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2021/1/10 週報メッセージ

最近の出来事に想う

 朝位 真士 

  2021年の元旦礼拝、第1聖日礼拝も終わり、第2回の礼拝を迎えるにあたって、昨年起こった二人の方の召天に思いをめぐらせてみたいと思います。

 一人は狛江教会の担任教師として御用されたH先生です。師は長年婦人牧師として、また聖書学校教師、女子少年院教誨師・篤志面接委員として御用されました。昨年12月20日午前11時10分、天に凱旋されました。90歳でした。私共のホ群の教師、教団の教師として大変良い働きをされ、特に少年院においては長年少女達の更生教育のためにボランティアとして授業や面接をされました。中にはクリスチャンになった者もおり、そのお母さんは献身されて牧師となり、神学校の教師をしておられるということを伺いました。私も同じ少年院で奉仕をさせていただいていますが、いつもニコニコとされ、物事を前向きに考えて行動される若々しい先生でした。師は生前「私は12月20日のクリスマス礼拝の時間に天に帰るの」とおっしゃっていたそうですが、本当にそのように凱旋されました。

 もう一人は私の実妹です。4年前に肺がんの末期(ステージ4)と医師に宣告されていました。私はその時、九州の妹の病院を訪問し、ノンクリスチャンでしたが詩編23編を引用して天国への備えのメッセージをし、祈って笑顔で別れました。下の妹より、12月

21日午前7時頃に召天したという報告を受けました。彼女は、家の貧しさのために学校に行けなくて、若い頃から自立し、結婚して一人息子を育てました。30代で夫を亡くし、母子家庭で一生懸命子供を育てました。今息子はある会社の社長として親孝行をしています。最高の治療を施しましたが病気には勝てず、76歳の生涯を終えました。

 お二方のご遺族の上に、神様の慰めと祝福を心よりお祈りいたします。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」(フィリピ3・20)アーメン。

「この町には主の民が大勢いる」2021・1・3説教要旨

朝位真士

新年明けましておめでとう御座います。2021年の年間標語説教を祈っていましたら、使

徒18章1~11節が与えられました。特に18・9~11節が強く与えられました。皆さん御一諸に読みましょう。「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは1年6ヶ月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。このところを中心に御言葉を取り次いでまいります。2020年はコロナウイルス感染症流行の為礼拝の様式が変わり、毎週礼拝に来られておられた方々がこのウイルス感染症の為礼拝や諸集会に出席されることが出来なくなりました。教会も諸集会も中止せざるを得ない状態になり、礼拝に来られる方も、三密をさけ、マスクを着け、換気をして、大変不自由な思いをされておられると思います。まだ、このコロナウイルス感染症流行の終息を見ることが出来ません。しかし、教会も Youtube(ユーチーウブ)オンライン配信を礼拝説教では配信しています。皆さん方も慣れない礼拝形式で毎回お疲れ様です。早くコロナウイルス感染症が終息されることを祈っています。皆様にもお願い致します。

さて今日の聖書使徒18・1~11節を見てください。パウロは第二回伝道旅行にコリントに行った。コリントはギリシャの商業貿易の盛んな海港であった。小アジアの諸要港と、イタリヤとを結ぶ地形にあるため、旅行者の往来が激しく、従って、市中は世界的色彩が濃く,遊蕩気分がみなぎつていた。町と、この地の教会の状況については、パウロが、コリント教会に送った2つの手紙から、詳しく知ることが出来ます。パウロは、コリントに着くと2人の友人と親しくなり、彼らの家に滞在した。アキラというポント生まれのユダヤ人と、その妻プリスキラである。2人ともロ―マに住み、ロ―マ名を用いていた。プリスキラは、教養の高いロ―マ婦人であったといわれています。職業は天幕造りで、パウロと同業者であったことが、親交の機会となった。2人は、パウロのためには、「自分の首をさえ差し出してくれる」(ロ―マ16・4)ほどの信仰の友であって、パウロに伴ってエペソに行き、エペソ教会建設の功労者となった(18・26)。パウロの伝道が、最初から自給の精神に立っていたことは、コリント人への2つの手紙の内容によくあらわされています。コリントにはユダヤ人の多く、会堂があって、パウロは必ず安息日には、そこに集まるユダヤ人やギリシャ人の説得に勤めていた。その頃、マヶド二ヤ県のベレヤに残っていたシラスとテモテがパウロの許へ帰って来た。彼らはマヶド二ヤの教会の報告と、彼らからの贈り物を携えて来たことが、2コリ11・9に記されています。パウロの天幕造りの手仕事も、2人がくるまでであった。時間1杯を伝道のためにささげて、イエスがキリストであることを、ユダヤ人に力強くあかしした。その結果は、ユダヤ人の反感と、罵声を浴びただけであった。エゼキエル33・4の言葉を引用して、パウロはユダヤ人の会堂を去って、異邦人ティティオユストの家に場所を移した。ユストは、ローマ人でユダヤ教への熱心な改宗者であった。会堂長クリスポは、パウロ自ら洗礼を施した2~3人のうちの1人であつた。(1・コリ1・14~16)

地位のあるクリスポ1家の受洗は、周囲の人々が福音を聞いて悔い改め、入信する大きな力となった。伝道の成功に反面には、また「敵対する者も多い」とパウロは語っています。(1コリ16・9)。パウロの戦いには苦難と弱さがつきまとうた。そのような時、パウロはいつも聖霊の導きを幻のうちに受けて、励まされ、強められたのである。(使徒16・10,23・11,27・24)。それは迫害から守られるだけでなく、10「この町には、わたしの民が大勢いる」との、教会の発展を約束された御言葉を、受けたのであります。パウロのコリント滞在期間は1年6ヶ月となった。この期間に、彼はケンクリヤ、アカヤ全国にわたって伝道し、コリント教会を築き、また2つのテサロ二ケ人への手紙を書いた。この間の伝道の費用の一部が、マケド二ヤ教会からの援助によって補われた(フィリピ4・15)ことも忘れてはならない。

結び

もう1度使徒18・1~11節を見てください。特に18・9~11節を見てください。

ここでは迫られた熱心。神の激励、模範的信者。1~4始めアキラとプリスキラ夫婦と共に働きながら伝道する。5~11節伝道に専念する。コリントにおける伝道の中で、主イエスはパウロに幻の中で彼に現れ、(恐れるな。語り続けよ、黙っているな)と命じ、また主が共におられるから安全であると告げて、(この町には、わたしの民が大ぜいいる)と、救われる魂が多くあることを示して、彼を励まされた(9~10)。これは、その時ユダヤ人たちの反抗(6)によって、いくぶん心が下向きになっていたであろうパウロに対する力強い激励であった。伝道は人の生来の元気や肉の熱心ではできない。天からの火も、絶えず油を注がれ、心掻き立てる必要があります。エリヤがカルメル山上での大いなる栄光を拝した後、敵の脅威に恐れをなした時も、神は彼に「バアルにひざをかがめなかった7千人を、わたしのために残しておいた」と告げて、励まされた(ロ―マ11・3~4)私たちもまた、どこに行っても、反対ばかりされても、なお神が自分に与えて下さる魂のあることを信じ、また全能全愛の神が常に共におられることを信じ、励まされて証をしたいと思います。

今年私たちの身内や友人知己に方々が救われるように祈ってまいりましょう。ハレルヤ!

2021/1/3 週報メッセージ

今年与えられた聖句とその導き

朝位 真士 

  今年は使徒18章1~11節の御言葉が与えられました。特に「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」という御言葉に、神様の聖なる幻とヴィジョンが与えられました。桜ヶ丘教会が宣教開始九八年目を迎える新しい年に、困難な地である東京都杉並区の区域で、神様は私たちにパウロのように宣教のヴィジョンと信仰を与えられたと信じるものです。もちろんこの業は神様の業ですが、私共一人ひとりが主の手足となって働かなければならないと思います。

 昨年からコロナウイルス・パンデミックの状況で、世相が大変不安な状況にあります。政治、経済、教育、また私共一人ひとりの生活の中に不安の要素が入ってきています。イエス様は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11・28~30)とおっしゃっています。今、人々は人生の重荷に押しつぶされて悩み,苦しみ、精神的苦悩の中にいると、私共は1994年に赴任して26年間感じてまいりました。今こそ、主イエス・キリストの福音を大胆に宣べ伝える時ではないでしょうか。

 私は信仰を持って60年目になりますが、本当に若い時に単純に主イエス様を信じて、恵みをいただいていますことを、神様と皆様に深く感謝申し上げたいと思います。この

2021年、どんなことが起こっても「万事を益としたもう神」(ローマ8・28)を信じて、桜ヶ丘教会の関係者の皆様と共に歩んでまいりましょう。

2021/1/1  週報メッセージ

2021年を迎えて

朝位 真士 

  新年あけましておめでとうございます。御言葉を与えてくださいと祈っていましたら、使徒18章1~11節が与えられました。特に9~10節、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いる」という御言葉が与えられて、今年も昨年に引き続いて「祈りと宣教」を目標として、密室で祈り、公的集会で祈り、時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなければならないと示されています。

 昨年はコロナウイルス感染症流行のために礼拝が制限され、年輩者や病気に罹っておられる方の出席を自粛していただきました。私自身も高齢で病気に罹患していますが、神様と教会員の方々の御理解をいただいて主の御用をさせていただいています。私は神様から「使命がある限り生かされる」という信仰が与えられています。もちろん教会員の皆様方、各々の信仰の決断において行動をおとりくださって結構です。

 昨年は感謝なことに3人の方が受洗の恵みに導かれました。これはコロナ禍における神の恵みの奇跡だと思います。皆様方の強い信仰と行動によって3人の方が救いに入れられたと感謝しています。今年は神様が私共の教会にどのような恵みの業をなされるのか、期待を持って待ち望みたいと思います。

 私共の教会は開拓されて今年で98年目に入ります。1923年6月1日、初代牧師である板井康裕先生が渋谷で開拓され、1975年、西海静雄先生・満希子先生御夫妻の時にパールハイツ桜上水というマンションに会堂が与えられ、その後1997年12月17日、現在地に土地と建物が与えられて今日まで主が守って導いてくださいましたことに感謝いたします。

「挨拶と感謝」2020・12・27 説教要旨

朝位 真士

今日からコリントの信徒への手紙を学びます。この手紙を学ぶに当たって、私の尊敬するホーリネス教団の東京聖書学校院長であられた米田豊先生は注解よりこのところを引用させて頂きます。この手紙使徒パウロが紀元56年か57年の春の頃、エペソから(16・8)書き送ったものである。コリントはアカヤ州の豪華な商業都市で、東西に海を控えて、航海交通の要路にあり、人々は贅沢を窮め、罪悪が横行し、その付近に1000人以上売春婦がいたと言われ、非常に淫蕩な町であった。パウロがこの地から書き送ったローマ人への手紙1章に描写されています。罪悪の背景は、この地だったのである。パウロはさきにこの地に1年半ほど伝道して教会を建設した(使徒18章1~18)。のちアポロもこの地に伝道し、またユダヤ人の教師たちがパウロの使徒権を拒んで、ペテロを賞賛したため、教会内に分裂が起こり(1・12)、教会の秩序が乱れ、信者の中に罪を犯す者が起こった。それゆえパウロは、この教会の分裂を憂え、本書送る前に自らコリントに行き(第2コリント12・14、13・1)、また手紙を送ってそれを戒めた(5・9)。するとそれに対して質疑が生じ、結婚問題、偶像にささげた肉を食べる事の可否問題、霊の賜物の問題、その他について質問して来た(7・1、8・1、12・1)。また「クロエの家の者達」から教会に状態を聞いたので(1・11)、本書を送ってそれに答え、また警告し、教訓を与えたのである。

本書はローマ人への手紙のような系統的な教理を説かず、むしろ実際問題を説くものであるが、結婚問題(7)、霊の賜物の問題(12)、愛(13)、復活(15)などの説明は本書独特の記事である。

コリント1・1~9節を見て下さい。この1~3節は挨拶と祝祷。4~7コリント信徒の霊の賜物に為の感謝8~9彼らの将来に関するパウロの確信。1~3節挨拶が描かれています。現実の地上の教会には、当然清算されなければならない、多くの欠陥があり、不純な点があります。コリント教会はまさにそうでありました。教会の中に派閥の争いがあり、信者の中には不品行の甚だしい者さえいました。それでもパウロはそれを見捨てていません。見捨てないどころか、「神の教会と尊んでいます。彼の心の深さを思うべきであります。教会は神に付ける、信徒の集団である。また信徒の交わりである。だから場所にとらわれない。「至るところにあるわけです」またそれはすべての人々に及ぶ者であって、民族や階級、性別や年齢、貧富や賢愚のいつさいの隔てを超越する。ここにキリスト教会がもっている、その世界的、公同的性質が言い表されています。教会は信徒の交われであるといわれるが、その信徒をもっと具体的にいうならばそれは「イエス・キリストの御名を呼び求める人々」である。教会とは、実に、そうした人々の集団である。イエスは、歴史の中に生まれ、歴史の中で死んでいった1人の歴史的人物であります。しかし、そのイエスが、神より来られたキリスト(救い主)であります。復活昇天されて、今も栄光の中に生きておられる主であります。すべての人が礼拝を受けられる救い主であります。信者はキリストの御名を呼び

求めて、かつ御名によって祈り、御名をかざして働き、御名の下に団結し、御名にのみ栄光を帰する。信徒とは、主イエス・キリストの御名を呼び求める者のことであります。別に表現を借りていえば、キリストによって聖者のことであり、また聖徒として召された者の人たちであります。キリストは、私達の主であり、また彼らの主であられる。地上の全教会は同じキリストを首(かしら)と仰ぐ、キリストの体なのであります。そこに、ユダヤ人も、ギリシャ人も、奴隷も自由人もない。「主は1つ、信仰は1つ、バプテスマは1つ」(エペソ4・5)である。まことの一致と協力は、キリストの教会がもつ、著しい特徴の1つでなければならない。ルターは「恵みはわれらを罪より救い、平安は我らの良心を平静ならしめる」といったが、いつも恵みが第1に来て、平安が次に来る。恵みと平安これこそ、パウロが愛するコリントの人々のために祈り求めることの出来た最高の祝福である。「「恵みと平安は」「父なる神と主イエス・キリストから」くるという。すべて善きものは神からである。ここでは感謝が語られています。キリスト者とは、どんな時でも、感謝の出来る人のことと定義した人がいます。誰にするのか、勿論、天地万物を創造された創造主なる父なる神であります。とにかく、感謝は、人を生かす1つの力である。わたしたちが、感謝を持って、いつさいの祝福を受けるならば、神はきつとそれに加えた新しい祝福をそなえられるでありましょう。

結び

もう1度コリント1・1~9節を見て下さい。パウロはコリント人が立派な信仰と行いをしていたから感謝すると言うよりも、神の賜物と真実のゆえに感謝しています。パウロは個々のキリスト者について3つのことを語っています。

1・キリスト者はイエス・キリストにあってきよめられたものである。

2・パウロはキリスト者を聖徒として召された方々と読んでいます。

3・パウロはこの手紙を

イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に召された人たちに宛てて書いています。

次に感謝すべきこと(4~9)

1・実現し合う約束

2・与えられた贈り物(カリスマ)a・救いは神の贈り物―カリスマである。b・人が持っている特殊の才能や技術もまたそうである。

3・究極の目的―主の日それは最後の審判がやって来た時、キリストにある者は恐れことなく、これを迎えることが出来る。

2020/12/27 週報メッセージ

 2020年を振り返って

朝位 真士 

  今年はⅠテモテ2・1~7を通して御言葉が与えられました。特に「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」という聖句が与えられて、「祈りと宣教」という説教題の元旦礼拝からスタートしました。しかし、1月に中国で新型コロナウイルス感染症が発生し、日本では4月7日にコロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令されました。教会も三密を避け、手指の消毒、換気に留意し、各集会(婦人会、ホープ会、青年会、エリム会、ふれあい会、夕拝、昼食)は中止しました。5月10日からはU姉のご配慮により、礼拝説教をユーチューブで配信し、礼拝に来られない方は自宅で礼拝を守っています。そのためにA兄にご尽力いただき、週報を毎回郵送させていただいています。また今年も「さくらんぼ通信」と2021年カレンダーを、S姉にご尽力いただき発行しました。

 特記すべき出来事としては、4月12日イースター礼拝に11名が出席し、5月31日ペンテコステ礼拝ではO兄姉々が受洗されました。同じく5月31日に、S姉のご尽力により桜ヶ丘教会公式ホームページが公開され、ユーチューブの配信動画や週報記事を掲載いたしました。9月12日に敬老感謝礼拝で75歳以上の方々15名を祝福いたしました。12月20日にはクリスマス・チャペルコンサートで、ベアンテ・ボーマンご夫妻の演奏とメッセージがあり、M姉の受洗式が行われました。

 なお6月7日の創立記念礼拝(岸先生のチャペルコンサート)と10月18日の高田光比古ジャズコンサートは、コロナ禍のために非常に残念ですが中止いたしました。2021年は再開されることを祈っています。

「人となって来られた神」2020/12/20 クリスマス礼拝 

お話と音楽 ベアンテ  ボーマン 先生

ピアノ演奏 ルリ子 ボーマン 先生

本日は、クリスマスの特別礼拝をささげました。会堂に集うことが可能な教会員を中心として、少人数によるファミリー礼拝の形で行いました。

ベアンテ・ボーマン先生とルリ子先生によるチェロとピアノの音楽をお聴きしながら、ベアンテ先生による「人となって来られた神」という題で、「本当のクリスマスの意味」のお話をお聞きしました。

輝き渡る希望がある。それは、「イエスは私たちとともにいる」という輝き渡る希望である。どうぞ、メッセージをお聴きください。

2020/12/20 週報メッセージ

クリスマス・チャペルコンサート                                        

朝位 真士 

  今年もベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は1999年12月よりクリスマス・チャペルコンサートを続けてくださり、今年で22回目になります。

 ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳からチェロを始められ、1971年ストックホルム王立音楽大学で最優秀賞を受賞して卒業。1971年から72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年シベリウス・アカデミー大学院を首席で修了。1980年から2011年までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペルコンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド、ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。またインターアクトの協力宣教師でもあられます。

 ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業後、西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。  1999年、最初にベアンテ先生夫妻が来られた時は62名の出席でした。今年は新型コロナウイルス感染症流行のため、いつものように新聞折り込み広告で外部にお知らせしたり、トラクトを配布したりすることを控えました。そして少人数でベアンテ・ボーマン先生のチェロ演奏とメッセージをうかがいたいと思います。2千年前にイエス様が誕生された時も、ヨセフとマリア夫妻は静かにお祝いしたのではないでしょうか。今年も私たちの心の中に主イエス・キリストをお迎えしましょう。ハレルヤ!!

2020/12/13 週報メッセージ

イグナチオ朝祷会に出席して

朝位 真士 

  私は月1回、カトリックとプロテスタントの合同祈祷会であるイグナチオ朝祷会に出席しています。11月13日朝7時半の朝祷会に出席して、カトリックの協力司祭ヘネロソ・フローレス神父のお話を聞き、大変感動しました。先生は11月25日で86歳になられ、日本に来られて60年と言われました。「喜んで生きたい、喜んで死にたい」というテーマで、ローマ8章28節「神を愛する人、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、すべてが互いに働き合うことを、わたしたちは知っています」という聖句より語られました。以下に内容を記します。

 やっぱり、万事は益になるように働き合うことを知っています。信じています。どんな恐ろしい状況の中でも、失望したり、あまりにも悩んだりする余事がありません。現在のコロナウイルスの状況も、そしてまた、それがもたらしているたくさんの迷惑さえも、「益になる」ことを信じています。その信仰は、あらゆる失敗、あらゆる苦しみや迷惑をじっと喜んで耐え忍ぶ勇気をもたらします。「益になる」からです。幸せに生きたいだけでなく、幸せに死にたいのです。これは可能でしょうか。普通人間には「死」という言葉さえもタブーに聞こえます。怖い、やばい、・・・・・・。しかし、ある人には「死」という言葉や考えは喜びを起こすことがあります。これも、パウロのフィリピの信徒への手紙1章21~23節ではっきりと表れています。死は人生の終わりではなく、命の新しい状態への移行、すなわち、この地上の生活におけるあらゆる制約や制限のない、キリストとともに生きる命の始まりです。だから、パウロは「死ぬことはまさにもうけものである」という表現をしました。「喜んで生きること」と「喜んで死ぬこと」の可能性の秘訣は、イエス・キリストの福音”Good News”を受け入れることにあります。すなわち、神の無限で無条件の愛を信じることです(ローマ8:39)。アーメン。