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2025/5/11 週報メッセージ

空っぽの墓(マタイ28章11〜15節)

川﨑 理子 

11「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰りこの出来事をすべて祭司長たちに報告した。」

「婦人たち」とは、マグダラのマリアともう一人のマリアです。番兵たちは婦人たちが弟子たちに伝えるよりも早く権力者に伝えなくてはなりません。それは「空っぽの墓」、すなわち「イエスの遺体」がなくなったことです。

 番兵たちは真っ青だったでしょう。「彼らは行って墓の石に封印をした」(27:67)にも拘わらず、見張る役目を失敗したのですから。番兵からの報告を聞いて真っ青どころではない人たちがいました。祭司長や律法学者たちです。

 「祭司長たちは長老たちと集まって、相談し、兵士たちに多額の金を与えて」⑿、番兵の買収、偽証の命令⒀、番兵の身の安全の説得⒁ を行ったのでした。

 「空っぽの墓」の報告を聞き祭司長たちは「三日目によみがえった」こと、封印が解かれたことを知りました。しかし「だから信じよう」とはならずに、益々暗闇へ進みました。

 富と権力による事実の捏造は、いつの時代にもあります。更に今の私たちの社会でも情報技術の発達により、偽りのニュースが絶え間なく生産され続けています。しかし、イエスの復活のニュースはもみ消されることなく福音として世界中に届いています。

 イエスの十字架の死を見て、弟子たちは全員逃げました。葬られたあとは、家に鍵をかけて隠れていました。臆病な弟子たちは復活の主に出会い、「真実」を「主はよみがえられた」ことを語り続けました。「空っぽの墓」はすべての人の救いのためのしるしです。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは死んでも生きる」(ヨハネ11:25)

今、私たちは聖霊によって復活の主にお会いしています。キリストの復活の命は困難を打ち破る、逆境を乗り越えさせるところの、大きな愛の証なのです。

2025/5/4 週報メッセージ

「三日目」預言

川﨑 信二 

主イエスの葬りの時、祭司長たちがピラトに「あの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました」と伝え、番兵による見張りを要求していました。イエスご自身が生前に何度も「三日目の復活」を予告されていましたし、旧約にも「三日」という数字が重要な場面で出てきます。

ホセア書。「主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。……三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。」(ホセア6:1-2)

天地創造の時、第三の日に「地は草を芽生えさせよ。…」と、地から生命が生まれる日を三日目に置いています。

アブラハムの独り子、イサクはモリヤの山で献がられる時に身代わりの雄羊が備えられて命を回復した出来事も「三日目」でした(創世記22:4)

ヒゼキヤ王がイザヤに「主がわたしをいやされ、わたしが三日目に主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか」(列王下20:8)と尋ね、日時計を逆戻りさせるしるしをもって、死ぬべき寿命が15年も延ばされた。これも命に関わる奇跡です。

荒野で喉が渇いて死にそうな時、イスラエルの民に「三日目」に命の水を発見させた事(出エジプト15:22–25)。

 王妃エステルはイスラエル民族の滅亡が決定された後、「三日目」に王の前に出て、王の厚意を得、民を死から救いました((エステル5:1)。

 ヨナが巨大な魚に呑み込まれ三日三晩魚の腹の中にいて復活した(ヨナ2章)出来事。主イエスも語っておられます。律法学者の「しるしを見せてください」との問いに「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」(マタイ12:39‐40)と答えています。主イエスが墓から復活することをヨナが示している訳です。

 エマオ途上の弟子たちに復活の主が言われた言葉。

「……メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」

主は聖書の預言通り、三日目によみがえられたのです。

2025/4/27 週報メッセージ

懐かしい方々と共に主を仰ぐ

川﨑 信二 

「見よ、兄弟(姉妹)が座っている。なんという恵み。

なんという喜び。」 (詩編133/こどもさんびか交読詩編17)

先週は大阪教区西地区にある西淀川教会に行ってきました。現在、西野田鶴見橋教会(旧大阪西野田)が新会堂建築中のため同教会を借りて礼拝を行っています。そこで西野田の献身者と、かつての青年会のメンバーが集い、同窓会のような楽しいひと時を持たせて頂きました。

1986年のホ群分裂により教団を離脱された牧師、教団の中で他の伝統の教会に40年間仕えている牧師、また西野田の歴代牧師のご家族など十数名が勢ぞろいし、私も末席に加えて頂きました。

青年会で共に歩んだメンバーの中には既に主のみもとに召された方々もいて、年月の経過を感じました。私は西野田の献身者ではく、転会せず客員としての関わりでしたが、故中島恵美子牧師に東京聖書学校入学のために推薦状を書いて頂き、さらに教会から図書費サポートとして毎月支援金を送ってくださり、在学時4年間を支えてくれたのです。客員の私にも声を掛けてくださったことに、本当に感謝の思いでいっぱいでした。

 大きなことは、分裂後、他教団に移籍された牧師が久しぶりに母教会の方々と交流の時をもってくださったことです。その牧師と、ある集会で一度お会いした時に、先生は「次にお会いする時は天国かなぁ」と述べておられました。それほどホ群分裂の溝が深く、傷も大きかったのだと感じました。時を経てご夫妻で出席されたそのお顔には笑みが溢れ、本当に嬉しそうでした。主の憐れみによって和解の場に立ち会うことが出来、心が震えました。

 そこに年配の婦人が一人おられました。「私は、先生方が仕えている教会の礼拝の様子を全てYouTubeで必ず観ているのよ。毎週楽しみにしてるのよ」と語っておられました。その中のある教会には会衆席も映っていて、転会された方の元気そうな後ろ姿を見ることが出来、励まされて祈っているとのことでした。私自身もその祈りに励まされています。感謝です。

 「実に、キリストは……十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2章)

2025/4/20 週報メッセージ

主の復活日を記念して

川﨑信二 

主イエスが十字架の死を経て、墓の中からよみがえられた日を英語でイースター(Easter)と言い、ドイツ語でオスターン(Ostern)と言います。クリスマス休暇と同様にイースターでもスーパーマーケットは閉じているとのことです。そんな大事な日ですが、エオストレ(Eostre)というゲルマン神話の春の女神を由来としています。イースターには異教的な意味があったのです。日本でもイースターを祝う習慣が定着しつつあるようですが、その本当の意味を知っている人がはまだまだ少ないと思います。

イースターは横文字でカッコいい響きで、クリスチャンも使っている言葉ですが、「主が復活された日」であること、私たちの罪と死から主イエスが勝利された日であることを先ずお覚えたいものです。

春の到来や命の芽吹き、そういう明るいイメージは良いのですが、自然界の暖かさが、主イエスの絶大な功績を隠してしまうことがないようにと思います。

命のシンボルとしてイースターエッグやうさぎが登場します。それは単にひよこが可愛いというだけではないのです。堅い殻を破って雛が出てくる、それは番兵が見張る墓、大きな石で封印された墓から甦ってくださった主イエスの姿を想起させます。多産のうさぎは、救われるものが次々と起こされる様子を表しています。可愛いキャラクターが主イエスの恵みを妨げないよう、常に真理の解き明かしをしてゆきたいものです。クリスマスでも同様です。神秘的な雰囲気に心が奪われて、主イエスが何をして下さったのか、そこから外れてしまいやすいのです。教会暦を宣教の機会として用いたいと思いますし、かくいう私自身が主イエスの新しい命と喜びに生かされたいと心から願わされています。

主イエスは日曜日の朝に復活されました。安息日がユダヤ教の土曜日から日曜日に変わったのは主の復活を喜ぶようにと、ニカイア会議で定められました。毎日曜日がイースターとも言えます。この日に心からの感謝を表したいと思います。