2012/10/7 週報メッセージ

   牧会雑感
                                                                                                         朝位 真士
   日本の国民唱歌「ふるさと」という歌の中に「志を果たして、いつの日に帰らん。山はあおきふるさと、水はき
 よきふるさと。」
    私たちにとって故郷とはいつか「帰る」ところです。しかし聖書は「もし出て来た土地のことを思っていた
 のなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天
 の故郷を熱望していたのです」(ヘブライ11・15~16)と語ります。
  この信仰の父祖たちの姿をヘブライ人への手紙の著者は「仮住まい者」と呼び、この世と妥協するのではな
 く、この世と戦い、またこの世の出生地という意味での故郷ではなく、われわれ寄留の民が行くべき、天の故
 郷を指し示そうとしています。「寄留者」は、このまだ見ていない、しかしキリストによって啓示された神の
 支配される天の故郷を「熱望して」歩むのです。
  この神の国への旅人としての教会がなす、もっとも大切なことは礼拝です。ですからこの礼拝は「神の国の
 祝福の先取り」「前味」という性格を持っています。そしてこの礼拝こそが私たちの伝道の第一の場だと思い
 ます。
 
 『伝道』の著者、深井智明先生はこう記しています。そして尚も本の中で「私は伝道する教会とは、まず何よりも礼拝を大切に捧げる教会であると思うのです。……礼拝の中で生けるキリストと出会い、主に祈るという経験が神学を生み出すのです」と記しています。
 長い文章の引用でしたが、私はこの『伝道』という本を読み、大変感動しました。その一つは「ふるさと」観です。私は地方出身で、年老いて再び故郷に帰りたいという願いが強くなりましたが、真の「ふるさと」は天国、神の国であるという認識です。二つは、礼拝に出て主を賛美し、祈り、献金し、奉仕することが「伝道」であるということを再認識させていただきました。
 さあ、皆様、生かされている間、努めて「礼拝」に出席して「伝道」の使命を果たさせていただきましょう。

実りの秋

 

過日、9月16日に仙台を訪れました。
その際に、日曜日の礼拝出席はできませんでしたが、朝早く仙台青葉荘教会にうかがい、牧師先生の島隆三先生、島静江先生、森田聖子先生にお目にかかることができ、お忙しい聖日の朝に、お時間をお取りいただき、少しおイメージ 1話をすることできました。
とても素敵な大きな教会でした。
3.11の大震災の際でも、教会の会堂は特に大きな被害を被ることはなかったということでした。会堂の中に素敵なパイプオルガンがありましたが、こちらは大きく揺れて、落ちるなどしたため補修が必要になったとのことでした。<仙台青葉荘教会 パイプオルガン>
イメージ 2
<仙台青葉荘教会 2012年9月16日朝の風景>イメージ 3
 
仙台市内は、街並みも復興が進んでいました。石巻まで行きましたが、まだまだ地震後の復興には時間がかかると実感しました。
福島の実家の屋根瓦も、今年9月に入って、ようやく補修完了できました。瓦職人の方も、休みもなかなか取れずに仕事をしているとのことです。
農家の方から、野菜をいただいた際に、種を蒔くために、1週間に1回等定期的に畑の土を検査場所に持って行き、問題がないか検査しているとうかがいました。「検査を無料でできるのでありがたい」と言っていましたが、本当に忍耐強い福島の人の言葉だと、頭が下がりました。
食を支える人たちの、ひたむきな土に対するおもいを強く感じます。また、最近、福島原子力発電所のその後はあまり報じられることはありませんが、一刻もはやく放射線の除染技術が開発され、心配なく生活できるようにと願い、祈りつつ過ごしたいと思います。
 10月に入り、加速するように年末がやってきますが、この秋のシーズンには、やはり自分の今年の収穫は何か等を考えて、イエス様と語らいつつ過ごしたいと思います。
 
 

2012/9/30 週報メッセージ

   第22回東京チャペル・コンサートに出席して
                                                                                                           朝位 真士
  9月23日(日)午後2時半~4時半迄、教団赤羽教会で東京チャペル・コンサートが開催された。音楽は、テナーのビョン・ホギル氏、ピアノ伴奏小西優子師。メッセージは嶺岸浩師(気仙沼第一聖書バプテスト教会)。先生は2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災によって、3年前に新築・献堂したばかりの会堂を流失したことを赤裸々に力強く語ってくださった。この3人の方々によって内容豊かな祝福に満ちた集会を開いてくださったことを心より感謝したい。
 私の記憶に残っていることを断片的に記してみたいと思う。まず雅歌8章7節「大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。」次にヨブ記1章21節「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」そして一テモテ6章7節「……わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。」
 嶺岸先生は25歳頃救われた。大変な読書家でいらして、蔵書が5千冊くらいあった。しかし大津波によって会堂ともども全て流失されたことを証しされた。今までは物に依存し、この世の知識や経験に頼り、自分の読書欲や教養を自慢しておられたが、一瞬にしてすべてのものを流失してしまった後、もう一度全知全能であるイエス・キリストの父なる神にすべてをお任せして生活することを示された。ただただ生ける主イエス・キリストを信じて従うことをされている姿に、私も自分の信仰の在り方を教えられた。一日も早い東日本大震災の復興がなされることを祈りつつ。

2012/9/23 週報メッセージ

   イエスさまが一番
                                                                                                        朝位 真士
  日本のプロテスタント教会の最大の教会員がいます。O牧師の『足の裏で四七〇歩』という本の10~11頁の文を引用させていただきながら、私の思いを語ってみたいと思います。
  
  クリスチャンになって最も重要なことは、罪を悔い改めて、永遠の赦し、永遠のいのちをいただいたことで
 す。もう死ぬことは恐怖ではありません。天国へ直行ですから、死は喜びの対象であります。……神さまから
 いただいた身体ですから、健康に留意して、悪い習慣はやめて、心と体にプラスになることを大いにいたしま
 しょう。すなわち、愛する者のために長生きし、お役に立つ生き方をするのです。
  受洗後は、今までの自分中心、自分が一番の人生を意識的に変え、「イエスさまが一番」の生き方に徹する
 のです。洗礼を受ける前の祈りの中で、罪の告白と共に「イエスさまを主として、心の中心にお迎えします」
 と祈りましたでしょう。あれです。あのことです。
  「イエスが主」「イエスさまが一番」の人生観を自分のものにしないと、一生、中途半端なクリスチャンに
 なってしまいます。さあ、ご一緒に告白しましょう。私にとって「イエスは主です。」すばらしい世界の始ま
 りです。
 
 私は上の文章を読みながら、自分の信仰生活の中で、いつも「イエスさまが一番」としているだろうかと反省しました。18歳で受洗し、信仰生活は今年で51年目を迎えています。高校生の時、またサラリーマン時代(9年間)は、本当に「イエスさまが一番」として信仰生活を送ってきたと自負している自分でしたが、牧師となって三十数年、神を第一としていない自分を深く反省して、「イエスさまが一番」の信仰告白をさせていただきたいと思います。

2012/9/16 週報メッセージ

   エマオの道で                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  米国合同メソジスト教会屈指の説教者、元アズベリー大学学長、デニス・F・キンロー先生の『霊想書』の2月20日の日課に「出し惜しみしない愛」(マルコ14・1~9)という記述がありました。「『イエスがベタニアで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。』(マルコ14・3)ルカ7章にはイエスがシモンの家で食事をなさった時の話が記録されています。その会食の最中に一人の女性が入ってきて、石膏のつぼを壊し、入っていた香油をイエスに注ぎかけました。そして涙でイエスの足を洗い、髪の毛で拭きました。ベタニアのマリヤが自分と家族にイエスがしてくださったことのゆえに香油を注いだという、出し惜しみのない愛でした。彼女は自分の涙で足を洗い、高価な香油を注ぎました。」
 私はこの記事に出会った時に、三十年前の出来事を思い出しました。前任のK教会の副牧師をしていた時に、新会堂建築と、開拓伝道地での土地購入・建物建築というダブルの恵みに与ったことです。当時百数十名の礼拝出席があり、会堂が満員であったので、会堂建築という課題が持ち上がり、毎朝早天祈祷会が6時半から行われていました。十数名の熱心な方々が祈っていました。その中に一人の老年の医師がおられました。彼は毎朝約1時間かけて祈祷会に出席しておられました。質素な生活をされていて、古着を着用しておられました。本当に質素な生活をされていましたが、会堂建築と土地取得のために数千万円の財産をささげて、忠実に信仰生活を全うし、天に凱旋されました。この話は、彼が召天された後に教会の会計役員から聞かされて、本当に驚きと感謝を表しました。「我等の国籍は天にあり。」ハレルヤ!!                                                   

2012/9/9 週報メッセージ

   収穫の秋を目ざして
                                                                                                        朝位 真士
  「あなた方は、『刈り入れまでまだ4ヶ月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」(ヨハネ4・35~36)
 2012年の秋が来ようとしている。私は最近知り合いの方々の結婚話を聞く。嬉しいニュースである。私の身内も結婚をする予定である。牧師として、親として、お願いしたいことがある。それは、是非パートナーを信仰に導いていただきたいということである。また子が与えられたら、クリスチャンホームとなって欲しいと祈るものである。『信仰のバトンタッチ』という本にこういう文章が記されていた。
 
    クリスチャン・ホームで育つ恵みというのは、単に教会生活になじむとか、聖書のお話をよく教えられ、讃
 美歌をいっぱい歌えるように育てられるとか、家庭礼拝ができるとかいうだけのことではない。どんな困難に
 襲われても、神様を信頼して取り乱さず、落ち込んだりすることもなく、その置かれたところで精いっぱいの
 努力、工夫をし、前向きにたくましく生き、安定した喜びをもち、輝いている姿。物事を適当に表面的に片づ
 けるのではなく、いつでも心をご覧になる神さまに喜んでいただけるようにと、心を大切に忠実に生きる姿。
 だれに対しても神さまの前で平等であることを知って謙遜であることができる姿。……神のしもべとしていか
 に生きるべきかを、ことばとともに、その姿を通して、目と心に焼きつけてもらえることだと思う。私たちに
 とって本当に信頼して生きるべき神さまを、生きた神さまとして紹介できた時、信仰の継承というクリスチャ
 ンの親としての使命は果たされるものではないだろうか。
 
 桜ヶ丘教会に救われる方が与えられるように祈って欲しい。

9月の風を感じながら

写真:K/kさん提供
イメージ 1昨夜、久しぶりに雨がふり、今朝は突然秋の気配が漂う中で、朝の時間を過ごしています。
暑かった今年の夏も、「日本の夏はこういうものなのだ」と納得して、蚊取り線香を活用しながら、9月を迎えました。
皆様の体調は、いかがでしょうか。
また、精神面での調子はいかがでしょうか。
今日は、日曜日でこれから教会に行くことができます。この日常は、神様からの贈り物であることを、心から感謝するものです。
小さなことに忠実でありなさいと聖書にありますが、実践できるようにしたいですね。
何と私たちは弱いのでしょうか。
主によらなければ、すぐにバランスを崩してしまいます。
いろいろな方に出会いますが、一つ一つの出会いを大切に、小さなことに忠実にということを忘れて、自分の都合に走りがちですね。
今日も、聖書のお話から、聖霊の導きによって、新しくされることを待ち望みます。

2012/9/2 週報メッセージ

   何事にも時があり
                                                                                                           朝位 真士
  先日、親類が集まり感謝会を行った。百一歳の義母の誕生会と義父召天52周年の記念会に出席した。義母の6人の子供のうち4人が献身して牧師になっている。その連合いも献身している。
 私は聖句が浮かんできた。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16章31節)義母は五十歳で未亡人となり六人の子供を養育した。あまり話をしないが、その苦労は筆舌しがたいものであったと思う。しかし私は義母とお会いして、信仰的にも人格的にも立派な姿を一目で感じとった。十代で信仰を持って八十年を超える信仰年限の深さと輝きを見ることができた。私共が祈っていると「アーメン」と大きな声でハッキリと言う。私共の祈りに主イエス・キリストの確信を与える声である。「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」(ヨハネの手紙3章2節)
 義母の家族(子供達)は皆恵まれた生活をさせていただいている。これは義母の信仰と忠実な祈りの力のお陰ではないかと、私共は主イエス・キリストの父なる神に感謝している。「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。……あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。……その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6章31~34節)
 義母は今確かに天国を目指して一日一日を大切に過ごしている。私も義母のような信仰生活を送りたいものである。

2012/8/26 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」に出席して   
                                                                                                        朝位 真士
  8月20~22日迄、市川サンシティ・ホテルで第44回「日本伝道の幻を語る会」が開催されました。出席者は約70教会の140名。講師は、深井智朗先生(金城学院大学人間科学部教授)、佐藤彰先生(福島第一聖書バプテスト教会、2011年3月11日、東日本大震災に遭い教会は一時閉鎖。教会員や地域の人たちとともに流浪の旅に出る。)ファミリーアワーは藤井圭子先生(キリスト伝道会エヴァンジェリスト)。音楽は小西優子先生(ピアノ)、黄原亮司兄(チェロ)、石井康二さん(ベース)、ユーオーディアの音楽チーム。
 わたしはこの会に出席させていただき、それぞれの先生方のメッセージ、賛美、あかし等の一つ一つに大変感動しました。その中でも特に佐藤彰先生の講演とメッセージが大変心に留まりました。「震災で何を見たか」というテーマで2回お話をしてくださいました。
 第1回「幸せのハードル」(第1ペテロ14章12~13節)。箇条書きに記してみます。(1)神はあなたを愛している。(a)呪いの神ではない。(b)愛する者を訓練する神。(2)何のテストか。(a)忍耐。(b)自己コントロール。(c)みことば。(3)イエスは苦しむ者と共にいる。(a)今ほど万物がイエスを必要としている時はない。(4)イエスのおことばが鮮明に聞こえる。(a)空の鳥を養う神。(b)感謝の心を持って生きる。(c)幸せのハードルを上げ過ぎない。(d)引き算の計算式ではなく、足し算の計算式で生きる。(e)バベルの塔をやめて。
  第2回「人生の使命」。①現代のエデンの園か。②現代のバイブルランドを行く。③信仰告白と教会の不思議。④不思議な架け橋を見た。⑤この使命に生きる。
 佐藤彰先生は九死に一生を得た先生ですが、私の何百倍も信仰経験をして生き生きとしておられて、本当に輝かしいお顔でした。まるで殉教者ステファノの如くでした。先生方の教会、家族、地域の復興がなされるように祈りたいと思います。

2012/8/19 週報メッセージ

   説教断片                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  先日8月12日の説教で気づいたこと、語りたかったことを記してみたい。
 聖書ルカ7章36~50節である。関連記事はマタイ26章6~16節。マルコ14章3~9節。ヨハネ12章1~8節で、「ベタニヤで香油を注がれる」という小見出しが記されていた。ルカでは「罪深い女を赦す」という小見出しがついていた。この女は、ファリサイ派の人の家に入って、イエス様が食事の席に着いておられた時、高価な香油の入った石膏の壺を持ってきて後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエス様は彼女の行為に対して、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」と、大いにこの女を賞賛された。彼女はすでに自分には罪の赦しが与えられていることを知って、イエスに対する感謝と喜びを表すためにイエスの所に来たのである。その喜びと感謝がどのくらい大きいものであったかがルカ7章38節に書かれている。この女は、自分の罪の赦しの大きさがどれほどであるかの真の意味を知っていたので、イエスに対する感謝と喜びを愛をもって表現したのである。
 私たち信仰者も礼拝において福音を聞くたびに、自分の罪を赦していただいたその赦しの大きさを思いたいものである。そしてその喜びはキリストに対する愛の大きさとなって現れていかなければならない。この女は具体的に、当時の1年間の給与の三百デナリオンの高価なナルドの香油をイエス様の足に塗ったとある。これはイエスに対する謙遜と愛情と感謝を表していると言われている。私共も毎回の礼拝でこのような思いをもってイエス様を礼拝しよう。シャローム。

1923年6月1日創立