「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2024/8/18 週報メッセージ

いま でかけよう!

川﨑 理子 

 パリ・オリンピックも終わり、次はパラリンピック。私はメダル云々よりも平和の祭典としてウクライナ、イスラエル、ロシア等の選手達が気になりました。

 オリンピック期間中に広島、長崎で79年前に原爆投下された記念祭があり、長崎の記念祭では合唱が小学生と、中高生とでありました。小学生の合唱は人数が少なかったのですが、胸に迫るものがありました。記念祭での合唱は鎮魂歌の意味合いがあるとのことです。

 教会では鎮魂ではなく神様への祈りです。既に魂を満たして下さっている神への祈りです。祈りと同様に賛美もたくさんします。その内容は神様への感謝、そして喜びそのものです。

 8月に2つのキャンプへでかけました。一つは西東京教区の中高生夏キャンプ。もう一つはホーリネスの群首都圏バイブルキャンプでした。どちらのキャンプも朝から大きな歌声で主を賛美して、目を覚まします。(笑)

はじめは大画面の歌詞を追って、慣れてくると体でリズムをとって喜びを全身で表すようになります。その中高生達の姿を見て私は嬉しくなり、やっぱりキャンプは良いな、来て良かったなと思いました。キャンプで神様に出会った私はキャンプに参加する度に心は一気に10代へ戻ります。

教区のキャンプで歌った曲の一つで、

 ♪君は愛されるために生まれた♫ は、イ・ミンソプさん作詞作曲の歌です。久しぶりにこの曲を歌い、主を賛美しました。手話を通してスーっと心に入ってきました。

「君は愛されるため生まれた。今もその愛うけている。うけている。」

 さあ、今日も愛を受けている私達は、神様が遣わす処へでかけてゆきましょう。

2024/8/11 週報メッセージ

主イエスの霊と共に

川﨑 信二 

この時期、日本ではいわゆるお盆の時期となる。「先祖の精霊をお迎えして供養をする期間」として「年に一度浄土から地上に戻ってくる空腹の先祖を家に迎え、共にひと時を過ごして冥福を祈りその霊を供養」する慣習だ。

キリスト教では、死者の霊は既に主の御許にあり幸福を得ているので、供養することも冥福を祈る必要もないという考えに立っている。それでも供養したいという遺族の慰めのために寄り添い、地上を去られた家族が今天にあり、全き至福(成仏)を得ていると信じることができるよう、また遺された私たちもやがて主の懐に帰る希望を持ち続けることができるようにと祈らせて頂くのだ。

 聖書では、霊といえば人の霊ではなく「聖霊」であり、復活の主イエス・キリストの霊を意味する。聖霊は目に見えないが今も生きて働く神ご自身であり、死霊ではない。

 けれども、聖書の時代にも「お化け」や「悪霊」の存在が恐れられていた。主の弟子でさえそういう迷信に陥っていたのだ。ガリラヤ湖の湖面を歩く主イエスを幽霊と見間違えている(マタイ14:22-33)。まことに失礼な話だが、当時そういう考え方があったことを示している。臆病な弟子たちに主は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と優しく招いて下さっている。

 幽霊…痩せ衰えた死霊が帰って来る…本当だろうか。柳田國男の『遠野物語』に出てくる座敷童子のような存在が家に幸福をもたらし、守護霊として家の盛衰を司る、そんな霊が実在するのかどうか、霊感のない私には正直よく分からない。良い霊、悪い霊があるにせよ、主の霊に勝るものはないはずだ。死から復活された主の霊は私たちに完全な勝利を与え、悪霊の軍団レギオンでさえもひれ伏すほどに権威のあるお方なのだ。

 秋田にある、101回涙を流す奇跡の聖母像を見に行った人が写真に収めようとしたが、シャッターが動かなかったという。後日、霊感の強い?友人と共に行ってみると、今度はシャッターが作動して安堵したが、後で写真を見ると卍がたくさん写っていて驚いたという。この世では奇妙なことが起きて怖いと感じることもあるだろう。しかし主の霊にこそ畏れ、聴き従うべきである。なぜなら、聖霊に勝さる霊はないからだ。

 この世の霊を恐れる弱い私自身だが、常に復活の主の臨在を感じつつ平安を得て歩みたいものだ。

2024/8/4 週報メッセージ

教会の暦について    『信徒の友』より

平和聖日とは?

日本基督教団は8月第1主日を平和聖日と定めています。

 1962年10月の第12回教団総会に、西中国教区より「『平和聖日』制定に関する建議」が提出されました。その内容は「毎年八月六日、またはその直前の日曜日を『平和聖日』と定め、特に世界平和のため、核兵器禁止のために祈ること」でした。

 建議の理由として次の2点が挙げられています。

  1. 八月六日は史上はじめて核爆弾が使用され、最大の惨劇がくり拡げられた日である。核戦争の危機が叫ばれている今日、わたしたちは全国の主にある兄弟姉妹が同時に平和の福音に耳をかたむけ、世界平和と核兵器禁止のために祈りを捧げることの重要さを思うものである。
  2. これはさらに全世界の兄弟に訴えられ、その祈りを共にすべきであるが、それには国際的に認められたこの日をもってあてるのが最適であると思われる。

 これを受けて、1962年12月の第12総会期第2回(臨時)常議員会で「毎年八月第一日曜日を平和聖日とすること」が可決され、1963年8月より実施されてきました。

平和を祈るリタニー

8月第1日曜日は、広島の被爆者からの建議により制定された「平和聖日」です。私たちは過去の戦争の悲惨を心に刻み、過ちを深く懺悔します。同時に今この時も、世界中で戦争や紛争、内戦などにより、武器と爆弾にさらされている人々がいることを覚えます。

リタニー(連祷)は、司式者と会衆が交互に捧げる祈りです。キリストの平和を創り出す為に、共に祈りを合わせましょう。

隣人として

武器を作る者の手を止めてください

主よ 憐れんでください

武器を売る者の手を止めてください

主よ 憐れんでください

武器を使う者の手を止めてください

主よ 憐れんでください

その手をじっと見つめ

省みることができますように

誰も殺さない、誰も殺させない

神さまから与えられた命

神さまから愛された命

互いに私たちは隣人です

2024/7/28 週報メッセージ

あなたもあなたの家族も

川﨑理子 

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」      使徒言行録 16章31節

 上記の御言葉は第55回日本伝道の幻を語る会の主題聖句です。23日〜24日、新宿西教会を会場に開催されました。主題は「信仰の継承・能登地震リポート」。

 まず舘坂橋教会・村上義治牧師の開会礼拝で、地域にて懸命に種を蒔き続けて、今盛岡市の中で最大規模の幼児教育のセンターになっている話を伺いました。また、大村信蔵牧師は50歳になり注意欠陥症と分かり、幼い頃の自分の行動には沢山要素があったが19歳で主に出会い、かなり努力をしてきて弱さは隠されたと思っていた。しかし50歳で大変な問題を犯して、主より自分の力に頼っていた事を知らされと話されました。岡田仰牧師からは、被害にあった現地の方々は「助けて」が言えない。「現世しかない」と思っている。「世間様」に囚われている。隣人になるには、まさか!まさか!!の時に乗り越えるのはイエス・キリストが与える永遠の命しかない。イエス・キリストによる自信と確信を持つことを教えていただきました。

 「主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」

 家族というのは肉親もそうですが、各々が置かれた場所での隣人のことであり、その置かれた場所でこの私が「主の救いは絶対だ」と自信と確信を持って生きることが周囲への証となり、家族の救いに繋がるのだな、と御言葉を通して知らされました。

2024/7/21 週報メッセージ

創造の業はこの「わたし」のため

川﨑 信二 

星野富弘氏の描かれたアガパンサス(ムラサキクンシラン)の絵は青紫の綺麗な花びらで「こころのたべもの」という詩が添えられていた。

たべられません

あなたが 美しく彩った

草花のほとんどは

たべても うまくありません

でも人は それを庭に植えて

こころのたべものにしています

「あなたが」という主語に改めて神の創造の業を思う。人間の目に麗しく映り、人間の心を癒すためにこの草花が咲いているかのようにも感じる。これらを人間のために配置してくださった神の愛に、一つ一つの自然を通して気づかされた。

 アガパンサスは南アフリカ原産だが、名前の由来は

ギリシャ語のアガペ(神の愛)とアントス(花)の合成語で聖書的な意味があるという。三浦綾子さんは重い病気のなかで「私は神にえこひいきされている」と語ったが、美しい草花を見て感じるだけでなく、試練においても神の愛を感じることができるのは神への深い信頼からくるのかもしれない。

7月初旬、雷雨があり牧師館の窓まで水が弾くほどの豪雨だった。短時間であがってくれたが一瞬恐怖を覚えた。人知を超えた自然の力、その背後におられる創造主を仰ぐ機会となった。天地創造において人間は生き物の中で最後に造られた、とても弱い存在だ。しかしその人間に命の息を吹き入れ、特別な存在として愛され、この私をも顧みて下さっていることを、教えられた。

「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」詩編8:4-5

2024/7/14 週報メッセージ

「豊かな交わりの時」

川﨑 理子 

 教区主催の新任オリエーションへ行って来た。場所は高円寺にある西東京教区事務所の2階。中野駅を降りて迷わず行けたが炎天下で歩くペースが遅く2分の遅刻。

また、15分後に境南教会牧師のH先生、そして更に遅れて仙川教会牧師のT先生が真っ赤なお顔で到着。道を間違えたようだった。先生には京王地区教師会でお会いしていたので再び会う機会が与えられ感謝だった。両先生とも手にはスマートフォンがあった。マップを見ながら歩かれたのだろう。事務所は分かりづらいところにある、と思う。

地図が読めない私は完全に川﨑にお任せ。帰りは皆で一緒に歩いた。話が盛り上がり途中の喫茶店で涼み、話し合っていると様々な繋がりに驚いた。

 次の日は武蔵野教会の東村山方面集会へ出席し、久しぶりに川﨑家のおば達や従姉妹にお会いした。伯母は98歳、続く92歳と90歳の叔母達もお元気だった。

私共の就任式に一人で来て下さった伯父は、その後、曾孫の結婚式出席の為に単身でイギリスへ渡り、無事帰国した。伯父は93歳。

 新任教師オリエーションでは同労者との交わり、方面集会では信仰の大先輩との交わりと豊かな時間。

ふと、21年前に神様に打ち明けた事が今時を経て成っている事に気付いた。それは「少しでも東へ」という祈りだった。

2024/7/7 週報メッセージ

「救いの基準」

川﨑 信二 

 今年はパリ・オリンピックの年です。

 選手がオリンピック出場を果たすためには選考基準をクリアしなければならず、代表枠をめぐって厳しい戦いが繰り広げられます。

明らかに力の差がある人はともかく、残りの1つの枠を何人もの選手たちが競い合い、後もう少しで届かず、ギリギリで落選し涙を飲んだアスリートもいるでしょう。

その選考基準が分かりにくく、なぜこの人が落ちて、あの人が選ばれたのか。納得のいかないこともあり、最終予選では0.01秒差で洩れてしまったがそれまでの成績はそれなりの記録を出しいるのにそれが考慮されない、という場合もよくあるそうです。オリンピックに出られるか、そうでないかはアスリートにとって人生を左右する大きなことだけに基準は分かりやすいほうが禍根を残さずに済むのに、とも思うのです。

これらは力が拮抗している時だけに起こる事例です。断トツであれば当然起き得ないことなのです。

では、聖書が語る「救いの選び」の基準はどうか。誰が天国に行き、誰が落ちるのか。誰も天国行きの基準を満たしている人はいない。選民イスラエルも神の選考から洩れ、律法学者でさえも神の掟を守りきることはできなかった。

人間は皆、罪人であり拮抗しています。聖人のように突出している人はいない。神の前では全員「黒」。黒を白に変えてくださるからこそ「救い」なのです。主イエスの十字架の血潮こそが私たちの罪を清め、赦すことができるのです。

だから、あの人は地獄行きだ、と審いてはならない。私も、あの人も、赦され、救われているからです。

あの人も、私も、神に選ばれた民であることを忘れないようにしたいものです。

2024/6/30 週報メッセージ

フー・ポン信者

川﨑 信二 

   故 原田 謙先生(更生教会前牧師)が信仰生活についてよくこんな事を述べておられた。

 「聖書を読むときにフーポン信者になってはいけませんよ。“常に聖書に親しみ”、常に・・・これが大事ですよ」 

 フーポン信者とは、先ず聖書を取り出してフーと息を吹いて表紙の埃をはらう。次にポンっと机に置いて、「今日はどの御言葉でいこうか」と聖書をペラペラと捲る(だいたい真ん中を開けるのでイザヤ書が多い)。まるでおみくじのように開く。たまたまマタイ27章5節だった。

 「そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ」

 こりゃいかん! 別の箇所を開くとルカ10章27節が目に飛び込んできた。

 「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 えっ?これって???

 こういう聖書の読み方をする人をフーポン信者と呼ぶそうだ。私もフーポン牧師ならないように気をつけたい。

そもそも聖書は毎日通読することが基本で、行き当たりばったりの読み方は上記のように危険が伴う。勿論そういう読み方でも、読まないよりはずっと良いと思うが・・・・。

 暗唱聖句など、前後の文脈と関係なく、そこの一句だけを取り上げて座右の銘としたり、今日一日の糧とする場合がある。それ自体悪いことではないが注意が必要だ。

例えばCS生徒に提示する際は、そこだけでなく全体を良く読んでから選ぶべきである。どんなに良い言葉が並べられていても建徳的ではない文章があるからだ。

 例えば、ヨブ記を見ると「その道を知っているのは神。神こそ、その場所を知っておられる。」(ヨブ28:23)

聖句そのものは暗唱聖句に相応しく聴こえるが、友人達がヨブの過ちを責めるための言葉でもある。聖書の言葉を、人を裁くために用いてはならないし、知らずして使う恐れもある。それゆえ、前後の流れを読みながら、謙虚に、聖書の主張に耳を傾ける姿勢が大切である。

2024/6/23 週報メッセージ

ホーリネス系教会の被弾圧をおぼえて

川﨑 信二 

今年は、1942年6月26日の、政府による宗教弾圧から82年の年です。この出来事は、ホーリネスの群の信仰の遺産であり、忘れてはならない教会の歴史です。

世界中で権威主義国家が台頭し「信教の自由」が脅かされている時代にあって、主イエス・キリストこそ私たちの神であり、王であり、救い主であり、やがてこの地上に再び来てくださる方であると大胆に証し続ける者でありたいと願わされています。((以下ホ群資料より)↙

ホーリネス弾圧事件は、第二次世界大戦中にホーリネス系の教会が政府から弾圧された、日本のキリスト教史上、プロテスタント教会に対する最大の迫害である。

牧師補であった小山宗祐が1941年3月23日に獄中死した事件は、翌年のホーリネス弾圧の前触れだった。

1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。1943年2月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計134人が逮捕された。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すこと」を求めた。

また、日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。山梨教区長小野善太郎は、「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日本基督教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」と述べた。

1943年4月、文部省は宗教団体法に基づき、第六部と第九部の、教会設立認可の取り消しと教師を辞任させるように、日本基督教団の富田満統理に通知。日本基督教団は、教会の認可取り消しと、教師の自発的な辞職を求める通知を行い、日本基督教団内のホーリネス系の教会は強制的に解散させられた。

殉教者は、菅野鋭、小出朋治、斉藤保太郎、辻啓蔵、竹入高、池田長十郎、佐野明治らが獄死し、75人が起訴された。全員が上告して、戦後免訴扱いになった。 Ω

2024/6/16 週報メッセージ

日本ホーリネス教団の戦争責任告白を以下抜粋してご紹介します。弾圧の経緯がよく分かります。(川﨑信二)↙

 ……戦前の私たちの教会は、宗教法案や宗教団体法案による国家の宗教への介入や、神社参拝の強要に対して、信仰の戦いの意志を明確にもっていました。

  しかしそれにもかかわらず私たちの教会は、日本の軍国主義と、それを支えた天皇制については、それを批判することなく、むしろ支持をしました。教会は、当時の日本が犯した侵略という過ちにも気づかずに、天皇の名による戦争を「聖戦」と呼び、「皇室中心主義」や「敬神尊王」などと言って、その過ちを信仰の事柄と交錯し、支持をしました。そして、私たちの教会のアジア諸国への宣教は、宣教がその純粋な動機であったとは言え、その働きは日本の植民地政策に追随するものでありました。

 さて、昭和十五年戦争下、私たちの教会は、治安維持法と宗教団体法によって不当に弾圧され、解散を余儀なくされました。そしてその信仰のゆえに命を奪われた牧師たち、裁判で命懸けの証言をして信仰を貫いた牧師たち、解散させられたために、社会的にも経済的にも困難な事態に陥りながらも信仰を守り続けた牧師家族や信徒たちのように、試練を乗り越えた先達の信仰の戦いによって、今日の私たちの教会があることは、神の守りの聖手が加わっていたためであると信ずるものです。

 しかし、それ以前に私たちの教会は、リバイバル(信仰復興運動)の経験によって進展しつつも、その後、再臨信仰で躓き、教理の理解の相違から、同信の友と決別しました。そして、その後の宗教団体法案には反対の姿勢をもはや取り得ず、教会合同の流れに組み込まれていきました。しかも、それ以前から教会合同の気運があったために、宗教団体法を楯にした国家権力の圧力に屈したにもかかわらず、教会はそれを信仰的な決断であると理解しました。こうして成立した日本基督教団に、私達の教会も参加しました。またその過程において、同法によって天皇神格化を進める国家の圧力に屈し、再臨信仰に関する教義を変更しました。そして国策に従い、宮城遥拝や君が代斉唱などの国民儀礼や神社参拝を行い、さらに戦勝祈願、皇軍慰問献金、半島人徴兵制度実施感謝式の開催などの戦争協力を進めました。

 また、弾圧に直面した時、私たちの教会は、自分たちの信仰が治安維持法に問われていることに気づきませんでした。それは、天皇を崇敬する愛国者を自負していたために、治安維持法のいう「国体の否定」に抵触するとは思っていなかったためであります。すなわち、キリスト教信仰の中に天皇制を受け入れていたのでした。そして、天皇に仕えるのが日本人の本分であるという、「国民生活」という文を機関紙に載せ、天皇制へとすりよってしまいました。

 拘禁された牧師たちの中には、裁判のために、それまでのキリスト教信仰を清算し、祖先崇拝などをして日本人として生きると言う者たちや、神社参拝に積極的な姿勢を示す者たちもいました。また、私たちの教会は、再臨信仰が問題となっていることが分かった時、かつて分かれた同信の友の再臨信仰との違いを強調し、自らの身を守ろうとしました。それは、弾圧時に日本基督教団がホーリネス系教会を切り捨てたという自己保身の態度と変わらぬものでした。このような中で、信仰を捨てた信徒もおりました。……Ω

私たちは被害者あり加害者です。忘れないようにしたいものです。