朝位真士
序
今日はローマ15・14~21節を通して聖書を学んでいきましょう。このローマ15章は一致と自己放棄。種々の満たし。霊的負債。1~13信仰の弱い者に対する愛の態度。14~33節
パウロ自身に関する陳述。14~16ローマ書を記した理由。17~21パウロの使命と働き。22~29ローマ訪問の希望。30~33祈りの要求。祝祷。ローマ人への手紙の学びもいよいよ最終段階となります。15・14節でパウロは1章から語り続けてきたことを静かに振り返っています。そして、改めて、14節に「兄弟たち」と呼びかけて、結びに入ります。ローマ教会の兄弟姉妹は、実に善意に溢れ、救いにおけるあらゆる知恵に満ち、互いに訓戒し合うという「自浄能力」のある者たちでした。その成熟した彼らであればこそ、彼らに救いに関する記憶を鮮明にするため、遠慮せず思い切って書いてきました。それは、とりも直さず、異邦人のために「キリスト・イエスに仕える人」となるためだったのです。その宣教者パウロの姿をこの箇所でしつかり見てまいりましょう。
本
ローマ15・14~21節をみてください、とくに14~16節のところでは福音宣教の目的が語られています。福音宣教者とは、「キリスト・イエスの仕え人」です。福音の本質は、教説でも倫理、道徳でもありません。福音とはイエス・キリスト御自身です。イエス・キリストというお方を人々に宣べ伝え、紹介し、結び合わせることが伝道です。パウロここで、「神の福音のために祭司の役を勤め」とか、異邦人を神への「ささげ物」、「供え物」にするなど礼拝に関わる用語を用いています。実は、キリスト・イエスに「仕える」という用語も、「礼拝する」と言う言葉の語源となっています。今日、礼拝を司る牧者が何を至高の目的として奉仕しなければないかを明白にここで見ることが出来ます。その至高の目的は、全てのクリスチャンたちが、「聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物」となることです。神からの恵みを受け立てられた伝道者や牧師の究極の目標がここにあります。これは牧師・伝道者だけでなく、全てのクリスチャンな目標であります。1人1人が「聖霊によって聖なる者」となる。「御旨にかなう捧げ物」、「神に喜ばれる供え物」となる。ここにこそ福音宣教者の目的があります。当然、私達の教会の到達点もここにあります。パウロがローマ人への手紙を書いた意図もここにあります。実に、ホーリネスこそ、福音宣教の究極の目的です。10軒の家を建てかけるよりも1軒の家を完成する方が大切であるとかってバックストン先生は語られたそうです。聖霊による聖化の恵みがお互いの中に徹底されるように祈りましょう。次に15・17~19節をもう1度見て下さい。ここに福音宣教者の手段が記されています。これを見ると、パウロの福音宣教は徹頭徹尾、神の恵みにより、キリスト・イエスによってなされたことがわかります。パウロの「誇り」は、自慢ではなく、神の栄光をほめたたえる誇りでした。神の恵みはこんなに素晴らしいことをしてくださる。わたしはキリスト・イエスに用いられたに過ぎないということです。コリント1・15・10節に、パウロは使徒たちの中でだれよりも多く働いて来たと言いつつも、「しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである」と言っています。小島伊助先生は「万事聖霊、万事祈祷」とよく言われたそうですが、福音宣教の手段は、まさに「わたしの霊によるのである」以外の何ものでもありません。19~21節を見て下さい。福音宣教の熱望をパウロは語っています。
結び
イザヤ52・15p1149「それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、1度も聞かされなかったことを悟ったからだ」ここにパウロの宣教の秘訣がありました。パウロの引用句は、未知の伝道地における先駆者を、大胆にするものは、実に、神のみことばと、みことばを通して活動する聖霊の導きであります。
彼は「言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって」と語っています。ローマ15・19節「しるしや、奇跡の力によって働かれました」私達も福音宣教の聖なる野望に燃え、くまなく、地域に福音を宣べ伝え、世界宣教の幻に生きる者となりたいと思います。