
ペンテコステ礼拝、89周年記念礼拝、星野富弘美術館巡り

第23回ホ群首都圏夏期聖会への招き
朝位 真士
「あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。『わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。』この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。」(ヘブライ12・26~27)
今年の7月23日(月)~25日(水)迄、ハートピア熱海にて、大人20,000円(2泊3日6食)の参加費でホ群首都圏夏期聖会が開かれます。「震われない御国を受けて」ーヘブライ人11章~12章ーというテーマで、島隆三先生(東京聖書学校校長、仙台青葉荘教会牧師)を主講師にお迎えして、二回の聖会メッセージを聞きます。開会聖会は潮義男師(志木教会)、早天聖会は柏明史師(清水ヶ丘教会)、聖化講演は中山忍師(元山梨八代教会)、閉会聖会は西海満希子師(越生教会)がメッセージ並びに講演をしてくださいます。島隆三先生は日本のウェスレー神学研究の一人者として、キリスト教会で高く評価されています。外部から依頼するとなかなか御用をしていただく時間がないほど多忙な先生です。中山忍先生は父上も牧師、御子息も牧師で、三代連続してホーリネス教会の牧師となった生粋のホーリネス人です。その先生から貴重な聖化講演をしていただくことができます。他の先生方も群を代表するリーダーでいらっしゃいます。若手から老年、婦人にいたる幅広い先生方です。
私共もこの聖会の準備委員の一人として、皆様方の祈りと参加を強く希望しています。6月30日までに牧師までお申し込みください。
この町には私の民がいる
朝位 真士
5月27日(日)ペンテコステ礼拝にS牧師がメッセージを語ってくださり、6月3日(日)創立89周年記念礼拝にK先生のサクソフォン演奏とメッセージがありました。少し残念なのは、二つの集会とも例年の数を下回っていたことでした。しかし私は来年も主が許してくだされば、ペンテコステ礼拝と創立記念礼拝に外部講師をお呼びして行いたいと願っています。
イギリスの神学者アリスター・エドガーマクグラスに、日本の教会の人たちが「日本の伝道をどうしたらよいか」と聞くと、彼は「どうしてそんなことをイギリスに住む私に聞くのか」と語りました。彼は日本の伝道が振るわないことを聞かされて、日本の問題だけではないことを前置きしてこう言いました。「伝道は種まきなので、決してあきらめずに種をまき続けなさい。」その通りです。何か新しい特別な方法があるのではないのです。私も同感です。その意味では愚直なまでに同じことを繰り返すのです。それは繰り返しキリストによって救われた自分を見つめ、私を救ってくださったキリストを紹介することです。時がよくても悪くても、そのことを続けるのです。
最近二人の方が召天されました。一人はI姉のご主人です。6月3日(日)午前2時13分に召されました。私は4日・5日と前夜式・告別式を行わせていただきました。密葬という形式をとられ、ごく近しい方々が二十数名集まられました。その中に数人のクリスチャンがおられたということです。もう一人は妻の兄嫁の母上です。私共は6月9日(土)に告別式に出席しました。キリスト教的葬儀でしたが、悲しみの中にも天国での再会を希望しつつ、私共もやがて来る人生の終わりの日の準備をしなくてはならないと思いました。
ペンテコステ礼拝を前にして
朝位 真士
「主の慈しみは決して絶えない。/主の憐れみは決して尽きない。/それは朝ごとに新たになる。/あなたの真実はそれほど深い。」この聖句は哀歌3章22~23節にある。ペンテコステ礼拝を前にして、私は先週、地区の超教派の朝祷会数カ所に出席した。まず5月15日、午前10時半より午後1時までY朝祷会。一〇数名の出席。5月16日のA朝祷会、二〇数名の出席。5月18日のI朝祷会、カトリック教会に二〇数名出席。5月19日のM朝祷会、一〇数名出席。内容に多少の相違はあるが、プログラムは賛美、祈り、メッセージ、各自の祈祷、軽食。だいたいこのような内容である。
なぜ私は朝祷会に出席するのか。理由はいくつかあるが、一つは、私が信徒になった当初より朝祷会に出席していて、その頃から祈りの重要性を身に感じているからである。祈らない信徒はいないと思うが、祈りは信仰の基本である。1日の始めまた終わりに主イエス・キリストと交わることは大切である。
最近1週間に数回も朝祷会に行った理由は二つある。一つは今日のペンテコステ礼拝のためである。S牧師のため、また人々が導かれるよう、一人でも多くの方々が礼拝に導かれるように祈っていただく。もう一つは、創立89周年記念礼拝(チャペル・コンサート)のためである。K先生の御用が祝福されるように、またこの集会に多くの方々が導かれ、救われる方が与えられるように、朝祷会に参加された数十名の方々にお祈りをしていただいた。
応えてくださるのは主イエス・キリストの父なる神様である。この神様に期待して、私たちは最後まで忍耐をもって祈り続けたいと思う。シャローム!!
ペンテコステを前にして
朝位 真士
「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒1・14)
来週5月27日はペンテコステ礼拝です。初代教会の人々は、エルサレムの2階座敷で熱心に祈っていました。すると10日後、聖霊降臨があり、教会が誕生しました。ペンテコステの出来事は祈りによって行われました。ここで祈りとは何かをもう一度考えてみましょう。
(1)祈りとは、神と人間との対話である。
(2)祈りとは、秘技に属するもの。旧新約聖書には約束とか契約とかいう語が276回以上記されています。神と人間との対話といってもそれは互角の両者の会話とはいえません。超越者、絶対者なる神と、罪人である人間との対話は、普通の理論で語ることは不可能です。いわば、これは秘義に属することです。この不可能と見える祈りを可能にする背景は、聖霊のお働きであり、神の一方的愛に他なりません。
(3)祈りとは、祈ることである。祈りとは何か。それは祈ることです。静止して、論理や定義として把握される祈りは、ついに祈りとはなりません。祈りは、神に対する最大の行為です。祈りながら祈りを知り、聴従することによって、それが何であるか知るほかはないのです。
あのペンテコステ前夜の祈りは、教会誕生の契機となりました。ともに集まって協力の祈りをすると、祈りの真価が発揮されます。来週の5月27日はペンテコステ礼拝です。私共は今一度、初代教会の力の源泉である聖霊の力を頂くために密室で祈り、協同で祈り、桜ヶ丘教会の霊的刷新のために一人一人の信仰が力強く前進し、一人でも多くの人々が教会に導かれ救われることを祈り待ち望みたいと思います。