「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2017/2/5 週報メッセージ

神の家族
                            朝位 真士
 
二〇一七年度の標語はエフェソ二章一九節「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」で、私たちは神の家族のメンバーであるということが強く心にとどまっています。何回かにわたって、「神の家族」についてリック・ウォレン先生の本より学んでまいりましょう。
 「あなたがたは、まさに神の家族の一員であり、他のすべてのクリスチャンとともに神の家族に属しているのです」(エペソ二・一九)「神の家族」「一員」「神の家」「属している」という聖句から、聖書が教会について何と教えているでしょうか。
 一、教会は神の家族である
 「教会は家族のようなものだ」ではなく、「教会は神の家族である」というのです。教会というのは霊的な家族です。この霊的な家族関係は、実際の血縁関係よりも長く続く関係です。聖書は「天国においては、結婚関係はありません。そこには、永遠に続く、クリスチャンの交わりがあるのです」と教えています。
 家族の中にはいろいろな人がいるものです。強い人もいれば、弱い人もいますし、大きな人もいれば、小さい人もいます。体の丈夫な人やそうでない人もいるでしょう。神の家族である教会においても同じことが言えます。霊的に健康になるために何が必要かについては、後日学んでいきましょう。(『神の家族へようこそ』より)

2017/1/29 週報メッセージ

     聖書の基本的な教え

朝位 真士
 
  神について 父なる神 神は時間と空間とを超越して永遠に存在する生ける霊であり、直接目で見ることはできませんが(ヨハネ四・二四、Ⅰテモテ六・一六)、あらゆる所に存在します(詩編一三九・八)。神は唯一であり(申命記六・四)、絶対的な超越者、また他の何ものにも束縛されない主体性と完全性を保持する人格的存在であり、「聖なるお方」と呼ばれるにふさわしい方です(イザヤ六・三)。神にはすべてを見とおす力(全知)、あらゆる事柄を生じさせる力(全能)といった属性があります。
  世界の創造と統治 神は「天と地」と称される全宇宙と、そこに存在するすべてのものを造られました(創世記一・一、二・二)。神は「万物の存在の目的であり、また原因でもある方」です(ヘブル二・一〇)。神によって造られたのは美しい調和のとれた世界でした(創世記一・三一)。神は世界の究極の所有者、統治者でもあります。神は被造世界を愛し(ヨハネ三・一六)、保護し、その歴史の中に、直接的、人格的に介入される場合があります。神は「今に至るまで働いておられます」(同五・一七)。この神の愛は、人間が罪を犯す前も、その後も不変です(ローマ五・八)。神は人を死から復活させる力をも有し(ガラテヤ一・一)、「父なる神」と呼ばれて敬われます(マタイ六・二六)。
  子なる神、キリスト イエス・キリストは「子なる神」と呼ばれます。キリストは天地万物の創造以前から父なる神のもとに存在しましたが(ヨハネ一・一~二)、人類の救いのためにイエスという具体的な肉体をとってこの世に下りました。
  聖霊なる神 聖霊はみことばとともに人に働きかけ、聖霊のもっとも重要な働きは「イエスは主です」との信仰告白のなされる所で明らかにされます(Ⅰコリント一二・三)。
  三位一体 父、子、聖霊という三つの位格を持つ神は「三位一体」の神としてあがめられます(Ⅱコリント一三・一三)。つづく。

2017/1/22 週報メッセージ

病める人の為祈って欲しい
朝位 真士

 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」(マタイ九・
一二)
 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。……あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。」(ヤコブ五・一三~一五)
 私は最近病気の方々のことを思い、祈っている。いろいろな病気があり、中でもガンにかかっている人が数人おられる。その中には私の親類も含まれている。私の実妹は肺ガンにかかって、昨年三月には余命三カ月と宣告された。私は九州に見舞いに行ったが、本当に体は衰弱して、医師の宣告通りだと直感した。彼女と一時間キリスト教の死に対する教え、また天国の素晴らしさを説明した。彼女はそれを受け入れ、覚悟をして私は四月中旬に帰京した。最近の電話では、以前は一週間に一度治療に博多まで行っていたが、現在は三週間に一度の検査で良いという風にドクターから言われたとのことである。
 またある方はドクターから死の宣告をされたが、現在五分でも十分でも主を証しするために生きていたいと言っておられる。彼女の絵が多くの方々の救いのために用いられることを願う。別の方はガンの治療を受けながら教会の御用に当たっている。個人的になるが私もいくつかの病院にかかっている。
 私たちは病気の方々の為にお祈りさせていただく。今年も「神の家族」が一人でも元気で、主の集会(礼拝、夕拝、祈祷会など)に出かけて、祈っていただきたい。

2017/1/15 週報メッセージ

   断食祈祷聖会に出席して
                             朝位 真士
 
 一月九日~一一日迄、東京中央教会で開催されました。私は九日の一日しか出席できませんでしたが、大変大きな恵みと祝福をいただきました。
 まず一〇時から開会礼拝で、M師のメッセージがあり、一〇時半~一二時迄、H夫妻による「性と結婚と家族形成」という話がありました。牧師夫妻の四四年間の結婚生活、家庭生活についてユーモアを交えながら赤裸々に語られました。クリスチャンの夫妻は、結婚生活、家庭生活にいろいろなことが起こってくるが、心を合わせて全能の神様にお祈りをして解決を与えられたということと、二人は全く性格の合わない方々であるということがハッキリしました。だから神様の導きが大切であるということが理解できました。私共も四一年目になりますが、全く性格、気質が合わない二人です。ただ二人がクリスチャンで、同じ使命に生きているということが共通しているだけで、今日まで支えられてきました。勿論、教会他の方々の祈りによっても支えられています。大変感謝なことです。
 次に、一三時~一四時半迄、「イスラムとIS」というテーマでイスラム圏宣教師A師の講演がありました。生命をかけて家族で宣教しておられるA師の講演から、大変多くのことを教えられました。先生は、「イスラム世界を概観し、ムスリムが私たちにとっての大切な隣人であることを理解し、特にISに代表される『イスラム過激派』を正しく理解し、愛をもって祈るべきである。今日二一世紀イスラム世界で神の驚くべきみわざが進行中で、特にイランのみわざに注目して祈りたい」とアピールしておられた。
 一五時半~一七時迄、K師による「自然災害と世界気象」についての話があり、具体的な実例と将来に対する心備えを教えられました。聖会Ⅰではアーサー・ホーランド師の話があり、六五歳とは思えない若々しさが印象的でした。命をかけて十字架を背負っての沖縄から北海道まで三千三百キロ走行の伝道旅行に、私は度肝を抜かれました。宣教の方法はいろいろあることをあらためて教えられました。ハレルヤ!!
 
 

2017/1/8 週報メッセージ

   ホ群首都圏新年聖会に参加して
                              朝位真士
 
 二〇一七年ホ群首都圏新年聖会が、桜ヶ丘教会を会場に二回開催されました。一月二日午後一時半と四時です。
 今回の主題は「起きよ、光を放て」(イザヤ六〇・一)。聖会Ⅰ、説教町田さとみ先生(初雁教会)、説教題「あなたを照らす光は昇る」(イザヤ六〇・一~七)、立証・音楽ユース。聖会Ⅱ、説教横山義孝先生(東京新生教会協力牧師、東京聖書学校教授)、説教題「喜び楽しむ民の創造」(イザヤ六五・一七~二〇)、立証合田やす子神学生、聖歌隊合唱。出席人数は九七名、献金は聖会Ⅰ八一、六三〇円、聖会Ⅱ七三、一六〇円、合計一五四、七九〇円。
 私は町田先生の話を聞きながら、若年婦人教職のわかりやすいメッセージに感動しました。二〇一七年はどういう年になるか不透明で、先行き不安な時代の幕開けですが、「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り」とあるように、世の中が暗ければ暗いほど、キリストの光を照らし続けなければなりません。先生はまた前任牧師の山岡先生のヴィジョンと信仰を語られました。「教会に人が続々と導かれていく中で、町の人々に『何があるのか』と問われたら、『教会の礼拝に行くのです』とハッキリ地域の人々に伝える。これを宣教といいます。」私は町田先生の女性らしいやさしい語り口の中に見えた、しっかりした信仰と使命感に感動し、教えられました。
 横山先生は九〇歳を越えておられるとは思えない溌溂とした口調で、キリストの福音を率直に語られました。七〇年近い伝道の経験に基づく、力強い確信とユーモアを交えた生き生きとしたメッセージに、私の心は久しぶりに燃えました。
 聖会委員の一人として、また会場教会の一人としての責務を、皆様方のご協力と祈祷支援によって果たし、神様の栄光を現すことができたことを、神様と皆様方に心から感謝申し上げます。ハレルヤ!!

2017/1/1 週報メッセージ

   新年を迎えて
                              朝位真士
 
 新年あけましておめでとうございます。祈りの中で、御言葉を与えてくださいと願いましたら、エフェソ二章一一~二一節と使徒一六章二五~三四節が与えられました。昨年九月一八~一九日に箱根で教会修養会が開かれた時のことです。
 私共が桜ヶ丘教会に遣わされて今年で二三年目になります。桜ヶ丘教会の祈祷目標(一、個人信仰の確立、二、全家族の救い、三、個人伝道による教勢倍加)が、未だに個人にとっても教会にとっても達成されていません。これには、私共の責任が大きくありますが、皆様方の霊性も守られていないのではないかと心配します。毎日多忙で、礼拝や祈祷会、夕拝、各会に出席するのが困難であることを神様はすべてご存知です。「しかし、なくてならないものは、多くはない。マリアは良い方を選んだ」(ルカ一〇章四二節)とあるように、私達の日常生活で優先順位をつけることが大事です。まず神第一の生活、神様のことを一番に考えて行動することです。
 私達は「もはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民の属するもの、神の家族であり」(エフェソ二・一九b)とあり、また「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒一六・三一a)とあります。二〇一七年は酉年です。私達は飛躍しなくてはなりません。礼拝目標二〇名の二割アップ、受洗者が与えられ、教会財政が健全にならなければなりません。献金でつまずく方のないように祈ると同時に、神様に身を献げる働き人が桜ヶ丘教会に与えられ、お客様信者をなくし、全員が神の家族であり、神様からの祝福を与えられるお互いでありたいものです。それには、身内、友人、知人が一人でも救われることを、この一年祈って労したいものです。二〇一七年が桜ヶ丘教会にとって前進の一年であるように神に祈りましょう。

2016/12/25 週報メッセージ

      クリスマス・チャペルコンサート
                                                          朝位 真士
 
 今年もベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は一九九九年一二月一九日()の第一回よりクリスマス・チャペルコンサートを続けてくださり、今年で一八回目になります。
 ベアンテ先生は一九五一年スウェーデンのファルン市で誕生。一二歳の時からチェロを始められ、一九六七~七一年ストックホルム王立音楽大学で最優秀賞を受賞して卒業。一九七一~七二年ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として一九七九年シベリウス・アカデミー大学院を首席で卒業。一九八〇年から二〇一一年三月までの三一年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員チェロ奏者として室内楽等の演奏活動のほかに、チャペル・コンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、一九九二年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。インターアクト協力宣教師でもあられます。
 ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業後、西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。
 今日のメッセージ箇所は、マタイ二章一~一二節、「神様のみちびき」という題でメッセージを語られます。この箇所は、キリスト誕生の預言(ミカ五章一節)の成就として、東方の博士達が黄金、乳香、没薬の贈り物を救い主イエス・キリストに献げた箇所です。これはまさしくイエス・キリストの生涯を象徴している箇所です。ベアンテ先生のユーモアと愛に満ちたメッセーに期待しましょう。ハレルヤ!!

2016/12/11 週報メッセージ

   「きよしこの夜」クリスマスの定番曲
                                                          朝位 真士
 讃美歌一〇九番「きよしこの夜」の作詞者、ヨゼフ・モールがオーストリアのザルツブルク近郊にあるオーベルンドルフ村の助祭だった一八一八年のクリスマスのこと、教会のオルガンが故障しました。オルガニストだったフランツ・グルーバーはヨゼフに讃美歌の作詞を依頼し、自身がその詞に曲をつけ、一日で「きよしこの夜」を作りました。そして聖夜のミサでギターの伴奏で歌いました。
 以上が「きよしこの夜」誕生にまつわる定説です。しかし近年、賛美歌研究家の川端純四郎氏の調査により、ヨゼフがこの歌詞を作ったのは一八一六年で、場所もマリアプファルという別の村の教会だったことがわかりました。ヨゼフの母は貧しい裁縫師で、彼女が生んだ四人の子どもたちは全員父親が違いました。そのような境遇の中でもヨゼフは聖職者を志し、聖歌隊活動にも加わって音楽的素養を磨いたのでした。原詞は六節まであり、最後の節には「静かな夜、聖なる夜、神は長きにわたって私たちを心にかけ、その怒りから私たちをときはなち、世界のすべての民を保護し、いたわると約束された」とあり、ナポレオン戦争(一八〇三~一五年)によって疲弊した社会に神の平和を約束したのでした。オーベルンドルフの教会堂は今では「きよしこの夜礼拝堂」と呼ばれ、クリスマスには世界中から多くの人が集まって「きよしこの夜」を歌います。
 信徒の友一二月号の愛唱讃美歌選に記載されていた内容ですが、私はこの「きよしこの夜」をクリスマス・シーズンに歌うことにまた特別な思いをもちました。特に「神は長きにわたって私たちを心にかけ、その怒りから私たちをときはなち、世界のすべての民を保護し、いたわると約束された」とあるのは、主イエス・キリストのご降誕は全人類の罪の身代わりとして十字架にかかり、三日目に復活されるためであったという、今まさに時期を得たグッド・ニュースであります。

2016/12/4 週報メッセージ

   癒しの祈り
                              朝位 真士
 十一月三十日付のアパルームは、ヤコブの手紙五章一三~一六節、特に「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(一六節)でした。
 最近、私を含めて病気になる方が教会関係者ならびに身内に多く出ています。イエス様は「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ九章一二~一三節)とおっしゃいました。イザヤ五三章四~五節には「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。/彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」とあります。イザヤは苦難の僕としてのイエス様を語っています。
 クリスマスが近くなってまいりました。私の身内、友人、知人の方々が、ここで語ることのできないほどの苦しい病に悩まされています。私自身も病を抱えながら、それらの方々の苦しみの何万分の一でも共有することができるでしょうか。主イエス・キリストご自身が、全人類すべての人々の悩み、苦しみに耳を傾け、私共のためにいやしの祈りをしてくださることは、なんと幸いなことでしょう。皆様、密室で教会で、病める友のためにいやしの祈りを切望します。やがて迎えるクリスマスに一人でもいやされて、集うことができることを祈りましょう。

2016/11/27 週報メッセージ

   降臨節(アドベント)を迎えて
  朝位 真士
降臨節第一主日は、教会暦における元旦である。その日は十一月三十日の使徒聖アンデレの日に一番近い(後であっても先であっても)日曜日である。もし、アンデレの日が日曜日であったならば、その日が降臨節第一主日となる。降臨節は待望と憧憬(あこがれ)の期節である。これを「アドベント」というが、この字の意味は「来る(降臨)」ということである。それは、世界があげて救い主を待つ時節である。この期節は、神がみ子を世につかわすために、イスラエルを長い期間にわたって準備された、その準備の期間にもたとえられる。その長い数百年にわたる準備の年月に比べるならば、ここで行う降臨節の準備はむしろ短すぎる。昔の人は、大いなるみ子降誕の知らせを聞くために、長い長い世紀にわたって準備の時を要した。彼らは、まず第一に、神がひとりの神であることを学ばねばならなかった。ローマ人やギリシャ人は、古代人としては最も教養の豊かな民であったが、それでもなお多くの神々の存在を信じていた。しかし、イスラエルにおける信仰のあつい人々は、主なる神はただひとりの神であることを、くり返しまたくり返し教えられてきた。こうして、宗教に対する正しい理解が一通り行き渡ることが、主イエス降臨の前に望ましいことであった。ユダヤ人は、ほとんど当時の全世界に散在して、正しい神観念の普及につとめた。キリスト教を受ける下地を各所に用意した。ギリシャ語は、世界語(当時の社会)となっていて、どこに行っても福音が自由に伝えられるようになっていた。主イエスは、二千年の昔、ユダヤのベツレヘムに誕生したが、多くの人々は彼を迎え入れなかった。現代も主イエスを心の中に迎え入れる場所があるだろうか。心の中のわだかまっている諸々の悪念や、この世の思い煩いを取り去って、心の奥座敷に主を待たねばならない。