榊原紀惠子 のすべての投稿

2026/7/5 週報メッセージ

気持ちの問題ではなく、神の事実

川﨑 信二

「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」

(ヘブライ13:8)

信仰や祈りがもたらす心身の改善効果は、医学的に「プラセボ効果」のメカニズムと非常によく似ていると言われています。心理的な信頼感や期待が、不安の軽減、免疫機能の向上、痛みの緩和といった「思い込みによる実効」をもたらす側面があるとされています。

例えば、信仰を客観的に見た場合には次のように見ることができます。「祈りや神への信仰は、ストレスを軽減し、脳内物質の分泌を促すなど、物理的な健康の改善(特に免疫機能向上やうつ症状の緩和)に繋がる」と。

これは医学的な報告です。「信じる力」が物理的効果をもたらすということも事実なのでしょう。

信仰とプラセボ効果には共通点があります。薬の効果を信じることで症状が改善するプラセボ効果と同様、信仰も「神が治してくれる」「良くなるはずだ」という強い期待感によって、自然治癒力を引き出すという点です。

確かに、信仰がメンタルヘルスに寄与する点はあります。信仰が人生の目的や安心感を与え、精神的な安定(ストレス減少)を与える効果です。また「自然治癒力」は人が本来持っている力であり、前向きな希望によってそれが最大限に引き出されると言えるのです。

つまり、信仰による治癒効果は「ただの思い込み」ではなく、科学的にも実証されていて、人間の心身に内在する力として認められているものなのです。

 しかしながら、そのような人間の側の気持ち次第で変わってしまうのなら、何とも心細いです。人の思いや信仰の前に、神の救いの事実があります。主の十字架と復活による約束は私たちの気持ち次第で変わるものではありません。

 神の恵みは、私たちの信仰に拘わらず、揺らぐことのない絶対的なものです。

2026/7/12 週報メッセージ

天のふるさと

川﨑 理子

先日、千歳丘教会のコンサートに行ってきました。ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」の演奏を初めて聴きました。奏者のカテリーナさんは、日本で活動されて20年。「私のコンサートは、事前のプログラムはないんですよ。目の前にいるお客様を見て曲を決めています」と。

1曲目はウクライナでは子守唄として知られている「幸せの鳥」を弾いてくださいました。カテリーナさんは「ウクライナ民謡の歌詞には、花を母に、鳥や動物を父や兄に例えることがあります。幸せの鳥は、木を切らないで、花を切らないで、と呼びかけている歌詞です。戦争で、木や花、命も切られています。私がステージに立つことで、バンドゥーラの音色と歌を響かせることで、ウクライナの現状を知ってもらいたい」と語られていました。

 バンドゥーラは12世紀頃に起源を持つとされる伝統的な楽器です。65本の弦をもち、指に専用のつけ爪を付けて弾いて音を出す撥弦楽器なのです。4.5オクターブの音域があり二重弦になっています。カテリーナさんは「二重弦はピアノでいう白鍵と黒鍵のような関係ですよ」と教えてくださいました。

 また、バンドゥーラはかつて、主に目の不自由な男性が歌いながら演奏し、歌詞の内容も民族の歴史や英雄話が中心だったことから、日本の琵琶にも似ているとのことです。

 カテリーナさんの演奏と歌声には平和や祖国への想いが溢れていて、礼拝堂いっぱいに響き渡りました。

アンコールでは日本の「ふるさと」を会衆の皆さんでバンドゥーラの音色に合わせて全詞を歌いました。

 

 私は、永遠のふるさと、「天のふるさと」へ思いを馳せました。ウクライナも、日本も、世界のふるさとは天にあります。主が創られたふるさとは全ての人のふるさとだ、と感じ、祈りを新たにさせていただきました。

「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」(ヘブライ人の手紙11:16)

2026/6/28 週報メッセージ

主イエスの再臨を信じる

川﨑 信二

 「天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:11)

 国家の圧力は、1939年に成立した「宗教団体法」によって次第に強められ、国家の認可を得ようと国策に擦り寄っていく当時のキリスト教界の中で、「ホーリネスの群」の前身「日本聖教会」もその波に吞み込まれていった。

その波を受け、日本聖教会は会則および教義の変更を余儀なくされた。改定後の規則の一部を記載する。

「第五条 本教会は旧新約全書を悉く神の言なりと信じ、使徒信経に記されたる基督教基本教理を維持す。

四項 我らは主イエス・キリストが栄光の貌(かたち)をもって再来したもう事と、その時キリストに在りて死にし者はよみがえらせられ、地にある聖徒は栄化せられ、ともに空中に携え挙げられ、後、神の国の来る事を信ず。」

 何の問題もないように見えるが、主イエスの再来の場所、「地上」という言葉が削除されている。「空中再臨と信者の携挙」は残っているが「地上再臨」が曖昧になっている。文部省の指導により削除したことが当時の会則改正委員であった安部豊造牧師(更生教会)により証言されている。つまり、国家権力に追従したことは規則変更が物語っているのだ。

 では、なぜ国体に擦り寄ったにも拘らず弾圧を受けたのだろう。「リバイバル信仰」や「教勢倍増」が国の威信に触れたのか。それもあるだろうが、やはり「再臨信仰」にある。

 使徒信条に「……死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。」とある。

教団信仰告白にも「……教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。」と記載され、私たちは主の再臨を告白している。「再び来りたまふ」とは礼拝を守っているこの地上であることは明白だ。

 それを比喩的に解釈し、「地上」を削除し、精神論に置き換えてしまう弱さがある。それでも弾圧を受けたのは神の深いご摂理によるのではないか。弾圧は、今後「最も大事な教理」である、主の再臨を否定することがないようにとの教訓だと思わされている。

2026/6/21 週報メッセージ

日本基督教団創立記念日に思う

川﨑 信二

1941年6月24日、富士見町教会にて日本基督教団の創立総会が行われた。85年が経った。日本基督教団の教憲の前文には「くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって」と、創立の経緯について記されている。30余派のキリスト教団体が一つになったのが日本基督教団であるが、実際には「国家権力」によって創立に至ったのである。

この合同は教会の自律によるのではなく、国家の統制下に教会が置かれたことにより、当時の政府が掲げる国体に従う宗教とさせられたのである。1939年「宗教団体法」が成立したことで教団創立が決定的なものになり、キリスト教が国家に管理されることになっていったのである。

 キリスト教信者は耶蘇と呼ばれていたが、この法律によって仏教や神道と肩を並べ、宗教としての市民権を得て誇りをもって伝道に邁進できることが期待された。他にも免税や宗教的待遇を餌に、少しずつ国策に組み込まれていった。信教の自由を国家に売ってしまったのである。

 それ以前に、各教派が一致や合同に向けて促進する動きはあった。エキュメニカル(教派の一致)は開国以来たっての祈りでもあったのだ。しかしこの運動は「一つになる基準」を巡り頓挫した。諦めかけていた時に宗教団体法が成立して、一気に合同が進んだ。1940年の「皇紀2600年信徒大会」で「完全合同を期す」ことになった。そもそも「皇紀2600年」とあるように、国家の認可の下にある合同なのだ。

その中の、英国色の強い救世軍や再臨運動を行ったホーリネス教会などはすぐ除外されたのである。それでも一つになった。人の力ではなく国家の力で……。執行部の過ちや、教会の罪もある。しかし、だからこそ「くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致」による、と言えるのではないか。

神が、国家を用い、人の罪を用い、今まで成し遂げ得なかったことを、みわざによって成就させたのである。

今置かれている場を感謝して受け止め、一致を求めて歩みたいものである。

2026/6/14  週報メッセージ

信仰にとどまり、さらに実を結ぶ教会に

川﨑 信二

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。 ヨハネ15:5

先週は桜ケ丘教会創立103周年記念礼拝を西海満希子牧師の説教により主の御言葉に聴きました。

板井康祐牧師の米国での入信、献身、自宅での開拓伝道について触れていただき、戦時中の苦難と戦後復興、板井牧師の逝去後の教会に歩みについて、西海夫妻の牧会の様子をうかがいました。困難のなかで主が教会を立て、導いてくださったことを知り感謝でした。

標記の聖句の「つながる」という言葉は「留まる」という意味で、くっついているだけでなく、そこに住むという意味があるということです。頭での理解ではなくイエス様の霊が私の心に入って、住んでくださる。主が私のなかで生きておられる、それを受けることが信仰だと知りました。さらに、神ご自身が主体的に私たちのなかに留まってくださるとの恵みに感謝した次第です。実を結ぶとは信仰のことであり、信仰者が増えるということ。桜ケ丘教会はそこに重きを置いて歩み続け、マンション教会の時代には特に教会学校におけるこどもたちへの伝道と教育に祈りと力を注いで、実際に今その実が結ばれていることを示され、共に主の聖名をあがめたことです。

103周年を迎えた教会。主の導きに従い、これからも、信仰の根を深くおろし、十字架の愛を伝える私たちとさせていただきたいと心から願うものです。