榊原紀惠子 のすべての投稿

2014/12/21 週報メッセージ

   クリスマス・チャペルコンサート
                                                                                                         朝位 真士
  ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生を今年もお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は1999年12月19日(日)の第1回クリスマス・チャペルコンサートから続けて今年で16回目になります。
 ベアンテ先生は1951年、スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められ、1967年~71年、ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事、最優秀章を受賞して卒業。1971年~72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年、シベリウス・アカデミー大学院を首席で卒業。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペル・コンサートを始めとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。またインターアクト協力宣教師でもあられます。ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。
  今日の先生のメッセージはイザヤ9章6~7節、「ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。主は御言葉をヤコブに対して送り、それはイスラエルにふりかかった。」という聖句より「イエスの与える平和」と題して取り継がれます。どうぞ祈り心をもって、クリスマスのメッセージをお受け取りください。あなたに平安(平和)があるように!!

2014/12/14 週報メッセージ

   クリスマスを迎えて
                                                                                                          朝位 真士
  今年もクリスマスを迎えることができて感謝しています。私は1661年12月24日(日)クリスマス礼拝の時、母教会の故山中日出刃牧師より受洗させていただきました。あれから53年経過しています。しかし私の心は青年時代のあの喜びと感謝に今も満ちています。
 私の心の中に一番強く残っている御言葉はヨハネ3章16節、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(口語訳)です。特に「神は……世を愛された」という語で、「神の愛」です。神が愛に満ちたお方であるということは聖書の一貫したメッセージです。人間はそうした神の期待を裏切りました。しかし、神はそのように背いた人間をただちに滅ぼしませんでした。「世を愛された」とありますが、これは「人間を愛された」と言い換えても良いかと思います。もう少し具体的に言うならば、「この朝位真士を愛してくださった。」「世」はイエス・キリストを憎み、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」などをもって人を神から引き離そうと誘惑します。そうした世の背後には「世の支配者」である悪魔(サタン)の存在があります。したがって、悪魔に惑わされて神に背を向けている私たち人間を、神が愛してくださったということです。
 そのクリスマス、来週21日(日)はベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えして、クリスマス・チャペルコンサートを開きます。一人でも多くの方が来場されて、先生の素晴らしいチェロ演奏とメッセージを聞いていただきたいと思います。24日(木)のイヴ集会では、齋藤神学生のメッセージと高田トリオのジャズ演奏に注目しましょう。祈って待ち望んで、2014年度クリスマスを迎えようではありませんか。一人ひとりが良きクリスマスを!!

2014/12/7 週報メッセージ

   クリスマスの歴史
                                                                                                         朝位 真士
  アドヴェントの第2週に入りました。今日は「クリスマスの歴史」について、少し学んでいきたいと思います。ドン・ボスコ社の記事より引用します。
 
  初代教会は、イエスの正確な誕生日を知りませんでした。また、今のように毎年クリスマスをお祝いするよ
 うな行事もありませんでした。「羊飼いが夜通し、羊の群れの番をしているとき」(ルカ2・8)イエスは生まれた
 と、聖書は記しています。もしこれが冬ならば、寒くて羊飼いも羊も凍え死んでしまいます。では、どうして
 12月25日に祝うようになったのでしょうか。その昔、聖アウグスチヌスは、ローマ教皇によって、ヨーロッパ
 北部へ派遣されました。ヨーロッパ北部では、12月25日は「太陽」を祭る日でした。この日になると、日が
 長くなり、太陽が勢力を盛り返すかのように人々の目に映っていたのです。キリスト教を広めるときは、その他
 の人々に伝えてから、太陽の復活を祝うかのようにイエス・キリストの誕生を祝うようにしました。
 
 私はこの記事を通して、一つのことが頭に浮かびました。確かに、イエス・キリストの誕生にはいろいろな説があると思いますが、この事実は変わらないということです。イエス・キリストは今から約2千年前、ユダヤのベツレヘムで、聖霊によってみごもった乙女マリヤから誕生しました。そして私達の罪の身代わりとして十字架にかかって死に、3日目に復活されて、目には見えませんが今も聖霊というお姿で、信じるすべての人々の心の中に生きています。この事実を、クリスマスの時期にもう一度確信しています。このクリスマス・シーズンに、私達の心の中にイエス・キリスト様をお迎えして、「インマヌエルの主」を心から感謝しようではありませんか。

2014/11/30 週報メッセージ

   待降節(アドベント)を迎えて
                                                                                                          朝位 真士
 
  アドヴェントとは来臨の意味で、主イエスの受肉された降誕を迎える心の準備をするとともに、再臨の準備の時ともされています。フランス・スペイン地方の教会で、クリスマスに洗礼を受ける準備の期間を40日間として守ったのですが、後にローマ教会がこれを取り入れ、クリスマスを迎える準備の時とし、11月30日に最も近い主日から始まるものとされ、降誕節4週間前の日曜日から救い主を待ち望むように守られております。アドベント・クランツにローソクが4本立てられますが、このローソクがクリスマスの四週間前の日曜日から1本ずつ点火され、最後に4本とも点火されることになっています。
 人類の歴史を紀元前(BC=キリスト以前)、紀元後(AD=ラテン語でキリストが来られてから後の「主の年」)に二分します。イエス・キリストの誕生が今も世界中で祝われるのはなぜでしょうか。なぜ彼の誕生を境に歴史が二分されるのでしょうか。それは全人類に対する熱いメッセージが、救い主の誕生に込められているからです。クリスマスは「昔あるところに……」というおとぎ話ではなく、実際にキリストが生まれた史実であるということを是非知りたいと思います。
 私はクリスマスの時に受洗しました。1961年(昭和36年)12月24日(日)、北九州復興教会の山中日出刃牧師より受洗させていただきました。18歳の高校3年生の時です。以来53年間、あの時信仰の決断へと18歳の若者を導いてくださった母教会の先生を始め、信者の方々の祈りに深く感謝しています。今年も受洗される方が一人でも与えられることを、このアドヴェントの時期に強く思う今日この頃です。

2014/11/23 週報メッセージ

   収穫感謝日を迎えて
                                                                                                        朝位 真士
  「あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。」(出エジプト23・16)
 この祭りは、ユダヤ暦7月15日(秋分の日に近い満月)から1週間守られました(申命16、レビ23)。これはヘブル人の年末、即ち秋の収穫を終わって守られるものでした。春の小麦の収穫、七週の祝いとともに神への感謝の祭りでした。日本では国民の祝日である「勤労感謝の日」(11月23日)が、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝し合う」として1947年に定められました。第一次世界大戦前は、この日を「新嘗祭」と呼び、皇室祭礼の行事の日でした。アメリカで清教徒が11月第4木曜日に収穫感謝祭を守ったことに合わせて、11月第4主日に収穫感謝祭を守るようになりました。教会ではこの日に、果実、その他収穫された物を持ち寄り、愛餐の時をもっています。私共の教会では、教会学校で果物を持参して感謝の一時をもっています。
 私共の教会も2014年度が4月から始まり、イースター礼拝が4月20日に行われ、安東めぐみさんが受洗されました。4月27日には教会総会。5月20日、90周年記念誌懇談会。6月1日、創立記念特別礼拝に、岸義紘先生(サックス奏者、元JTJ神学校校長)をお招きしました。6月8日、ペンテコステ礼拝に杉本茂先生が御用してくださり、10月26日にはチャペル・コンサートを開催。吉岡篤志氏(ヴァイオリン)と長瀬賢弘氏(ピアノ)を招いての集会でした。11月2日、召天者記念礼拝に「創立90周年記念誌」が発刊され、約300冊を出席者ならびにホ群・教団・教区・朝祷会その他の関係者に贈呈し、感謝することができました。残された数ヶ月間も主に感謝していきたいと思います。

2014/11/16 週報メッセージ

   ホ群信徒・教職セミナーに参加して                                                                                                                                               朝位 真士
 
  11月10日~12日迄、市川サンシティで開催。全国から教師・信徒・神学生たちが109名出席した。今回も開会礼拝、聖会Ⅰ・Ⅱ、閉会礼拝の他、主題講演、パネルディスカッション、伝道協議会、分団協議、全体協議会がありました。今回は「こころの友伝道と教会形成」がセミナーの中心でした。「こころの友伝道」について、弁護士でありクリスチャンとして良き働きをされているS兄の講演があり、私の心の中に強くとどまりました。ここにレジメを記載します。
 Ⅰ.(1)こころの友伝道のあらましー手引きなどを参考にして。Ⅱ.(2)こころの友伝道の魅力ー個人的に。①自分だけではできない伝道に加われる。②牧師及び奉仕者との信仰の交わりのすばらしさに触れられる。③受洗の喜びを共にする。④自らの信仰が豊かになる。⑤教会に仕える喜びを味わえる。Ⅲ.(3)こころの友伝道と教会形成。Ⅳ.(4)教会形成における信徒の権限と責任ー同労者の根拠。①教会における牧師と信徒の役割。②万人祭司の理念。③教会形成への責任分担。Ⅴ.(5)こころの友伝道での協働性の実現。①チームによる伝道。②祈りによる交わり。③同じ目標を共有。④悲しみ、苦労、学びなどの共有。⑤それぞれの役割の尊重と尊厳。⑥喜びの共有。Ⅵ.(6)伝道活動の中での教会形成の重要性。①こころの友伝道の中での教会形成との関わり。②教会形成への関心の育成。③教会の伝道態勢への参加。④信仰の強化と豊かさ。⑤キリストとの結びつき。⑥伝道における教会形成の実現。⑦牧師の交代等と信徒の信仰の自立性。Ⅶ.(7)教会形成とこころの友伝道。①伝道が体質となる教会。②祈る教会。③教育訓練(奉仕)を受け入れる教会。

2014/11/9 週報メッセージ

   90周年記念誌発刊に寄せて
                                                                                                           朝位 真士
 
  「神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8章28節)
 桜ヶ丘教会が昨年90周年を迎え、役員会並びに教会総会で90周年記念誌を作ろうと計画しました。今まで記念誌を出したことがありませんでしたので十分できなかった事もありますが、無事に完成しました。桜ヶ丘教会は1923年(大正12年)、板井康裕先生が世田谷桜新町の自宅で東洋宣教会の福音使として伝道を開始して誕生しました。その後多くの牧師・伝道師が遣わされましたが、西海牧師夫妻の26年間に様々な試練を乗り越えて牧会伝道・教会形成が進み、マンションの3室を取得しました。1997年12月17日に現在の会堂が完成し、17年が経過しました。私共が赴任して20年が過ぎましたが、その間に約40名の方々を天国に送りました。その中には、当時共に会堂建設のために戦った教会員の方々も多く含まれています。
 今後の課題は、現住陪餐会員を増し、教会財政を立て直すことです。信徒の方々の高齢化が進み、教会に来られなくなっている方々が多くなり、後継者の問題が緊急な祈りの課題です。礼拝出席を40~50名に回復したいと祈っています。受洗者・献身者が与えられ、全員が神の愛の共同体の一員として、一人ひとりの教会員や求道者の賜物が生かされて、主イエス・キリストの教会が形成されることを祈っています。また教会が本当に居心地の良い場所として心のオアシスになって、開かれた教会にふさわしく地域の方々にも親しんでいただきたいと願っています。

90周年記念誌発行

イメージ 1本日は召天者記念礼拝の日でした。
天に召された板井牧師、西海牧師を始め、信仰の諸先輩方を覚え、礼拝を捧げました。
 
また、昨年から発行を決定しておりました桜ヶ丘教会の90年の歩みを記念する冊子を発行することができ、本日、『記念誌』として、皆様にお配りすることができました。
原稿をお寄せ頂きました皆様には、本当に感謝申し上げます。
本記念誌が、主の栄光を表し、主に祝されますように願っております。
 
なお、100周年に向けて、教会の歩みの一つ一つを再度、掘り起こし、記録すべき内容を精査することが必要と感じております。
また、今回原稿をお出し頂けなかった方々にも、是非お願いをし、更に充実した記念誌にしたいと考えております。
 
兎に角、ホッとしております。
素敵な記念誌になりました。
今日お届けできなかった皆様には、1日も早くお送りできるようにいたします。主に感謝して。
 
 
 

2014/11/2 週報メッセージ

   召天者記念礼拝を迎えて
                                                                                                           朝位 真士
  日本キリスト教団では、11月の第一聖日が「聖徒の日」となっている。この日は、信仰の先輩たちのことを想起しながら、お互いが担っている使命を自覚することが必要である。この「召天者記念礼拝」に特別な基準はないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数、年数などによる考え方があったようである。教会の暦に関連して死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるからである。教団の教会として公同の記念礼拝をもつのは、聖徒の日、復活節、あるいは地方によっては日本のお盆の頃に関係者を集めて行う所もある。
 ヨハネ黙示14章3節に「また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。『書き記せ。「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と。』〝霊〟も言う。『然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」とあり、Ⅰコリント15章18節には「主において死ぬ人々は幸いである。」とある。「主において」とはすなわち「主との一致を守りながら」ということである。これから死ぬ人々のための至福が宣言されている。第一には迫害の時に殉教者として死ぬキリスト者をさしているが、主において眠る人々すべてに応用できる。それらの人々が死んでから神のみもとにおいて、地上での苦しみと労苦(ヘブライ4・3)から解放される。そして、神に対する従順と誠実、苦しみと虐げの時の忍耐と根気は過ぎ去るものではなく、神の玉座までその人についていき、そこでふさわしい報いを受ける。「人が死ぬ時は、金銀あるいは宝石、真珠ではなく、トーラ(律法)と遵守と善業とがついていく。」

2014/10/26 週報メッセージ

   宗教改革者ルターについて
                                                                                                        朝位 真士
 
  10月31日に近い聖日に、プロテスタント教会では「宗教改革記念日礼拝」として、ルターやカルヴァンについて学びます。今日はルターについて記してみましょう。
 マルティン・ルター(1483~1546)はドイツ中部の農村に生まれ、1505年エルフルト大学文学部を終え、法学部入学直後、雷雨の中で死の恐怖を経験して修道士になる決心をし、同年アウグスチヌス派修道院に入りました。神学博士となり、ウィッテンベルク大学神学部教授に就任。1517年に同大学の門扉に「95カ条の提題」を掲示したのが10月31日頃です。
 プロテスタントの三大原理は、①聖書のみ、②万人祭司、③信仰のみです。カトリックは聖書の他に伝統や神の召命を受けた聖職者を重んじています。プロテスタント教会では、聖職者だけでなくすべての信徒が神にとりなしの祈りをすることができ、直接的に神と交わる事ができるのです。そして端的にイエス・キリストを救い主として信仰する時に、すべての人が救われます。
 「正しい者は信仰によって生きる」という言葉はハバクク書2章4節の引用ですが、義人は生き残ります。「生きる」とは「救われて生きる」という意味であり、「信仰によって」は、「信じるすべての人」に相対しています。「正しい人」「義人」は、神の義を与えられた人のことです。救いを受けるうえで、キリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約の信仰と本質的に同一のものです。約500年前の宗教改革記念日に私共の信仰をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。