榊原紀惠子 のすべての投稿
2012/12/2 週報メッセージ
クリスマス・チャペルコンサート
朝位 真士
ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて心より感謝申し上げます。
私共の教会が1998年2月に献堂式を終えて、翌1999年12月19日(日)に第1回のクリスマス・チャペルコンサートで両先生をお迎えして、今年で14回目となります。12月のクリスマス・シーズンでお願いしていますが、今回はいつもより早く来てくださった感じがいたします。
先生方は各地で演奏会、礼拝、伝道会、聖会の御奉仕をしておられ、日本全国、北海道から九州・沖縄まで、また海外へも福音のためなら手弁当で行かれる、まさしく神の福音の伝道者です。ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められました。1967年~71年、ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事。最優秀賞を受賞して卒業し、1971年~1972年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められました。最終的にフィンランド政府給費留学生として1979年首席で卒業されました。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員首席チェロ奏者として、室内楽等の演奏活動の他にチャペルコンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。フィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。インターアクト協力宣教師でもあられます。
ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルクバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラス学ばれました。ベアンテ先生とペアで、各地で良い御奉仕を続けておられます。大いに先生方に期待して、神に栄光をあらわして行きましょう。
2012/11/25 週報メッセージ
朝位 真士
2012年11月22日(木)~23日(金)、桜美林大学多摩アカデミーヒルズで、「伝道するわたしー喜びに押し出されてー」というテーマで深井智朗先生(金城学院大学宗教主事・教授)の講演があった。内容は次の通り。
この内容を少しずつ実践していきたいと思う。
2012/11/18 週報メッセージ
牧会雑感
朝位 真士
先日、義母の葬儀に列席しました。彼女は101歳で天に帰られました。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられる。」(ヨブ1・22)
御言葉の如く東北地方青森県十和田の三本木で三男八女の長女として誕生し、家族を扶養するために下働きをして、21歳の時、故小原十三司師より受洗し、結婚して8人の子供が与えられました。6人が生存して全員がクリスチャンとなり、5人は献身しています。東京にて夫妻で町工場を二つ経営し、49歳で未亡人となり、女手一つで6人の子供を養育しました。その間、教会建設のために多額の献金を捧げられました。S教会、T教会、A教会、N教会、S教会、K教会、S教会等、枚挙にいとまがないほど多くの教会建設に尽力されました。自分たちには一つの財産も持たず、借金もなく、皆捧げてこられました。
義母は信仰の人で、愛をもって仕える人でした。彼女のモットーは、①人に迷惑をかけない、②無駄な話はしない、③文句を言わない、④わめいたり、愚痴ったりしない、⑤人の悪口をいわない、というものでした。現在親族、身内の中から十人位の牧師、伝道師等が与えられて、一線で奉仕をしています。101歳で召天される数日前まで義姉と共に毎朝聖書を学び、祈りを捧げて、誰に対しても徹底的に仕える僕の姿で生きてこられました。キリストの僕として愛をもって生きてこられました。必ず大声で「アーメン」と言って祈っていました。主に栄光を帰したいと思います。
「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブライ12・14)
2012年度桜ヶ丘教会バザー
2012/11/11 週報メッセージ
牧会雑感
朝位 真士
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3・1)
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)
ホ群セミナーが11月5日~7日迄、市川サンシティで開催され、全国からホ群関係の教職・信徒が100名以上集まりました。その際一人の地方からの役員と再会しました。彼は私共が依然奉仕したF教会の役員として牧師と上京されました。大学時代、元東大総長の矢内原忠雄先生の講演を聴き、内村鑑三著作全集を読み、クリスチャンとしての逞しい生き方に感銘を受けたようでした。卒業後、会社人間として休日返上で仕事に打ち込んでいました。その際、娘さんのピアノのレッスンで教会に通い、フミ子牧師がピアノを教えているうちに、彼も1~2ヶ月に1回ほど教会に通うようになりました。
1989年10月、会社の重要な地位を50歳で与えられ、自分を見直し、会社や人に真に役に立つ新たな生き方を模索しようと考えた結果、洗礼を決意され、1989年12月24日クリスマス礼拝で受洗をされました。無教会を唱える内村鑑三先生の生き方に共感を覚え、洗礼を受けないと決めていたようですが、内外にクリスチャン宣言をして自らを律していこうとの思いが与えられて受洗をされたようです。
現在はF教会の役員として、牧師の片腕として、また年老いた方の送迎を率先してされ、礼拝・伝道会(夕拝)・祈祷会に積極的に参加しておられるとのことです。彼の輝いた顔に私自身の信仰の在り方を反省させられました。
召天者記念礼拝にて
2012/11/4 週報メッセージ
召天者記念礼拝を迎えるにあたって
朝位 真士
「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(ヘブライ11・16)
「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3・20)
葬儀後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられます。特別の基準はありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようです。死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからです。
教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活祭(3~5月)、地方によって8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んでいます。
今年は4人の方々が召天されました。一人目はA兄です。1月14日に召天されました。元NHKアナウンサーであり、大学教師として教鞭を取られ、アナウンサー教室の講師をされていたことをご遺族が語っておられました。二人目はK姉です。4月2日に召天されました。18歳で受洗して25歳でご結婚され、二子が与えられました。三人目はI兄で、6月3日に召天されました。奥様のお話では大変温厚なご主人であり、父親であられました。大学で金属の研究をされた方で、継続しておられたら大きな賞を得られたと思います。四人目はK姉です。7月1日に召天されました。お元気な時は、ご主人と礼拝・祈祷会に出席しておられたということが、K姉のお手紙に書いてありました。
四人の方々のご遺族ならびに今日記念礼拝を迎えておられる一人一人の上に神の祝福をお祈りいたします。
10月も過ぎていきますね
2012/10/28 週報メッセージ
宗教改革記念日に想う
朝位 真士
「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧師、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは、奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4・11~13)
10月31日は宗教改革記念日である。1517年10月31日、マルチン・ルターは、自らの純粋な宗教的心情からローマ教会の反省を求め、「罪の赦しはどこまでも、イエス・キリストの十字架を信じる信仰にあり、免罪符によっても、金銭によっても赦されることはありえず、教皇や教会にはその権威はなく、その力もない」と、ヴィテンブルグ城教会で95ヶ条提題を当時のカトリック教会に提出した。宗教改革記念日の起源である。
プロテスタントの三大原理は、①聖書のみ、②万人祭司、③信仰のみ、である。「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1・16~17)「正しい者は信仰によって生きる。」「生きる」とは「救われて生きる」といういみであり、「信仰によって」は、「信じるすべの人」に相対している。「義人」とは神の義を与えられた人のことである。救いを受ける上でキリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約と本質的に同一のものである。私たちは、行為によって、善行難行して救われるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって救われるのである。