれないんだろうと罪深さに葛藤してます。

 「Oh my dearest!」 

 洗礼を受けて今年で20年になる。人が生まれたら成人する歳月であるが、私は成長するどころか、ルカ11:24~26のような状態だ。神様助けてください。
 
 手首を切ろうとしたことがある。自殺を図るというより、ムシャクシャした気分を晴らすために及んだ行為だった。それは小学5年生の何月頃だったろうか。

 はっきり覚えていないのだが、私生児の弟が生まれる前であったから、春から秋の間であったと思う。学校でのできごとであったので、周囲が止めてくれた。泣きじゃくりながら保健室で手当てをしてもらったことはおぼろげに覚えている。
 
 私にとってショックだったのは、その手を切ろうとしたことの理由よりも、学校から連絡を受けた母と元夫の父とがそのことをはっきりと無視したことであった。
 私は「悔しい」と泣いた。自己肯定感が音を立てて崩れて行った。

 それから25年間経ってから父に「俺には関係ないことにしてくれとお父さんが言ったとお母さんから聞いたけれど本当か」と当時を問い質す手紙を書いた。
 折り返し電話で父は、そんあことがあったとは知らなかったと否定した。
 「昔のことは忘れてくれないか」と淋しそうに語った。私は何と答えただろう。
 やはり父も、私のこれまでの恨みつらみの苦しみを引き受けてくれる気はないのだな、と了承した。

 はたちを過ぎた頃だったろうか、私は気づいた。
 いくら私が父や母を恨みに思っても、両親にとってそんなものは何の痛痒も感じないし、畢意私に許されたいと思うはずがない。自縄自縛に陥るしかないのだ。
 私の心に寒々とした風が吹いた。そんな背景とアルバイト先の人間関係のもつれから精神が錯乱たのは24歳になる少し前だった。
 病院通いは今も続いている。

 最近の5年間で生活環境ががらりと変わった。結婚してすぐ妊娠し、長女が生まれ、次女がうまれた。
生まれて1年ほどは赤ちゃんを手離しにかわいがったものだったが、だんだん成長し、いたずらを始め、自己主張を始め、反抗するようになってくると、私は鬼母になってしまった。
 何かに怒鳴りつけ、感情に任せてこれでもかと叩いた。うるさいとかうとましいとさえ思うことがあった。怒鳴ったり叩いたりした後は、自己嫌悪と共に娘に謝るのだが、悔い改めるまでには至らず、同じ事を繰り返した。

 そういえば母は私に手を上げたことはなかったな、と思い返したら、余計に滅入った。
 私は確実に嫌われる母親になるのだろう。そんな折、長女が「おかあさん、だいすき」と言ってくれるようになった。
 私は素直に喜べなかった。こんなにひどい、最低な母親なのに・・・・。

 神様に祈ることもうしろめたくなっていた頃、石井希尚牧師の本に出会った。

 その中に、「自分の気持ちや感じ方を最優先してしまった瞬間・・・私たちは自分の心を神にしていることになります。その心のあり方を聖書は罪と呼んでいるわけです」(「愚かな女は騒がしい。賢い男は珍しい。」)とあった。
 私は自分の心を神にして、愛を注ぎかける対象として授かったはずの娘達を邪険にしていたのだ・・・。
こう知らされた時はさすがに土下座するくらいの気持ちで「神様ごめんなさい。」と祈った。

 「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)
 言い換えれば、私はイエス様に対して怒鳴りつけ、叩いていたということだ。考えられない罪である。

 私という人間がどれだけ罪深い者であるか、思い知らされるために子供たちが与えられたのだ。
罪万死に値する・・・。私のためにイエス様は十字架にかからなければならなかったか・・・・。
本当にイエス様に申し訳ないと思った。がしかし、この悔い改めも1週間すると元のもくあみとなった。
 
 娘達に怒鳴る叩く邪魔に思う・・・。なぜなのか・私くらい罪深いと思うと、もう祈っても変えられないのか。

 結構なピンチの状態である。乞う御加祷。