2022/11/20 週報メッセージ

小さな子どものささげもの                                                朝位 フミ子 

  聖書には、イエス様が小さな男の子のお手伝いを心から喜んでくださり、5つのパンと2匹のお魚をたくさん増やしてくれたお話があります。しかし、主のお弟子さんは「ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と思いました。大人たちから見たら、何の役にも立たないと思うお弁当は、この男の子にとっては自分の持っている全部だったのです。今自分ができる精一杯の大きなささげものを、イエス様にささげたのです。

 それに対してイエス様は、この小さな男の子が神さまのためにしたお手伝いを、とても喜んでくれました。この男の子の働きを皆で心から喜ぶことができるように、神様にお祈りをしてパンと魚を増やして、皆で一緒に分かち合うことができるようにしてくださいました。この男の子が神様にささげてくれたお手伝いを、パンと魚を増やして祝福してくださいました。

 私たちも、時々こう思うことがあります。こんなに小さい子どもだから駄目なんだ、自分は小さなことしかできないから何の役にも立たないと、私たちは思うことがあるかもしれません。でも神様は、小さい子どもたちが神様のためにしてくれたお手伝い、奉仕を特に喜んでくださり、いっぱい祝福してくださるのです。そのことを忘れないようにしたいと思います。そして何よりも、私たち大人も神様から見たら小さい子どもです。だから、自分には何もできない、役に立たないと思っている人も、自分は弱い者で何もできないと思っている人、自分は全然駄目だと思っている人も、神様の呼びかけに応えて、少しの勇気を出して、自分の持っているものを神様にささげる時、神様のためにささげる奉仕に、神様はその人の働きをとても喜んで豊かに用いてくださり、たくさんの祝福を与えてくださるのです。

2022/11/13 週報メッセージ

召天者記念礼拝を終えて

朝位 フミ子 

  「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉3:1)

 今年も召天者記念礼拝を無事に迎え、終えることができ感謝しております。ご奉仕をしていただきました方々に心から厚くお礼申し上げます。「召天者名簿」にありますように、今年は3名の方が加わり76名になりました。私は、名簿とお写真を確かめながら、あらためてその生涯を偲び、またその終わりの時、その葬りの時、さらにご家族のその後の歩みを思い浮かべながら過ごしました。ここにご出席しておられる、おられないに関わらず、召天者を覚えていらっしゃる方々の上に神様の慰めと励ましが与えられますよう願っています。私自身、時の経過を実感し、自分の生涯の終わりのことを考えさせられました。今年も、いろいろな事が起こりました。教会にとっても、教会員の姉妹が、長老役員が、そして主任牧師が天に召されました。愛する方々の死を覚えながら、必ず訪れてくる死について思い巡らすことは、意義あることと思います。

 ルカ16:19~31から、山本牧師のメッセージをいただきました。金持ちとラザロのたとえから、第1~第3のお話です。死後のことは変更できないこと、そして生前が問われる信仰生活の問題、平凡な1日を大切に生活してゆくことが大切ですとお話を伺いました。しっかり心に留めていきたいと思います。「終わりを意識して」思慮深く生きていくお互いでありたいと思います。ますます残されている時は短くなりつつありますが、与えられている賜物に感謝しながら、私たちのなすべき事に励んでいきましょう。

 「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」(ヘブライ人への手紙13:7)

2022/11/6 週報メッセージ

 神の国のしるし

朝位 フミ子  

  主イエスの公生涯には、神の国のしるしを表す宣教活動を行いました。主イエスは、この地上で活動された時に、神の国に何らかの希望を見ていたと思います。主イエスが弟子たちに話した種蒔きの譬えでは、今は不毛の地に見えるこの地は、やがて神の国が完成した時には百倍もの収穫が確実に得られると言われ、またルカでは「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」と言われました。つまり、主イエスはサタンの力が確実に滅びるという神の国の勝利を、既に先取りして見ていたということです。主イエスの見ていた神の国の勝利とは、それは人の支配ではなく、神の支配が行われること。聖書で神の国と呼ばれているものは、神の支配と言い換えてもよい言葉です。この神の支配が、イエスである私が来たことによって、もう既に我々の足元にまで来ているのだと宣言して、活動を始めたのでした。

  主イエスの働きの中で、病の人を癒したのは歴史的な事実で間違いのないことだと、伝えられています。主イエスはよく奇跡行者、奇跡を行う者と呼ばれていました。主イエスはなぜ地上での働きの時に、病の人と出会い、病を癒していたのでしょうか?

 それは、神の国のしるしを表すためでした。主イエスの存在自体が神の国であり、良い知らせでした。だから、主イエスはこの地上にいながらも、神の国に生きていた訳です。神の国は、もはや病も苦しみも、痛みも悩みもない、全ての人間の心と体の苦しみや痛みが取り除かれた、素晴らしい世界だと言われています。主イエスは、神の国のしるしを表し、今苦難の中にある人々に良い知らせを伝えるために、病の人に出会い、病を癒したのです。主イエスの働きの全ては、神の国のしるしを表すためでした。

2022/10/30 週報メッセージ

目を覚ましていなさい

朝位 フミ子 

  この「目を覚ましていなさい」という言葉の意味を、私たちは誤解してはならないと思います。イエス様は、私たちに、寝てはいけない、寝坊してはいけない、居眠りをしてはいけない、休んではいけない、働き続けなければならない、しっかりやらないといけない、もっと頑張らないと駄目だと言っておられるのではありません。イエス様が「目を覚ましていなさい」と言うのは、今がどういう時なのかわきまえて生きなさいと言っておられるのです。今、神様が私たち一人ひとりに任せられている務め、委ねられた私たちの務めを、最後まで責任を持って忠実に果たしていきなさいと言っておられるのです。

 しかし、私たちは、現実の生活の中で色々と大変なことが起きたり、気持ちが辛くなって落ち込んだり、不安になったりすると、せっかく神様から務めが与えられているんだから、失敗してはいけない、頑張って成功しなければならないと思い、その務めに責任を持って果たすことがプレッシャーになり、重荷になって、もう駄目だ、もうできないと諦めてしまいたくなるのです。イエス様が、ここで私たちに期待していることは、失敗しないで成功しなければならないということではない訳です。

 いつ帰って来られるか分からない主人であるイエス様を、僕である私たちがガチガチに緊張して待っているんじゃなくて、また反対に、イエス様が来られることなんて自分にとって全く関係ないことだし、何の期待も希望も持てないという冷めた気持ちでもなくて、今生きているこの日、この時が、たとえ私たちにとって試練の時、色々と心を騒がせるような時だとしても、明日のことを何も心配しないで、慌てないで、落ち着いて安心して、イエス様が来られる時に期待して、希望を持って生きていくことに尽きるのだろうと思います。

2022/10/23  週報メッセージ

   深く息をつき

                   朝位 フミ子 

  主イエスが、耳も言葉も不自由な一人の人に、「エッファタ(開けよ)」とおっしゃいました。彼の耳と口を開いてくださいました(マルコ7章34~35節)。そこで主イエスは「深く息をつ」かれました。これは、元の言葉では、「ため息をおつきになった」あるいは「呻く」と訳すことができます。一般的には、人間がため息をつくのは、あまりよいしるしではありません。しかし、ここで主イエスが「深く息をつき」、ため息をつかれたのは、一人の、ただ一人の人の救いのためでした。この人の口が開かれる、賛美が歌われるために、そういう人生をこの人が生涯歩めるようにするために、主はご自分の全てをささげて、深く息をつき、ため息をついてくださいました。

 その「ため息」という言葉には、他にも「呻く」「悶え苦しむ」という意味があります。これは一体何を意味しているのでしょうか。それは、私たちのために担われた主の十字架の苦しみ、そのものを表しています。そのようにして、御自分の肉を裂き、血を流し給うて、主は私たちの心を、私たちの耳を、私たちの口を開き、御自身の十字架の恵みをも開いてくださいました。これ以上に確かな救いの出来事は他のどこにあるのでしょうか。私たちもこの主の十字架の苦しみによって、教会に確かに結ばれるように、罪赦されて救われていくように、神の国の民とされていくように、キリスト者とならせていただいています。

 主が私たちの確かな救いのために、十字架の上で悶え苦しんでまで、私たちに向かって「エッファタ、開け」と言われたのです。そして、神の力によって、私たちの閉ざされた耳が開かれ、主イエスの声が聞こえるようになるように、また、もつれた舌が解けて、隣人に救いの言葉を大胆に語り告げ、主を賛美することができるようにしてくださいました。その重みに、この確かな救いに、私たちはただただ感謝しかありません。十字架の主の満ち溢れる恵みに、礼拝をささげ、賛美していきましょう。

1923年6月1日創立