榊原紀惠子 のすべての投稿

2025/7/6  週報メッセージ

世の光として(フィリピ2:12〜18)

川﨑 理子

 使徒パウロが書いたこの手紙は、フィリピ教会からの贈物への感謝、自身の近況報告(監禁の中での)、そしてフィリピ教会に対する「忠告と勧め」によって構成されています。一番の目的はこの「忠告と勧め」です。

一部の人々が「反対者たちに脅されてたじろぐ」状況(1:28)にあって動揺しないように、「不一致が生じていた」中で一致して歩むように、「キリストを模範」とするようにとパウロは勧めています。

まず、キリストを見上げることです。それぞれの欠点を見る前に、同じ神の恵みに立つことです。自らが「救いの確信」をしっかり持つことによって「何事も不平や理屈を言わない」(14)者へと成長させて頂きます。そのことで「よこしまな曲がった時代」にのみ込まれず、教会が世にあって証することができるのです。

 私たちは弱く、罪深く、とてもとても「非の打ちどころのない神の子」(15)にはなれません。また私たちの中には「命の言葉」(16)はありません。しかし、イエス・キリストは完全です。永遠の命を与えてくださり、十字架の贖いにより私たちの罪を赦し、救ってくださるゆえに、「星ように輝き」(15)、喜ぶ者とさせて頂けるのです。

この福音を語ることによって、またキリストを礼拝することによって、たとえ「わたしの血が注がれるとしても」(17)喜ぶことができるのです。キリストの名のゆえに迫害されても喜ぶ。現代の私たちにそれができるでしょうか。

だからこそ、様々な教えに惑わされないで、主イエス・キリストのみを見あげて歩む私たちとさせて頂きたいものです。

2025/6/29 週報メッセージ

ホーリネス弾圧事件を覚える

川﨑 信二 

『桜ケ丘教会創立100周年記念誌』の歴史の中でも記載されていますが、1942年6月26日の早朝、ホーリネス系の教職者96名が一斉に逮捕され(第一次検挙)、1943年2月にも追検挙が行われて、合計134人が逮捕された出来事のことをホーリネス弾圧事件と呼びます。

詳細は、日本基督教団に併合された私たちのルーツである第6部(旧日本聖教会)が60人、第9部(旧きよめ教会)が62人、教団に加わらず宗教結社を貫いた東洋宣教会きよめ教会が12人の検挙されました(検挙者のうち75名が起訴、7名が殉死)。逮捕は治安維持法(1925制定)違反によるもので、これは社会主義運動や労働運動をとりしまる法律でしたが、後に天皇を中心とする国体を否定する行動にも適用され、処罰に死刑も加わる悪法となりました。

 1943年4月宗教団体法及び宗教結社禁止令により上記の教会は解散を命じられ、当時の桜ケ丘教会も礼拝できない状況となりました。ホーリネス系教会にのみ処分が下され、教団の統理者からもホーリネス系教師の謹慎が命じられました。教団は政府の方針を歓迎し、6部と9部の教会を切り捨てることを受け入れたのです。教団の幹部〇〇主事は「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは教団にとり幸いであった」と述べています。「熱狂的」と見られた教理は「再臨信仰」でした。主イエスが王として来ることを待ち望むことが、天皇の国体を否定する教えと見なされたようです。

 もちろん誤解ですし、弾圧容疑の口実に使われたような気がします。私たちは聖書に示されている主イエスの「再臨信仰」を生きる根拠としています。

「あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」 (イエスの言/マタイ24:44)。

「イエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:11)。

またパウロもⅠコリント15:23で主の再臨をはっきりと教えています。

 教団信仰告白や使徒信条においても、しかりです。

 国家といえど、教団の指導者といえど、この信仰を私たちから取り去ることはできないのです。

2025/6/29 週報メッセージ

ホーリネス弾圧事件を覚える

川﨑 信二 

『桜ケ丘教会創立100周年記念誌』の歴史の中でも記載されていますが、1942年6月26日の早朝、ホーリネス系の教職者96名が一斉に逮捕され(第一次検挙)、1943年2月にも追検挙が行われて、合計134人が逮捕された出来事のことをホーリネス弾圧事件と呼びます。

詳細は、日本基督教団に併合された私たちのルーツである第6部(旧日本聖教会)が60人、第9部(旧きよめ教会)が62人、教団に加わらず宗教結社を貫いた東洋宣教会きよめ教会が12人の検挙されました(検挙者のうち75名が起訴、7名が殉死)。逮捕は治安維持法(1925制定)違反によるもので、これは社会主義運動や労働運動をとりしまる法律でしたが、後に天皇を中心とする国体を否定する行動にも適用され、処罰に死刑も加わる悪法となりました。

 1943年4月宗教団体法及び宗教結社禁止令により上記の教会は解散を命じられ、当時の桜ケ丘教会も礼拝できない状況となりました。ホーリネス系教会にのみ処分が下され、教団の統理者からもホーリネス系教師の謹慎が命じられました。教団は政府の方針を歓迎し、6部と9部の教会を切り捨てることを受け入れたのです。教団の幹部〇〇主事は「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは教団にとり幸いであった」と述べています。「熱狂的」と見られた教理は「再臨信仰」でした。主イエスが王として来ることを待ち望むことが、天皇の国体を否定する教えと見なされたようです。

 もちろん誤解ですし、弾圧容疑の口実に使われたような気がします。私たちは聖書に示されている主イエスの「再臨信仰」を生きる根拠としています。

「あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」 (イエスの言/マタイ24:44)。

「イエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:11)。

またパウロもⅠコリント15:23で主の再臨をはっきりと教えています。

 教団信仰告白や使徒信条においても、しかりです。

 国家といえど、教団の指導者といえど、この信仰を私たちから取り去ることはできないのです。

2025/6/22 週報メッセージ

「キリストの恵み」    川﨑 理子

エフェソの信徒への手紙1章4〜14節

この手紙の受け取り手は、信仰を与えられている2代目または3代目のキリスト者たちです。同じアジア州にあるガラテヤ教会が問題にした危険性はこの書には出てきません。ガラテヤ教会ではユダヤ人キリスト者による「割礼」の強制や律法のこだわりによる「異なる福音」といった問題が山積していました。

エフェソの一群はガラテヤと同じく使徒パウロの伝道によって成立した教会でしたが、別の危険に直面していました。初期に立てられたガラテヤ教会よりは律法の面では落ち着いていたのですが、時を経て、2代目、3代目の時代に新たな問題が出始めていたのです。

それは、黙示録の言葉にあります。

「あなたは初めの頃の愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めの頃の行いに立ち戻れ。」(ヨハネの黙示録2:4〜5)

時と共に初心まで忘れてしまったのです。当時小アジアの各教会は相異なる誤った教えによる分裂が生じていました。それはユダヤ人(内側)の問題よりも外部からの悪影響によるものでした。そのために「初めの愛が冷めて」「礼拝に参加する熱意が弱まり」さらに「生ぬるさ」があふれていました。

そこでパウロは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神はほめたたえられますように」⑶ と勧めたのです。

神がどれだけ私たちを祝福してくださったのか。「イエス・キリストによって神の子としてくださった」⑷ 「御子による血の贖いによる罪の赦し」⑺ 「約束された聖霊を受け継ぐ」⑾ 「聖霊で証印」⒀ 「御国の保証」⒁……。数えきれない恵みを頂いているのに「離れて」しまったのです。

レジで「今カードをお作りいただきますとこの商品の割引きと、さらにポイントもつきます」と言われたことがあります。そんな面倒なことをしなくても「神の愛」と「祝福」は一方的に与えられています。全ての人に!

こんな素晴らしい恵みを拒否するなんてもったいない。だから、キリストの「はじめの愛」から離れないで、主をほめたたえつつ歩みましょう! アーメン