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2026/1/11 週報メッセージ

イエス様、わたしを救ってください!

川﨑 信二

重いものを持ち上げる時、立ち上がる時に「よいしょ」という掛け声を使う場合があります。その語源がヘブライ語「イェシュア(Yeshua/ישוע/神よ、お救いください)」に由来するとの仮説があり、「救い」を求める祈りの言葉が変化して「よいしょ」になったとも言われています。確かに発音が似ているかもしれません。

 「イェ(Ye/ע」は「ヤ」とも発音され、神(ヤーウェ)を指します。「ヤ・イシュ」。「ヤ」=「神」、「イシュ」=「救い」。これはギリシャ語の「イエスース」(Ἰησοῦϛ)、ヘブライ語で「ヨシュア」(יהושע)となります。新約聖書の「イエス」は旧約聖書の「ヨシュア」と同じで、やはり「主が救ってくださる」という意味になるのです。男の子の名前に「よしや」と名付ける方がおられます。イエスだと恐れ多いけれど、ヨシュアなら「我が家と私は主に仕えます」(ヨシュア24章)という信仰に倣って、付けたいと思うのでしょう。

 そういえば、神輿をかつぐ時の掛け声にも「よいしょ」が使われているように思います。相撲の「どすこい」など神道と聖書の結びつきを語られる方もおられ、そこから「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は同じ祖先から分かれた兄弟民族とする考え方)を主張される方もいます。そこまでは「どうかな?」と正直なところ思ってしまいます。

むしろ、神輿をかつぐ時に自己達成感のために「よいしょ」と叫ぶのか、神に助けを求めるのか。同じ言葉でも気持ち次第で変わるので、信仰をもって言葉にしたいものです。私たちはイエス様によって救われた身です。そのイエス様に救いを求めつつ歩めたら幸いです。ちなみに、「ホサナ」は「今救ってください」という意味です。

 いつでも、どこでも、どんな時でも、何をしていても、神に祈る私たちとさせていただきたいものです。

2026/1/4 週報メッセージ

初日の出

川﨑 信二 

年末は理子牧師の実家いわき市で過ごし、大晦日に牧師館に戻り年越しを子どもたちと共に過ごしました。

2026年を迎え、元日の朝いつものように大空公園に行きました。6時過ぎでしたが多くの人が芝生の上で東方を見上げ日の出を待っていました。ちょうど東側に雲が掛かっていて太陽は確認できませんでした。寒いので運動しながら待っていましたが、1時間半ほど経って明るくなっても見えず「今年は居ないな」と諦めて帰ろうとしたその時でした。「おお、出たぞ」と感嘆の声があがり、振り向くと雲と雲の間からハッキリと太陽の光が差していて眩しいほどでした。神様に年の始まりを感謝して教会に戻りました。

このことで感じたことは、「神様は見えなくても近くに居られる」ということ。心が不安の雲に覆われ、神が居ないと感じる時にも神は傍らにいてくださり、真ん丸の笑顔を見せてくださる、ということです。

もう一つ感じたことは「待つこと」です。神が居ないと諦め、祈りもしないで帰ろうとするなんて、しかも見知らぬ人の声で気づかされたことは年始から恥ずかしいことでした。(おじさん、ありがとう!)

もちろん、太陽が神ではなく、創造主である神を拝したことです。天使のようなおじさんの声に促されながら、今年も主イエスを仰いであゆみ始めたい。そう思った次第です。

2025/12/28 週報メッセージ

降誕節を迎えて

川﨑 信二 

都心にある教会の礼拝堂の中に大きなツリーが置いてあります。本物のもみの木に本物のリンゴが飾られています。ツリーの発祥は中世のドイツですが、元々は土着の異教的な発想から始まっています。もみの木や樫の木は常緑樹ですから葉が枯れない。つまり「永遠」を表すことから、それを飾って見ることで「私たちもいつまでも若々しく元気でいたい」という願掛けのような発想です。

きっかけはどうであれ、永遠の主イエスに心を向け、信仰的に若々しく希望をもって歩みたいものです。その教会の牧師の飾り付けへのこだわりは「本物」を用いること。生きている木を使い、美味しいリンゴを飾る。

私はそこまでのこだわりはありません。象徴として、それを見るものが神様に心を向けことができるなら素晴らしい媒体となります。しかし逆に、ツリーを拝んでしまえばそれが偶像となってしまいます。できれば「本物」が良いに決まっています。偽物の飾り、偽物のキャンドル、偽物の光(イルミネーション)。確かにそれらに命はありません。でも、これらは捧げ物ではなく、私たちが見て喜ぶものです。それでよいのです。

講壇に飾る花を「生花」にしている教会は多いとい思います。さすがに綺麗です。香りもよい。説教者は立場上講壇に腰かけていて生花の後ろ側になるので表の綺麗な花は見えません。クリスマスツリーの電飾や飾りも基本的に人から見える部分に付けるので裏側は地味です。

「献花」の向きも花が会衆に向けられています。神が見るのではなく私たちが見て慰められるためです。ですので、献花というよりは飾花です。

ただ、気持ちは神に捧げる思いで飾りたいものです。すべての奉仕が神に感謝して捧げるものです。

教会の一年はクリスマスから始まります。幼子イエス様を見上げて、感謝してあゆみましょう。

2025/12/24 クリスマス・イブキャンドルサービス

キャンドルサービス (ろうそくを灯しつつ)

聖書箇所 ヨハネによる福音書第1章1節~5節

説教題「暗闇を照らす救いの光」

お話 川﨑理子牧師

新聖歌 68番 久しく待ちにし 84番 ああベツレヘムよ 

    82番 牧人羊を 78番 荒野の果てに

    96番 我らは来たりぬ 76番 諸人こぞりて

    77番 きよしこの夜

2024/12/24 クリスマスイブ 礼拝

本日12月24日(水)18時からキャンドルサービスを行います。

どなた様もご自由にご出席ください。

イエス・キリストのご誕生の日を待ち望みつつ、心を温めつつ、ご一緒にひとときを過ごしてみませんか。

キャンドルの灯りの中で、チャペルの中で、神さまを賛美しつつ、ひとときをご一緒に!