T姉の召天に際して
朝位 真士
6月15日午後1時56分、T姉の召天の報を聞いた。T姉は1911年(明治44年)2月17日、千葉県で誕生された。99歳4ヶ月余の地上の生涯であった。女学校卒業後、郵便局勤務の時、1936年(昭和11年)銚子聖教会の松本牧師によって受洗。1967年(昭和42年)桜ヶ丘教会に転入会されている。72年前に結婚され、4人の男子に恵まれた。御主人を1994年12月に天に送り、2005年7月にはご長男を天に送り、悲しみの中にあった。生前、御主人と東京郊外の住まいより約1時間半かけて、桜ヶ丘教会の礼拝に毎週のように出席しておられた。無口な方であったが、いつもお会いするときはニコニコされる温厚な方で、いつでも御主人に黙々と従っておられたようであった。4人の男子を育てられたのは並大抵ではなかったと思うが、キリスト教信仰を忠実に守って従っていかれたのではないだろうか。
御遺族の意向で、6月18日(金)自宅で前夜式、6月19日(土)告別式、出棺、火葬と、親しい方々と共に自宅から天国に旅立った。私は不思議な導きで御主人の葬儀も、御長男の葬儀もさせていただいた。司式者としてなんと御遺族に言葉をかけてよいか迷ったが、聖書の言葉をもって語ることができた。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3章)
御遺族の上に神の慰めと祝福をお祈りいたします。
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2010/6/20 週報メッセージ
朝位 真士
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8・28)
先日、神の前に祈っていました。桜ヶ丘教会の牧会のため、受洗者が与えられるように、弾圧記念聖会(6月27日)のため、教会の財政健全化のため、日本の政治・経済・教育のため、桜ヶ丘教会の将来のため、小さき者が主の必要に応じて御用することができるように、等々、約1時間余、祈りに集中していました。そうしたら、神様から声が与えられた気がいたしました。きっと神様は小さき者の祈りに答えてくださると信じています。もちろん、すぐに答えられないこともあるとは思いますが、何らかの形で答えてくださると信じています。
先週、ホ群の委員会に出ていますと、一人の兄弟がフィリピ4章10~13節から、特に「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(13節)と引用されて、「自給自足ではなく、神給自足です」ということを明言された。彼は某大学の教授で、福祉関係のことを深く研究しておられ、教会・教区・教団・ホ群においても活躍され、信仰的にとても前向きな方です。最近、新会堂を献堂されて、地域伝道に大変前向きで、いつも物事をポジティブに考えて実践しておられる方です。本当に素晴らしい方だと敬服いたしました。
岸義紘先生チャペルコンサートと桜ヶ丘教会創立記念集会について
写真提供:K/Kさん2010/6/13 週報メッセージ
朝位真士
日本の教会成長に障害となっているものの原因を三つの観点から列挙してみたい。
1.信徒に関するもの
信徒訓練の欠如。信徒が活用されていない。賜物が生かされていない。牧師依存が強い。教会観の不徹
2.牧師に関するもの
牧師中心、ワンマンである。牧師の霊性。一人ずもう。伝道意識のなさ。牧師職の不明確さ。牧師の姿勢。
マネージメントの不足。成長の無関心。
3.教会に関するもの
社会から遊離している。ビジョンがない。成長の認識の欠如。既成概念にとらわれている。組織の不十分
さ。聖霊の満たしの乏しさ。聖書信仰の欠如。信仰の継承の不足。経済的に貧しい。創造性のなさ。献身的
愛の不足。伝道していない。
この項目をチェックして反省して、自分たちに不足しているものを謙遜に考えて、私共の教会の障害になっているものを皆様と共に考えていきたい。エフェソの信徒への手紙2章19~22節には次のように語られています。「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」
桜ヶ丘教会の発展と祝福、一人一人の魂が恵まれることを祈っています。アーメン。
2010/6/6 週報メッセージ
朝位 真士
今年も岸義紘先生をお迎えできて感謝いたします。今年で10回目になります。今日語って下さるテーマは「赦された人は赦すことができる」ー7×70回の赦しーで、マタイ18章21~35節から語られます。期待いたしましょう。
「『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。』イエスは言われた。『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。』」(マタイ18章21~22節)
岸先生は、日本全国、家庭集会、朝祷会、教会、聖会、ゴスペル・コンサート、伝道集会など、大きな集会、小さな集会に喜んで御用され、信徒向けのJTJ宣教神学校の校長でもあられます。人生のモットーは「だれのまねをするでなく、ひたすら自分自身を生きる」、「招かれる食事と頼まれる説教はことわらない」ということです。そういうわけで、来年の創立記念チャペル・コンサートにも岸先生にお願いしたいと思います。
私共の教会は、1923年(大正12年)6月1日、板井康裕牧師が世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始されて誕生いたしました。1968年(昭和43年)西海静雄牧師が就任され、1975年(昭和50年)杉並区下高井戸4丁目、バールハイツ桜上水を購入して会堂兼牧師館としました。1977年(昭和52年)5階502号を購入して牧師館とし、1987年(昭和62年)4階404号を購入して教育館としました。
1994年(平成6年)4月1日、朝位真士・フミ子牧師が就任。1997年(平成9年)12月、新会堂に移転し、1998年(平成10年)2月、献堂式が挙行されました。
「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言19章21節)
6月6日(日)礼拝ご案内
教会の庭に咲いた薔薇5月最後の礼拝
写真k・kさん提供(日光の最近の様子)2010/5/30 週報メッセージ
朝位 真士
尾山先生の『信仰生活の手引き』を読んでいましたら、「勝利の生活」の箇所が目につきましたので、皆様に
ご紹介させていただきます。
主は「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ
16・33)と語っています。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できます
か。」(ローマ8・31) 常に神により頼み、神によって勝利を得ることが信仰生活における勝利の秘訣です。
私たちの信仰生活は、平安の生活です。その平安とは、悪魔との戦いにおいて勝利した勝利の上に築かれ
とです。
私たちが「試練」にあった場合はどうでしょうか。試練と誘惑とは違います。試練は神からのもので、誘惑
は悪魔からのものです。試練に対する態度としてまず覚えたいことは、どんな試練も神の許しなしに襲ってく
ることはないということです。試練の目的は、常に私たちの益のため、また私たちを神の聖さにあずからせて
くださることにあることを覚えたいと思います。試練に対する態度は祈ることです。試練を通して信仰生活に
重要な忍耐と謙遜を学ぶことです。
信仰生活においては、いつも謙遜に教えを受けるという態度が望ましく、学べば学ぶほど謙遜な愛の人にな
っていくのでなければ、本当に成長したとは言えません。牧師やほかの信者たちを批判したり裁いたりする人
は、そのことだけで信仰生活の落伍者と言ってよいでしょう。
2010/5/23 週報メッセージ
ペンテコステ(聖霊降臨節)を迎えて
朝位 真士
「聖霊の力は歴史が実証している。」2000年にわたる歴史は、聖霊の力をいただいたクリスチャンが超自然的な生き方をして、世界に大きな影響を与えてきたことをくりかえし実証してきました。
使徒2章1~6節には、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。……」とあります。ペンテコステ(五旬節)の日の経験は、初代の弟子たちを決定的に変えてしまうものでした。おくびょうな弟子たちが大胆に、みじめに打ちひしがれていた弟子たちが輝くばかりの勝利の生活へと変えられたのです。この弟子たちが当時の強大なローマ帝国をさえくつがえす原動力となりました。
現代においても聖霊こそ勝利の秘訣です。聖書を通して語りかけられる聖霊のみ声に聞き従い、、聖霊の超自然的な力をいただくことができます。その秘訣は祈りです。
ペンテコステの前10日間、エルサレムの2階の部屋で120人の人々が熱心に祈っていた時に、聖霊が降って弟子たちが力強くキリストの証人となり、教会が誕生しました。現代の教会の力不足は、端的に申しますと、祈祷の力の不足です。私はキリスト者となって50年近く(1961年12月24日受洗)なりますが、今日まで喜びと感謝と希望をもってこられたのは、皆様方の祈りの支援はもちろんですが、祈祷を重視してきたからだと思います。教会の皆様方も、もし力不足を感じておられますならば、もっと祈祷会を重視しては如何でしょうか。きっと貴方の信仰生活は変革されます。シャローム。
2010/5/16 週報メッセージ
朝位 真士
私と先生との関わりの中では、私が神学校時代の千葉へのキャラバン派遣で、先生に引率教師としてご指導していただいたのが強く心に留まっています。先生は博学であるにもかかわらず、ご自分の知識や信仰を自慢なさらず、絶えず、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制(ガラ5・22~23)を身をもって証しされておられます。
今日はヨハネ21章15~19節を通して「私を愛するか」というテーマで語っていただきます。先生の語られる説教の一つ一つの御言に、霊眼(霊の目)、霊耳(霊の耳)を大きく開いて、主の御心をしっかりと受けとめさせていただきましょう。主イエス様を愛するとはどういうことなのか、いや、主ご自信が私を愛してくださった、その大きな愛とは何であるかを、もう一度心に深くとめてみましょう。