聖書 マタイによる福音書第7章13節~23節
説教題 「良い木は良い実を結ぶ」
お話 朝位真士牧師
讃美歌 24番
聖 歌 406番
聖書 マタイによる福音書第7章13節~23節
説教題 「良い木は良い実を結ぶ」
お話 朝位真士牧師
讃美歌 24番
聖 歌 406番
最近感じていること
朝位 真士
最近急に体の不調を感じるようになり、皆様方にご心配をおかけしています。今病院でその原因を究明しています。信徒の方々のケアをしなくてはならないのに、逆に心配をおかけしていることに対して誠に申し訳なく存じます。そのうち病院の検査結果が出ると思います。私自身不思議に思うのは、1ヶ月前まではあんなに元気で御用できたのに、急に体調が変化したことです。歳のせいとはいえません。私よりも一回り年長の方々が元気に生活しておられるのに、どうして私がという思いがいたします。
聖書に「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」(ローマ8:18)「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)とあります。最近肉体の弱さを感じていますが、聖書のみ言葉が私に今までにないほど強く迫ってきます。使徒パウロは獄中で「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:6~7)と記しました。そして有名な「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ4:13)へと続きます。
早く私も元気になって、神様のため、皆様方のために力一杯御用をさせていただく所存でございます。妻フミ子師には多大の負担をかけています。どうか、小さき者たちのため、お祈りのご支援をよろしくお願いいたします。皆様方も健康に留意して、神様のため、人々のために働かれることを祈っています。
聖書 マタイによる福音書第7章第7節~12節
説教題 「神を求めなさい」
お話 朝位 真士牧師
讃美歌 234番A
聖 歌 590番
最近考えること
朝位 真士
季節の変わり目であろうと思いますが、最近少し体調を崩していましたら、どこで私のことを知ったのかしれませんが、母教会の94歳の老婦人から素晴らしい内容のお手紙をいただきました。その方は私共が九州にいた時にご夫妻で仲人をしてくださった方であります。私共の若かりし頃の元気な姿を記憶されて、私のことを心配して励ましの手紙をくださいました。私は、牧師・信徒の枠を超えて、いつも祈りによって結ばれている幸いに感謝しました。このご夫妻は教会の中心的な方々で、いつもニコニコして笑顔を絶やさず、教会のことを第一にした生活をされていました。多忙な中でも、教会のため、主のため、前向きに御用されていました。ご夫人が今も年齢を感じさせず、教会のために働いておられる姿が目に浮かびました。また、若い頃からキリスト教信仰に確信をもっておられたことを思い出します。「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ。」(伝12:1、口語訳)「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに。」(コヘレト12:1)
祈りの友は、時間・空間を超えて素晴らしいものです。私は18歳の時にクリスチャンとなり、今日まで多くの方々の祈りの支援によって信仰生活を継続させていただいています。信仰と祈りの生活は、私共クリスチャンの原動力です。特に、祈りは神様からいただく恵みの最大の武器です。皆様方も実行しておられると思いますが、個人のため、教会のため、社会のため、ますます真剣にお祈りをして、この社会の不条理に神様が介入されて、一日も早く世界に真の平和が来るのを待ち望みましょう。「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」(Ⅰテモテ2:1)アーメン。
聖書 マタイによる福音書第6章25節~34節
説教題「思い悩むな」
お話 朝位真士牧師
讃美歌 352番
聖 歌 498番
創立99周年記念集会を終えて
朝位 真士
6月5日(日)、岸先生をお迎えして記念集会が開催されました。この集会のため、天候が祝福され、礼拝人数も40名以上の方々が与えられるように、教会員の皆様方を始め、知り合いや祈りの友に祈祷の依頼をしていました。コロナ・パンデミックの3年目を迎え、普段の礼拝も20名前後という人数の中で、この集会には40名以上の方々が与えられて、岸先生の御用が神様の祝福を得られるように祈祷していました。使徒2章46節から47節に、「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していのたで、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」とあります。神様は祈りに応えてくださり、44名の方々が与えられました。
当日参加された方々は知っておられると思いますが、私達の祈り以上、期待以上の祝福を与えてくださり、今までにない長時間の演奏とメッセージでしたが、時間の長さを感じさせない集会でした。講師の年齢を語っては失礼かと思いますが、本当に80歳を超えているとは思えない、年齢を感じさせない御用でした。
私は岸先生がいかに神様から祝福されて、主の御用を継続しておられるかを身近に感じました。先生は若いときから青年伝道にヴィジョンをお持ちで、多い時には千人の青年を集めて集会を持たれたと聞いています。今もその片鱗を見ることができ、伝道者の模範であります。そのような先生が桜ヶ丘教会を愛してくださり、来年もメッセージを用意してくださるとは、なんという幸いでしょうか。桜ヶ丘教会が地域に開かれた教会として、ますます宣教の拡大をして、救われる方が一人でも与えられることを神様に祈る一人であります。
聖書箇所 使徒言行録第2章1節~8節 40節~41節
説教題「教会のいのち・啓示・愛の聖霊」
お話&サクソフォン 岸義紘先生
讃美歌 191番
聖 歌 576番
聖書箇所 使徒言行録第2章1節~8節 40節~41節
説教題「教会のいのち・啓示・愛の聖霊」
お話 岸義紘先生
讃美歌 191番
聖 歌 576番
創立99周年を迎えて
朝位 真士
桜ヶ丘教会創立99周年記念の集会に、今年も岸義紘先生をお迎えすることができて、心より感謝しています。岸先生にお願いするのは今年で21回目です。
先生は東京で誕生し、岡山で生活され、1953年3月にキリスト教系の高等学校を卒業されました。1959年4月、早稲田大学第二文学部西洋哲学専修科入学。同大学卒業後、聖絜神学校入学・卒業。米国フラー神学大学院世界宣教学修士課程終了後、Doctor of Ministry で学ばれました。米国ゴードンウェル神学大学より名誉神学博士を授与されました。
先生は国体の水泳選手にも選ばれました。そして素晴らしいことに、サックスの名手で、CDを何枚も出されています。過日は80歳記念アルバムを出されました。お若い時から青年伝道に使命を感じられて、千人近い集会の御用をされています。今も常に若々しく、魂に対する情熱をお持ちです。日本のキリスト教会の逸材として貴重な存在です。大変博識で努力家の先生で、本当に自分を無にしてキリストの僕として働いておられます。主の御用であれば、どんなに小さな集会でも出かけられます。超教派の集会でも活躍しておられます。JTJ神学校の前校長でもあり、信徒訓練にも使命をお持ちです。また多くの注解書も出されるなど、現代のキリスト教会でマルチに活躍されています。
私と先生との出会いは、小さな家庭集会でした。素晴らしい御用をされたことを印象深く覚えています。このペンテコステ礼拝、桜ヶ丘教会創立99周年記念礼拝に素晴らしい先生をお迎えできたことを、神様と岸先生と皆様方に心より深く感謝申し上げます。ハレルヤ!!
創立99周年記念礼拝を迎えるにあたって
朝位 真士
来週6月5日(日)の礼拝は、桜ヶ丘教会創立九九周年記念礼拝となります。私共の教会は1923年(大正12年)6月1日、初代牧師である板井康裕先生がアメリカから帰国して世田谷区桜新町の自宅で開拓伝道を開始したことから始まりました。1930年、渋谷区栄通りに移転して「祈りの家渋谷ホーリネス教会」と改称。1942年の日本基督教団設立とともに教団に加盟し、「桜ヶ丘教会」となりました。創立当初より多くの牧師・伝道師、信徒の方々が関わって、今日まで歩んでまいりました。長く借家やマンションを教会として、その間特に西海静雄先生には大変なご苦労をされました。信徒の方々も皆さんよく協力して宣教の業を助けてくださいました。現在地には1997年12月に引っ越してまいりました。教会の歴史は本当に苦難と喜びの歴史だと思います。
コロナ・パンデミックとなり諸集会が制限される中で、今回も岸先生をお迎えして99周年記念礼拝を守ることができ、嬉しく思います。先生の御用は21回目となります。困難な状況ではありますが、今回の特伝には40名以上の方々が来られることを祈り、チラシも数百枚用意しています。友人・知己の方々を一人でもお誘いいただき、99周年記念礼拝、ペンテコステ礼拝にふさわしく神様の御栄光を拝したいと存じます。そのため、まず毎日お祈りして神様の祝福を祈っていただき、チラシを一人でも多くの方々に差し上げてください。また電話やメールを通して親しい方々をお誘いください。コロナ・パンデミックの状況ですが、神はすべての人が救われることを願っておられます。祈り、訪問し、献げてください。