聖書箇所 マタイによる福音書2章1~12節
説教題「遠くの東から」
お話 川﨑信二牧師
新聖歌 84番 96番
聖書箇所 マタイによる福音書2章1~12節
説教題「遠くの東から」
お話 川﨑信二牧師
新聖歌 84番 96番
降誕節を迎えて
川﨑 信二
都心にある教会の礼拝堂の中に大きなツリーが置いてあります。本物のもみの木に本物のリンゴが飾られています。ツリーの発祥は中世のドイツですが、元々は土着の異教的な発想から始まっています。もみの木や樫の木は常緑樹ですから葉が枯れない。つまり「永遠」を表すことから、それを飾って見ることで「私たちもいつまでも若々しく元気でいたい」という願掛けのような発想です。
きっかけはどうであれ、永遠の主イエスに心を向け、信仰的に若々しく希望をもって歩みたいものです。その教会の牧師の飾り付けへのこだわりは「本物」を用いること。生きている木を使い、美味しいリンゴを飾る。
私はそこまでのこだわりはありません。象徴として、それを見るものが神様に心を向けことができるなら素晴らしい媒体となります。しかし逆に、ツリーを拝んでしまえばそれが偶像となってしまいます。できれば「本物」が良いに決まっています。偽物の飾り、偽物のキャンドル、偽物の光(イルミネーション)。確かにそれらに命はありません。でも、これらは捧げ物ではなく、私たちが見て喜ぶものです。それでよいのです。
講壇に飾る花を「生花」にしている教会は多いとい思います。さすがに綺麗です。香りもよい。説教者は立場上講壇に腰かけていて生花の後ろ側になるので表の綺麗な花は見えません。クリスマスツリーの電飾や飾りも基本的に人から見える部分に付けるので裏側は地味です。
「献花」の向きも花が会衆に向けられています。神が見るのではなく私たちが見て慰められるためです。ですので、献花というよりは飾花です。
ただ、気持ちは神に捧げる思いで飾りたいものです。すべての奉仕が神に感謝して捧げるものです。
教会の一年はクリスマスから始まります。幼子イエス様を見上げて、感謝してあゆみましょう。
聖書箇所 マタイのよる福音書2章1節~12節
説教題「遠くの東から」
お話 川﨑理子 牧師
新聖歌 84番 96番
キャンドルサービス (ろうそくを灯しつつ)
聖書箇所 ヨハネによる福音書第1章1節~5節
説教題「暗闇を照らす救いの光」
お話 川﨑理子牧師
新聖歌 68番 久しく待ちにし 84番 ああベツレヘムよ
82番 牧人羊を 78番 荒野の果てに
96番 我らは来たりぬ 76番 諸人こぞりて
77番 きよしこの夜
本日12月24日(水)18時からキャンドルサービスを行います。
どなた様もご自由にご出席ください。
イエス・キリストのご誕生の日を待ち望みつつ、心を温めつつ、ご一緒にひとときを過ごしてみませんか。
キャンドルの灯りの中で、チャペルの中で、神さまを賛美しつつ、ひとときをご一緒に!
聖書箇所 ルカによる福音書2章1節~20節
説教題「野原にいる羊飼」
お話 川﨑 信二 牧師
新聖歌 81番 77番
キャンドルを灯して待つ
川﨑 信二
4本燭台があります。待降節に入ると、1本ずつキャンドルに点灯されます。キャンドルの灯りを見てクリスマスを待つ。灯りは「祈りの火」を現わします。目で灯りを確認しながら祈り続けるのです。「絶えず祈りなさい」。諦めずに祈り続けるものでありたいと思います。
4週目の日曜日に4本目に点灯され、クリスマス礼拝を行います。5本燭台という見慣れないものもあります。4週目の聖日はまだ待降節です。その週にイヴそして降誕日を迎えるので、その時に5本目を点けるわけです。4本燭台とは別に、イヴに大きく太い燭台を真ん中に立てて灯す場合もあります。待降節に紫色のキャンドルを使う教会もあります。「紫」は苦しみを表す典礼色です。
受難節の時と同じ色です。因みに7本燭台は受難節に7本のキャンドルに灯され、翌週より1本ずつ灯火が消えてゆき、主の受難日には全て消え真っ暗になります。「消灯礼拝(テネブレ)」と言います。主の十字架の苦しみを覚えるためです。
キャンドルの灯りは象徴です。命の象徴です。人の命は儚くも消えてゆきます。世界から光が失われた時に、主が輝く復活の姿で現れるのです。
逆に待降節は「点灯礼拝」となります。1本ずつ灯されます。それは、命である主が来られるのを、今か今かと待ち望み、備える意味があります。 主が来られるまでは苦しむのです。ですから、待降節には、キャンドル以外の飾付をしない教会もあります。降誕日を迎えてから喜ぶというのです。大事なことは、暗さの中に希望があるということ。光は希望です。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」 ヨハネ1:9
3本のろうそくは何を意味するでしょう。3本の十字架のように、両側の犯罪人は罪によって死にますが、真ん中の主の光(命)は消えず、罪人を永遠の楽園に導いてくださいます。真ん中のキャンドルの背が高いのは、主イエスだけが上げられ、主に繋がれば生きることを意味します。地上の光は全て消え、主の光が世を照らすのです。
聖書箇所 ルカによる福音書1章39節~56節
説教題「身分の低い者にこそ」
お話 川﨑理子 牧師
新聖歌 79番 80番
川﨑 信二
先週、アドヴェントに入り、べアンテ・ボーマン先生とルリ子先生をお迎えしてチャペルコンサートを行いました。チェロとピアノ演奏、お証を通して、神の不思議な計画と救いを知る機会となりました。感謝いたします。
先生方は、1999年12月よりクリスマス・チャペルコンサートを続けてくださり、今年で27回目の開催となりました。前牧師の朝位眞士牧師・フミ子牧師の時代にこの礼拝堂が建てられて間もない頃に来てくださり、それから毎年途切れることなく演奏とみことばのご奉仕をしてくださり、今年もすばらしい音色が会堂に響きわたりました。
今年は午後のみの開演となり、日頃は来ることができない信仰の友や他教会のメンバーも来てくださり、誠に心強く、励まされたことです。
毎年、ボーマン先生が初めに弾いてくださる曲に心が震えます。フィンランドでこの曲に出会い、感動されたとのこと。「主に向ってハレル・ヤ」という曲です。ヘブライ語で「ハレル(共に賛美)・ヤ(偉大な神を)」。神を賛美せよ!
1974年に米国の歌手リンダ・スタッセン・ベンジャミンがイースターのために作詞作曲した「Sing Hallelujah To The Lord」という曲です。「Sing Hallelujah To The Lord, Sing Hallelujah To The Lord」と繰り返すシンプルな歌詞ですがメロディに乗ってじわじわと心に沁みてくる名作です。この歌は香港の200万規模の抗議デモで、祈りの叫びとなった曲でもあります。
日本では日本バプテスト連盟『新生讃美歌』に収録されている「主を賛美しよう」という曲です。歌詞は「主をさんびしよう 主をさんびしよう 主をさんびしよう 主に向いハレルヤと主をさんびしよう」。
内容は単純ですが、人生で最も大事なことが歌われています。「ハレルヤ」には「主に栄光を」という意味もあります。クリスマスを待ち望むこの時期に、謙虚に、また、心の底から湧き出る祈りをささげたいものです。人の功績ではなく、主に栄光を!
聖書箇所 マタイによる福音書2章1節~8節
説教題 「民に仕える王」
お話 川﨑 信二 牧師
新聖歌 75番 83番 49番(聖餐式)