「皆様へのメッセージ」カテゴリーアーカイブ

春の陽ざしを感じながら

イメージ 1主を畏れることは知恵の初め
箴言第1章7節
3月は卒業式など、旅たちの季節でもあります。
同時に、新たな4月の時にむかい、主を畏れて時を迎える緊張感を覚えます。
イースターの喜びを思いながら
今年も春の季節が間近にあることを感謝します。
桜ヶ丘教会では
2014年度も、主に祝福され様々な事柄が心に残るものとなりました。
この世の知識や私達の分別を越えた主のお恵みによって、当教会の歩みを確かなものとさせていただいています。
主の御名を賛美いたします。

3月に入りました

イメージ 1春の嵐や桜の開花の時期がニュースになるのを待つ頃となりました。
早いものですね。梅の花は、見頃の時期を迎え、各植物園などでは、梅の花を目当てに訪れる方が増えているようです。
教会では、イースターを待ち望みつつ、3月を過ごします。先週の礼拝では、自分の知恵や力に頼っていないか、祈りと神への絶対的な信頼によって生活をしているかなどについてお話を伺いました。
本日は、仕える者になることについてのお話でした。
イエスの教えは、この世とはまったく対照的である。福音は逆説を含んでいる。捨てることによって獲得する。謙遜によって栄光を得る。
イエス様のこの世での歩みは、十字架の死に至るまで謙遜であられ、復活の栄光を与えられた。
「最も偉い者は誰か。」
この世の考えに、私達は染まってしまっていないだろうか。
イースターの時を待ち望みつつ、主に生きるとは何かを実生活で味わいつつ過ごしましょう。

2月の声

イメージ 1写真:K/Kさん提供
2月は、太平洋側にも雪を降らせ、東京でも大雪が降ったりします。
明日2月5日も、雪が積もるような天気予報です。
今週2月1日の礼拝では、詩編からお話をいただきました。
朝位フミ子先生のメッセージでした。
主は羊飼い わたしには何も欠けることがない
主は わたしを青草の原に休ませ 憩いのほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる
死の陰の谷を行くときも わたしは災いをおそれない
あなたがわたしと共にいてくださる
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける
                          詩編23編1~4
死の陰の谷とは、私達が自分の罪の中に歩くときをさしているというお話でした。主が、魂を生き返らせてくださる。
鞭と杖は何を指すのか。主は鞭をもって、また杖を与えてくださり、私達が正しい道に行くために、弱らないように力づけてくださる。
毎日、主の宮の中で、祈りつつ,感謝して歩んで行きたいですね。

2015年はどのように過ごされていますか

イメージ 1写真:K/Kさん提供
 今年の冬も、各地で大雪のニュースが流れています。雪国の除雪作業の大変さを思いながら、皆様が安心して生活できるようにと願い祈りつつおります。
 お正月気分も過ぎて,日常生活が戻りましたでしょうか。私は、昨年、親しい友人が天に召されたことを通し、いろいろなことを考えさせられました。
 私達の命は、神様からいただき、この世で出会う事が赦され関係性を持ち、共に過ごします。その事は何と素晴らしいことなのでしょう。友人が、近所にいていつでも会えると思っていたわけですが、そうでは無くなったとき、本当に寂しいものです。
良く、高齢者の方々で、ご近所の方が天に召され話相手も少なくなって寂しいという方のお話をお聞きします。友人は50代後半の若い女性でした。「主は与え,主は取られる。」という御言葉を思い出します。
友人がご紹介くださった多くの方とは、今後とも親交をはかり、御一緒に主を賛美できたらと思います。
 神様が共にいてくださり導いてくださいますから、今年もしっかりと主につながり、実り多き日々を過ごしたいと思います。今日一日に出会えたことを感謝し、主に栄光を帰することができますように。
 

2015/1/1 週報メッセージ

                                                              2015年を迎えて                                                                イメージ 1                              朝位 真士
 
   2015年を迎えて二つの聖句が与えられました。ヨハネ15章5節「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人とつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」とⅠコリント3章7節「大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」という二つの聖句です。
 2015年は桜ヶ丘教会が開拓されて92年目に入ります。1923年6月1日、初代牧師である故板井康裕先生が開拓されて、今日まで多くの牧師、伝道師、信徒、求道者たちによって苦難の歴史を乗り越えてきた教会ですが、1975年故西海静雄先生、満希子先生(現在越生教会)によって杉並区下高井戸4丁目にあるパールハイツ桜上水というマンションに教会独自の会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。1997年12月17日、現在地下高井戸3ー2ー9に59坪の土地と新会堂が与えられ今日に至ります。現住陪餐会員の半数の方々が天国へ行かれましたが、2014年には二人の方が転出され、二人の方が受洗され、二人の方が転入会されました。新しいメンバーが加えられ、いよいよ百周年に向かって桜ヶ丘教会丸も航海しています。
 今年はどんな荒波が教会に世の中に吹いて来るかわかりませんが、マルコ6章45~51節にあるように、逆風が吹いて来ても「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われたイエス様の言葉を思い出して、またクリスマスに「その名はインマヌエル」「神は我々と共におられる」と言われたことを信じる信仰に堅く立って、
2015年も主イエスと共に、また皆様方と共に前進して参りたく存じます。どうぞ桜ヶ丘教会丸が沈没しないように、向こう岸の神の国を目指して前進いたしましょう。

2014/11/16 週報メッセージ

   ホ群信徒・教職セミナーに参加して                                                                                                                                               朝位 真士
 
  11月10日~12日迄、市川サンシティで開催。全国から教師・信徒・神学生たちが109名出席した。今回も開会礼拝、聖会Ⅰ・Ⅱ、閉会礼拝の他、主題講演、パネルディスカッション、伝道協議会、分団協議、全体協議会がありました。今回は「こころの友伝道と教会形成」がセミナーの中心でした。「こころの友伝道」について、弁護士でありクリスチャンとして良き働きをされているS兄の講演があり、私の心の中に強くとどまりました。ここにレジメを記載します。
 Ⅰ.(1)こころの友伝道のあらましー手引きなどを参考にして。Ⅱ.(2)こころの友伝道の魅力ー個人的に。①自分だけではできない伝道に加われる。②牧師及び奉仕者との信仰の交わりのすばらしさに触れられる。③受洗の喜びを共にする。④自らの信仰が豊かになる。⑤教会に仕える喜びを味わえる。Ⅲ.(3)こころの友伝道と教会形成。Ⅳ.(4)教会形成における信徒の権限と責任ー同労者の根拠。①教会における牧師と信徒の役割。②万人祭司の理念。③教会形成への責任分担。Ⅴ.(5)こころの友伝道での協働性の実現。①チームによる伝道。②祈りによる交わり。③同じ目標を共有。④悲しみ、苦労、学びなどの共有。⑤それぞれの役割の尊重と尊厳。⑥喜びの共有。Ⅵ.(6)伝道活動の中での教会形成の重要性。①こころの友伝道の中での教会形成との関わり。②教会形成への関心の育成。③教会の伝道態勢への参加。④信仰の強化と豊かさ。⑤キリストとの結びつき。⑥伝道における教会形成の実現。⑦牧師の交代等と信徒の信仰の自立性。Ⅶ.(7)教会形成とこころの友伝道。①伝道が体質となる教会。②祈る教会。③教育訓練(奉仕)を受け入れる教会。

90周年記念誌発行

イメージ 1本日は召天者記念礼拝の日でした。
天に召された板井牧師、西海牧師を始め、信仰の諸先輩方を覚え、礼拝を捧げました。
 
また、昨年から発行を決定しておりました桜ヶ丘教会の90年の歩みを記念する冊子を発行することができ、本日、『記念誌』として、皆様にお配りすることができました。
原稿をお寄せ頂きました皆様には、本当に感謝申し上げます。
本記念誌が、主の栄光を表し、主に祝されますように願っております。
 
なお、100周年に向けて、教会の歩みの一つ一つを再度、掘り起こし、記録すべき内容を精査することが必要と感じております。
また、今回原稿をお出し頂けなかった方々にも、是非お願いをし、更に充実した記念誌にしたいと考えております。
 
兎に角、ホッとしております。
素敵な記念誌になりました。
今日お届けできなかった皆様には、1日も早くお送りできるようにいたします。主に感謝して。
 
 
 

9月の晴天の下で

イメージ 1上水公園で秋風に楽しそうに揺れていたコスモス
 
秋の澄んだ空気、空、美しく楽しげな花たち、紅葉の時を待つ樹木たち・・・・どれも味わい深く感じます。
 
 9月28日の礼拝の話では、「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の事実を通し、常識と信仰について考えさせられました。
 主イエスの奇跡のお話については、いろいろとお聞きしますが、「イエスの祝福」というテーマから牧師が語られました。5千人に食べ物を与えるという奇跡。
 「常識が優先すると、信仰の技が妨げられる」
「イエスのなされた奇跡」を、自分の常識で解釈してはならないと考えさせられました。奇跡の解釈では、自分にしっくりくる解釈を選び納得しようと思いがちです。
 科学的にも理解できるような解釈を選びがちです。しかし、科学をもって説明できる事実と説明出来ない事実があると言うことです。
 本お話では、3通りの人間像を観察しています。
1民衆、2目先のことに心奪われる弟子達、3民衆の必要に応えるイエスです。
 イエスの真の人格に眼がひらかれたときに、出来事の意味を知らされる。「イエスは生命のパンである」。5千人が食してもなお残りがいっぱいであった、と記録されている。多くささげられたものでも、少なくささげられたものでも、イエスが祝福されるときに、最善に変えられる。
 「5つのパンと2匹の魚」、その小さな捧げ物が、5千人の人が食してもなお残るほどに祝福を得て、民衆は満腹したとあります。奇跡の事実を、そのとおり考えた上で、聖書の全体、十字架につけられた主イエスが民衆に応えられた真実を考えなければと思わされました。
 私たちは、自分に頂いている祝福の賜物を心からささげ、最善に変えていただこうではありませんか。収穫の秋・・・・・。この世の人生で収穫した物を祝福していただき、用いていただける幸いを考える秋でもあります。
 
 
 
 
 

秋分の日が過ぎて

イメージ 1 秋晴れのすがすがしい日はどのように過ごしましたか。
 夏の日々を思い出しながら、深まる秋に思いをはせました。
 
 さて、先日9月21日の礼拝では、『洗礼者ヨハネの死』の聖書の話を通して、ヘロデ王の人間的な弱さと、私たちもその一人であることを改めて考えさせられました。
 ヘロデ王は自分の罪をヨハネに指摘され、それを隠すために彼を牢に入れ、その実は、ヨハネの正しいことを心に受け止め当惑しながらも喜んで耳を傾けていた。 しかし、ヘロデ王の罪の原因でもある妻(兄弟の妻であったが今や自分の妻)の娘に、何でも欲しいものをやろうと宴会で誓ってしまう。
 そして、娘はその母に伺いを立て、「洗礼者ヨハネの首」が欲しいと要望すると、ヘロデ王は、非常に心を痛めながらも、宴会の客の前で誓った手前、少女の願いを退ける事が出来ず、ヨハネの首をはねることを命じ、衛兵はヨハネの首を盆にのせて持ってきて、母娘に渡したのであった。
 
 世の権力を恐れずに、正面から罪を指摘したヨハネの勇敢な態度。
 
 真理よりも面子を大切にしてしまうというヘロデ王の弱さ。人目を気にして真理をつぶしてしまう弱さ。
 ヨハネの死の箇所は、朝位牧師もどのようにお話しようと考えていますと、お話の前に言われていましたが、とてもわかりやすく教えて頂き、改めて人間の勇敢さと弱さとを考えさせられました。
 
 
 

9月の雨

イメージ 1
写真:K・Kさん提供
 
今日は雨の中の日曜日でした。
少し肌寒いくらいの朝、礼拝に向けて歩きました。
 
このところのデング熱のことも気になり、蚊に刺されないようにしたい等と小さな事を気にしながら。
 
本日のお話は、12使徒の事でした。概要は以下のとおり。
12弟子を伝道に遣わされるが、2人ずつ組にして派遣されたとのこと。互いに助け合い、励ましあうことが、旅行が困難な当時は普通に行われ、彼らにはキリスト者としての重大な使命が与えられた。
1本の杖以外に何も持たないよう、服装も着の身着のままで行くように命じられ、この世的なものに心奪われずに、伝道に先進するように遣わされた。
弟子達は、神に対する信頼を確かなものにし、また、神を信頼することが人を信頼することでもあるということを学ぶ生きた訓練であった。
弟子達は、金銀ではなくキリストを差し示すことができる力があった。
これを受け入れない人々に対しては、神に委ねるとのこと。
神の国に必要なものは何かということを、この世的なものに執着していないかを、考えさせられました。