「改訂宣教基礎理論」二次草案
朝位 真士
朝位 真士
Ⅳ宣教の対象 1.神なしに生きようとする現代人 ①宣教に当たっては、罪と罪の赦しの宣告をあいまいにすることができません。
②罪とは福音の対象である人間が置かれている危機的状況そのものです。
③人間が神に背いた堕罪の出来事は、今日、世界的な広がりで進展している「神は要らない(神は死んだ)」という世俗化の状況として捉えることができます。この状況は合理主義、人間中心主義(ヒューマニズム)、現世中心主義(来世否定)などによって特徴づけられます。また、この世俗化は教会の中にも侵入し、悪影響を及ぼしています(聖書や信仰告白、伝統などの軽視、聖餐の乱れなど)。この教会内世俗化を克服するには、福音の宣教・浸透と共に、伝道の実践以外にありません。(エフェ6・11~12)
④今日の日本社会では、世俗化は飽くことなき富の追求(マンモニズム)の結果、「格差社会」、「無縁社会」や自殺の増加等々の現象となって現れ、人々の精神をさいなんでいます。したがって、実質的に言えば、キリスト教への関心や福音の求めは一層高まっているはずです。すなわち、神、生きる意味、隣人、家族(家庭)、故郷、平安、死後、愛、自己犠牲等々への問いは深まっているはずです。しかし、その究極の答えが教会においてしか聴けないということは、まさに「神は死んだ」と言われるこの世俗化の状況において、ますます認識されがたくなっています。(創4・17、同11・4、同11・7)
⑤それだけに、教会は福音の変わることのないメッセージ(復活、愛、罪の赦しと救い、永遠の命、救いの確かさなど)が現代社会にとって真に価値あるものであることを確信を持って宣教し、信徒による「地の塩、世の光」(マタイ5・13~16)としての証しが一層力強く行われる必要があります。さまざまな手段や機会を用いて「遣わされて行く」姿勢が必要です。
②罪とは福音の対象である人間が置かれている危機的状況そのものです。
③人間が神に背いた堕罪の出来事は、今日、世界的な広がりで進展している「神は要らない(神は死んだ)」という世俗化の状況として捉えることができます。この状況は合理主義、人間中心主義(ヒューマニズム)、現世中心主義(来世否定)などによって特徴づけられます。また、この世俗化は教会の中にも侵入し、悪影響を及ぼしています(聖書や信仰告白、伝統などの軽視、聖餐の乱れなど)。この教会内世俗化を克服するには、福音の宣教・浸透と共に、伝道の実践以外にありません。(エフェ6・11~12)
④今日の日本社会では、世俗化は飽くことなき富の追求(マンモニズム)の結果、「格差社会」、「無縁社会」や自殺の増加等々の現象となって現れ、人々の精神をさいなんでいます。したがって、実質的に言えば、キリスト教への関心や福音の求めは一層高まっているはずです。すなわち、神、生きる意味、隣人、家族(家庭)、故郷、平安、死後、愛、自己犠牲等々への問いは深まっているはずです。しかし、その究極の答えが教会においてしか聴けないということは、まさに「神は死んだ」と言われるこの世俗化の状況において、ますます認識されがたくなっています。(創4・17、同11・4、同11・7)
⑤それだけに、教会は福音の変わることのないメッセージ(復活、愛、罪の赦しと救い、永遠の命、救いの確かさなど)が現代社会にとって真に価値あるものであることを確信を持って宣教し、信徒による「地の塩、世の光」(マタイ5・13~16)としての証しが一層力強く行われる必要があります。さまざまな手段や機会を用いて「遣わされて行く」姿勢が必要です。