牧会雑感
朝位 真士
最近病気の方を訪問する機会が与えられています。一人はI姉です。足をけがされて2ヶ月余、教会出席ができなくなっていましたので、フミ子牧師と二人で訪問しました。大変喜ばれ、共に交わりと祈りの一時を過ごしました。外は大雨でしたが、心は恵みの雨で満たされました。
次にS牧師をフミ子牧師と訪問しました。以前も記しましたが、彼は末期の病気で聖ヨハネ病院のホスピスに入院されています。私共がまいりますと、奥様が付き添っておられました。そのときK牧師も一緒でした。K牧師は聖餐式をするための見舞いでした。S牧師と夫人の二人が聖餐に与られました。私共も同席させていただきました。死期が迫っている方の聖餐式は大変厳粛でした。もちろん教会での通常の聖餐式も厳粛ですが、また違った意味で、大変意味ある聖餐式でした。私は聖餐式の前にS牧師に御言葉を引用させていただきました。「よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って1年間滞在し、商売をして金もうけしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」(ヤコブ4章13~15節)私たちの生活は、「主の御心」を優先することが大切であるということを語りながら、私も本当に厳粛な気持ちになりました。
S牧師の顔は霊の輝きに満たされて、「毎朝6時半からのミサ(カトリックの礼拝)が唯一の楽しみです。今は、祈ることがどんなに大切なことであるか、しみじみと感じています」と述べていたことが印象深く残りました。すでに彼の心の準備はできていました。
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2010/7/11 週報メッセージ
S牧師を見舞って
朝位 真士
先日の首都圏の教師会で、S牧師が末期のガンであり、医者からは余命1週間位と宣告されているので、皆様祈って欲しいという要望があった。約30名集まっていた教師たち一同は、心を一つにして熱心に祈らせていただいた。
私は教師会の責任者の一人として是非訪問したいと願い、7月6日午後に郊外のキリスト教関係のホスピス病棟へ見舞いに伺った。S牧師の奥様は毎日付き添っておられるので、その日は休むようにと言われて、おられなかった。S牧師と二人でしばらく過ごし、先生の証しを伺うことができた。彼は大手の会社の管理職を定年になり、時間が空いたので60数歳になって求道され、信者になり、70歳近くで献身をして、72~3歳で伝道者となり、牧会されていた。体調の不良をうったえて病院で診察してもらったところ、末期のガンということが判明した。手術をしても何年といわれたので、彼はホスピスを希望されたようすであった。体は少し細身であったが、私たちの面会(後にW牧師と同席)に大変喜んでくださり、一人で一気に30分以上も話された。ご自分の証しである。顔は輝き、気力は充実しておられ、死期が迫っているような状態とは思われない感じであった。見舞った私たちが反対に勇気づけられ励まされた。
カトリックの挨拶に「メメント・モリ(死を覚えよ)」という言葉があるそうだが、本当に私共も、いつ主が来られてもよいように、また人生の最後が来てもよいように備えたいものである。「イスラエルよ、神に会う備えをせよ。」(アモス4・12b)
S牧師の病気を通して、多くの方々が慰められ救いに入ることができるように、切に神に祈る次第である。
2010年ホ郡弾圧記念聖会が桜ヶ丘教会で開催されました

2010/7/4 週報メッセージ
朝位 真士
「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。……あなたがたの中で病気の人は、……祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。」(ヤコブ5章13~15節)
聖書の中にパウロという人物が出てきます。彼はキリスト教初期の時代に大変素晴らしい働きをした使徒です。病気が癒されるよう一生懸命神様にお祈りしましたが、病気は癒されませんでした。しかし彼は、その病気の弱さの中で神に信頼して、キリスト教伝道者として歴史に名を残すような働きをしました。「主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリ12章9節)
先のY師も病気の中で悩みつつ、いつも祈りに集中して、牧会も教会建設(3回の会堂建設)も主に祝福されました。家庭的には戦いが多くあったようですが、彼は病気で悩んでいる姿を一度も見せたことがなく、いつも笑顔で、温厚な態度で人々に接していました。多くの方々が彼を通して導かれ、献身しました。全国で主のために、使徒として、伝道者としてよき証しをしています。
病気の弱さは、神の恵みの根源です。
2010/6/27 週報メッセージ
T姉の召天に際して
朝位 真士
6月15日午後1時56分、T姉の召天の報を聞いた。T姉は1911年(明治44年)2月17日、千葉県で誕生された。99歳4ヶ月余の地上の生涯であった。女学校卒業後、郵便局勤務の時、1936年(昭和11年)銚子聖教会の松本牧師によって受洗。1967年(昭和42年)桜ヶ丘教会に転入会されている。72年前に結婚され、4人の男子に恵まれた。御主人を1994年12月に天に送り、2005年7月にはご長男を天に送り、悲しみの中にあった。生前、御主人と東京郊外の住まいより約1時間半かけて、桜ヶ丘教会の礼拝に毎週のように出席しておられた。無口な方であったが、いつもお会いするときはニコニコされる温厚な方で、いつでも御主人に黙々と従っておられたようであった。4人の男子を育てられたのは並大抵ではなかったと思うが、キリスト教信仰を忠実に守って従っていかれたのではないだろうか。
御遺族の意向で、6月18日(金)自宅で前夜式、6月19日(土)告別式、出棺、火葬と、親しい方々と共に自宅から天国に旅立った。私は不思議な導きで御主人の葬儀も、御長男の葬儀もさせていただいた。司式者としてなんと御遺族に言葉をかけてよいか迷ったが、聖書の言葉をもって語ることができた。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3章)
御遺族の上に神の慰めと祝福をお祈りいたします。
2010/6/20 週報メッセージ
朝位 真士
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8・28)
先日、神の前に祈っていました。桜ヶ丘教会の牧会のため、受洗者が与えられるように、弾圧記念聖会(6月27日)のため、教会の財政健全化のため、日本の政治・経済・教育のため、桜ヶ丘教会の将来のため、小さき者が主の必要に応じて御用することができるように、等々、約1時間余、祈りに集中していました。そうしたら、神様から声が与えられた気がいたしました。きっと神様は小さき者の祈りに答えてくださると信じています。もちろん、すぐに答えられないこともあるとは思いますが、何らかの形で答えてくださると信じています。
先週、ホ群の委員会に出ていますと、一人の兄弟がフィリピ4章10~13節から、特に「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(13節)と引用されて、「自給自足ではなく、神給自足です」ということを明言された。彼は某大学の教授で、福祉関係のことを深く研究しておられ、教会・教区・教団・ホ群においても活躍され、信仰的にとても前向きな方です。最近、新会堂を献堂されて、地域伝道に大変前向きで、いつも物事をポジティブに考えて実践しておられる方です。本当に素晴らしい方だと敬服いたしました。
岸義紘先生チャペルコンサートと桜ヶ丘教会創立記念集会について

2010/6/13 週報メッセージ
朝位真士
日本の教会成長に障害となっているものの原因を三つの観点から列挙してみたい。
1.信徒に関するもの
信徒訓練の欠如。信徒が活用されていない。賜物が生かされていない。牧師依存が強い。教会観の不徹
2.牧師に関するもの
牧師中心、ワンマンである。牧師の霊性。一人ずもう。伝道意識のなさ。牧師職の不明確さ。牧師の姿勢。
マネージメントの不足。成長の無関心。
3.教会に関するもの
社会から遊離している。ビジョンがない。成長の認識の欠如。既成概念にとらわれている。組織の不十分
さ。聖霊の満たしの乏しさ。聖書信仰の欠如。信仰の継承の不足。経済的に貧しい。創造性のなさ。献身的
愛の不足。伝道していない。
この項目をチェックして反省して、自分たちに不足しているものを謙遜に考えて、私共の教会の障害になっているものを皆様と共に考えていきたい。エフェソの信徒への手紙2章19~22節には次のように語られています。「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」
桜ヶ丘教会の発展と祝福、一人一人の魂が恵まれることを祈っています。アーメン。
2010/6/6 週報メッセージ
朝位 真士
今年も岸義紘先生をお迎えできて感謝いたします。今年で10回目になります。今日語って下さるテーマは「赦された人は赦すことができる」ー7×70回の赦しーで、マタイ18章21~35節から語られます。期待いたしましょう。
「『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。』イエスは言われた。『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい。』」(マタイ18章21~22節)
岸先生は、日本全国、家庭集会、朝祷会、教会、聖会、ゴスペル・コンサート、伝道集会など、大きな集会、小さな集会に喜んで御用され、信徒向けのJTJ宣教神学校の校長でもあられます。人生のモットーは「だれのまねをするでなく、ひたすら自分自身を生きる」、「招かれる食事と頼まれる説教はことわらない」ということです。そういうわけで、来年の創立記念チャペル・コンサートにも岸先生にお願いしたいと思います。
私共の教会は、1923年(大正12年)6月1日、板井康裕牧師が世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始されて誕生いたしました。1968年(昭和43年)西海静雄牧師が就任され、1975年(昭和50年)杉並区下高井戸4丁目、バールハイツ桜上水を購入して会堂兼牧師館としました。1977年(昭和52年)5階502号を購入して牧師館とし、1987年(昭和62年)4階404号を購入して教育館としました。
1994年(平成6年)4月1日、朝位真士・フミ子牧師が就任。1997年(平成9年)12月、新会堂に移転し、1998年(平成10年)2月、献堂式が挙行されました。
「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言19章21節)
6月6日(日)礼拝ご案内
