牧会雑感
朝位 真士
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3・1)
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)
ホ群セミナーが11月5日~7日迄、市川サンシティで開催され、全国からホ群関係の教職・信徒が100名以上集まりました。その際一人の地方からの役員と再会しました。彼は私共が依然奉仕したF教会の役員として牧師と上京されました。大学時代、元東大総長の矢内原忠雄先生の講演を聴き、内村鑑三著作全集を読み、クリスチャンとしての逞しい生き方に感銘を受けたようでした。卒業後、会社人間として休日返上で仕事に打ち込んでいました。その際、娘さんのピアノのレッスンで教会に通い、フミ子牧師がピアノを教えているうちに、彼も1~2ヶ月に1回ほど教会に通うようになりました。
1989年10月、会社の重要な地位を50歳で与えられ、自分を見直し、会社や人に真に役に立つ新たな生き方を模索しようと考えた結果、洗礼を決意され、1989年12月24日クリスマス礼拝で受洗をされました。無教会を唱える内村鑑三先生の生き方に共感を覚え、洗礼を受けないと決めていたようですが、内外にクリスチャン宣言をして自らを律していこうとの思いが与えられて受洗をされたようです。
現在はF教会の役員として、牧師の片腕として、また年老いた方の送迎を率先してされ、礼拝・伝道会(夕拝)・祈祷会に積極的に参加しておられるとのことです。彼の輝いた顔に私自身の信仰の在り方を反省させられました。
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召天者記念礼拝にて

2012/11/4 週報メッセージ
召天者記念礼拝を迎えるにあたって
朝位 真士
「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(ヘブライ11・16)
「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3・20)
葬儀後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられます。特別の基準はありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようです。死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからです。
教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活祭(3~5月)、地方によって8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んでいます。
今年は4人の方々が召天されました。一人目はA兄です。1月14日に召天されました。元NHKアナウンサーであり、大学教師として教鞭を取られ、アナウンサー教室の講師をされていたことをご遺族が語っておられました。二人目はK姉です。4月2日に召天されました。18歳で受洗して25歳でご結婚され、二子が与えられました。三人目はI兄で、6月3日に召天されました。奥様のお話では大変温厚なご主人であり、父親であられました。大学で金属の研究をされた方で、継続しておられたら大きな賞を得られたと思います。四人目はK姉です。7月1日に召天されました。お元気な時は、ご主人と礼拝・祈祷会に出席しておられたということが、K姉のお手紙に書いてありました。
四人の方々のご遺族ならびに今日記念礼拝を迎えておられる一人一人の上に神の祝福をお祈りいたします。
10月も過ぎていきますね

2012/10/28 週報メッセージ
宗教改革記念日に想う
朝位 真士
「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧師、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは、奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4・11~13)
10月31日は宗教改革記念日である。1517年10月31日、マルチン・ルターは、自らの純粋な宗教的心情からローマ教会の反省を求め、「罪の赦しはどこまでも、イエス・キリストの十字架を信じる信仰にあり、免罪符によっても、金銭によっても赦されることはありえず、教皇や教会にはその権威はなく、その力もない」と、ヴィテンブルグ城教会で95ヶ条提題を当時のカトリック教会に提出した。宗教改革記念日の起源である。
プロテスタントの三大原理は、①聖書のみ、②万人祭司、③信仰のみ、である。「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1・16~17)「正しい者は信仰によって生きる。」「生きる」とは「救われて生きる」といういみであり、「信仰によって」は、「信じるすべの人」に相対している。「義人」とは神の義を与えられた人のことである。救いを受ける上でキリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約と本質的に同一のものである。私たちは、行為によって、善行難行して救われるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって救われるのである。
2012/10/21 週報メッセージ
朝位 真士
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられる。」(Ⅱテモテ2・4)
伝道の秋、収穫の秋となりました。私たちクリスチャンは、今こそ救われる人が与えられることを祈る時期だと思います。
キリスト教の基本的な教理を、パウロがⅠコリント15・3で語っています。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。」キリスト教福音の要素はキリストの十字架の死と復活です。それと同時に、聖書の中に記されているように、復活して四十日間地上の生活をされて、天に昇り、十日目に聖霊という姿で降って来られて、信ずる者と共にいつも一緒に臨在しておられるイエス・キリスト様です。
私は18歳で受洗して、51年目になりますが、今静かに人生を振り返ってみて、本当にあの若いときに神様を信じて受洗させていただき、大変幸福です。現在非行少年の施設で毎月1回、教養講話という時間が与えられて、十代の少年達に人生に於いて最も大切なことについて語っています。彼女達に語っていると、51年前に、あの若いときに救われた感動と感謝が湧き上がってまいります。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(コヘレト12・1) ハレルヤ!!
2012/10/14 週報メッセージ
朝位 真士
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(Ⅰコリ9章23節)
今年もバザーを11月18日(日)午後1時30分から開催することになりました。今回は特に2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災の支援献金という目的をはっきり打ち出していこうと思っています。そのため教会の方々全員の協力をお願いしたいと思います。すでに地域の方々からもバザーへ品物を持参していただいています。このバザーへの統括責任者として役員会ではS姉をバザー委員長に決定しました。各会から委員を出していただいて、第二日曜日の礼拝後に話し合いをもちたいと思います。
ここでもう一度、バザーの目的をあげます。①地域に開かれた教会として、人々に教会を知っていただく。②新しい方々や教会から遠のいている方々に、もう一度教会に来ていただく。③教会関係者の協力、交わりを計っていく。④収益金全額を東日本大震災の支援献金にさせていただく。日本キリスト教団は5年間の支援目標を10億円と掲げています。現在約6億円集まっています。目標達成の一助にしたいと思っています。教会関係者や地方の方々が同じ目標のために協力できることは大変素晴らしいことです。
「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Ⅰコリ10章31節)
2012/10/7 週報メッセージ
朝位 真士
日本の国民唱歌「ふるさと」という歌の中に「志を果たして、いつの日に帰らん。山はあおきふるさと、水はき
私たちにとって故郷とはいつか「帰る」ところです。しかし聖書は「もし出て来た土地のことを思っていた
のなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天
の故郷を熱望していたのです」(ヘブライ11・15~16)と語ります。
この信仰の父祖たちの姿をヘブライ人への手紙の著者は「仮住まい者」と呼び、この世と妥協するのではな
く、この世と戦い、またこの世の出生地という意味での故郷ではなく、われわれ寄留の民が行くべき、天の故
郷を指し示そうとしています。「寄留者」は、このまだ見ていない、しかしキリストによって啓示された神の
支配される天の故郷を「熱望して」歩むのです。
この神の国への旅人としての教会がなす、もっとも大切なことは礼拝です。ですからこの礼拝は「神の国の
祝福の先取り」「前味」という性格を持っています。そしてこの礼拝こそが私たちの伝道の第一の場だと思い
ます。
さあ、皆様、生かされている間、努めて「礼拝」に出席して「伝道」の使命を果たさせていただきましょう。
実りの秋



2012/9/30 週報メッセージ
第22回東京チャペル・コンサートに出席して
朝位 真士
9月23日(日)午後2時半~4時半迄、教団赤羽教会で東京チャペル・コンサートが開催された。音楽は、テナーのビョン・ホギル氏、ピアノ伴奏小西優子師。メッセージは嶺岸浩師(気仙沼第一聖書バプテスト教会)。先生は2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災によって、3年前に新築・献堂したばかりの会堂を流失したことを赤裸々に力強く語ってくださった。この3人の方々によって内容豊かな祝福に満ちた集会を開いてくださったことを心より感謝したい。
私の記憶に残っていることを断片的に記してみたいと思う。まず雅歌8章7節「大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない。」次にヨブ記1章21節「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」そして一テモテ6章7節「……わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。」
嶺岸先生は25歳頃救われた。大変な読書家でいらして、蔵書が5千冊くらいあった。しかし大津波によって会堂ともども全て流失されたことを証しされた。今までは物に依存し、この世の知識や経験に頼り、自分の読書欲や教養を自慢しておられたが、一瞬にしてすべてのものを流失してしまった後、もう一度全知全能であるイエス・キリストの父なる神にすべてをお任せして生活することを示された。ただただ生ける主イエス・キリストを信じて従うことをされている姿に、私も自分の信仰の在り方を教えられた。一日も早い東日本大震災の復興がなされることを祈りつつ。