榊原紀惠子 のすべての投稿

2011/11/13 週報メッセージ

   ホ群信徒・教職共同セミナー
                                                                                                         朝位 真士
  11月7日~9日迄、市川サンシティでホ群信徒・教職111名が参加して、「ホ群教会の伝道と進展」~これからのホ群の伝道と教会形成~というテーマのもとセミナーが開催された。
 1日目開会礼拝では、委員長のU先生がマタイ4章18~22節「人間をとる漁師」という題で、証しと実績から、伝道と教会形成の基礎、力はどこにあるのかを語った。①ホーリネスを体験。神の聖、神の臨在と主イエス・キリストの十字架の贖い。②ホーリネスの群及び東京聖書学校への愛群心、愛校心、そして求心生。③今回のセミナーの講演と分科会の内容。多岐にわたる課題、それは主なる神からの負託。召命感、責任。漁師=プロ。④ホ群委員長としてホ群各教会の伝道・牧会体制の診断と援助の用意。将来的にはホ群で牧師の再研修、サポート機関・委員会を設置する必要あり。
 講演Ⅰ、ケース・スタディ、I牧師とY牧師。講演Ⅱ、伝道の実践、N牧師、F牧師。夜の礼拝、被災地の牧師、M牧師。
 二日目、伝道協議会(伝道部)、パネル・ディスカッション、分科会Ⅰ牧師のいやし(霊性の回復)、Ⅱ役員会運営、Ⅲ伝道力のアップ、Ⅳ子ども伝道、Ⅴ音楽伝道(ゴスペル)、聖会、説教S校長。
  三日目、全体協議会、閉会礼拝O牧師、マタイ9章35節~10章4節のイエス様が弟子を選ぶために祈られたことから祈りの重要性をアピールされた。
 セミナーに両牧師参加させていただき、私が感じたことと特記すべきことは、各先生方がその地域で一生懸命、伝道者のプロ意識を強くして誠実に取り組んでおられる姿。感動を覚えた。成果の上がった教会もあるが、全体的に苦闘している姿を感じた。東京聖書学校・吉川教会の改築・増築計画案が出て、予算9千万円が計上されている。群全体で支援していくことが話し合われた。

2011/11/6 週報メッセージ

   召天者記念礼拝を迎えるにあたって
                                                                                                           朝位 真士
  「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」(詩90・10)
 今年も召天者記念礼拝を迎えることができて感謝しています。葬儀の後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられます。どのような時に記念会をもつかについて特別の基準はありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍にした9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようです。しかし日取について特別な基準がない現状においては、適当な期間をおいた後、教会の暦に関連させて選ぶことが意義深いと思われます。それは、死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからです。教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活節(3~5月)、あるいは地方によって8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んでいます。
 今年は3人の方々が召天されました。一人はT兄です。1月25日に60歳8ヶ月の生涯を終えて天国へ旅立ちました。二人目はH姉です。2月4日に84歳6ヶ月でした。3人目はN兄です。8月13日に76歳6ヶ月でした。昨年も3人の方々が召天され、今年も3人の方々が召天されました。私が桜ヶ丘教会に赴任して18年目になりますが、30人位の方々の葬儀の司会をさせていただき、それぞれの方々の人生の最後の時に立ち会わせていただき、私もこの方々と同じように天国へ旅立たせていただくことができるという確信が与えられました。

2011/10/30 週報メッセージ

   秋期特別礼拝を迎えて
                                                                                                            朝位 真士
  「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリ5・17)
 今日は、1年間祈り続けて参りました松岡広和先生をお迎えできて、心より感謝いたします。先生は1962年、天台宗の寺の次男として東京谷中に誕生され、大正大学大学院修士課程を修了後、僧侶となられました。交換留学生として韓国、東国大学院留学中に聖書に触れ、キリストを信じてクリスチャンとなられました。その後、東京中央神学院で学ばれ、本田弘慈師より按手(牧師となる儀式)を受けられ、現在単立のぞみ教会牧師、また巡回伝道者として、全国はもちろん海外にも行って宣教活動をされています。「もと僧侶、いま牧師」として各所で数多くの講演をしていらっしゃいます。
 また先生の御本『牧師さんになったお坊さんの話』の帯に「仏教とキリスト教の違いとは? 天台宗の僧侶から一転キリストを伝える牧師となった著者。なにが彼をそうさせたのか。一途な求道心に満ちた半生と、仏教とキリスト教の根本的な差を語る」とあります。また2冊目として『イエスに出会った僧侶』(ありのままの仏教入門)があります。
 先生は高校生の頃から「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか」といった疑問をもち、生きる目的とは何かを見出そうと自ら望んで僧侶の道に入られ、大学では仏教の研究をされたようです。そして1988年に韓国仏教を研究するためにソウルに留学され、クリスマスの時にソウルにあるキリスト教会に行かれて、「イエス様こそ真理だ。私の人生はこのイエス様のものだ。イエス様が人生を導いていらっしゃる」という喜びで心がいっぱいになり、クリスチャンになられました。その続きはメッセージを聞きましょう。

2011/10/23 週報メッセージ

   秋期特別礼拝を前にして
                                                                                                            朝位 真士
  「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5・17)
 「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2・4)
 いよいよ来週10月30日(日)午前10時半と午後1時半の2回、松岡広和先生のメッセージが行われる予定です。期待しましょう。
 先生には2冊の御本があり、1冊目『牧師さんになったお坊さんの話』の帯に、「仏教とキリスト教の違いとは? 天台宗の僧侶から一転キリストを伝える牧師となった著者。何が彼をそうさせたのか。一途な求道心に満ちた半生と、仏教とキリスト教の根本的な差を語る」とあります。また2冊目として『イエスに出会った僧侶』(ありのままの仏教入門)があります。
 松岡広和先生は1962年、天台宗の寺の次男として東京谷中に誕生されます。大正大学大学院修士課程を修了後僧侶となられ、交換留学生として韓国、東国大学院留学中に聖書に触れ、クリスチャンとなられました。その後、東京中央神学院で学ばれ、本田弘慈師により按手(牧師となる儀式)を受けられ、現在単立のぞみ教会牧師、また巡回伝道者として、全国はもちろん海外にも行って宣教活動をしておられます。
 私が先生と出会ったのは、201年9月9日に行われた東京聖書学校の特別公開講座の時です。2回の講演をうかがい、ぜひ桜ヶ丘教会でメッセージをと依頼しました。先生のお話は非常にわかりやすく、感動的な語り口です。どうぞお祈りと同時にご出席ください。

2011/10/16 週報メッセージ

   本末転倒                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  佐藤彰先生の著書『苦しみから生まれるもの』に、「本末転倒」という項目があり、少し転記したい。
 
  「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。」(箴言14・4)
  教会は醜い、汚い、だから行かない。協力しない。一見もっともらしい理屈です。しかし、信仰とはその程
 度のものなのでしょうか。いったん問題が起こったら、それまで。とたんに身を引いてしまう。しかし聖書は
 箴言14章4節に語っています。
  飼葉おけをきれいに保つ最も手っ取り早い方法。それは牛を追い出すことです。しかし、そのように考えて
 しまったら、元も子もありません。教会は聖人君子の集まりではありません。赦された罪人の集まりです。そ
 こに様々の問題や苦しみが起こることは避けられないのが現実です。しかし、だから教会を去るというのは本
 末転倒の信仰のあり方なのです。醜い面のみを見つめ、教会に何か思いがけないことが起こったかのように
 失望してはなりません。そのような愚かな者をも用いて主のみわざの一端に加えていただく。そんな信仰者で
 ありたいのです。
 
 佐藤先生の文章を読みながら、特に私共ホーリネス教会(教団の中のホーリネスの群)は聖めを強調する余り、聖められていない人をとかく裁きがちで、いつの間にか自分がパリサイ人、律法学者の立場に立っていることを反省したいと思う。勿論、教会は聖なる場所であるが、私達は皆罪人である。聖くしてくださるのは私の力ではなく、主イエス・キリスト様である。教会に必要なことは、「神の愛」によって兄弟姉妹として協力して主の為に御用していくことであると思う。                                                               

秋季特別礼拝

イメージ 1(写真:九州阿蘇山の秋の風景)
 
急に秋風が心にしみて、2011年の後半期を感じさせられております。
桜ケ丘教会では、今年の秋季特別礼拝を以下のとおり行います。
 
日時:2011年10月30日(日)午前10:30~
講師:松岡広和先生(のぞみ教会牧師)
テーマ:変えられた人生
 
松岡先生は、仏教の僧侶であられましたが、キリスト教に出会い牧師になられまして、現在、牧師として他方面で御活躍されています。
わたし達も、日本的なものの考え方から、キリスト教的思考をどのように受け止めたらよいのかしばしば考えてしまうこともあると思います。
日本の文化には、キリスト教的な考え方が実は深く根ざしていると言われる方もおられます。
 
松岡先生のメッセージをとおして、この秋イエス・キリストに出会える方々が多くいらっしゃいますようと願いつつ、祈りつつ特別集会を待ちましょう。
 
それから、11月20日(日)午後に東日本大地震の復興支援ということでバザーを教会で行います。
バザー用品を受け付けておりますので、ご協力をお願いいたします。また、福島から、果物や野菜など運んでまいりますので、是非、風評被害に遭われている方々にも細くても長い支援、つながりができたらよいと考えております。
 
 

2011/10/9 週報メッセージ

   伝道の秋に祈りを
                                                                                                           朝位 真士
  「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1・36)
 あわただしい1日を終え、翌朝早く、イエスは祈られました。ひとり静かに神と交わる姿は、神に遣わされ、神の御心を食物とするイエスを描いています。
 神様につながらない人生は、どんなに金持ちになったとしても、どんなに有名になったとしても、またどんなに楽しくてもやがては枯れる人生です。祈りという方法を通してもっともっと神様からの無限の霊的な恵みを吸収すべきなのです。星野富弘さんの詩の中に、「花が上を向いて咲いている 私は上を向いてねている あたりまえのことだけど 神様の深い愛を感じる」というものがあります。どんな草花も暗闇に向かって咲きはしません。みな光の方、天に向かって咲きます。冬が来れば枯れますが、春になるとまたいのちが芽ぶきます。私たちにはさまざまな人生の葛藤の冬がありますが、それは春になって芽ぶくためです。光に向かって咲くためです。この異教社会の中でも主が生きておられるということを、祈りによって深く体験し、感動してそれを証しするためなのです。
 さて、今月10月30日(日)午前10時半、秋期特別集会が桜ヶ丘教会で開催されます。「僧侶からキリスト教牧師」になられた松岡広和先生です。先生は日本全国を始め海外の方へ精力的に宣教活動を展開されておられる器です。私共の教会の特伝のため、1年前より祈ってきました。教会関係の皆様、毎日1回この特伝のために祈ってください。特に礼拝ならびに祈祷会、密室の祈りの時は必ず祈ってください。この伝道の秋、収穫の秋に、まず祈りをもってこの集会に期待しましょう。皆様方の熱祷を期待しています。主は必ず応えて祝福を与えてくださいます。

2011/10/2 週報メッセージ

   東京チャペル・コンサート
                                                                                                      朝位 真士
  日本キリスト伝道会主催の「東京チャペル・コンサート」が9月25日(日)午後2時半、桜ヶ丘教会で開催された。3人の方々が御用された。音楽部門では、黄原亮二先生(チェロ)。東京芸大大学院修了。JT音楽賞受賞。ジュリアード音楽院に留学。日中国際コンクール第2位。東京交響楽団副首席奏者。  ソロの他、TV音楽、CD・DVD出版。上海万博でも演奏。小西優子先生(ピアノ)。大阪音大卒業。米国留学、演奏活動。WHS神学科卒業。北本福音キリスト教会音楽主事。T・C・U非常勤講師。メッセンジャーは江上環先生(日本ナザレン教団横浜青葉台教会牧師)。私共の教会は、この特別集会を自分たちの教会の宣教の働きとして全面的に協力させていただいた。4千枚のチラシのうち3千枚は三社の新聞折込として、1千枚は個別配布とした。
  音楽は最高の演奏であった。曲目は、白鳥、リベルタンゴ、G線上のアリア、You Raise Me Up、超技巧練習曲「回想」より、いつくしみ深き友なるイエスは、スピリット・ソング、チャルダッシュ。チェロとピアノの素晴らしい演奏会であり、数十分があっという間に過ぎていった。まるで大きなホールの演奏会に出席した雰囲気であった。
 立証は東京聖書学校神学生、野々川藍姉であり、不幸な家庭から救われて、献身に導かれた明確な救いと献身の証しであった。
 メッセージは江上環先生がヨハネ5章1~10節、「もう大丈夫」というテーマで、ユーモアとウィットに富んでおり、初心者にも信仰者にも大変有意義な内容であった。
 最後に、協力してくださった関係者各位ならびに桜ヶ丘教会の方々に深く深く感謝申し上げつつ、主に栄光を帰したい!!

2011/9/25 週報メッセージ

   ある信仰者の百歳記念祝賀会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  フミ子牧師の母ウメ姉は1911年(明治44年)9月2日誕生で、百歳のお祝い会を開催した。親類縁者が30名近く集まり、私共も出席した。ウメ姉の四男のY牧師がメッセージを語った。聖書箴言16章31節「しらがは栄光の冠、それは正義の道に見出される」、イザヤ46章3~4節「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。あなたがたがしらがになってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って救い出そう。」(新改訳)その中で、参加者一同で声を出してウメ姉に語った言葉をお伝えする。
 
  お母さん!おばあちゃん!おおおばあちゃん!100歳のお誕生日おめでとうございます!私たちは、お 
 ばあちゃんの100歳のお誕生日がお祝いできるなんて、なんと幸せなのでしょう。
    おばあちゃん、私たちに信仰の遺産を残してくれて、本当にありがとうございます。私たちもおばあちゃん
 のように、常に喜んで、絶えず祈って、すべてのことに感謝して生きていきたいと思います(Ⅰテサ5・16
 ~18)。これからもよろしくお願いいたします。おばあちゃんの上に、神さまの恵みと祝福がいっぱい、い
 っぱいありますように、子どもたち、孫たち、ひ孫たち一同、心からお祈りしています。
 ウメ姉は6人の子供(男4人のうち3人牧師、娘2人のうち1人牧師)が与えられ、子供全員クリスチャンで、
4人が牧師であるという、素晴らしい恵まれた家庭である。50歳頃に夫を亡くし、6人の子供も信仰の力と姉の努力によって立派に育てられ、なお百歳としてお元気であるということは、すべて神の恵みの一言に尽きる。

2011/9/18 週報メッセージ

   もと僧侶 いま牧師
                                                               朝位 真士
 「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2章8節)
 秋は伝道の時期です。勿論、伝道は毎回がチャンスです。その絶好のチャンスを与えてくださるのが松岡広和先生です。1年前より先生にお願いし、10月30日(日)午前10時半に桜ヶ丘教会でメッセージを語っていただくようになりました。
 先生は寺の住職の息子として1962年に誕生されて、高校生の頃から「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか」といった疑問が先生の心を支配するようになったそうです。生きる目的とは何かを見出そうと自ら望んで僧侶の道に入られ、大学では仏教の研究をされたようです。先生は、仏教は深遠で、その思想、哲学の中には偉大な真理が隠されているように思え、いつかきっと真理に目覚める時が来るだろうという期待を持ち、山に行ってさまざまな修行もしたようです。そのような人生の問題の解決を得たのは、「仏教を究めるため渡った韓国でイエス・キリストに出会った」ことからでした。先生は1988年に韓国仏教を研究するためにソウルに留学され、クリスマスの時にソウルにあるキリスト教会に行かれました。僧侶としての宗教的教養として聖書も学ぶ必要があるのではないかと考え、その教会で聖書の勉強を始められました。聖書の言葉が先生の心に響いてきて、「神さまはいらっしゃる」という力強い確信が心に刻まれ、「イエスさまこそ真理だ。私の人生はこのイエスさまのものだ。イエスさまが人生を導いていらっしゃる」という喜びで心がいっぱいになり、クリスチャンになられました。やがて神学校に行かれ、キリスト教の牧師となられて、現在全国を福音のために回り、イエス・キリストのメッセージを語っておられます。どうぞお祈りと同時に期待してください。