「皆様へのメッセージ」カテゴリーアーカイブ

暑さが増しました!

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暑さが急に戻りました。
梅雨開けが間近と思いながら、なお、この時期の大雨が気になります。
天気予報を確認しながら、健康には十分留意したいと思います。
今日は,教会では昼食時に皆様と一緒に少しゆっくりとすることが出来ました。
また、昼食はパン食にサラダ、ゆで卵,バナナでした。
現在、教会では病と闘っておられる兄弟姉妹が、いらっしゃいます。
わたしたちは、思いをどう伝えて、お慰めできるのかと考えてしまいますね。
一人ではなく主がともに側にいてくださることを信じ、祈らせていただきます。
今日の礼拝のお話は、「神のものは神に」と言うテーマでした。
これは、心を神にささげること、人生の重大事には、いつも神のことを覚えて行動するということでした。
この世は、神が与えてくださったものであると同時に、国家は独自の働きを持っていて、そこに従うことも求められるということ。
しかし、主に生きる者として、神に帰することが何かを私たちは知っています。私たちは神の家族に属し、キリストにつながり生きています。キリストの福音は神に属するものであって、この世に存在していても、誰も犯すことができない神のものであるといことです。
キリスト者として、心をささげ、キリストの福音を伝えることが、「神のものは神に」ということであることを教えていただきました。今週も、主の平安を歩きましょう。

7月に寄せて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
7月に入り、雨の日が続き寒いと感じるくらいの日もありますね。
今年の夏の天候が気になります。火山の活動が活発な様子等もニュースでは流れています。
今年は戦後70年が経過し、来月8月は終戦を記念する日を迎えますが、この7月に、改めて聖日に教会に出かけることができるということは本当に大きなお恵みと感謝します。
様々な状況を考えると、平和を作り出していく者になるということは、いま、自分の出来るところからやっていく、自分のためだけにしかならないことかもしれないけれど、平和を意識することから始めるということが、尊いことなのだと感じます。
日本の国が、本当に平和にずっといくためには、どうすれば良いのかを自分で考えるということも、自分に出来る第一歩。難しいから分からないではすまされないという思いがこみ上げてきます。(事実、わからないことが多いですが・・・・)
平和の君なるイエス様は、平和はまず私たちひとり一人の心に住まなければならないと言われると思います。
昨日の礼拝のお話は、『主がなさったこと』というテーマで、マルコによる福音書12章1節から12節の「ぶどう園と農夫」のたとえについてでした。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしの目には不思議に見える。」というところからのお話でした。
イエス様に対し、イスラエルの指導者達は不信仰のゆえに、そのメシア性を無視してしまう。そして、イエス様を十字架に付けてしまう。
しかし、神は、神の子なるイエスを、私たち罪人の救い主として中心におかれるいうことをなさった。
私たちの心に、イエス様の居場所を定めて、しっかり、生きていきたいですね。これが、主がわたしたちにしてくださった大きな恵みでありますから。

6月28日の聖日に寄せて

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2015年の6月も、残すところ本日1日だけとなりました。
梅雨の中にありますが、素敵なお時間を過ごすことで、思い出深い6月となった方もおられる事でしょう。
なお、長雨の影響などで大変困難な環境で闘っておられる方々の事を忘れることは出来ません。教会では、主のお恵みの中に、最善の環境が確保されるように祈っております。
6月28日は、「何の権威によって」というテーマで、マルコによる福音書11章27節から33節の聖書を通してお話をいただきました。
この世の権威に、私たちは従うとともに、この世の権威に従属的な精神構造を持ちやすい傾向にありますね。
偉い人とは誰か?お金を持ち、この世の物を我が物のようにする人か?権力を持った政治家か?等々、私たちは、権威、権力に、とても弱い者でもあります。
そのような中で、イエス・キリストが示される権威は何か。
「信仰の権威は、宗教の制度や職制によって与えられるものではなく、神の力、神の権威によって与えられるものである。人によるのではなく、神によって与えられた信仰のみが力で有り、権威である。福音の伝道はこの権威によってなされなければならない。」というお話でした。
権威という事改めて考えながら、過ごす1週間としたいと思います。
また、いつも、教会全体で、病の中にある兄弟姉妹、困難を歩く兄弟姉妹の事を祈り、ともに主にある平安を歩ませていただけたらと思います。この1週間も、主にあって健やかに過ごすことができますように。

岸義紘先生のチャペルコンサートを終えて

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6月7日(日曜日)の礼拝の後に
説教:岸義紘先生
テーマ「もう泣かなくてよいのだ」
聖書:ルカによる福音書7章11~16節
イエスはナインという町に行かれた。
これは、ひとり息子を無くして嘆き悲しんでいるある母親のところに行くことを目的に行かれた。そして、主はこの母親をみて、憐れに思い「もう泣かなくてよい」と言われた。とある。
「憐れに思う」ということは、内蔵がひきちぎられるほどに深い悲しみを伴われる思いであるということでした。
次に「イエスが、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。」とありますが、旧約聖書では、「棺に手を触れる」ということは、禁止されていた行為でそれを破ったことになる行為であったこと。
律法を超えて、手を触れられたということの大きな意味。
それほどまでして、ナインの母親を憐れに思い、助けられたというお話。
息子は生きかえり、母親に返されたということですが、ここに大きな意味が隠されているということでした。
生きかえった息子、棺に手を触れられたイエス様に出会い、皆一様に恐怖のような驚きと恐れをいだくとともに、お墓に向っていた棺とその悲しみの人々の群れは、反対に家の方にもどり、イエスの集団となったというお話でした。
ナインの母親も生きかえった息子も、イエスの集団となった。
神は、一人子であるイエス様を、罪ある人々が救われるために十字架にかけられた。しかし、イエス様が死に勝利し復活したことを見て、弟子達は驚きと恐怖をもってその事実を確かめ、イエスの集団となったということのお話でした。
イエス様の十字架の死を予告する出来事であった、このナインの母親と息子のお話です。
生きていれば、涙を流す深い深い悲しみを経験しますが、「もう泣かなくてもよい」とイエス様は言われました。
金銀の力で助けてくださるのではなく、ともに生きて助けてくださるイエス様がおられます。
これは、私達が、イエス様の勝利の道とその集団になっていくことができるということの力強いメッセージでした。
岸先生のお話を、もう一度じっくり考え、「イエス様はどこを目指しているのか」という問いの答えを聖書でたどってみたいと思います。

明日から6月

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暑い5月も過ぎて、明日から6月です。
ここ数日の地震の発生状況を考えると、冷静にこの時を過ごすことが出来るようにと、祈っております。
今回の地震のために避難されている方々、また東日本大地震のために避難生活が継続中の方々、
健康が守られ、主の最善の導きがあるようの心からお祈りいたします。
桜ヶ丘教会では、6月7日(日曜日)に特別礼拝があります。
創立92周年記念のチャペルコンサート。岸義紘先生のサクソフォンとメッセージです。
毎年、岸先生にお越しいただき、素敵な音楽、お話をいただいております。今年も楽しみです。
さて、2015年の5月が過ぎゆくなかで、晴れやかな5月を楽しみましたでしょうか。
桜ヶ丘教会では、ご高齢の方も多く、皆様と、教会でお目にかかれる主の恵みに感謝します。
90歳近くで、信仰を守って教会に通われる信徒の先輩方を、すごいなと思います。
人間の体は、疲れて前に進めなくなることもあります。しかし、神様に委ねて日々研鑽に努める意思があると言うことは、何と大きな主のお恵みでしょう。
私達を主が必要としてくださることに感謝し、今週も頑張って行きましょう。

風薫る初夏

イメージ 1写真提供:K/Kさん
初夏を思わせるようなこの頃の暑さです。
公園の草たちも伸びやかに成長しています。そして、木々は緑の濃さをましていて、生命の息吹を一層感じさせてくれています。
先週5月10日「盲人の信仰」メッセージは、マルコによる福音書からでした。
盲人がみえるようになるという奇跡について、イエスキリストの奇跡を受け取る信仰の手があってこそなされた奇跡であり、霊の目が開かれるという信仰の本質的なことが、宗教的権力者ではない、盲人バルティマイに行われていたことを教えて頂きました。これは、イエスにとっても大きな喜びであったことであり、私達も信仰により霊の目が見えるようになりたいというお話でした。
バルティマイは、チャンスが自分の前を通ったとき、機会を逃さなかった。イエスを信頼し、彼を呼び止めた。また、イエスを激しく求め、妨害に屈しなかった。目が見えるようになると、古い上着を脱ぎ捨て、イエスに従った。
率直に彼自身の求めをイエスに告げるという率直な信仰が、神の力を示し神の最善がなされることになった。
5月17日「主がお入り用なのです」のメッセージは、以下のような内容でした。
子ロバを「主がお入り用なのです」と、イエスの弟子達に、エルサレムに入る前に言わせました。
子ロバに乗って、エルサレム向かうイエス様を想像します。主の権威というものがどのようなものなのか、考えさせられます。霊の目で、この出来事を熟考することが必要と感じます。
私達一人一人も「主が入り用なのです」ということで、用いられています。あえて、弱く、力ない私達を必要としてくださいます。感謝して、主に仕えるものとなりたいですね。

5月連休が過ぎて

イメージ 1写真:K・Kさん提供
長い連休も明けて、仕事モードに入られた方も多いことと存じます。
新緑が目に入り、心もリフレッシュする季節です。
昨日5月7日(木曜日)には、桜ヶ丘教会では昼の祈祷会がありました。
2015年度から、第1と第3の木曜日には、昼も13時30分から祈祷会を実施することになりました。
自分達の考え方をコントロールするために主に助けていただくことの必要性を学びました。
「主において常に喜びなさい。あなた方の広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
私達が自分の心をコントロールすることは、聖霊による主の助けがあってはじめて可能になると思います。
日々、私達は泣いたり、悲しんだり、怒ったり、笑ったりとしますが、主にあって喜ぶことが必要であることを学びました。良くても悪くても主にあって喜びなさい。感謝をこめて祈りなさい。春の恵みに包まれながら、祈るという小さな行為によって、さらに祝福されることを感じつつ、来る日曜日(聖日)を待ちたいですね。

4月第2聖日の礼拝に思う

イメージ 1暖かな春から、一転して3月のような冷たさを感じつつ、4月が過ぎています。
皆様の体調は大丈夫でしょうか。
4月12日(日曜日)の礼拝では、子どものような心をもった人が、神の国を継ぐことができるということについて、お話をうかがいました。
神の国は神様からの贈り物であるという、素晴らしいことも改めて考えさせられました。
私達が何か努力して、善行を積むことによって得られるというような事ではなく、一方的な神の恵みによる、私達へのおくりもであるということ。
今、私達のこころの中に、神の国を見ることができたら幸いですね。
どのような、状況にあっても、絶望に終わることはなく、必ず希望の光が私達を導いてくださることを、日々感じて、感謝とともに過ごせることは、何と幸いな事でしょう。今日もイエス様が、共に歩いてくださいます。全幅の信頼を主において、日々、安らかに、進んでいけるように祈っていきましょう。

イースターの聖日

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写真:K/Kさん提供
イースターの朝、4月5日(日曜日)は、小雨が降っていました。
卵を公園に隠して、教会学校では、子供たちが卵探しをすることを楽しみにしていました。
教会学校の先生たちも、いつもの年のように、風薫る春の中で卵を探すことを楽しみにしておられました。
しかし、今年は、教会の会堂の中に、卵が隠されて、子供たちは、違ったイースターの時を過ごすことになりました。
主なるイエス様が復活された喜びは、どのようなことにも勝る大きなことです。
絶望の淵から、希望を待ち望むことができる勝利の道があることを確信できます。
桜ヶ丘教会では、今年4月から、日曜日の昼食を復活させました。
皆様で、お昼のひとときを過ごして、新しい1週間を備えることは、とても感謝なことです。
どうぞ、この昼食の時間を祝福していただき、主にある喜びを分かち合いましょう。
祈りつつ、歩まん!

3月第5日曜日の礼拝

イメージ 1桜の花も華やかに咲き始め、心が弾む春の日々です。
今日は、午後から曇り、小雨というあいにくのの天気になりました。
桜の花が行ってしまいそうなので、少し足踏みしていただけると、来る4月も、ささやかに桜の下を歩くことが出来そうです。
さて、3月29日の聖日は、神学生から、お別れのメッセージをいただきました。
「雄々しくあれ 主が共に歩いてくださる」
力に満ちた人生とは、主が共に歩かれる人生と教えて頂きました。
この世の基準でいう成功者の道とは違っていると思います。
このことを、しっかり心に受け止め、どのように生きることが大切なことか、考えて、雄々しく、力をこめて生きたいと思います。
礼拝の後に、お別れの食事会をいたしました。
24名の方々が、昼食に残ってくださり、感謝の思いを伝えるひとときを過ごすことが出来ました。
神学生の歩みが、主から祝福され、さらに日本の宣教に力をあたえていただけるように心から祈ります。
主に栄光あれ!